第一話 第一章 「チョイスおかしいだろ!」

一人で生きていくと決めていた。 誰の力も借りず、自分の力で生きていくと。 二年前、イナエ街に越してきたときからアルトのその決意が揺らいだことはない。 できるだけ人に迷惑をかけないよう、関わらないように同じ毎日をただひたすら繰り返すことに努めていた。 ワクワクやドキドキなんて小説の中だけで十分だった。 一時間くらい前に鳴った目覚まし時計は壊れていて、 いつもは外でさえずっている小鳥でさえどんよりとした天気から身を潜めているというのに、ちゃんといつもの時間に起きられたのは奇跡だった。 習慣が身についてくれているからなのか、 外が活気づいてきたからなのか、 それともただの偶然なのだろうか。 夜更かしのおかげで寝不足を感じながら、 アルトは薄く目を開け身を起こす。 枕代わりにしていた原稿用紙をボーっと見つめる。 黒い模様が文字だと分かるまでに数秒。 そしてその上に転々とよだれがついていることに気付くのにさらに数秒かかった。 あわててティッシュで拭く。 にじんだ文字は辛うじて原形をとどめているにもかかわらずアルトはため息をついた。 十数枚の原稿用紙が文字で埋まっているが、そのほとんどに訂正や削除線が引かれているのだ。 おそらくそれを差し引いてしまうと、合わせても原稿用紙半分にも満たない位の文字しか残っていない。 あくびをしながら窓の外をチラリとみると、黒い瞳に雲だらけの真っ白な空が映った。 太陽の光は薄いベールのように柔らかかったが、そのおかげで青色が見えなくても、重苦しい雰囲気からは逃れられている。 もしかしたら雨が降るのかもしれない。 傘を持って出た方がいいか少し悩んだ結果、結局新聞の天気予報に頼ることにした。 アルトが部屋を借りている宿屋では、新聞は、女将さんが天気をチェックしてから受付のカウンター近くに置かれ、誰でも自由に読むことができる。 板張りの廊下に出ると、まだ朝早いからか床がきしむ音が妙に大きく聞こえた。カウンターではいつも女将さんが帳簿を付けたり、利用者の応対をしているのに今日は誰もいない。 いつも大きく開け放たれている玄関の方を見ると、女将さんがおもてを掃除をしているのが見えた。 ふくよかな体をゆらして楽しそうに掃除する姿を横目にいつもどおりカウンターに置いてあった新聞を取る。 新聞社が雇っている占い師は腕がいいらしく、よく天気を言い当てると評判だ。 少なくとも宿屋の女将さんが毎日チェックしているくらいには当たるらしい。 壁に寄りかかりながらそれをバサバサと広げ、目的の情報を探す。 どうやら今日は曇りのち雨らしい。傘は持っていた方が無難だろう。 その隣に載っていた運勢占いによると、アルトの今日の運勢は最悪とのこと。 天気予報の占い師の占いのため、信憑性は高い。 軽く落ち込みながら、ついでに目に入った文字を軽く読み流した。 ペットとして飼われていたモンスターの脱走、 テロと見られる爆破事件、 モンゼルクの美術館から宝石の盗難、 売れっ子アイドルの新曲発表、 ソラツで人気のマジシャン、 幻と言われるようせいのまちの調査、 セレンの警察べったり二十四時取材、 たくさんの事件がひしめく文字の海の中にアルトが職場としている図書館の噂も小さく載っていた。 イナエ図書館で禁書の目撃情報。 その記事にアルトは眉をひそめた。 「でたらめ言いやがって」とつぶやきながら次の記事に視線を移そうとしたその時、彼女は動きを止めた。 見つめているのは記事でも何でもなく、隅っこに記載されている今日の日付。 それをじっと凝視したかと思えば、バッと壁にかけてある時計を見上げた。 八時十五分。 いつもならそろそろ朝ごはんの準備を始める時間だ。 だが、今日はそれでは遅い。 朝食をあきらめることを潔く決断したアルトは、慌てて新聞を畳み急いで部屋に戻ろうとした。 その一歩を踏み出したところで掃除を終えた女将さんに声をかけられた。 「あら、アルトちゃん、おはよう」 「お、おはようございます!」 男勝りな性格のせいか、少々乱暴な言動のせいか、彼女を"ちゃん"付けで呼ぶ者は少ない。 自分でも似合ってないと自覚しているらしく、その敬称に違和感を覚えながら振り返りもせずに早口で挨拶をした。 歩みを止める様子はない。 「あ、待って、アルトちゃん」 速足で部屋に引っ込もうとするアルトを、女将さんはさらに呼び止めた。 「お客様が来てるわよ」 そうしてやっと振り返ると、女将さんの隣にはアルトと同じくらいの年の男の子が立っていた。 一瞬黒と見間違えるほど深い髪色は、電球の光に当てられている部分だけが青く光っている。 同じ色の目はつりあがっているうえに、眉間にはしわが寄っていた。 「おはよう、アルト」 彼がいつもこういうしかめっ面をしているが、今の彼の表情は本当に不機嫌なんだということがアルトには分かった。 もちろん原因が自分だということも。 一瞬どう言い訳しようかと視線を彷徨わせたが、すぐにやめた。 逃げ腰だった姿勢もピンと伸ばし、腕組みをする。 「ああ、おはようカル。早いな」 言い訳なんて思いつかないため、開き直ることにしたらしい。 どう考えても彼女に非がある状況のため、あまり賢い判断だとは言えない。 だが、彼に謝るというのは何故か負けた気がするため、あまりしたくはなかった。 この場合勝ち負けなんてどこにも存在しないようにも思えるが、彼女はそう思えてしまったのだ。 当然、彼女の態度にカルは額に青筋を浮かべて怒鳴った。 「早いな、じゃねーよ! 今何時だと思ってんだ!」 「自分で時計見ろよ。八時十七分だ」 相変わらず怒っても睨んでもどこか怖くない顔つきだと思いながら、めんどくさそうに答える。 反省のかけらもないアルトの反応にカルは頭を抱えた。 「何時に約束したっけ? 俺たち」 「あー、たしか七時だったはずだが」 ついさっき思い出したことだったため、すぐに答えられた。 それによって余計に彼の怒りを増してしまった。 彼は彼女を待って一時間も待ちぼうけを食らっていたのだから、当然の反応だ。 「覚えてんのかよ! じゃあ来いよ! どんだけ待ったと思ってんだ!」 「仕方ないだろ! 約束すっかり忘れてて、今起きたんだよ!」 「言い訳になってねえよ!」 堂々と言えることではない。 せめてもう少し肩身が狭そうに、申し訳なさそうに言いさえすれば、彼の怒りも少しは弱まることは容易に想像がつく。 だが、よっぽどのことがない限り、彼女が彼に対してそんな態度をとることはない。 女将さんはあらあら、とつぶやいてカウンターの中に入った。 こんな言い争いなど全然問題ではないと言わんばかりに、帳簿を開きながらむしろ二人に微笑ましそうな視線を送る女将さんからは文句なしのベテランの余裕が感じられた。 だが、当の本人たちはそんなことに気付きもしないで、ぎゃんぎゃんと吠えまくっていた。 「だいたいなあ、自分で時間指定しといて忘れるなよな!」 「うるせえ! お前が時間を空けてくれつったんから、わざわざ、仕事行く前に時間つくってやったんだろうが」 「作れてねえだろうが!」 ドのつく正論に思わず言葉を詰まらせるアルト。 そもそも自分の非が明らかすぎるこの状態で、言い負かすことができるはずもないのだ。 良い反論がそこらへんに落ちていないかと数秒視線を泳がせるが、そんなものは当然落ちているはずがない。 何かを言わなければここで負けてしまう。 何の勝ち負けなのかはわからないが、アルトはとりあえず口を開いた。 「そ、そういえば、あれだ。ひさしぶりだよな、会うの」 残念ながら口から出たのは、謝罪でも、反論でもなかった。 話をそらそうとして出た話題は微妙にずれていて、何の効果もない。 カルが口をつぐんだことにより、数秒の静寂が訪れたが、アルトは少なくとも"勝って"はいないということを悟った。 やがてカルは長いため息をつく。 「相変わらず話そらすの下手だな」 呆れ気味のツッコミに、アルトはボソリと「うるせぇ」と言った。 ねずみがライオンにパンチするくらいのささやかな反発だった。 彼らはお互いの性格をよくわかっていた。 二人は学生時代からの幼馴染なのだ。 喧嘩しては競い合って、また喧嘩して、たまに仲良く話し合う仲だった。 出会ってから数年だが、卒業して、それぞれ別の街で就職した今でもたまに思い出したように交流をしている。 お互いの悪いところ、苦手なところは特に知り尽くしているため、敵としては厄介な相手だった。 もちろん、 アルトがごまかしたり、話をそらすことが苦手ということも、 カルがどんなに粋がっても怒っても怖くないということも承知している。 アルトはまた強引に話を変えるためにゴホンと咳払いをする。 「……ま、まあ、とにかく、まだ時間はあるから話は聞いてやるよ」 「なんだよそれ……」 ぐったりしたカルの顔には "もう面倒くさいからいいや" という文字がうっすら書いてあるように見えた。 「今から出かけるのは無理だから、私の部屋でいいだろう?」 「はいはい」 場所を移動することにした二人が歩き出したら、後ろを風が通り過ぎた。 アルトの長い茶色の髪が揺れる。 開けっ放しの玄関から入ってきたらしい。 特に気にせず、振り返ろうともしなかった。 だが、そのまま立ち去ることもできなかった。 背後から声が聞こえてきたからだ。 「はい、今月分の家賃! じゃ、急ぐからバイバイ!」 アルト達と同年代くらいの女の子の声。同時にちゃりんと、硬貨がぶつかる音も聞こえた。 そんな若い女の子が同じ宿屋に住んでいたのかとアルトは不思議に思った。 彼女がイナエに越してきてからずっとその宿屋に住んでいるが見たことがない。 最近引っ越してきたのだろうか。 どんな子なのか興味本位で振り返ると、そこには女将さんがカウンターで座っているだけで、他に誰の姿も見えなかった。 かわりにカウンターの上には先ほどまでなかったと思われる布袋が置いてあった。 目をパチクリさせるアルト。 何かの勘違いかとも思ったが、隣にいるカルも同じような反応をしていたため、どうやら錯覚ではないらしい。 「まったく、あわただしいんだから……」 苦笑しながらカウンターに置かれた布袋の中身を手の上に出し、数え始めた女将さんの声はどちらかというとすこしダミ声だ。 失礼だがどう考えてもあの可愛らしい声を出したとは思えない。 「ん、ちょうどあるね」 そういいながら、お金を金庫にしまうと、何事もなかったかのように新聞を読み始めた。 玄関から入ってカウンターはすぐ目の前にあるといっても、数歩分の距離はある。 受付に一番近い部屋からも然り。 おまけに板張りの床にも関わらず、足音すらしなかった。 仮に裸足だったとしても、板張りの床がミシリと音を立てるはずなのだ。 テレポート魔法を使った可能性も一瞬浮かんだが、呪文の詠唱もなにも聞こえなかったため、可能性は低い。 「カル、今の……」 隣にいる友人に助けを求めようとして、やめた。 彼は彼女同様、表情に出やすい。 おまけに長い付き合いのため、表情や雰囲気からある程度の思考が読めてしまうことがある。 嘘を隠し通すことは不可能に近い。 あの女将さんならば、お金さえ払えば、人間じゃない者をお客として扱っていたとしてもおかしくはない。 可能性はゼロではないのだ。 「……あ、朝飯食べながらでいいよな、別に」 まだカウンターを不思議そうに見つめている彼の肩を軽くたたく。 強引に話を元に戻すと、カルもはっとしてうなずいた。 先ほどの出来事について特に触れなかったのは、彼なりに気を使ったのか、そうでないのか。 やっと自分の借りている部屋に戻ると、適当に座るようにカルに促し、自分は備え付けの小さな台所にむかった。 小さいコンロと、流しがついているだけの簡単な設備しかないが、一人暮らしのアルトには充分なものだった。 「お前はコーヒーでいいか? インスタントしかないけど」 そう言って、棚から来客用のコップと、自分のコップを出した。 来客用のコップはおそらく今日初めて出した。 ごく自然なたったそれだけの言動を見たカルは、表情がひきつらせた。 「……コーヒーって、お前、飲み物は大丈夫だっけ」 「大丈夫って、なにがだよ」 言わんとしていることはわかったが、あえてしらばっくれながらヤカンに水を入れ、火にかけた。 カルはめんどくさそうに頭を掻く。 「何って、そりゃ……あー、良い。自分で淹れる。一か八かなんて嫌だ」 コップをひったくられ、アルトは舌打ちをした。 「どういう意味だ! さすがに粉とお湯淹れるだけで失敗しねえよ!」 「似たような作り方のを何度失敗してんだ。毎回被害に合ってりゃ、用心深くもなるっつーの」 アルトは料理の腕前が壊滅的なのだ。 苦手や下手という程度ならばカルもここまで用心したりはしないだろう。 それは自分でも自覚しているため、言い返すことはできない。 仕方なく、自分のコップに麦茶を入れたところで、机の上に書きかけの原稿用紙を出しっぱなしだったことを思い出した。 カルがコーヒーを入れるために背中を向けている間に原稿を裏返し、用心のために上に本を乱雑に置いて隠した。 いくら気の知れた幼馴染だとしても、見られたくないものの一つや二つはある。 これはその一つだった。 何事もなかったかのように椅子にドカっと座り、朝食を開始する。 メニューは、昨日買っておいたパンだった。 当たり前だが自分の壊滅的な料理を食べることはまずない。 「で?」 雑に先を促すと、カルはコップを持って、向かいに座った。 カルは緊張した面持ちで口を開いた。 「お前の職場なんだが……最近、噂が立ってるだろ?」 「……ああ」 アルトは声を低くした。 ついさっき新聞記事を見たときによみがえったイライラが蘇った。 あまり愉快な話題ではない。 一気に彼女の機嫌が悪くなったことに気づいたが、今更引き返せるはずもなく、避けるどころかさらに切り込んだ。 「単刀直入に聞く。実際のところ、どうなんだ?」 わざわざ休日を使って列車に乗ってまで彼女に会いに来たのだ。 手ぶらで帰るにしても、できる限りのことはしておきたい。 情報収集不足でまた来ることになるハメになるのは避けたい。 列車代もタダではないのだ。 「どうって……しらねえよ。少なくとも私は見たことがない」 パンを口に無理やり押し込み、麦茶で流し込んだ。 パンに混ぜ込んであったクルミをかみ砕きながら眉間にしわを寄せているアルトはとても怖かったが、カルはしつこく念を押した。 一発や二発くらい理不尽に殴られることは覚悟した。 「本当だろうな? 火のないところにはなんとやらっていうだろ?」 「あの噂のせいで、こっちは迷惑してんだよ!」 コップの残りの麦茶をあおり、ドン、と乱暴に置いた。 「変な冒険者どもばかり集まってきて、常連の利用者に迷惑をかけるわ、一回本格的な調査まで入って、仕事は進まねえわ……」 思い出すだけでも、怒りが込み上げてきた。 ここ数日だけでもその噂に振り回された連中の対応にどれだけ追われたことか。 そのせいで、ただでさえ遅れている執筆作業が遅れたのだ。 そのせいでここのところ寝不足が続いている。 一気にまくしたてる姿はまるで酒場にいる親父のようだが、彼女が飲んでいるのは麦茶で、今はまだ朝だ。 「おい、落ち着けよ」 まるで飲み過ぎる父親を諭すかのように言うカル、それにカチンときたのか、アルトは声を荒げた。 「うっせ、落ち着いてるよ!」 その瞬間。 パリンと音が鳴った。 一瞬何の音かわからず、二人はポカンとした。 そして数秒後、二人はアルトの手に視線を移した。 ものの見事にアルトの持っていたコップが握りつぶされていた。 陶器製のマグカップ。 描かれていた猫の柄もひびのせいで、何かわからなくなってしまっている。 「うわ、お気に入りだったのに!」 「そうじゃないだろ!? 血、出てるから! うわ、待て手を広げんな、ぜってー刺さってるってそれ!」 先ほどまでの険悪な雰囲気はどこへやら、二人は軽いパニックを起こした。 それと反比例するように怒りが頭に上った血と共にすっと引いた。 「っとに馬鹿力……包帯どこだよ!?」 「じ、自分でやる。とりあえず片づけてくれ」 アルトが自分で手当てしている間にカルは散らばったマグカップの破片を集める。 包帯を巻きながら、ごみ箱に捨てられるお気に入りの残骸を眺めるアルト。 「あー、買いなおさなきゃだな……」 「もう鋼鉄製買え」 嫌味のように言うカル。 だが、アルトは本当にその方がいいかもしれないと思った。 普段は気を付けているが、ちょっと気を抜いたり、何かに夢中になったりすると、いつもこうなってしまうのだ。 幼い頃から考えると、何をいくつうっかり壊したかなんて、覚えてすらいない。 「不吉だよなあ……お気に入りのマグカップが割れるなんて」 「普通は落としたりして割れるもんだけどな、握りつぶしても不吉なのか?」 「細かいことはいいんだよ」 アルトは結局包帯を巻き終わると、手の感覚を確かめるために開いたり閉じたりした。 少し動かしにくい。 あまり動かすと傷が開いてしまう可能性もある。 無理はしないようにした方がいいだろう。 「ってかそんなに怒ることかよ」 カルは首をかしげながら聞いた。 アルトもそういえば、自分は何故そんなにも怒っているのか不思議に思った。 数秒考えた後に、理由に察しがついた。 あまりにも恥ずかしい理由に、思わず赤くなる顔をそらしながら適当に言い訳をする。 「別に、迷惑な利用者を思い出しただけだ」 「ほんとかよ」 疑わし気な目を向けるカルにアルトはあわてて質問をした。 「で、お前は何でそんな話をわざわざセレンから聞きに来たんだよ」 セレンは大陸の南東に位置する港町だった。 カルはそこで働いている。 対して、アルトが現在住んでいるイナエ街は大陸のほぼ中心に位置している。 電車で来るにしても、4つも駅を通り過ぎなければいけない。 そこそこの時間と金を割かなければ往復できない距離だ。 やっとこさ散らばったマグカップをゴミ箱にすっかり入れてしまったカルは椅子に座った。 下手に追及して、またアルトを怒らせて何かを壊されるのを回避したかったのか、素直に質問に答えた。 「実は最近、冒険者の副業始めてさ、その下調べってわけだ」 「冒険者ぁ?」 アルトは素っ頓狂な声を上げた。 「ああ、副職として推奨されてるだろ?」 もちろん、職業にもよるが、情報や人脈を集められる冒険者はいくつかの職業で、兼業を推奨されている。 二人がそれぞれ携わっている仕事も、その推奨される職業に入っていた。 「お前はどうなんだ?」 「なにがだよ」 「冒険者。実力はあるから、問題はないと思うぜ」 「あー、無理無理」 即答だった。 考えるそぶりすら見せなかった。カルは身を乗り出す。 「なんでだよ、お前なら立派な戦士とか格闘家になれると思うぜ」 「チョイスおかしいだろ!」 「ぴったりじゃねえか」 茶化しながらニヤニヤ笑うカルに拳骨を一つ落とした。 頭を押さえて悶絶する。 そういうところが格闘家向きなんだよ、という視線を無視しながら、理由を話す。 「今は司書と、執筆の仕事で手いっぱいだからな」 チラリと隠した原稿用紙の方を見る。 今だってたった一つのシーンの表現だけに三日も使っているのだ。 その前のアイデアを出す段階でその何倍も時間を費やしている。 カルは意外そうに目を丸くした。 「まだ小説書いてたのか、読ませてもらったことねえけど、仕事っていう程稼げてるのか。あれ」 「うっせ、教えねえよ」 儲かるかどうかなんて言う次元の話ではなかった。 そもそもまだ芽さえ出ていないのだ。 昔から大事に持っていた種をやっと撒けるようになったというのに。 追いかけ始めたばかりの夢の、成長のなんと遅いことか。 そのことに一番イライラし、焦っているのはほかでもない彼女本人だ。 ただでさえ遅筆なのに、それに費やす時間も必然的に減ることになる。 アルトは時計をみた。 まだ出ていくには早いが、この話は早々に切り上げたい。 これ以上仕事を増やしている余裕はない。 「もう私は仕事に行くぞ。他に無駄話することあるか?」 「ほんとかわいげねえよなお前。ねえよ、それだけだ」 「じゃ、帰れ帰れ」 花が咲いてからとは言わない。 でもせめて、まだ茶色の地面しか見えないいまではなくて、緑色の双葉が生えてから見てもらいたいのだ。 しっしと虫を払うようなしぐさをするアルトに、カルは呆れながら髪を掻いた。 手の動きに合わせて左耳だけにつけた十字のピアスが揺れる。 「へーへー、言われなくても、帰るっての。またな」 「ああ、またな」 カルはひらひらと手を振って、出て行った。 常に喧嘩腰で、下手するとその場で戦闘を始めてしまいそうになる二人だが、お互いを憎んでいるわけではない。 おそらく次会った時には笑って酒でも酌み交わしていることだろう。 そして、酔っぱらって、またしょうもないことで喧嘩をするのだ。 カルが出て行ったあと、アルトは壊れた目覚まし時計を見つけた。 出かける時間より少し早めにセットしたそれは、きちんと役目を果たしたばっかりにアルトに叩き壊されてしまっていた。 カルに対しては感じなかった若干の罪悪感を覚えながら、アルトは傘を準備した。

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