第三話 第二章 「はいはい、夜更かしはお肌の大敵だし寝るよー」

帰宅すると、ソファで寝ていたジェンにそのまま笑い死にでもするんじゃないかというほど笑われ、 ソフィアには噴出されたまま顔を背けられた。 「あのな、笑い事じゃないんだぞ」 アルトはその笑い声を聞きながら頭を抱えた。 むしろそのまま笑い死ねとさえ思った。 だがその思いは届かず二人は元気に笑い続ける。 「笑い事じゃなかったらなんなんだよ、冗談か? 爆笑事か? あははははは!」 「もー他人事だと思ってるでしょー」 ミィレも頬を膨らませる。 最初は面白がっていたミィレも、くっついてしまってから数分でその大変さに笑えなくなったのだ。 なにをするにしてもいちいち掛け声や合図が必要になる。 これがどんなに不便なのかは実際に体験している二人にしかわからないだろう。 「そりゃ、あっはっはっはっは! 他人事だからなくくく……」 「ジェン、あんまり笑ったら……ふふっ……かわいそうよ」 ソフィアが注意してくれるが、本人も笑っているため説得力はない。 「そんなこと言ったって……く、アハハハハハハ!」 どうやらツボにはまったらしく笑い転げるジェンを見て、アルトは顔を引きつらせながら拳を握った。 「元気そうだな、ジェン。さてはてめえ意図的に逃げたな……?」 「ああ、いえ。ジェンは……」 「あたりまえだろ。めんどくさくなるのは目に見えてるしな。ああいう演技をしたら自然に逃げられるだろ」 アルトはつかつかとジェンに近寄ってとりあえず拳骨を落とした。 ゴツン、と良い音がする。 「ちょっとアルト! 痛いんだけど!」 ところが、その拳骨の後、すぐに文句を言ったのは殴られたジェンではなく、 アルトの急な動きに対応できず若干引きずられるような形になったミィレだった。 「あ、すまん。つい……」 アルト相手では力ずくで抵抗することもできないし、いくらスピードのあるミィレでも、 この状態じゃアルトの歩調についていくのにも精いっぱいのようだ。 「それで? プッ……一体何が、あったの?」 ソフィアは一瞬彼女たちに目を向けたかと思うと、また噴出して結局顔を背けながら聞いた。 視界に入れるとつい笑ってしまうらしい。 アルトは長くため息をつき、事の顛末を説明し始める。 「んで、誰かにぶつかられたミィレが――」 「あ、ちがうわアルト」 ところがすぐにミィレの訂正が入った。 「ただぶつかられたんじゃないの。見てよコレ」 そういうとミィレは半身振り返って背中を、背中に生えた羽を突き出した。 青い宝石のような形の羽根がぶら下がっている。 この羽で飛べるというのは一体どういう原理なのだろうか。 「わたしの羽根がむしり取られてその拍子に押されたの!」 ミィレの背中の羽に規則的に生えている宝石のような部分に、確かに一つ分の間隔をあけている個所があった。 あの時の「痛っ!?」は、これを取られた時の悲鳴だったようだ。 「ミィレのそれって取れるんだな」 ジェンが少し意外そうに言った。 アルト以外のメンバー同士にも、お互いにまだわからないことはあるらしい。 ちなみに声は震えている。笑い終わるのはいつになるのだろうか。 「そのあと変な奴にふっとばされた拍子に持ってたお薬の瓶が割れちゃったみたい」 「ふっとばされた? 街中で? それってどんな人? 強そうだった?」 突然ソフィアが興味津々と言った感じでずずい、と詰め寄ったが、ミィレは肩をすくめた。 「さあ、わっかんない。とにかく変な人」 「心当たりでもあるのか?」 「いいえ、全然。でも、強い人なら知っておきたいじゃない。いつか戦えるかもしれないし」 なるほど、そういう情報収集も大切なのかとアルトは感心していた。 だがその解釈は間違っているということを彼女はまだ知らない。 アルトにもう少し注意力があれば、ソフィアの言葉の端々や、表情、テンションでその間違いにも気づけただろうが、 生憎そういったものは持ち合わせていなかった。 「それで、いつまでそのままなんだ?」 ジェンが相変わらず笑いに震えた声で聞く。気を抜くとまた笑い出してしまいそうだ。 「んー、たぶん明後日の夕方まで……」 「なんだよ、案外すぐ取れるんじゃねえか。つまらん」 「いやいやいや! 結構長いぞ!?」 この状態が二日も続くことを考えただけで身震いした。 「二人そろって地面にくっついちゃわないでよかったねー」 ミィレがあっけらかんと言う。 確かに最悪そういう事態になっていただろう。 それが避けられただけラッキーだと思わないといけないのかもしれない。 だが、それ以外にも問題が山積みである。 「その間、トイレとか風呂とか、寝るのだって大変だろうし……」 「女同士だし、だいじょぶじゃない?」 「ねーよ!」 「あ、なんとかなるかも」 ソフィアは何かを思い出したかのように棚を漁り始めた。 「あったわ、これこれ」 棚から引っ張り出したのは、錠剤状の薬の入った小さな瓶。 「あー、そんなのあったね」 「なんだそれ?」 「これはね。生理現象を停止させる薬よ」 「そんなのあるのか」 「滅多に使わないんだけどね。無駄に高いし、汗とかも止まっちゃうから危険だし、副作用もあるから、多用もできないの」 アルトはその薬瓶を受け取った。 ラムネのようにも見える錠剤が瓶いっぱいに入っていた。 確かにあまり使われた痕跡はない。 手に2錠転がしながらアルトは不安な顔をした。 「……副作用って?」 「ちょっと睡眠障害の症状が出るの。ちょっとだけだし、フィールドに出るってわけじゃないし、明日の昼までならば問題ないと思うわ」 それくらいならば、とアルトはミィレと薬を分け合って飲んだ。そもそもこの緊急事態にうだうだ言っている場合ではない。 「あ、そうだ。これ、渡しとくぞ」 そう言って、アルトは布袋をひとつ差し出した。 中にはテロリストを捕まえた報酬が入っている。 ふと、あの時この布袋が自分たちに挟まれてひっつかなくてよかったと思った。 そうでなければ動くたびにチャリチャリと軽い金属のぶつかり合う効果音がつくことだろう。 それが何なのかが分かった途端、ジェンが袋をひったくり、ソフィアは不思議そうな顔をした。 「あら? もう報酬もらえたの? 役所があんな状態だし、落ち着くまでお預けかと思ったわ」 「ああ、警察が立て替えてくれてな」 「へえ、警察が」 「そうそうそう! そうなの! 聞いてよ!」 ミィレが身を乗り出した。 今度はアルトが引っ張られてバランスを崩しかける。 「アルトったら警察のおじさんと顔見知りだったんだよ!」 「マジかよ。なにやらかしたんだよ」 即効で犯罪者だと判断された。 「なにもしてねーよ!」 むしろ知り合いだったおかげで報酬を立て替えてもらえたのだ。ジェンに疑わし気な視線を向けられる謂れはないはずだ。 「ほんとかよ」 「あのな。警察と知り合い、イコール犯罪者じゃねーだろ」 「いやでもアルトだし……」 ミィレも隣でそんなことをつぶやく。 「私のイメージどんなだよ!?」 いつの間にかあらぬ先入観を持たれていた。 最近は被害者側にしか回っていなかったのに。 少しむくれるアルトを横目に、ジェンは布袋の中身を確認した。 そして悲鳴のような、呆れたような声を上げる。 「うわ、なんだこれ! すっくね!」 「そうでしょ! 役所爆破した奴も現行犯で捕まえたんだし、もっともらえると思ったのになあ」 すぐさまそれにミィレが同調し、そもそもの相場が分からないアルトは、そうなのか? と首をかしげた。 「まあ、もらえたんならいいじゃない。役所なくなっちゃったから、もらい損ねた人もいるはずよ」 納得いかない様子のジェンとミィレをまぁまぁ、とソフィアがなだめた。 「そうだけどよ……」 「ちゃんと働いたのにぃー」 ミィレは軽く地団太を踏んだ後、はっとした表情になった。 「あれ、もしかして……このままアルトとくっついてたらお仕事しなくていい……?」 確かにこのままだったら仕事はおろか満足に日常生活を送ることすら困難なのだ。 戦力外とみなされるのが普通だろう。 だが、そうは問屋が卸さない。 「甘いな! そうなったらわっちらもサボるだけだ!」 アルトが二人の頭にチョップをかました。 「阿呆! そしたら金入ってこねえだろうが!」 ミィレが頭をさすりながらむくれる。 「ぶっちゃけ、わたしたちお金に困ってるわけじゃないしぃ」 「そうね、それぞれ違う収入元はあるし」 「だとしてもだ、私の初仕事、ちゃんとやってもらうからな」 アルトはそう叱咤しながら、自分は新人で一番下っ端のはずなのに何故こういうことを言わなければいけないのかと頭が痛くなった。 よくこんな調子で仕事がやってこれたものだ。 彼女たちは先日、とあるクエストを受理していた。 まだ依頼人に会ってすらいないが、一応それがアルトの冒険者としての初仕事である。 「それよりさ、お風呂入りたいんだけど! 汗かいちゃったもん!」 しかも仕事の話をそれよりと言われてしまった。頭痛がひどくなる。 「……どうやって……?」 着替えは腕がひっついてしまっていて服を切り刻まない限り物理的に不可能だった。 しかたがないため、濡らしたタオルで体を拭き、服には消臭スプレーを吹きかけて処理することにした。 苦肉の策だったが、朝から走り通しだったため、ミィレの言う通りなにもしないという選択肢はあまり選びたくなかった。 髪だけはどうにかこうにか洗い、ソフィアとジェンに手伝ってもらってドライヤーで髪と服を乾かした。 「アルトが風の魔法まともに使えればもっと楽なのになー」 これみよがしに言うミィレの言葉は聞こえないふりをした。 アルトがそよ風より弱い風しか起こせないことは、昨日図書館で出会った時に全員見て知っている。 どう考えてもドライヤーの方が風力が強い。 「で、どっちの部屋で寝る?」 個人部屋の前でミィレが問いかけた。 それぞれの扉はカラフルに彩られており、 右から青色の扉がソフィアの部屋、緑色の扉がジェン、黄色の扉がミィレ、 そして一番左端の、今まで物置がわりになっていた赤い扉にアルトの部屋があてがわれていた。 つまりミィレの部屋とは隣同士ということになる。 「もう、どっちでもいい……」 副作用のせいなのか、疲れのせいなのか、アルトは眠たくてたまらなかった。 「じゃ! わたしの部屋ね!」 後でよく考えたら、掃除する間もなく脱走を図ったため、アルトの部屋はまだ荷物が散乱している状態だったのだ。 そんな部屋で転んだら最悪だ。 どこかに何かが刺さったり、変な体勢で倒れて起き上がれなくなる可能性だってある。 以上を考慮するとミィレの部屋で寝ることは結果的に正しかった。 ビタミンカラーの扉を開けて中に入ると、いくつもの棚にいろいろなものが並べられていた。 アルトは物珍し気にあたりを見回す。 ミィレも嫌な顔はせず、止めるそぶりも見せなかった。 「思った通りというか、やっぱ薬品ばっかなんだな。本もそういうのが多い……」 「まーね!」 一番目についたのは瓶に入った色とりどりの液体だった。 それらがこれまたいろいろな形の瓶に入れられ、並べられている。 「もしかして手作りなのか? これ全部」 「まあ大体はミィレちゃん印のおくすりだけど、材料も混じってるよ」 薬と言っても、いくつか紹介してもらった薬の効果を聞く限り、怪我を治したり体力を回復するものよりも、 女の子になる薬や鏡の自分を作る薬、発火薬や爆発薬なんていうふざけたものばかりだった。 種類と量から考えるに、仕事のためというより趣味に近いようだ。 可愛らしくリボンがついているものもある。 整列した瓶を眺めていたアルトははっと気づいた。 「っていうか、こんだけ薬あるならこのとりもち無効化できる薬とかあるんじゃないのか?」 「ないってば」 淡い希望はきっぱりと否定され、儚く散った。 がっくりと肩を落とす。 ミィレはその否定が確かだということを証明するかのように説明した。 「なんとなく作っただけの薬だし、まさかこんなことになるとは思ってなかったからさあ」 「この、"薬の効果を無効にする薬"ってのは?」 目ざとく見つけた薬のラベルを手に取って読み上げる。 そのラベルの張られた瓶には、透明な液体が入っていた。 「あー、それね。一応その名前の通りの薬なんだけど……」 「何か問題があるのか?」 「問題って言うか、飲む系の薬に対してしか無効化できないのよね。これ、飲まないやつだし。ざんねーん」 肩をすくめるミィレにアルトは落胆して、その薬から手を離した。 棚には薬のほかに、フィギュアがきちんと管理された形で並べられていた。 フィギュアとか好きなのか、意外だな。 なんて思いながらさらに眺めまわす。 そのうちに薬とフィギュアばかりの棚の中に、2つの写真立てがあることにアルトは気づいた。 どちらにもミィレが映っており、どちらのミィレも幼い。 一つは今日の昼に見た、ミィレの友達らしき女の子二人と一緒に写った写真。 もう一つは金髪の女性と、オレンジの髪の男性と一緒に写っている。 恐らく父親と母親だろう。 父親は若く、顔立ちも整っている。 母親も若く美人で、どちらかというとミィレの見た目は彼女似らしい。 「似てるな……」 思わずつぶやくと、ミィレが「え?」と声を上げて、アルトの視線を追った 「ああ、写真見てたのね。よく気付いたね。お父様かっこいいでしょ!」 一つ疑問に思ったのは、両親に羽がないことだった。 幼い彼女には今より小さめの宝石が背中から見えている。 だが、両親にはそんなものは影も形もなかった。 「……なあ」 「ん?」 羽根や種族のことを聞こうと思ったが、直前でためらった。 両親が同族じゃないかもしれないということは、もしかしたら実の親でない可能性だって考えられる。 それに、根掘り葉掘り聞いたとして、自分にいったい何の得があるというのだろうか。 相手を傷つかせ、いらない情が増えるだけかもしれない。アルトはまた思考を停止させた。 「いや……こっちの二人とは昼間会ったぞ。やっぱり友達だったんだな」 「え? そうなんだ? んー、友達って言うか、子分かなあ」 子分という表現にミィレらしさを感じて笑ってしまった。 「はいはい、夜更かしはお肌の大敵だし寝るよー」 そう言って電気を消すと二人はベットに入った。 すこし狭く感じたが、落ちることはなさそうだと安心した。 布団にくるまって一時間。 アルトの頭は妙に覚醒してしまっていた。 やっと休めるはずなのに、眠れない。 さっきまで眠たくてたまらなかったのに、布団に入った途端目が冴えてしまった。 昼間気絶してしばらく眠っていたも同然の状態だったため、睡魔が弱体化しているのだろうか。 それとも、薬の副作用が眠気を吸い取る方に働いたのかもしれない。 「……いつもこの時間に寝るのか?」 疲れているのに休めないジレンマから目をそらすためか、隣にいるミィレに話しかけてみた。 ミィレの方はどうやら半分眠りに入っていたらしく、とろんとした返事が返ってきた。 「ん? んー、気分次第……かなあ。お仕事がある日はもっと遅いし……」 「仕事?」 「うん……金づ……お客さんとおしゃべりして……お酒飲む仕事……」 「おいそれいいのかよ……」 アルトはミィレの歳を思い浮かべる。 確か一つ下の15歳だったはずだ。 15歳以上は飲酒を認められているエレフセリア大陸の法律では問題はないが、 だからといってその年に達したばかりの彼女がその仕事というのは少し問題があるのではなかろうか。 次第に寝息が聞こえてきた。 それに気づいたアルトも眠るように努めたが、先ほどの会話でミィレが客のことを金づると言いかけたのと、 "飲む系"ではないはずのこの薬を飲まされかけたことを思い出し、気になって眠れなかった。

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