ご飯も食べたし、歯磨きもしました。
お風呂もちゃんと入って、髪も乾かして、パジャマを着て、もう、寝る準備は万端。
なのに。
みりぃはベットに入ることなく、椅子に座ってぼぉっと外を見ています。
多分、眠れそうにないんだろうなあ。
睡魔さんがなかなか来てくれない時、私だったらどうしたら眠れるかなと、考えた結果、ホットココアを二つ淹れてみました。
マグカップを二つ持って、驚かせないようにそっと声をかける。
「みりぃ、眠れそう?」
「あ、らみぃゆ……。うーん、怪しいかも」
眉を下げながら笑うみりぃにホットココアを渡すと、持っていたギターを傍らに立てかけ、受け取ってくれた。
みりぃの向かいに置かれた椅子に座って、外を眺める。
カラフルな落書きや建物にあふれたベサノの街は夜に塗りつぶされています。
ところどころ、夜色をライトが遮っているけれど、昼間のにぎやかさは感じられません。
念のためにって取った会場近くの宿屋。
泊りにしたのは正解だったのかも。
私だけかもしれないけど、ちょっとした小旅行みたいで楽しい。
それに、芸術の街、ベサノの宿屋だけあって、内装がすごくかわいいです。
椅子もおしゃれですわり心地が良いなあ。クッションもふかふか。
「ついに明日。待ちに待ったライブだもんね」
「そうなの! もう、楽しみ過ぎて眠れない!」
スリッパを履いた足をパタパタと動かすみりぃの表情は明るい。
明日は、みりぃがもう何ヶ月も前から楽しみにしていたロココさんのライブの日だった。
電脳アイドル・ロココ。
ある一つの動画からはじまったアイドル。
今じゃ、ようせいのまちどころか、エレフセリア全土にも知れ渡るほどの知名度を誇っています。
私ももちろん知っています。
今回は、チケットが二枚手に入ったからって、みりぃに誘われて私も一緒に来ちゃいました。
キラキラと目を輝かせるみりぃ。
本当に楽しそう。
いつのまにか半分以上減ったマグカップを置くと、みりぃは傍らに置いていたギターを取り上げた。
「私もいつかは、あんな風に……」
みりぃはそっと赤いギターを撫でた。
うさぎさんの形のエレキギター。
みりぃはようせいのまちで音楽活動をしていて、ステージ上の彼女のパートナーがそのギターです。
ステージ上のみりぃはかっこよくてかわいいんです。
みりぃはタララ、とメロディを弾き始めました。
その曲は聞き覚えがあります。たしか、これはロココさんの……。
「あ、それ。"ピンクと水色"って曲だよね。かわいくて好きだなあ」
「わかる。可愛い歌詞、女の子らしい高い声。衣装もかわいいのに、キレのあるダンス! ロココのダンスって一つ一つの動きがきっちりしてるんだよね。もたついてなくて、動きが多くて、本人も楽しそう。だから見てるだけですごい盛り上がる。ただのアイドルじゃあ、あれはできない」
その話を皮切りにみりぃがいろいろ弾いてくれた。最初はやっぱりデビュー曲の"七夕鬼伝説"から始まって、流れ星、ウチの色……と続く。さすが超有名アイドル。どの曲もみりぃが軽く歌ったり弾いたりするだけで私もほとんどわかった。
楽しそうに語るみりぃの声に耳を傾けながら、ぬるくなってきたココアに口を付ける。
みりぃの声って安心するな。
「あ、ごめん。もう寝ないとね」
ひとしきり話した後にみりぃははっとした様子で謝った。
眠そうにしてたかなあ。
私はゆるゆると横に首を振る。
「いいよぉ。眠れないんでしょう? 私も実はお昼寝しちゃってて眠れないんだ」
嘘ついちゃった。多分みりぃもわかってるけど、ありがと、って笑ってくれた。
私はあっと声を上げて立ち上がった。
「そうだ、私のチケット、みりぃに預けてもいい? 私なくしちゃいそう」
そう言って、カバンから自分の分のチケットを取り出して、
タロットカードみたいな絵柄のそれをみりぃに渡す。
「分かった、預かるね」
みりぃは私の分のチケットを受け取り、それをじっと見つめた。
「……そういえば、今回の新曲……あ、もうちょっと話してもいい?」
「もちろん。えっと、 Altairアルタイルだっけ」
今回のライブ名にもなっているアルタイル。
友達からなかなか発展しない恋心を歌った曲。
出だしは切ない感じに歌い上げるのに、サビは一転してちょっとすねて文句を言うみたいに元気になる。
それがとてもロココさんっぽくてかわいい。
「そうそう。アルタイル。あれ、本当は違うタイトルにするつもりだったらしいよ」
「え? そうなの?」
「うん、でも、ロココさんがごねて変えさせたんだって」
「珍しいね。ピノPの曲に意見するなんて。大抵は本人も気にいるのに」
「確か、もともとは"フォルテな恋して"? "恋するフォルテッシモ"? なんかそんな感じの曲名だったらしいよ」
「あー……なるほど」
そのタイトルを聞いて私はピンと来た。
なるほどー、それなら変えてっていうかもなあ。
本人は気づかなくても歌うのは恥ずかしいだろうし。
代わりにつけたアルタイルっていうのは、結局変わってない気がするけど。
思わずくすっと笑っちゃったのをごまかすためにフォローを入れた。
「で、でもアルタイルの方がロココさんっぽいよね。彦星だし」
「確かに。ま、噂程度の情報だから、ほんとかどうか半々ってところなんだけどね?」
ロココさんの曲は七夕や星空を彷彿とさせる曲が多い。
それを意識してなのか、はたまた曲の方が彼女を意識しているのか、
ロココさんの髪型は織姫様のように頭の上で二つの輪を作っている。
あ、誕生日が七夕だからなのかな。
そこで私はあくびしてしまった。しまった、とみりぃの方を見たら目が合う。
みりぃはちょっと笑った。
「なにかリクエストある? 一曲弾いたら私も寝ようかな」
「リクエスト……」
「あ、じゃあせっかくだしアルタイル弾く? まだ弾きなれてはないけど……」
「んー、じゃあ"スイカバー"がいいなあ」
私が言うと、みりぃは苦笑いした。
「それ私の曲だよ? それに、ロックで眠る前に聞く曲でもないような……」
「お願い、聞きたいんだあ」
「……じゃあ、ちょっとアレンジして……」
そう言って、いつもは元気に歌う曲を、ゆっくりとしたテンポで歌ってくれた。
みりぃの歌声にどんどん瞼が重くなっていく。
サビに行くか行かないかのくらいで、私はゆっくりと夢の世界に落ちていった。
***
次の日、起きると私は椅子にうずくまって寝ていた。
毛布がちゃんと掛けられていて、寒くはない。
部屋の中を見回すと、みりぃはベットに腰かけて髪を梳いていた。
私に気付いて笑顔で挨拶してくれた顔は、すっきりとした様子。
とりあえず、目の下に隈はないことを確認すると、私はほっとした。
多分ちゃんと眠れたみたい。
ライブは7時から。
宿屋をチェックアウトした後、ブラブラとベサノの街を観光していたから、現在時刻は5時。
まだまだ時間はあるが、早めにいかなければグッズは完売しちゃう。
ぼちぼち会場へ向かっていると、みりぃが、後ろから肩を叩かれた。
「ねえ、ちょっとあんた」
立ち止まり、振り返ると、一人の女性が立っていた。
ブルーハワイのような水色の後ろ髪と、いちごのシロップみたいなピンク色の前髪。
帽子とサングラスかけてて顔はちゃんと見えないけど、間違いない。彼女は。
どこからか声が上がった。
「アイドルのロココだ! ロココがいる!」
その声を合図にしたかのようにその女性の周りに人が押し寄せた。
私もらみぃゆもその波に巻き込まれる。
誰かのサインボードが頭に当たった。
人の渦から一瞬垣間見えたのは、私達が今まさに行こうとしているライブの主役、ロココさん本人だった。
「わ、わ。ちょっとー!」
本人も戸惑っていましたが、すぐにもみくちゃにされていたロココさんの周りの人が少し下がった。
ううん、下がらされました。
理由は法被を着た男性たちが、人ごみとロココさんの間に割り込んできたからです。
「我ら! ロココ様親衛隊!」
「お前等! ファンならファンらしく、迷惑かけるんじゃねえよ!」
「ほら、もっと下がりやがれ!」
親衛隊さん達がロココさんを背中に守るように人ごみを抑えた。
そのロココさんの隣にすっと男性が現れました。
「やっとみつけた……」
白い帽子をかぶって、歳はロココさんと同じくらい。
私はその人を知っていた。
フォルテさんっていうようせい仲間です。
テレポート魔法が使えるから、忙しいロココさんの移動を手伝ってあげているみたい。
今もロココさんのすぐそばまでテレポートで移動したのでしょう。
「おい、お前……!」
それに気づいた親衛隊が詰め寄ろうとしたのを、ロココさんが片手で制し「関係者だから」と止める。
「フォルテ。どうしてここに?」
「どうしてもなにも、お前のプロデューサー命令だよ」
「うげ、ピノP怒ってた……?」
「もう、カンカン。リハーサルも最終調整もまだなのに、って」
フォルテさんは指を角に見立てて、そのやる気のない顔の上に立てた。
ロココさんはあちゃーと言う顔をする。
「えー、まだショッピングとか全然してないのに―」
「戻るぞ」
「わかったわよぉ。じゃあ、みんなー、まったね!」
笑顔で手を振って二人はテレポートでその場からいなくなりました。ロココさんと青年が消えた途端に、密集していた人たちは一気にばらけました。潰されていた私も解放される。ああ、苦しかった。
息を整えていると、みりぃが駆け寄ってきてくれた。
「らみぃゆ、大丈夫?」
「うん、びっくりしたねー」
のほほんと笑うと、みりぃも笑ってくれた。
怪我もなさそうで安心しました。
いろいろあったけど、時間の随分前にライブ会場に着くことができました。
でも、そこからが問題だったのです。
開演には随分あるのに、入口に並ぶ列はすでに長蛇になっていました。
その最後尾に並んで、忘れ物がないか、カバンを探っていたみりぃの顔色がさっと変わりました。
私がそっと顔を覗き込むけど、みりぃは視線を合わせてくれないまま、小さな声でこう言った。
「……チケットがない……」
あわててバックやポケットのなか全部を探るけど、見当たりません。
私も念のため荷物の中を調べたけどやっぱりありませんでした。
「ごめん、らみぃゆ……」
掌で顔を覆って今にも泣き崩れちゃいそうなみりぃの頭をなでる。
「謝らなくていいよぉ」
「でも、管理してたのは私だし……」
余計に視線を落とすみりぃ。
私はしゃがんで無理やりみりぃと視線を合わせた。
「探そう。大丈夫、まだ時間はあるよ。朝、宿屋では見たよね?」
「……うん、ちゃんと確認した」
私たちは道を引き返した。
だけど、宿屋まで戻ってもそれらしきものは落ちてなかった。
宿屋の人や近くのお店の人にも聞いたけど、それらしき落し物の情報さえ見つからない。
「どうしよう、風に飛ばされちゃったのかな。動物さんがもってっちゃったのかな。誰か拾って使っちゃったのかな」
「落ち着いて、みりぃ。そうだ、あそこが怪しいくない? 人がいっぱい集まったところ」
「ロココさんが来たとき?」
「そう」
ロココさんが現れたあたりで下を見てうろうろする。
時間はもうすぐ七時になりそうになっていた。
「らみぃゆ、もう……」
「もうちょっとだけ探そうよ。ね?」
弱気になるみりぃを頑張って励ます。
あんなに楽しみにしてたんだもん。
ここであきらめるわけにはいかないよね。
今来た道をもう一度探そうと、振りかえると丁度、誰かにぶつかってしまった。
「いたた……ご、ごめんなさい! 大丈夫ですか?」
頭を抑えながら下げる。
「いたぁ……、もう急に動かないで……って、あっ、あんた!」
顔を上げると、そこにいたのはロココさんだった。
みりぃを指さして驚いた顔をしています。
みりぃもみりぃで、驚いて固まってしまってます。
ロココさんは、今度はあの変装した姿じゃなくて、明らかなステージ衣装でした。
スカートのレースが動くたびにひらひらって動くのが可愛い。
「わ、服かわいいですね!」
「あ、でしょでしょ。ピノPのセンスはほんと……ってちがう!」
衣装を自慢しようとしてなぜか急にやめるロココさん。
固まっていたみりぃはその声で我に返ったように立ち上がって、ロココさんに近づいた。
「あの、あの。ファンです!」
「ええ、知ってるわ。はいこれ」
みりぃの言葉にうなずくと、ロココさんはなにかをずい、と差し出してくれた。
可愛い星柄の封筒だった。
みりぃが不思議そうな顔で、それを受け取る。
中には私がなくしてしまっていたチケットが入っていた。座席の番号も全く同じ。
「あの、これ……」
「拾ったのよ。渡そうとしたらその前に騒ぎになっちゃって、渡しそこねちゃって。やっぱウチの魅力は隠せないのよねえ」
そっか。
あの騒ぎの前に落として、ロココさんが拾ってくれてたんだ。
だからみりぃに声をかけようとしたんだね。気付かなかったあ。
私とみりぃは手を取って喜んで、二人で頭を下げた。
「あ、あの、ありがとうございます!」
「ありがとうございます!」
「いいえー。あ、よかったら会場まで送ろうか? フォルテのテレポートなら一瞬だよ!」
「でもお前が間に合わなくなるぞ」
「ええ、どうにかしなさいよー」
「俺は一人しかいないんだ」
「ケチー!」
二人の会話にみりぃが割り込んだ。
「あの、私達、大丈夫です。走ります」
「え、大丈夫?」
「大丈夫です」
「ギリギリ間に合います」
言い切るみりぃに私も加勢した。
だって、私達のせいで主役が遅れるなんて。
そんなことあっていいはずありません。
「そ、じゃあ……」
「おい、どうするんだ? 早くしないとどっちも間に合わねえぞ」
「ん。じゃあフォルテ。ウチをお願い」
「あの! ライブ、楽しみにしてます」
みりぃが去り際に言うと、ロココさんはにっと笑った。
「うん、じゃああとでね。ちゃんと間に合うのよ!」
「はい!」
私たちは走り出した。
冷たい空気が口から、鼻から入って、肺や喉を冷やして痛いです。
でも、不思議と足や指先はポカポカしてきた。
体力のない私のペースがダウンし始めると、みりぃが後ろから声を張り上げてくれた。
「大、丈夫?」
「がんばるー!」
そう答えるのが精いっぱいでした。
会場に着いたのは開園数分前。
本当に数分前。
慌てて入る。席に着くと、息を整えながら、二人で笑った。
「間に合ったねー」
「もうだめかと思った!」
「後で物販行こうね!」
「うん」
ざわざわとした空気がしばらく続き、そのうちパッとスクリーンいっぱいにロココさんが現れた。
『はいはーい! みんな! 準備は良い?』
笑顔で手のひらをこちらに向けた。
『じゃ、ウチのベサノライブはじまるまでー! 5-! 4-!』
3,2,1と会場も一緒になってカウントダウンを始める。
そしてぱっと会場のすべての電気が消えた。
ペンライトの光が主張を始める。
人の声も消え、周りの衣服がこすれる音や、息遣いだけが聞こえてくる。
そして、カラフルなレーザーが光り出した。
ステージと客席に照射される。
同時に流れ出す、アップテンポな曲。
イントロだけで会場の全員が何の曲かわかった。
もちろん、わたしも。
「ウチの色」。
会場のあちこちから、うぉお、という野太い声と、キャアア!という黄色い声が混ざり合う。
室温が明らかに上がる。
やがて、レーザーが消えて、一つのライトがステージにせりあがってくるロココさんをとらえた。
一瞬、イントロが途切れた。
ロココさんがばっと顔を上げ、笑顔で声を張り上げる。
『みんな! 今日も盛り上がるよー!』
チラリと隣を見ると、嬉しそうに光の棒を振るみりぃがいた。
諦めなくてよかった。
私もライブを楽しむためにステージに視線を戻した。