第五話 第一章 「それ。死ねって言ってるのと同義語だからな?」
ジェンは木の上でぼんやりと北の方を眺めていた。
緑色の髪が、葉っぱと一緒にそよりと揺れる。
手には一本の糸。
それは重力に逆らって上へと伸びており、木の背を越したその先に浮かぶ白い風船を繋ぎ止めていた。
ゆらゆらと揺られ、風向きの微かな変化変化を指先に伝える。
表面には三重の丸が描かれている。
昔、ジェンが自らの武器である弓矢の練習にと購入したものだ。
しかし、面倒くさがりの彼女が真面目に訓練するはずもなく、新品のまま段ボールにしまい込まれてしまっていた。
思い出したのは奇跡に近く、風船自身さえも自分に空気が入れられる日が来るとは思っていなかったに違いない。
ジェンが上空に気配を感じ取ってまもなくお面の下の水色の瞳が、黒いものが飛んで来ているのを捉えた。
下を覗き込んで、木陰に座って休憩しているアルトに告げる。
「おい、来たぞ。多分当たりが」
その声にアルトは敏感に反応を示し、弾みをつけて立ち上がった。
「本当か!」
「ああ」
ずっと待ちぼうけを食らわせられていたのだ。
自分も確認しようと上を向いて目を凝らすが、生い茂る葉に阻まれて青空すらほとんど細切れだ。
太陽の光さえも分断され、いくつかの筋となり森のあちこちに降り注いでいる。
アルトは視認することを断念し、額に鏡を固定したハチマキを結び直した。
続いて木に立てかけていた武器を持つ。これで準備は完了だ。
気合充分のアルトに、ジェンが茶々を入れる。
「大丈夫かよ。それで」
「なにがだよ」
上を睨みつける。
アルトが動くたび、額の鏡がキラキラと太陽の光を反射させた。
その光に目を細めながら、ジェンはアルトの持った武器を指さす。
「"ヒノキの棒"なんかじゃすぐ折れるだろ」
「折れねーし! 折らねーし! そもそもヒノキの棒じゃねーよ!」
ずい、と上に向かって杖を突き出す。
「杖だ杖! 魔法使いの杖! 見てわかるだろ」
木製で、上がぐるぐると渦巻いた形をしたそれは、確かにオーソドックスでシンプルな魔法使いの杖以外の何物でもない。
素材はヒノキではなく、レモンパルスという木の形をしたモンスターが使用されている。
使う者の魔力をかさ増ししてくれる、魔法使いの杖としてはスタンダードなもので、強度は低く為打撃攻撃には向かない。
ましてやアルトのような怪力で振り回せば、ぽっきり逝ってしまうことが目に見えている。
少々値は張るが、多くの魔法使いが愛用している代物で、アルトも学生時代から相棒としている。
司書として働き出してからは使う機会はほとんどなかったが、家族が買ってくれたそれを、捨てられるはずもなく眠らせていた。
それを数年ぶりに引っ張り出してきたというのに、いきなりお釈迦にはしたくないし、するつもりもない。
「別に無理して魔法使い感出さなくてもいいんだからな?」
アルトがムキになるのが面白くて、ジェンは更に言葉を重ねた。
「はぁ!?」
案の定過剰に反応したアルトがドスの利いた声で威嚇した瞬間、上でパンと音が鳴った。
ジェン持っていた紐がしな、と下に垂れる。
直後、黒い何かが降下し、まっすぐアルトに向っていったのが視界をかすめた。
獲物がアルトに狙いをつけて急降下したのだ。
「無理ってなんだよ!?」
アルトは怒鳴りながら、突っ込んできたモンスターをうまくかわす。
一直線な動きだった為、それは難しいことではなかった。
モンスターは半回転して方向を軌道を修正する。
アルトの額の鏡が反射し作った光の道の中を真っ直ぐに飛んで行くが、またかわされた。
二度も攻撃を回避されたモンスターは、様子を見るかのようにアルトの周りをぐるぐる旋回し始める。
「葡萄みてえな形してんな」
アルトがモンスターを、睨みながら率直な感想を漏らす。
たしかに、黒い玉がいくつも身を寄せているようなその形は、実をいくつも付けた真っ黒の葡萄に見えなくもないかもしれない。
葉っぱや鶴の代わりにくちばしと一対の羽が生えているが。
「食べてみるか?」
ジェンがニヤニヤと笑って言うと、アルトは苦い顔をした。
「嫌だよ。あんな気持ち悪いの。どんなに腹の空かせた狐でも、取れなくても負け惜しみは口にしないだろ」
「そもそも獲ろうとすら思わないだろうな」
提案した割には、アルトの意見に同調するジェン。
本当にその葡萄のようなモンスターをむさぼり食べたなら、ジェンはドン引きすることだろう。
なぜならその果実のように見えるそれは、すべて目玉なのだから。
更に気味の悪いことに、その一つ一つのは、ギョロギョロと独立して動いている。
アルトはそれを視線で追いながら、呪文を唱えた。
一つ一つしっかりと発音していると、それ呼応するように杖がぼんやり輝き出す。
唱え終わると同時にその杖をくるりと回すと、光がはじけ、杖はハンマーに形状を変えた。
明らかに増した、ずしりとした重みに慣れるために一回、二回、それを持ち直すように振り回す。
ジェンはその様子を木の上から見下ろしていた。
糸をくるくると指に巻き付け、割れた風船を回収する以外は動く気はなさそうだ。
「割と小さいな……目玉いくつくらいだ? あれ」
ジェンが目玉の数を目視で数えている途中で、モンスターが動きだした。
高く上昇すると、アルトめがけて一気に降下。
アルトは今度はかわさずにタイミングを計る。
ギリギリまで引きつけると振りかぶり、クリアで明るい青色の鉱石が嵌められたハンマーのヘッドをモンスターに叩きつけた。
ちょっとでもタイミングがずれていたら、モンスターのくちばしによって脳の風通しが良くなっていたことだろう。
攻撃がクリティカルヒットしたモンスターは断末魔の短い悲鳴を上げて目玉をあちこちに飛び散らせた。
コロコロとボールのように転がっていく目玉がもう動かなくなったことを確認すると、アルトは自慢げに胸を張った。
「どうだ」
「やっぱり魔法使わねーんじゃねーか」
「一回使っただろ」
「ハンマーに変えるためにな。結局力業じゃね?」
「うっせ。いくつも呪文唱えてる暇なんかあるかよ」
魔法使いにあるまじき言い分である。
ジェンの呆れた顔は仮面に隠されて見えなかったため、アルトは気にすることなく、今さっき潰したものを見下ろした。
ハンマーの下敷きになったいくつかの目玉はぺっちゃんこになって、黒い血が溢れ出している。
一見すると、黒い何かが溶けているようだ。
その中から形をとどめている目玉の一つをそっとつまみ上げ、上に掲げた。
「……これだよな?」
「そうそれ。ちゃんと全部回収しろよ」
ジェンの指示通り、無事な目玉を選別して用意していた布袋に回収した。
目玉にまとわりついている少々ねばっこい黒い液体については、極力考えないことにする。
液体の正体が例え何であってもあまり気持ちのいいものでないことは確かだからだ。
見える範囲の目玉を回収したところで、アルトは額の鏡をコツコツと叩いた。
「っていうか、ほんとにこれつける必要あるのか。間抜けじゃないか?」
「あるに決まってんだろ。イェピカはちゃんとそれを狙って何度も仕掛けてきたんだし」
イェピカ。それがあの気持ちの悪い葡萄のようなモンスターの名前だった。
そして彼女たちが、ここ数日この森に通い詰めている目的でもある。
「全身に電飾を括り付ける方法もあるが、昼は目立たねえんだよなあ」
頭に鏡を付けているのは確かに間抜けだが、クリスマスツリーよろしく光る電球を括り付けられるよりはましかもしれない。
だが、そもそも本当にこの回りくどい方法しかないのか。
そんな疑問をぶつけると、ジェンはあっさり首を横に振った。
「ないな。昨日散々森を歩き回ってまったくエンカウントしなかっただろが」
「そうだけど……」
「イェピカは目玉と光が大好きだ」
ジェンは新しい風船を膨らませ、糸に括り付けて手を離した。
風船は上昇し、また先ほどと同じくらいの高さで留まる。
「この目玉に見えなくもない風船でこちらにおびき出し、さらにその鏡で光を反射させてそっちに誘導する。朝した説明聞いてなかったのかよ」
「……聞いてたけど」
なおも不満そうに口をとがらせるアルトに、ジェンは親指を突き立てた。
「安心しろ、そんなんつけてなくてもお前は間抜け面してるから、印象は普段と変わらん」
「あ? なんだとコノヤロウ。てめえだって常に変なお面してるじゃねえか! そっちのほうが間抜けだっつーの!」
「失礼な。言っただろ、これは顔の一部だ。生まれたときからこの顔……」
「嘘つけ嘘!」
「ほらほら、お客が来てるぞ。そっちの相手しろよ」
ジェンに言われて後ろを振り向くと、そこには目的とは全く別のモンスターがいた。
彼女たちの喧嘩の声に寄ってきたのだろう。
アルトは仕方なくそいつの相手をすることになった。
その間、ジェンは高みの見物どころか、幹の上に寝っ転がって空を仰いでしまったためその戦闘を見てすらいない。
アルトは戦いながらも、上に向かって怒鳴りつけ続けるがどこ吹く風。聞こえているかすらも怪しい。
日は随分傾いてきていたところに飛び込んできたイェピカを叩き潰す。
アルトは差し込んでくる西日に目を細めながらジェンを見上げた。
「今日はそろそろ引き上げないか?」
ジェンはまたぼんやりと北の方を眺めていて彼女の声が聞こえていない。
「なあジェン。寝てんのか?」
もう一度声をかけてやっと反応を見せた。
「……そうだな、腹減ったし」
あれから倒したイェピカは計3匹。
本来の目的であるイェピカが、風船につられて来るのは運が頼りのようなもので、どちらかというと森にいる全く関係ないモンスターの相手をすることの方が多かった。
無駄に体力だけ持っていかれた感覚だけが残っている。
ジェンは木から降りるとアルトから布袋を受け取って覗き込んだ。
袋に半分も溜まらないくらいに目玉が入っている。
戦闘の際に潰したしてしまったものも多い上に、採取したものも大きさにもばらつきがあり、思うような量をゲットできなかった。
「……ま。こんなもんだろ」
それでも、収穫が全くなかった昨日までよりはよっぽど良かった。
袋をアルトに投げて返す。
「あっちに何があるんだ?」
アルトは袋をキャッチしながら、親指で北の方を指さした。
ジェンがぼんやり眺めていた方向だ。
「知らね」
つれない返事を返すと、ジェンは頭の後ろで手を組んで帰り道の方へ歩き出した。
アルトも不機嫌な顔でその後ろをついていく。
イナエの街が近づいてきた頃、別行動をしていたミィレとソフィアも同じく帰ってくるのを見つけた。
彼女たちもアルトたちに気付いたらしく、手を振って来た。
「おつかれー!」
「おつかれさま」
アルトとジェンは軽く手を上げて答えた。
「よう」
「お疲れ。成果は?」
ソフィアが布袋を開けて中身を見せた。
アルト達より量は多いものの、やはり芳しくない。
アルトが不安そうに顔を上げ、ジェンも見るように促した。
「これで間に合うと思うか?」
ジェンはそれを覗き込み、深く考える様子はなくすぐに顔を上げた。
ソフィアは袋の口をきゅっと結び、懐に仕舞う。
「なんとかなるんじゃね?」
「じゃねって……そんな無責任な……」
「人生大抵何とかなるなる! さ、帰ろ帰ろー!」
「ミィレまで……」
家路につく3人についていく。
アルトは最後尾から不満の声を上げた。
「だいたいなんで私がジェンと組まないといけないんだよ」
ここしばらく、アルトはジェンとイナエ街の北に位置する森に、ミィレとソフィアはイナエ街の南西に位置する森にそれぞれ通い詰めていた。
イェピカの目玉を集めるためだ。
そもそもジェンとコンビを組む気はなかった。
第一印象から最悪で、意見は全く合わず、しかも犬派な彼女とは、どうも喧嘩調子になってしまう。
だから、今回二人一組で行動すると言うことになった時、ソフィアから提案された組み合わせには最初っから反対だったのだ。
「これなら単独行動の方がいい」
「貴女はちょっと前まで一般人だったんだから、パーティーに入る以上仲間と連携が取れるようにならないと」
これがソフィアの言い分だった。諭すように言われるが、アルトはやはり納得いかない。
「じゃあせめてジェンじゃなくてもいいだろ! お前らどっちかでも!」
「あら、ダメよ」
ピシャリとアルトのお願いを却下するソフィア。
無表情の彼女だからこそ、意思の硬さを感じてしまう。
だが、アルトはそれに臆することなく詰め寄った。
「なんでだよ!」
「俺、教えるのって苦手なのよね。特に連携とか難しくて。ああいうのって感覚じゃない?」
一度、ソフィアと図書館で軽く一戦交えたことを思い出す。
そのなめらかな動きは考えているというより、本能で動いているかのようだった。
どうやら彼女は感覚で動く天才のタイプらしい。自分はできるが、誰かに教えることは苦手なのだろう。
「でも、お前弟子いなかったっけ」
ジェンが言うと、ソフィアは頬に手を当て「ああ」とうなずいた。
「弟子っていうか、弟みたいなものね。ちょっとじゃれ方を教えてるだけ。俺はあの子たちで手一杯なの」
それならば、とミィレの方を見ると、彼女はひらひらと手を振った。
「わたしはほら、アルトのおもりならこの前したし」
どうやら体がくっついて離れなくなった時のことを言っているらしい。アルトは拳を握った。
「誰が誰のおもりをしたって?」
「キャーアルトコワーイ」
「で、そうすると残るはジェンになるのよね」
ソフィアが言った結論にアルトの怒りが矛先を変えた。
「こいつと連携も何もあるかよ! なんにもしねぇんだぞ!」
「まあな!」
「否定しろよ!」
実際、今日だって風船を膨らませては上にあげ、風に飛ばされないように紐を持っている以外は昼寝していた。
アーチャーだというのに矢の一本も放っていないと文句を垂れるが、誰も、それはひどいなんて一緒に非難してくれる素振りはない。
おそらくそれが日常茶飯事であり、彼女らにとって常識なのだろう。
何故他の二人はそれを放っておくのかアルトには理解できなかった。
「ってゆーか、このメンバーにそんなこと言ってたらキリないんじゃないの?」
ミィレはどこか他人事のように言った言葉に、アルトはうっと言葉を詰まらせた。
何をしでかすかわからないのは、ミィレもジェンもソフィアも変わりない。
結局は三人とも同類なのだ。同じ穴の狢。
誰と組んでも連携など望めそうになかったし、種類が違う苦労をして、不満を持つことになるのだろう。
あからさまに落胆するアルトに、ジェンはお面の下で口をとがらせた。
「ってかなんでわっちが悪者になってんだよ。新人教育してやるってのに」
「するつもりねえんだろうが!」
「まあな!」
「だから否定をしろよ!」
頭痛が絶えないアルトの肩にソフィアがそっと手を置いた。
「アルトなら大丈夫よ」
「えっ」
思わぬ期待を寄せられて、アルトは少しドキっとした。
ノリ気じゃなくても褒められるのは嬉しいものだ。
ソフィアはアルトの肩に手を置いて、無表情のままグッと親指を突き出した。
「そのツッコミができるのは貴女だけだわ。あとはファイトがあればどうにかなると思うの」
ぬか喜びもいいところだった。
「なんねぇわ! なんだよその根拠!」
漫才をするわけではないのだ。ツッコミなんて仕事上何の役に立たない。
「まぁまぁ、ムキになるなよツッコミ」
「早速ツッコミって呼ぶな! 好きでツッコんでるんじゃねえんだよ!」
「やったね! ババア! 貴重なツッコミ要員なんだからがんばって!」
反応しなければそれまでで、その不本意な称号も取り消されるのだろう。
だが悲しいかな、アルトはそれらをきっちり拾ってしまう。
「お前らがボケなければ済む話だろ!」
ジェンとミィレがいやいや、と手を振る。
「それ。死ねってのと同義語だからな?」
「そうよ! 呼吸止めろって言われてるみたいなもんなんだから!」
「なんでだよ!」
「お前が来る前はわっちがその位置だったんだ。今までちゃんとボケれなかった分思う存分ボケとかねーと」
「嘘つけ! お前がツッコミなんてできるわけねーだろ!」
「失礼だなお前」
「わたしはほら、大魔王だから。ツッコミ役なんて似合わないでしょ?」
「俺はなんかボケを見逃しちゃうみたいなの。難しいわ」
「そもそもボケもツッコミも必要ないだろ! 真面目にやりやがれ!」
もはやツッコミなのかただただ怒鳴っているのかわからなくなってきた。
その興奮の勢いのまま、「だいたい――」と続けようとしたその時、ミィレがありゃ?と声を上げた。
「あれ、レイブンとカノンじゃない?」
ミィレの視線を追うと、イナエの入口のあたりで赤と青の二つの人影が見えた。
近づくとレイブンの尻尾や、頭の上に生えている羽根がはっきりしてきた。
カノンは浮いた鎌のようなものに座っている。
彼女たちは最近訳あってアルトたち、artを監視している。
監視といっても、特に何してくるわけでもなく見かけたら挨拶を交わすご近所さんのような関係になっていた。
「やほやほー! ミィレちゃんをお出迎え?」
ミィレが軽く挨拶をすると、二人はニッコリと笑って返してきた。
「ハロハロー」
「その様子だと今日は収穫あったみたいだね」
「おかげさまで!」
「んじゃ、先手必勝!」
カノンが呪文を唱えると、アルト達四人の足元が一瞬で凍った。
アルトは自分の身に何が起こったのか、何をされたのかよくわからず、きょとんとしてしまった。
「チッ、やられた」
ジェンの舌打ちで、アルトは我に帰った。
攻撃された。
何故? どうして? 彼女たちの目的は?
そんなのわかっている。わかっていたはずなのに。
「さあって、と。誰がイェピカの目玉を持ってるのかな?」
カノンとレイブンが近づいてくる。アルトは身を固くした。
せっかく収集できた素材を取られるわけにはいかない。
完全に油断していた。
自分たちを見張ると、確かに彼女たち自身が宣言していた。
だが、そんな素振りなんてみじんもなく、まさかここにきて、まともな妨害をしてくるとは正直思っていなかった。
自分の慢心に歯噛みしながら、アルトは軽く足を動かそうと試みる。
案外ちょっと力を入れれば無理やり脱出はできそうだ。
目くばせをするが、他の三人はあきらめ気味のジェスチャーで返事をした。
どうやらアルト以外は誰も抜けられそうにないようだ。ため息をつく。
ソフィアも自分たちの収穫分渡そうかと、カノンとレイブンに見えないよう軽く合図したが、アルトは首を横に振った。
逃げ足が速い方ではない。おまけに敵は空さえ飛べるのだ。
逃げ切ることはあまり期待できないだろう。
幸いにもアルトが持っているのは、収穫の少ない自分たちの分だ。
捕まってとられてたとしても、囮と割り切ることができなくもない。
「っていうかさあ、めろなはなんでそんなにミィレちゃんを目の敵にするのよう」
「そりゃ、だってミィレがちょっかいかけるから」
「だぁって、めろなからかうと面白いんだもーん」
「それは同感なんだけどねー」
自分の役割を理解したのか、三人はそれぞれ行動を開始した。
ミィレはカノンとレイブンに話しかけ、気をそらす。
ジェンとソフィアはアルトを目立たせないように微妙に体の角度を変えた。
なんだ、ちゃんと連携取れるんじゃないか、とアルトはちょっとだけ感心する。
足は固められているため、ソフィアとジェンはかなり無理のある体勢をしていて、長くはもたない。
ジェンに促され、アルトはうなずく。タイミングを見計らい、一気に氷を砕いた。
もちろん、そっと壊すなんてむりだから、気づかれないはずがない。
相手が反応するより早くアルトは駆け出した。
「逃げる者は追わないとね!」
「アタシの氷砕くなんて、やるわね」
反射的にレイブンとカノンの両方がアルトを追って来た。
こちらも全力疾走をしているというのに、だるまさんがころんだをしているように後ろを振り返るたびに二人は近づいてきている。
先に追いついたのはレイブンだった。
くるりと身を一回転させて回し蹴りの要領で、尻尾を叩きつけてきた。
アルトはそれに食らいつく。
まさか受け止められるなんて予想外だったのだろう、尻尾をがっちりつかまれたレイブンはちょっと顔をひきつらせた。
「ありゃっ?」
次の瞬間、レイブンは投げ飛ばされた。
小さくなっていくレイブンがどうなったかを確認せず、アルトは続いて向かってくるカノンを迎撃する体勢を取った。
ここから彼女を引きはがす勢いで走るのは自分にはできないと悟ったらしい。
カノンはレイブンが投げ飛ばされるのを見たからか、距離を取って攻撃してきた。
大小さまざまな氷がマシンガンのごとく飛んでくる。
大きいのは砕くことができるが、小さいのはあちこちにあたって地味に痛い。
アルトも対抗して火の呪文を唱えて火の玉を投げてみたが、全く火力が足りていない。
溶かしきる前に自分で溶かした氷の水滴で消える始末だ。
遠距離だと勝ち目はない。
一気に距離を詰めて拳を繰りだしたが、あっさり避けられてしまった。
「ほらほら、亀さんこちら」
「あんだと!」
アルトはフェイントを狙って、カノンの死角に大きく踏み出したその時。
足を何かがかすり、バランスを崩して倒れかけた。
よろけて攻撃を繰り出すどころではなく、カノンにさらに距離を取られてしまう。
視界にまだだれ一人氷からは抜け出せていないartが映った。
ソフィアとミィレは氷に何かしているが、ジェンがただ一人まっすぐに立って弓を構えているのが分かった。
それを見て先ほど足をかすったのはジェンの矢だということに気が付いた。
おそらく、援護をしようとしてアルトが予想外の動きをしたため、狙いが狂ったのだろう。
アルトは舌打ちをして、身を反転した。
援護してくれるなら逃げられるかもしれないと思ったのだ。
幸い、位置的にカノンの近くを通らなくてもイナエ街へ逃げ込める。
街には入れれば遮蔽物が増え、逃げられる可能性が高くなる。
とにかく距離を稼ごうと、一歩、二歩、三歩目でアルトは膝をついた。
足の力が抜けた。
否、足がしびれたのだ。
長時間正座をしていた時のしびれなんて比じゃない。
片足の感覚が、全くなくなった。
攻撃を受けた記憶はない。
ジェンの矢以外は。変に神経にでも触れてしまったのだろうか。
立ち上がることもままならず、片足を引きずり、両手をつきながら進もうとするアルトの前に、赤い影が立ちふさがった。
「まさかあたしが力負けするなんて思わなかったよ。君、すごいね」
顔を上げると、青紫の目がアルトを見降ろしていた。
それから、カノンとレイブンに目玉を取られるのはそう時間はかからなかった。