まだ暗い空の下、仕事を終えた俺達は平和な港町セレンの街を歩いていた。
今から起き始める人もいれば、眠りにつくという人もいるくらいの早朝。
お腹すいたなあなんてぼんやり考えながら、近くを歩いている桜綺とカルを見た。
二人とも表情はないけど、どことなく疲れた雰囲気を醸し出していた。
俺もこんな顔しているのかな。今ナンパしても成功は見込めないだろうなあ。
ため息をつくと、後ろから寝息が聞こえてきた。
俺が背中におぶっている仲間の一人、きつねはのんきに眠っている。
顔は見えないけど、その寝顔はきっといつも以上に幼いんだろうなあ。
早朝の犬の散歩をしている人が通りかかる。
その人は俺たちを見てぎょっとした。
犬さえも面を食らったような顔をしている。
流石にガン見は失礼と思ったのかすぐに視線をそらすけど、俺たちが通りすぎるとすぐに振り返った気配を感じた。
うん、俺でもこんな奴らが街中歩いてたら同じ反応するかもしれない。
いつもはそんなことをされたら噛みつくカルや桜綺も、反応することも面倒くさいと言った様子でそのまま歩き続けた。
俺もそれに続く。
やがて空がしらみ始めた。
海の方から差し始めた太陽の光に目を細めていると、背中でもぞりと動く感触に気付いた。
朝日できつねが目を覚ましたらしい。
唸りながら身じろぎをしたのを感じ、背中に話しかけた。
「起きた? きつね」
「……んん……おはようジョーカーぁ……」
寝ぼけたような声で、あくびと融合した挨拶をする。
のんきだなあ。と思っていると、背中でビクリとこわばるのが分かった。
思ったより反応が早かったなあ。
「えっえっジョーカー……? だよね?」
「……そうだね、俺はジョーカーだね」
苦笑しながら肯定する。
あまり怖がらせないように優しく言ったつもりだったんだけど、戸惑いは背中越しに伝わってくる。
そうこうしているうちに他の二人にも気づいたようで俺にしがみついてきた。
「お、桜綺……と、カルも……? なんで?」
一体どういうことなのかわからず、今にも泣きそうなくらい震えた声で俺に問いかける、
「あー……っと、ええとね……」
どこから話せばいいのかわからず、説明をしあぐねていると、カルが俺の肩を叩いた。
そしてその手でひとつの店を指差した。
そこは確か服屋さんで、まだ開店前のようだ。
彼の意図がわかりその店の大きなショーウィンドウの前に立った。
隣にカルと桜綺の二人も彼に並ぶ。
黒いカーテンの引かれたそれは、鏡のように俺たちを写す。
まるで実験に失敗した博士のようにアフロで煤だらけという格好の俺たちを。
もちろんきつねも例外ではなく、おんなじ格好だ。
客観的にその姿を見て、なんとなく事情を思い出したらしいきつねは落ち着きを取り戻し、俺の背中から降りた。
俺たちは改めて四人で歩き始める。早く帰ろう。
「お洋服までボロボロだね」
きつねがぽつりと言った。桜綺はうなずく。
「……結構高かったんじゃがな。この服」
潜入場所が潜入場所だったため、今回の仕事着は割と上等な服だったんだ。
今は煤で真っ黒になっている上に、袖や裾が破けたり穴まで空いているから分かりにくいけど、
こんなにボロボロになる前は結構キマってたんだ。
俺だけじゃなく、他の三人もね。
きつねと桜綺はいつも着ている者とは勝手が違うから、動きにくそうだったけどさ。
俺は肩をすくめて冗談めかして言った。
「ほんとだよ。やっぱ一回くらいこの服でナンパしたかったなあ」
半分は冗談じゃないけど。
いつもの三割増しでナンパも成功しただろうになあ。本当に惜しいことをしたよ。
なんて雰囲気を和ませようとおどけて見せる。
きつねはにこっと笑って、他の二人も低い笑いを漏らした。
でも桜綺とカルは、すぐにはっとしてムスっとした顔に戻した。
「……今回の敗因は服かもしれんのぅ。やっぱりなれない格好だったから……」
「……それは桜綺ときつねだけだろ。俺とジョーカーは……」
桜綺が言うと、カルがすぐさま反論を返した。
あーあ、始まっちゃったよ……。
「いやでも、こんな上等な服はやはり動くには向いてないからのう」
「いやでもよ……」
「目玉焼きのせいでしょ」
桜綺とカルの言い合いに俺は水を指すように言った。
3人が俺を見る。無表情でもう一度言った。
「目玉焼きのせい」
その言葉に3人はぐうのねも出なかった。
そのまま進む。
しばらく歩くと、今度はカルがポツリとつぶやいた。
「一応、あのカジノを再起不能にしたんだからクエストは成功だよな」
確かに今回のクエスト達成条件は、カジノを二度と使えないようにすること、ではあった。
ちょっと予定とは異なるけど、達成しているはしている。
「多分、ね。本当はもうちょっとスマートにやりたかったんだけどね」
あの依頼人はそもそもあのカジノに恨みがあるからこんな依頼をしてきたんだろうし、少なくとも文句を言われることはないと思う。
「しかたないだろ。まさかハッタリ用の爆弾が起動するなんて思わねえじゃん」
「でもさ、一回うまく止めたのに、あのあとなんでまた起動したの?」
きつねの疑問に俺は肩をすくめた。カルも首を振る。
本当にあれは不思議だ。
ちょっと目を離した隙にカウントダウンが再開したんだから。
誤作動か、こちらが操作を間違えたか。
今となっては分からないけどと、一人で結論を出したその時。
桜綺がおずおずと手を上げた。
「……我が叩いたからかもしれん……」
「は!?」
「も、もう止まっているとは知らず、叩いたら止まるかと……」
頬を掻きながら珍しく声を振るわせる桜綺。
「いや、それは動かすときの対処法じゃない……?」
「そ、そうだったかのう……?」
「家電かよ!」
「そ、それよりはあれだろう! 途中で大量の雪だるまが現れた方が驚いたぞ!」
桜綺は反撃口を見つけてカルに詰め寄った。
「あれは……中を混乱させた方が動きやすいと思って……」
今度はカルの声が小さくなる番だった。
目を泳がせながら言い訳するカルを桜綺が一蹴する。
「我等まで混乱したら意味ないだろう!」
「まぁまぁ二人とも落ち着こう。ね?」
どうどうと二人の背中をたたく。
「お前はきつねにナンパ負けしてどうするんだよ!」
すると火は収まるどころかこっちに飛び火してきた。
たしかに狙いを定めたディーラーの女の子は俺よりもきつねのほうにデレデレだったけども。
「いやいやいや! 俺、ナンパ負けなんてしてないからね!?」
「ぼ、ぼくな、な、ナンパなんてしていないもん!?」
きつねは顔を真っ赤にしてぶんぶんと手と頭を振った。
実際は、俺がナンパしていた女の子がきつねに構い倒しただけなのだ。
そう。決して負けてはない。
迷子のきつねが可哀想にと構われただけなのだ。
ターゲットの女の子が優しかっただけなんだ。決して負けてない。
「そのあと似合わない女装で登場するしよ!」
「……いやあれは成り行きで仕方なかったんだよね」
俺は視線を外す。
思い出したくない記憶だ。
なのに、カルは畳みかけて無理やり記憶を掘り起こさせる。
「肩幅がでかすぎるし腕が逞しすぎるんだよてめえは!」
「カルなんかちょっと笑ってない?」
ジトリとカルを睨む。
確かにどんなに過大評価しても俺もあれはナイと思う。思うけども。
女装趣味の友人とかいるけど、あいつすごいんだなあ。としみじみ思う。
初対面の人だったら十中八九女の子と間違えるクォリティなんだから。
「……まあ、確かにジョーカーのあの格好は……」
桜綺までが肩を震わせた。ちょっとひどくない?
「す、スカートがヒラヒラでかわいかったよ!」
「うん。きつね、そのフォローは嬉しくない」
優しさなんだろうけど、今はつらい。褒められてもうれしくない。
やっぱりああいうの着るのは女性の方がいいよね。
俺が着ても笑いものになるだけだ。
まあ、ナンパの話題や酒の肴になったと思うことにしよう。
何事もポジティブにね。喉元過ぎれば熱さを忘れられるはず。
恥ずかしいのは今だけだ。
カルはコホンと咳払いをしてから気を取り直す。
いや、取りなおさなくていいんだけども。せっかく収まりかけてたのに。
なんで戻そうとするかな。
「だ、だいたい、あの時お前がもっと早く破産してりゃもうちょっとスムーズに行ったのによ!」
「それをいうならお主だって暴れ方が控えめだったではないか。そのせいでただただつまみだされただけだったから……」
まだ笑い顔から立ち直り切れていないというのに二人はまた言い争いを再開した。
器用だなあ。というかそこまでして喧嘩腰に戻そうとしなくても。
桜綺は破産して、カルは派手に暴れて店の物を壊して店の裏に連れていかれるという作戦だった。
確かに計画の狂いは初動から結構あった。
だけど、それを言い訳にはできない。
「はいはい二人とも落ち着きなよ」
そう言って二人の間に割って入る。
歩く位置も二人の間に入るようにした。
なんでこの二人はこんなに沸点が低いかなあ。毎回納める身にもなってほしいよ。
二人は「ふんっ」と鼻を鳴らしながらお互いにそっぽを向いた。
子どもだよね。
図体でかい子どもだよね?
「そういえばきつねはなんでシャンデリアの上にいたの?」
「……おりられなくなっちゃって……」
しょんぼりとして言うきつねに、いや、その降りれなくなる前の過程を聞きたいんだけどとは聞けなかった。
まあ、些細な問題かもね。
桜綺はイライラして破産に手間取り、カルは腕力はあんまりないからか、ただの粋がってる子どもが暴れている扱い。
きつねは置いてあるお菓子や食べ物に夢中になって本当に迷子になっちゃうし、俺は相手をきつねにとられ……いや取られてない。
ちょっとタイミングとかが悪かったんだ。
極めつけは最後の最後の手段としてもってきたはったり用の爆弾が爆発。
こんな格好になっちゃうし。
初動が予定外になることは少なくない。
予定通りに言ったらラッキーを言わないといけないくらいだ。
いつもならこれだけの予定外くらいでは失敗することもないんだけどなあ。
原因はわかっている。本当に些細な事。
「ほんと、使えねえよな。辛うじて依頼達成したからいいものを……」
「カル、いい加減に……」
カルが嫌味を言って、桜綺とにらみ合う。
「やめなよ。君らがそんな感じだからきつねも引くに引けない感じになってるんじゃないか」
「そ、そんなことないもん! ぼくだって、お、おこってるもん!」
きつねが慌てたようにしていった。俺ははいはい、と言いながら彼の頭をポンポンと叩いた。
「……お主らがあんな軟派者だとは思わなかったんだ。がっかりだ」
桜綺がぼそりと燃料材を投下した。
俺はあちゃー、と頭を抱える。
なんでそんなこと言っちゃうかな。
案の定それは無事、カルによって着火された。
「俺は軟派じゃねえよ!」
「いや、軟派でもいいじゃん。ていうか俺ディスられてる?」
笑って収めようとする。
男には譲れないものがある。
軟派と言われている俺でさえ、それなりの信念があり、それは誰に言われようと曲げるつもりはない。
プライドと近いところにあるそれは往々にして、本人にとっては大事でも、人によっては相当馬鹿馬鹿しいものだったりもする。
そんなものが人と違えば、喧嘩や衝突は仕方ないことかもしれない。
「でもさ、これは譲ってもいいんじゃないかな?」
わざとみんなに聞こえるように独り言をつぶやいてみたが、誰一人振り返ろうともしない。
ポリポリと頬を掻く。困ったなあ。
「……たかが目玉焼きのことで喧嘩して、こんな有様なんて馬鹿みたいだよなあ……」
今度は誰に聞かせるつもりもなかったのに、このつぶやきには3人とも過剰に反応した。
きっとにらみつけられ思わずたじろぐ。
「……ジョーカー、今何つった?」
一番先頭を歩いていたカルがつかつかと俺の方へ寄って来た。
しまった、俺としたことが、失言。
「たかが目玉焼きだぁ!?」
カルが俺の胸倉をつかみ、下から睨みつけてくる。
チンピラに絡まれているような状況だけど、内容は目玉焼き。絡んでいるのはカル。怖いわけがない。
「目玉焼きだぞ! 目玉焼き! なあ!?」
カルが振り返ると、桜綺もきつねも真剣な顔でうなずいた。
「ああ、目玉焼きを笑うものは目玉焼きに泣くんだぞ」
「そうだよ! 目玉焼きおいしいじゃん!」
「いやまあ美味しいけど」
予想外に総攻撃を受ける。
いや君ら仲良しじゃん。
息合ってんじゃん。
笑ってごめんごめん、と軽くあしらうと、思ったより早く解放してもらった。
服を整える。もともとボロボロな襟が破れてしまった。
そこからまたすこし重苦しい空気になってしまった。
ああもう。帰って寝ればみんな忘れるよね。というか忘れて。
こんなのずっと続くなんて滑稽どころか間抜けだから。
喫茶店を通りかかったその時。
コーヒーとパンのいい匂いが漂ってきた。
きつねがおもわずつぶやく。
「……おなかすいたね」
「……あそこの喫茶店もう開いてるみたいだな」
吸い寄せられるように喫茶店にはいる。
適当な席に座るとメニューを広げた。モーニングのメニューがいくつか並んでいる。
水を持ったウエイターが近寄ってきた。
怪しげなアフロ4人にも営業スマイルをくずすことなく、水を配り終え、伝票を構えた。
「ご注文はお決まりで?」
四人はそれぞれ自分の食べたいものを口に出す。
「モーニングの目玉焼き定食で」
「目玉焼きのやつ」
「目玉焼き定食」
俺はそれを聞いて、少し考えたがやはりしぶしぶ口を開いた。
「……俺も同じので」
「かしこまりました」
ウエイターが引っ込むと、しばらく無言だった俺達だけど、俺がつい噴き出したのをきっかけに和全員笑い出した。
「今度はケンカはなしね」
釘を刺しながら、テーブルの隅に寄せてあった醤油、ソース、一味唐辛子、ケチャップなどの調味料を机の真ん中に乗せた。
これで各々が好きなのをかけられて朝みたいに喧嘩にはならないでしょ。