第六章 第三話「……なんにせよ敵は結構本気で私達の邪魔する気だな」

アルトたちが入った路地は、二人で並んで歩ける程の幅はなかった。 自然とジェンが前に、アルトが後ろに縦に並ぶ。 見上げると細長い空を、小鳥達がじゃれあうように飛んで行くのが見えた。 「なあ、ミィレとソフィアの居場所に心当たりないのか?」 遠回りしてでも二人を回収するということも視野に入ようと思い、聞いてみたが「ない」と即答された。 「ソフィアに至っては迷子になって、本人も自分がどこにいるかわかってない可能性もあるし」 「はあ? あいつ、いくつだよ……」 アルトは呆れる。ジェンは頭の後ろで手を組んで空を見上げ、独り言のように付け足した。 「つーか、わっちらがつるみだしたのは結構最近だからなあ。そんなプライベートは詳しくねえんだよなあ」 「え?」 どういうことだ、と視線で説明を求めるアルトの視線を受け、ジェンは面倒くさそうに「あー」と唸った。 隠していたわけではない。 ただただ長々と自分達のことを話すのが面倒なだけだったのだ。 一言で済まない説明が必要になってしまった自分の失言を恨みながら口を開く。 せめて他のメンバーがいるときならば、勝手に話してくれるかもしれないのに、今は自分しかいない。 「いや、そこまで浅くはないけどよ、半年経ってねえんじゃね? たしか」 「……てっきり長い付き合いなんだと」 彼女たちは昔から一緒に戦ってきた仲間か何かだと思いこんでいたアルトは目を丸くした。 「別に長くはないな。ソフィアは顔見知りではあったんだが……まあ、この辺のことは前に軽く言ったか。とにかく、行動範囲を把握できるほどあいつらのこと知らねえんだよ。残念なことに」 出会いや成り行き、事情などの詳しい説明は投げ、ジェンは締めくくった。 これ以上の質問を受け付けるつもりはないらしい。 そのまま次の話題を探すこともなく、どちらともなく無口になる。 丁度大通りに出たこともあり、無言は苦にはならなかった。 人混みを縫うように歩いていると、アルトは小さな影を見つけて、思わず歩みを止めた。 そこは細い路地の入口で、ジェンはアルトが立ち止まったことに気づかず、流されるように進んでいく。 アルトもジェンとはぐれたことに気づず、その小さい影に向かって細い道をふらふらと進んでいく。 「お前……こんなところまで来てるんだな」 小さな影に話しかける。 その影はにゃおんと、まるで笑っているような表情で、可愛らしい声を上げた。 思わず顔がほころびかける。 危ない危ない。 今この状況で猫を、しかも黒い猫を、ただただ愛でたいからという理由で近づくほどアルトも馬鹿ではない。 もちろん、そういう気持ちがこれっぽっちもないかと問われれば、すこし目をそらしてしまうが。 何か手掛かりがないかと思ってのことだ。 アルトは猫が逃げないように視線はあまり合わせず身を低くして、そろりそろりと近づく。 そろり。そろり。ぴたり。そろり。そろり。そろり。……確保。 アルトはおしりを支えてあげながら、猫を抱き上げる。 その子は染められたのではなく、もともと黒猫だった。 たまに街中で見かけてはアルトが遊んだり食べ物を上げていたうちの一匹だから、間違いない。 念のため撫でてみたが、手にべたついた感触はなく、暖かくてほのかにお日様の匂いがする。 さっきまで日向ぼっこでもしていたのだろう。 猫は緑色の丸い目で見上げて、甘えるように鳴いた。 アルトは今度こそ顔が緩んだ。 早くジェンを追いかけなければいけない。 頭では分かっているのだが、どうにもこの可愛さは離れがたい。 指で顔周りを軽く撫でて、喉をごろごろ鳴らす音を堪能する。 猫もアルトの手にすり寄ってくる。 ふっと緩んだアルトの顔に影が差した。 ――……加害妄想も大概にしとけよ。 「妄想だったなら、私一人が滑稽なだけでいいんだがな」 本当はカルが何を言いたいのかわかっていた。 でも、それはアルトにとって慰めにもならない。 「だって、全部私の……」 「なにやってんだ?」 「うわ!?」 ジェンの声で我に還る。 アルトの悲鳴で、腕に抱いていた猫がぴょんと逃げてしまった。 どこまで口に出してしまっていた? と内心焦りながら、早口で「なんでもない」とごまかした。 疑いのまなざしを向けられる前に、歩み出す。 「お前、何やってんだよ。よりによって猫なんか抱いて。今どういう状況か忘れたのか?」 「いや、その……」 冷や汗はまだ止まらない。 動悸は激しいがじきに落ち着くだろう。過呼吸になる様子もない。 大丈夫、私は大丈夫だ。 アルトは自分の状態を確認していると、ジェンが顔を覗き込んできた。 「……様子がおかしいな」 ぎくりとする。 「汗もすごい。何か……」 「ね、猫を!」 ぐわっと勢いよくジェンの声を遮った。 「猫を! 見たら! かわいがるものなんだよ! お前だって犬だったら危険でも近づくだろ!」 「……まあ、犬だったらそりゃあ……」 「それと同じだよ! それに! 猫の狙いはとりあえず目玉なんだろ! 持ってない私だったらこちらから危害を加えない限り問題はない!」 仮にもし目の前にいるのが猫ではなく犬で、ジェンが同じ行動をとったとしたら、容赦なく拳骨を落とし引きずって先に進むだろう 理不尽なことに。 「ほら、さっさと行くぞ! もたもたすんなよな!」 「ええ……。わかったよ、もう。めんどくせえ……」 完全な屁理屈をのたまわり、挙句に道草を食っていた自分を棚に上げて急かす新人に、ジェンは呆れてそれ以上の忠告を放棄した。 アルトたちが大通りに戻ろうとすると、その手前の影から猫が現れた。 「……ん?」 「あ、お前……」 それは先ほど逃げた猫だった。 猫はまん丸な目でじっとこっちを見ながら一歩一歩こちらに近づいてきている。 ジェンは勘で危険を察知して、左足を引く。 「やばいんじゃね? ここは逃げ……」 アルトを引っ張りながら回れ右をすると、後ろもいつの間にかたくさんの猫がいた。 流石のジェンもお面の下で顔を引きつらせる。 囲まれてしまっていた。 普段のアルトならば大喜びするところだが、今の状況だとそうはいかない。 さらに半回転して元の向きに戻ると、一匹だった猫はかなりの数に増えていた。 ジェンは舌打ちする 「囲まれたか……」 二人は自然と背中合わせになり、死角をカバーしあう格好になった。 猫は露骨に威嚇するわけでもなく、にゃあ、にゃあと低く鳴きながらじりじりと近づいてくる。 それが逆に不気味だ。もし人語を話せたら、彼らは一体何と言っているのだろう。 「……こ、こいつら、本当にめろなに操られているのか……?」 「んなの、ただの推測だ。ほんとにめろなが黒幕なのかどうかはわかんねーよ」 アルトは慎重にその一匹一匹を見てみる。 カル達が洗ったからだろうか、やはり黒猫はそれほど多いとは思えない。 ぱっと見目玉の汁まみれの猫もいないようだ。 ジェンに意見を求めたいが、今はそれより目の前に広がるピンチの打破を考えた方がいいだろう。 「ど、どうする?」 「どうするったって……」 「私が攻撃なんてしたらこの猫達死んじまう」 アルトが言うと、ジェンはバケツを軽くゆすった。 「じゃあこれ渡すか?」 「それは……」 口ごもる。 打開策は見つからない。猫を傷つけたくはない。かといって目玉を渡すわけにもいかない。 猫達はじりじりとアルト達に近づいてくる。 数は確実に増えているだろう。 イナエの町中の猫がここに集まっているのではないだろうか。 信じてもいない神か何かに救いを求めて、上を見る。 すると上手い具合に一つだけ開いた窓を見つけた。 ジェンごとバケツをそこに放り込んだらあるいは。なんて考えがよぎる。 窓は最低でも三階に位置する場所にある。 自分のコントロールによってはジェンが壁に突き刺さったり、宙を舞うなんて事もあるかもしれないが、猫と戦うよりずいぶん現実的だろう。 少なくとも、アルトにとっては、の話だが。 「まあ、仕方ないな」 やや強引な決断を下すと、説明もなしに真後ろにいるジェンの襟首に手を伸ばした。 その時。 「目を閉じてください!」 路地裏に少女の声が響き渡った。 突然のことに戸惑ってしまい、声に従い損ねていると、彼女たちの頭の上に光の玉が出現した。 ただでさえ薄暗い路地裏にいた為その光に目がくらむ。 辺りが真っ白になる。猫達が光に驚いて悲鳴を上げて逃げ出したのが辛うじて感じ取れた。 どうやら囲まれているのは回避したようだが、眼前の世界は以前真っ白だ。 これでは自分たちも身動きが取れない。 そんな二人に少女の声が語り掛ける。 「はやく、こちらへ!」 聞こえてくる位置は低く、どこかで聞いたことあるような声。 とりあえず、カノンやレイブンではないようだが、油断はできない。 二人は迷いながらも、それが罠ではないことを願って、その声の方向へと移動した。 声の主は、二人が方向を見失わないように、こっち、こっちです。と絶えず話しかけ続けてくれた。 手探りで進んでいると、途中でなにかが手に触れた。 思わずひっこめようとする手を、しっかりつなぎとめられる。 「誘導しますので私についてきてください」 手を握っているらしい誰かが言う。 視力を奪われたアルト達はその小さな手に従う他なかった。 路地裏を出たのだろう、人の声が一気に増えた。 そう時間がかかることなく、ぼんやりと視界が回復し始める。 アルトは真っ先に自分の右手の方を見た。 ジェンと自分の真ん中で手をつないでいるのは、カノンでもレイブンでもなかった。 ぴょこぴょこと何か所か跳ねているやわらかそうなオレンジ色の髪。赤い首輪。 その子には見覚えがあった。 「お前は……」 アルトが思わず声を漏らすと、彼女はアルト達の様子に気が付いた。 「あ、目はもう大丈夫ですか?」 「あ、ああ……」 うなずくと、その少女は陽だまりのようなおだやかでのんびりとした声で「よかった」と笑った。 そのまま彼女に連れられて広場の方へと移動した。 広場には待ち合わせをする人や、マップを広げる人、買ったものを確かめる人などかなりの人がいた。 その中でどうにか座れそうなベンチを見つけて、ジェンとらみぃゆが座り、それに向かい合うようにアルトが立っている形に落ち着く。 ジェンがレモンを膝の上にのせておく代わりにアルトがバケツを持つことにした。 「あの、この間はありがとうございます」」 少女はアルトに向かってぺこりと頭を下げた。 「いや。今回はこっちが助かったからおあいこだ」 「なんだ、ツッコミ。知り合いだったのか? こいつ、あれだろ。ミィレの子分その一」 ミィレの部屋には彼女が写った写真もあったため、仲がいいのは間違いないだろうが、子分って言い方はどうなんだとアルトはたしなめかけた。 だが当の女の子は気にする様子もなく微笑んで頷く。 「はい。私、ミィレさんの子分のらみぃゆです」 アルトは自分で子分というのかと苦笑いする。 そういえば、ミィレも彼女たちを”子分”だと言っていた。 愛称みたいなものなのだろう。 実際そう呼ばれて嫌がるどころか、らみぃゆからはその真直ぐすぎる視線を放つ緑色の瞳からは、ミィレを信頼しているのだということが伝わってくる。 子分であることが誇らしいと本当に思っているのだろう。 「……えーと、らみぃゆ。改めて、助かったよ」 「ほんとだよな。偶然通りかかってくれなかったら……」 らみぃゆは笑いながら両手と首を横に振った。 「そんな、大したことは……。それに、偶然じゃないんです。ミィレさんから頼まれて探していたので」 「ミィレが? わっちとこいつを?」 「あ、いえ。私が言われたのはアルトさんだけでした」 「私を? ミィレが一体何の用――」 首をかしげてそこまで言いかけると、アルトはそこでがばっと身を乗り出した。 「お前、ミィレがどこいるか知ってるか!?」 その大声に周りの人達も彼女たちの方を見た。らみぃゆも驚いた顔をして固まってしまっている。ジェンはアルトの肩をたたく。 「ツッコミ。声がデケェ」 「……あ、と、す、すまん」 やっと周囲の視線に気付いたアルトは慌てて声のボリュームを絞った。 周りの人々はもう露骨には彼女たちを見ていないながらも、チラチラと彼女たちの方を伺っている。 「そ、それで、知っているのか?」 きまり悪そうにゴホンと咳ばらいをすると、アルトはさっきと打って変わって小声で聞いた。 らみぃゆははっとしたように何度か首を縦に振った。 アルトはよっしゃと小さくガッツポーズをする。 「あいつどこにいるんだ? 次見つけたら二度と逃がすもんか」 「あ、ええと。その……ちょっと待ってくださいね」 らみぃゆはスカートにつけていた黒い兎型のブローチのような何かを取り外し、らみぃゆはそれにむかってなにやらぼそぼそと話し始めた。 「……ました。どうしますか? ……ええと……で……」 断片的に聞こえる単語からして、呪文などの類ではなく、誰かとおしゃべりしているようだ。 彼女は一体何をやっているかと、アルトとジェンが顔を見合わせる。 「……え? あ、はい。わかりましたー」 らみぃゆがなにやらうなずいたかと思えば、アルトに兎を差し出してこう言った。 「ミィレさんです」 「は?」 言葉の揚げ足を取るわけではないが、どう見てもその兎はミィレではない。 とりあえずそれを受け取ると、その黒兎からミィレの声が飛び出してきた。 『やっほー! アルト?』 「ミィレ!?」 思わず黒兎のそれを落としかける。 らみぃゆを見ると、ジェスチャーで話を続けるように促してきた。 どうやら、その兎は小型の通信機だったらしい。 「お前今どこいるんだよ!?」 『わたしの居場所は教えてあげないけど、ソフィアは、今トーセにいるらしいよ! わざわざ教えてあげるわたしってやっさすぃーよね』 アルトの顔色が変わった。 「と、トーセ!? なんだってそんなところにいるんだ!?」 『さあ? たまにそういうことがあるんだよねー。あの子」 トーセは大陸の東側にある田舎町だ。近くに駅もなく、アクセスは不便。 なぜわざわざそんなところにいるのか。 アルトは内心冷や汗をかいていた。 もちろん、彼女の性格上それは内心で留まらず挙動や顔色にバッチリ反映されている。 ジェンはそれを怪しみながらも、まあいいや、と手を頭の後ろで組んでベンチの背もたれに寄りかかった。 「……そういえば、あいつ朝、散歩行くつってたな。もしかしなくても、いつものパターンか」 そのつぶやきがミィレにも届いたらしい。意外そうな声を出した。 『ありゃ? ジェンも一緒なんだ。ま、そういうことみたい』 「つ、つーかなんでお前がそんなこと知ってるんだよ」 平静を装って聞いたが、ぎこちない話題転換によってミィレにさえ動揺が伝わってしまった。 ミィレは兎の向こうからその動揺を見逃さず不思議そうに問いかける。 『? アルトどうかした?』 「な、なにがだ? 違うぞ。別に、なんでもない。それより、なんでソフィアの居場所を知ってるんだ?」 『えー、怪しいんですけどー』 「ミィレ!」 明らかに怪しいが、怒鳴られたミィレは兎の向こうでおどけながら答えた。 『わあ、アルトこわぁい。仕方ないな、教えてあげるよ。ソフィアから宿屋に電話あったの』 「電話ぁ?」 「こういう時には、電話で連絡するように打ち合わせてあるんだよ。わっちらテレパス系の魔法とか使えねーし、宿屋に連絡入れれば、女将さんが伝言してくれるしな」   エレフセリア大陸において、電話は公共施設と、街にぽつぽつと公衆電話が設置してある程度。 あまり普及はしていない。 そもそもテレポートだの、テレパシーだの、考えを届ける魔法だの、いろいろと連絡手段も交通手段も便利なものがある。 それに比べて使うには相手を電話口まで呼ばなければならず、使用場所が限定されてしまう電話はむしろ不便なのだ。 らみぃゆが持っているように持ち歩ける小型のものもあることにはあるが、珍しい部類に入る。 エレフセリア大陸の近くにあるヘイミスという電脳都市では広く復旧しているらしく、そこからの輸入品をちらほらある程度だ。 『一応、今日中に帰ってくるつもりらしいけど、あの子が今日のの汽車で運良く帰ってくるとは思えないし、早くて……明日の朝、ううん。やっぱり明日の昼の便で帰ってくるんじゃないかなあ』 今日の昼の便ならばもうとっくに帰ってきているころだ。 「明後日の昼ってのも全然あり得るぞ」 『うん、わたしもそう思う』 とにかく二人の予想では今日帰ってこれる確率は相当低いようだ。 「ていうか、ソフィアの連絡自体が珍しいな」 『うん。仕事が残っていたのが気になったのと、"なんかそっちで面白いことがありそうな気がするけど、俺が帰るまで解決しないで"って言われた』 ご丁寧にちょっぴりソフィアの口調を真似して伝言を伝える。ジェンはお面の下で顔をしかめた。 「うわ。ソフィアのそういう勘って当たるんだよな。めんどくせ」 『しかもトラブル』 「間違いない」 『んで、かわいいだけじゃなくて優しいミィレちゃんは、その事書置きして遊びに行こうと思ったのに、アルトに見つかっちゃったから伝えそびれちゃった』 その言い方にひっかかりアルトは眉を寄せる。 「見つかっちゃったってなんだよ。見つかっちゃったって」 『で、ジェンは捕まっちゃったんだ。ドンマイ!』 「ほんとついてねーよ」 アルトは、何やら共感しあっているジェンとそこにはいないミィレを睨む。 「お前らな……」 『なによぅ。ちゃんとそのままにしないで、こうして報告してるんだからいいじゃない」 「それはそうだが……」 「まあ、おかげで助かったな。ミィレが頼まなきゃ、らみぃゆは猫に囲まれたわっちらを見つけることはなかったんだからよ」 アルトはうっと言葉を詰まらせる。 らみぃゆは足をぶらぶらとさせて、鼻歌交じりに空を見上げていた。 子どもが手を放してしまったらしい赤い風船を眺めているようだ。 彼女がいなければ今頃。 「……確かに、あとちょっとで戦線離脱させるためにジェンをぶん投げるところだったからな」 「お前……そんなこと考えてたのかよ……」 『うわあ。アルト野蛮……』 「他に思いつかなかったからな」 何故かふんぞりかえるアルト。 良い作戦だろうと言いたげだが、投げられる側としてはたまったものではない。 昨日巨大イェピカを狩っている最中に、射程範囲外だという理由で空に放り投げられた事を思い出してジェンは身震いした。 あれは実際、走馬燈が見えかけるくらいには死んだと思った。 「昨日と良い、今日と良い、お前はなんでそんなにわっちを投げたがるんだよ。この脳筋が!」 「誰が脳味噌まで筋肉だ! 誰が!」 「お前以外いるかよ」 断言され、アルトはうっと言葉を詰まらせた。 苦肉の策だったとはいえ、たしかに少々力技が過ぎたかもしれないと自分でも思ってはいたらしい。 その様子にジェンは自覚あったのかよ、とため息をついた。 『あ、そうそう、あの事。らみぃゆの方から話してあげて。情報源はあなたなんだから」 「へ? あっ、えっと」 ミィレに突然名前を呼ばれ、らみぃゆは慌てて空から意識を降ろして、足の裏を地面につけた。 「は、はい。めろなさんたちのことですね」 「まだ何かあるのか?」 「はい、えっと。カノンさんとレイブンさんの他に、めろなさんは誰かを雇うつもりみたいです」 「……もう私たちに普通に報酬払った方が安上がりなんじゃないのか?」 どれだけミィレに報酬と恩を渡したくないのだろうか。 自分の依頼を妨害するのに全力で不毛すぎるだろう。 いろいろ聞きたいことはあるが、アルトは頭を抱えながら一番の疑問をなげかけている。 「情報は確かなのか?」 「はい。カノンさんから聞いたので」 これ以上にないくらい確かなソースだった。 しかし、ミィレの知り合いの彼女にそんな簡単に計画を話すものなのだろうか。 アルトが疑わし気な視線を向けたのに気づいたのか、らみぃゆはちょっと声を低くして付け加えた。 「……実は、私もそのお仕事に誘われたんです。……あ、もちろん断りましたよ?」 『まあ? らみぃゆがわたしを裏切るなんてありえないもんね。あ、うん。もちろんみりぃも信じてるわ』 ミィレや自分たちへの接し方、雰囲気を見て、彼女を信じても大丈夫だろうとアルトは思った。 ミィレの部屋で見かけた、仲睦まじい姿を写した写真が偽りだとはあまり思いたくない。 『……それに、裏切ったらどうなるか、二人ともわかるもんね? にこにこ』 口で発している擬音語と違わないにこにこ顔なのが分かるのに、どこか恐ろしいものがある声でミィレが言う。 すると、らみぃゆは「は、はい」と言いながら顔を赤くした。 一体どうなるのだろうか。深く突っ込みたくはない。 「……なんにせよ敵は結構本気で私達の邪魔する気だな」 「らしいな」 ジェンさえも嘆息する。アルトは濁点のついた唸り声をあげた。 「人数とか、どういう奴が雇われたかとかは、しらないのか?」 らみぃゆはえっと、と人差し指を頬に当てた。 「とりあえず一人雇えたって言ってました。どんな人かとかは教えてもらえませんでしたけど、隠し玉? らしいですよ」 「隠し玉……。一体、どんな奴が来るんだ?」 想像しているだけでは仕方ないのだが、推理材料もこれといってない。 とりあえず侮るよりはいいと思い、うんと強いやつを想像していると、ジェンがそういえば、と声を上げた。 「猫のこと、ミィレにも言っておいた方がいいんじゃないのか?」 『猫?』 「ああ、そうか」 アルトはカル達が言っていたイェピカの目玉で黒く染められた猫のこと、その黒幕がめろなじゃないかという推察を話した。 『うーん? どうだろ、やりそうっちゃやりそうだけどやらなさそうっちゃやらなさそう。わかんないから、会ったら聞いとくね!』 「会ったらって……」 「つーか、その依頼人(めろな)はちゃんと図書館にいるのかよ。逃げられてたらお手上げだぞ」 ジェンがそんなことを言い出した。 確かに一番困る妨害は、依頼人が約束の場所に現れないことだ。 しかもその方法に相手のリスクは特になく、単純なことながら、一番危惧すべき事かもしれない。 だが、らみぃゆとミィレはその可能性を否定した。 「多分それはないと思いますよ」 『めろなは真面目だからね! だからからかうと楽しいんだよねー』 「あ、わかるー。めろなで遊ぶと楽しいよね!」 「でも、ずっと本読んでるから、外に連れ出すのも大変なんだよねえ」 『あー、確かにいつも部屋の中にいるよね』 アルトはその扱いに少々同情を覚えた。 ミィレとのやり取りで少し察してはいたが、やはりめろなも苦労しているようだ。 「……ま、私もちゃんと指定の場所にいると思う。お前等じゃないからな」 集まりが最悪だったのを相当根に持っているらしい。 「それならいいけどよ。とりあえず、こいつらが会話に参加してていいのか?」 ジェンがそういって、アルトの隣とベンチの後ろを指さす。 そこでやっとアルトは三人だったのがいつの間にか五人になっていることに気づいた。 とても自然に参加したため、意識すらできていなかったが、そこにはカノンとレイブンが当たり前のようにいた。

前の話|短編メニュー|次の話