第七章 第三話「ううん、今日はちょっと違ってね」

道沿いの壁には大きな窓が一つに、木製の一部にステンドグラスがはめ込まれた扉がある。 その店はラックの働く喫茶店だった。 美味しいスイーツと、落ち着いた店内、こだわりのコーヒー。 むちゃくちゃ人気のある有名店、というわけではないが、知る人ぞ知る素敵な店だ。 だが今は店内に光は見えず、扉にはしっかりクローズの札が下がっていて、完全に閉店している。 その扉を前に、ソフィアがカギを取り出した。 鍵穴に入れ、かちゃりと回す。 「なんでお前がここの鍵を?」 ここで働いているラックならいざしらず、客の一人であるソフィアが持っているのはなぜなのか。 ソフィアは鍵を大切に仕舞いながら答える。 「ここの常連だからよ。夜はこれがないと入れないのよね」 そう言って、店内へ入っていった。ラックの後ろについてアルトも入店する。 ラックが内側から扉を閉め鍵をかけなおすと、店内は月明かりすら届きにくくなった。 置いてあるイスとテーブルのシルエットが、何となく見えるくらいの薄暗さにもかかわらず、その中をラックはもちろん、ソフィアもすいすい歩いて行く。 何がどこにあるかは完全にわかっているようだった。 アルトはあちこちにぶつかりそうになりながらも、よたよたと二人に付いていく。 先行している二人は奥の壁に置いてあるディスプレイの本棚の前で立ち止まった。 ディスプレイ用の本棚なのだが、飾っていある本のセンスがいいとアルトは常々思っていた。 いい塩梅の分厚さで、背表紙もおしゃれ。前にパラパラとめくったときに見た内容も、ワインやコーヒーの歴史、酒言葉や、誕生酒などなどの興味をそそられるラインナップ。 その棚にソフィアが手を突っ込み、なにやら動かすと、カチリ、と音がした。 その音を確認してラックが本棚を引っ張ると、扉のように開き、その先に下へと続く階段があらわれた。 隠し通路だ。 ただの喫茶店にこんな隠し扉がなぜ必要なのか。 どこへつながっているかもわからない。 地下に生き埋め、猫、死体など、そんな昔読んだ小説を思い出して、少し怖気ずく。 もともと、暗いのは得意ではない。 「暗いから気を付けて」 ソフィアに声をかけられ、アルトはやっと一歩を踏み出した。 「……あ、扉はちゃんとしめて……カチって……言うまで」 ラックに言われたとおりに本棚と一体になった扉を閉めると、より真っ暗になった。 目が慣れるまで時間がかかりそうだ。 ところどころ小さなランタンが設置されている。 そのほのかな光を頼りに、ゆっくりと階段を下りて行くと、ほどなく、扉に行き着いた。 先頭のラックが扉を開け、声をかけながら中へ入る。 「……マスター、おつかれさま」 「おや、今日は非番だろうラック。どうしたんだい?」 「こんばんは。ドミネさん」 ソフィアも自然な様子で中に入った。本当にここの常連らしい。 「いらっしゃいソフィアちゃん。こんな時間から、仕事の話でもするのかい?」 「ううん、今日はちょっと違ってね」 アルトも続いて中に入ると、まず、テーブルカウンターの中には、この喫茶店のマスターのドミネが立っているのが目に入った。 ここではバーのマスターをやっているようだ。 オールバックにダンディーで低い声。 ひげのある口にいつもくわえているのは煙草だと思っていたが、実は棒付きの飴だということをアルトは一昨年くらいに知った。 「っと。おや。君は……」 ドミネはアルトを見て一瞬だけ少し驚いた表情をした。 珍しいお客に驚いた、というより、真っ黒な塊が来店してきたことに驚いたのかもしれない。 アルトはちょっと苦笑いしながら軽く会釈をした。 「どうも。ご無沙汰してます」 「久しぶりだね。」 「……こんなところがあったんですね」 このカフェは何度か来たことがあるが、こんなところがあるのは知らなかった。 「こっちを利用してくれるのは初めてかな? 実はひっそりやってたのさ。秘密の隠れ家ってやつ」 マスターは人差し指を口の前に立てた。彼がやるとキザったらしくなく、少しドキッとしてしまいそうになる。 確かに狭くて薄暗く、隠れ家という言葉がぴったりはまる。 いくつかのテーブルとテーブルカウンター。 壁にはポスターやダーツの的があり、小さなビリヤード台もひとつ。 隅に小さな古いピアノも置いてあるため、ちょっとした演奏がある日もあるのかもしれない。 店内はゆったりとしたジャズが流れ、棚に置かれた色とりどりの酒の瓶は下からライトで淡く照らされている。 「まあ、緊張しないで、ゆっくりしていってね」 店にはお客さんはまだいないようだった。 ラックはカウンターのさらに奥にある部屋へ入って行った。 「何にする?」 ドミネがソフィアとアルトに問いかける。 「そうね、どうしようかしら。オススメはある?」 「そうだな……」 ドミネは少し考えてから二人に聞いた。 「二人とも、誕生日はいつだっけ?」 「俺は12月5日よ」 「私は4月7日」 「かしこまりました」 うやうやしく頭を下げるドミネは、いくつか道具を取り出し、後ろにディスプレイのように並べられている棚から、酒ビンをいくつか見繕った。 あんなにあるがどこに何があるか、どのくらい減っているかすべて把握しているのだろう。 「ねえ、ドミネさん。俺達イェピカの目玉がほしいの。どうにかできない?」 ソフィアはカウンターに座りながらそう聞いた。アルトはその隣に座る。 「イェピカの目玉? 最近不自然な市場の動きがあったやつだね。イナエやモンゼルク、タトーズで盗難やイェピカの減少で値段が高騰していて……」 ドミネはあらかじめ質問されるのが分かっていたかのようにすらすらと話す。 値段の高騰は単純に、数が減少したからだろうと思った後、アルトははっとする。 「値段が高騰ってことは、もしかして、これ、そのまま売ってたら金になったんじゃ」 アルトは自分の服に染み込んだ液体を差しながら震えた声で言うと、ソフィアはうなずいた。 「そうかもね」 「まじかよお」とアルトはうなだれた。 良く考えれば染料に使われることもあるのだ、無価値ということはなかっただろう。そこまで頭が回っていれば。 やむ追えなかったとはいえ、文字通り金をドブに捨ててしまった。 ダメもとで質屋にもっていって金にしておけば、人に頼ることもなかったのに。 もったいないことした、とアルトが嘆いていると、二人の目の前にグラスが二つ置かれる。 「アルトちゃんはシャンボールクランベリー、ソフィアちゃんにはサウザンショットガンです」 アルトの目の前には赤い酒が、ソフィアには金色の酒が置かれた。 「ありがとう」 「いただきます」 それぞれ、一口口に含む。アルトの赤い酒はさわやかで、フルーティーな味わいだった。 「誕生酒?」 ソフィアが指摘すると、ドミネは微笑んだ。 「バレたかい? さすがだね」 「誕生日聞かれたから、気づくわよ」 そう言ってちょっと笑い、また一口。満足そうな顔で飲み込んでいる。お気に召したようだ。 「ああ、そうそう。イェピカの目玉だったね。ホマレとかラルチュナとかラセクとかならそう高くなく手に入るし、イェピカ自体も少なくないって聞いてるけど」 ドミネの話によるとイェピカの減少はこの近辺だけらしい。 だがドミネの上げたそのどの町も遠すぎる。 時間は明日、図書館が閉館するまでしかないのだ。 そんなところへ行っていたら、どんなに運よく事が運んだとしてもイナエに着いた瞬間タイムアップになるだろう。 「そんなところまで行っている時間ないんだ。他になにか手はありませんか?」 「そうだねえ……」 そうしていると、バーテンダーの恰好に着替えたラックが奥から出てきた。 彼を見て、ドミネは言った。 「ラック、お客さん側にいてもいいんだよ?」 「せっかく来たし……着替えたし……手伝う……。今日は、マスター一人だし……」 アルトが松明の火を消すために浴びせた水で彼も濡れたから、着替えたかったのもあるだろう。 「そうかい? ありがとう」 「……それより……マスター、イェピカの目玉だったら、あれは……? ……昨日だったか、……一昨日だったか……あそこに……」 どうやら会話が聞こえていたらしい。ラックは壁を指さした。 「ああ。そうだね、頼めばもしかしたら」 そういって、マスターは壁に貼ってあるポスターに紛れて貼ってあった紙を一枚とって二人に見せた。 ソフィアがそれを受け取りざっと目を通し、アルトも彼女の後ろから覗き見る。 それは役所に貼りだされるクエスト用紙に似ていた。 依頼内容、報酬、クエストの種類が書かれている。 違うのはそれが手書きで、難易度が記されていない事。 そして、報酬の金額の桁が異質で、役所だったら絶対有り得ないクエスト内容だという事だ。 「……テロリストの、殲滅……。最近暴れてる人達ね。イナエでもあったわ」 依頼内容は最近イナエにも出たテロリストのアジトをの一つ潰すことのようだ。 どうやら、テロリストの幹部のいる拠点がモンゼルクに拠点があるらしい。 それをつぶせば勢いが弱まり自然消滅するだろうとのこと。 「直接イェピカの目が報酬じゃないけど、依頼人が商人組合のお偉いさんだ。頼み方次第では用意してもらえると思うけど」 「……なるほど、これなら……でも……」 ソフィアは何かを考えるように宙に目をさまよわせた。アルトをチラリとみる。 アルトはその依頼書のようなものの中身を読んでいて、ソフィアの視線には気づかない。 アルトはある記述に目を止めた。 「相手の生死を問わない? ……って、えらく物騒だな。なんでこんな危険な……」 ドミネがそっとソフィアの方を見ると、彼女はアルトに見えないようにかすかに首を横に振った。 ドミネは、彼女の考えを汲んだ説明をする。 「これは落書きみたいなもんでさ、誰かやってくれないかって仕事を、あちこちにはり出している人がたまにいるんだ。ま、大抵の人は受けないんだけどね。女の子たちには危ない仕事だったようだ、失礼」 そういって、マスターはひょい、と紙をとりあげた。 「……ところで、ずいぶんと大胆なイメチェンをしたね?」 ドミネがやっとアルトの恰好に触れた。 本来栗色の髪が真っ黒なだけならまだしも、肌や服まで黒くなっていて、イメチェンどころの騒ぎではないのだが、彼は戸惑う様子もない。 「ああ、これはちょっと……もう渇いてますし、店は汚さないので……」 自分の姿を思い出したアルトは居心地悪そうに苦笑いをする。 薄暗い店内でも、真っ黒な彼女は目立った。 「そういえば、それもどうにかしないとよね。ドミネさん。ここに柑橘系の果物はあるかしら」 「そりゃあ、あるけど。どうして?」 「この汚れ、柑橘系の果汁をつければ取れるんですって。ちょっと譲ってもらえる?」 「なるほど。ラック。案内してあげて。奥使っていいから」 「……はい」 ドミネに言われ、ラックは先ほど出てきたばかりの扉の方へ戻り、アルトに手招きをした。 アルトはあわてて彼についていく。 そこはスタッフルームのようだった。在庫置き場だろうか。倉庫のような場所にもつながっている。 「この桶……使っていいよ。オレンジと……レモン、どっちが……いい……?」 「あ、えと。どっちでも大丈夫です」 「じゃ……オレンジ……。水道はそこ……。着替え、なにかあるかな……」 と、ロッカーをあさろうとするラックを、アルトは制止する。 「あ、いえ。とりあえず上着と肌とか髪だけ洗えれば、大丈夫です」 もともとインナーとズボンは黒色だ。とりあえずは放っておこう。 「そう……? じゃあ、そこに干していいから……タオルも、これ使っていいよ」 そういって、ラックはスタッフルームを出て行った。 アルトはとりあえず上着を桶に入れて、オレンジを握りつぶした。 イェピカの目玉の汁は3,4個程の果汁で、綺麗に落とすことができた。 水で果汁を洗い流し、破けないように気を付けて絞って、ラックの置いていってくれたハンガーにかけて干す。 絞った時点で水気はかなり抜けている為、渇くまでそう時間はかからないだろう。 次いで、顔や腕、髪を洗う。 こちらは少量ですぐに落とすことができた。人体にはあまり定着しないようだ。 最後にタオルで水気を拭き取り、髪をガシガシ乾かして終了。 本来なら髪の長いアルトは髪を乾かすのに少々時間がかかるため、完全に乾いてはいない。 まあ先ほどよりはまともな見た目になっただろう。 ソフィアのいる席まで戻ると、丁度、お客が入ってきた。 ラックとドミネはそちらの対応を始めた。 一瞬気にかけるようにソフィア達をチラリと見たが、ソフィアは”こちらは気にしないで”、とジェスチャーする。 必然的にアルトとソフィアはサシで飲む形となった。 「それ、美味しそうだな」 アルトがソフィアの金色の液体を見て言う。 「じゃあ、飲みっこしましょう。アルトのも一口頂戴」 お互い交換して一口飲み比べてみた。 ソフィアの誕生酒らしいサウザンショットガンを自分のと交換し、一口飲んでみる。 ソーダのシュワシュワが口の中を刺激した。 「あ、美味しい」 「こっちも。俺、こっちの方が好きかも。ドミネさん、次はこれおねがい」 「じゃあ、私も、ソフィアが飲んでる方を」 「かしこまりました。っと……すまない、ラックおねがいしていいかい? あちらのお客様も注文みたいだ」 「……はい」 次はラックがドミネの代わりに二人の注文を作った。完成した酒の注がれたがグラス目の前に置かれる。 アルトはそれに口をつけ、ため息をついた。 こんなところでのんびりしていてもいいのだろうか。 とりあえず今夜の安全は確保されたが、明日からの予定は何も決まっていないというのに。 「……あれ、手袋外すのか?」 ソフィアがいつもつけている黒い皮手袋を、いつの間にか外していることに気づいた。 なんてことない事だが、顔以外肌が見えてないソフィアの手を見るのはなんだか変な感じだった。 「え? ……ああ、水滴がついたら駄目になっちゃいそうで。飲むときはいつも……っと!」 話している途中で突然ソフィアが素早く机の下に潜り込んだ。突然の動きにアルトは驚く。 「びっくりした、な、なんだよ、また虫でもいたか?」 「いえ。ちょっとネズミが……」 「ね、ねずみぃ?」 驚くアルトに、ソフィアは静かにするよう口に人差し指を寄せる。 「一応、飲食店よ」と小声で注意する。 確かに、下手に騒いだら営業妨害になりかねない。 「ちょっと、外に持っていくわ。すぐに帰ってくるから待っててね」 そういって、ソフィアはネズミを持って奥へと行ってしまった。 アルトが洗濯物を干した部屋のある方向だ。 そちらにも出入口があるのだろうか。 虫が駄目なのに、ネズミは素手で触れるとは、彼女の感覚は独特なものがある。 ソフィアを待っている間にアルトはグラスを空にした。 既に顔が赤く、完全に酔ってしまっているが本人は分かっていないのか、お代わりを注文する。 「ラックさん、おかわりくらさい」 「いいけど……お水も……ちゃんと飲んでね……」 ラックは注文された酒と一緒に、水を一杯持ってきてくれた。 サウザンショットガンはショットガンという名前が付くお酒に漏れず、飲みやすくて度数が高い。 アルトが飲み始めてからソーダの割合を少し増やしたりはしていたが、それでも気にしていたのだろう。 アルトはぼんやりとした目で水の入ったグラスを見つめ、コクリとうなずく。 グラスを持つが、口をつけるそぶりはなく、ただじっと水面をみつめている。 火照った手のひらが冷たい。ぼんやりと映る自分と見つめあう。 それは次第に、2年ほど前の自分に見えてきた。 まだアルトの髪が短く、イナエに来る前の、一人で生きていくと決意を立てたばかりの自分。 もしも、2年前の自分が、2年後の今の自分を見てしまったら何発殴られるだろう。 ふとそんなことを考えてしまった。 一発二発で気が済むとは思えない。 きっと馬乗りになって、胸倉をつかんで、拳に力を込めて、泣きじゃくりながら、何発も何発も拳を落とすだろう。 『なにやってんだッ!』 そこにはいないはずの2年前の自分が吠える。 『自分が良ければいいっていうのか……!?』 その間にも拳は途切れることなく落とされる。 アルトに抵抗の意思はない。通り雨を諦めたように、降り注がれる拳をを受ける。 『忘れたのかッ! 自分が何をしたのかを。自分の罪を。大切な人を作れば自分が壊してしまうってことを!』 忘れるわけがない。忘れられるわけがない。そんなこと許されないのだから。 『私がいたから。私なんかの過ちを背負って母さんと父さんが死に、私みたいなお荷物を背負ったから兄貴は倒れた。カルだって、一度は死ぬところだったんだぞ』 分かっている。だから家を出て、知っている人なんていないイナエにまで来たのだ。 『なのになんでまだカルと会っている? なんで仲間を作ろうとしている? 私なんかをまた他人に背負わせるつもりなのか?』 違う。 『もう未熟で浅はかな自分ではないと錯覚でも起こしたのか?』 違う違う違う。 『それとも、もう、一人は嫌だとかのたまうのかこの腰抜けがッ!』 「……どうしたの? 気持ち悪い……?」 ぼそぼそとしたラックの声で過去の自分がかき消された。 どのくらい過去の自分に殴られていたのだろう。 動揺を悟られぬよう、チラリとラックを見上げる。 ラックはアルトがちゃんと水を飲むまで見届けるつもりらしく、アルトの前から動いていない。 彼の青い瞳に映る自分から逃げるように、またコップの中身を覗き込んだ。 「……ラックさん」 「……ん……?」 「一人で生きるのって、難しいですね」アルトがポツリとつぶやく。「どうしてできないんだろう」そう言ってやっと水をコクリと飲み込んだ。 ラックは少し間をおいて、静かに言葉を返す。 「……あれは、不幸が偶然立て続いたんだよ……アルトちゃんのせいじゃ……ない。皆、そう言ってた……でしょ……」 アルトは聞いているのかいないのか、水をコクリコクリと飲んでいる。 ラックもう一度口を開きかけたが、その前に注文が入ってしまった。 名残惜しそうに、そちらのテーブルへ急いだ。

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