第八章 第一話「じゃあな」

結局アルトは駅の待合室で夜を明かした。堅い椅子に無理な体勢で眠っていたため、首とお尻が痛い。 しかも、これからイナエヘ行くまで何時間か座っていなければならないと考えると、ため息が出る。 ため息の理由はそれだけではない。 もうすぐ始発の列車が来る頃だが、ソフィアの安否が以前わからないまま。 どうにか連絡を取りたいが、ヤギを召喚するほど魔力は回復できていない。 探せばテレパス系の魔法を生業としている魔法使いを見つけられるだろうが、それを依頼する金はない。 どうにかできないかと二日酔い気味の頭を働かせる。 仕事を終えたソフィア達があのバーに帰っているかもしれないという可能性をやっと思いつく頃には、アルトの決断を急かすかのようにホームに列車が滑り込んできた。 こういうとき、テレポート魔法の一つも使えれば一瞬で様子を見てこれるのに。 とは思うが、できないものはやっぱりできない。 降りてくる人々を眺めながら、列車の入り口で足踏みし、ソフィアにもらった切手を思わず握りしめた。 乗るべきなのか。乗らざるべきなのか。 ――後で追いかけるから。 そう言って、ついに戻ってこれなかった人をアルトは知っている。 自分のせいで、そうなってしまった人達を。 「……やっぱり、探しに……」 振り返った瞬間。何かにタックルされた。 あまりの勢いの良さに、なにも身構えていなかったアルトは、タックルした誰かと一緒に列車の中に文字通り転がりこんだ。 「……痛ぅ……なんなんだよ一体……」 床に打った頭を押さえていると、扉が閉まり、駅員が駆け込み乗車を注意する声が聞こえた。 軽いアナウンスが流れ、列車がゆっくりと動き出す。 アルトのお腹の上がもぞりと動く。 反射的に顔を上げると、赤と青のオッドアイの瞳と目が合った。 「ぼーっとして、どうしたの? 危うく乗り過ごすところだったわ」 「……ソ……!?」 がしっとアルトは思わずソフィアの頭を両手で包んだ。 夢でも、幻でも、幻覚でも、人違いでもないのか。それを確かめようとしたのだ。 「本当に……」 「おはよう、アルト」 頭や頬をなで繰り回されながら、平然と挨拶をしてきた。 昨日のことなどなかったかのようにいつも通りの挨拶。アルトは戸惑いながらも絞り出した。 「……お、おは、よう」 「とりあえず離してもらっていいかしら」 「あ、ああ……」 アルトがソフィアの頭から手を離す。 ソフィアは立ち上がり、流れる窓の外を見て目を細めた。 「今日はいい天気になりそうね」 アルトはパチ、と自分の頬を軽く叩いてみた。 手も頬も痛い。 どうやら自分は正気なようだ。 プラチナブロンドの伸びっぱなしの髪。 白い肌に、武骨な軍服。 無表情で、戦う時だけ笑う顔。 しっかりしているように見えて、ちょっと天然で。 見れば見るほど、ソフィアが、確かにそこにいた。 どうやら目の前にいるのは本当に本物の彼女らしい。 アルトはゆっくりと立ち上がり、声を漏らす。 「お前……無事だったのか……」 「……昨日もそんなこといってたわよね。当たり前じゃない。俺、そんな弱くないつもりよ」 心外だというかのようにほんの少しだけ眉尻を下げた。 本当に戦闘時以外で表情がほとんど変わらない。 「今まで、どこに……っと……!」 ガタリと列車が揺れた。アルトは体勢を崩しかける。 「とりあえず、座りましょう」 そういって、ソフィアは空いた座席を見繕い始めた。 アルトは朝の便を利用するのは初めてだ。 ましてや首都のモンゼルク。 人が多いのは当たり前な町の駅は早朝でも人が多い。 あの死んだような顔の人は今から帰るのだろうか。 あっちのいかにも炭鉱夫という恰好のおじさんは元気そうだ。 家に帰るのが楽しみでしょうがない。と顔に書いてある。 帰るのがそんなに楽しいのは、とても幸せだからだろう。 二人は適当な席を見繕い、腰を下ろす。 その時、アルトはソフィアの首筋にガーゼが貼ってあることに気づいた。 「それ……っ」 ソフィアはえ?と首を傾げ、すぐにああ。とガーゼをなでた。 「流石に無傷は難しかったみたい。俺はいけると思ったんだけど」 先ほど微かに眉を下げたのは、自分が完勝できなかったことを不服に思っているせいでもあるようだ。 「ひっ、ひどいのか?」 「いいえ? かすり傷もいいとこよ。ラックさんったら大げさなのよね」 見る?とガーゼをはがそうとするのを、アルトは止めた。 いくらかすり傷と言えど下手に扱わない方がいい。 あらそう、とソフィアは気にするそぶりもなく、手を離した。 普通にしていると髪の毛で隠れてほとんど見えない。 「それにしても間に合ってよかったわ」 ソフィアは落ち着くと、無表情で世間話を始めたが、動揺しているアルトは上手く返答ができない。 「……あ、ああ」とぎこちない相槌を打つ。 それは、言わないといけないことを、心の底に残していると自覚しているからだった。 自分のせいで怪我をしてしまった。自分のせいで。 もっと、ちゃんと、きちんと謝らなければならない。 言うタイミングや言葉を模索して、頭がいっぱいになってしまっている。 「アルトも乗り遅れるところだったじゃない」 「……ちょっと、いろいろ考えちまって……お前を置いていっていいのかとか……えっと、その……」 なかなか言えずにアルトは焦りはじめる。 あと、少し。 もうちょっとできっと謝れる。はずなのに。 プライドとか意地とかそういうものが邪魔しているわけじゃない。 ただ、その謝罪の言葉が自分が思っている以上に大きすぎて、重すぎて、口に出すのが怖いだけなのだ。 「ほんとはね」 ソフィアが相変わらず無表情で言う。 「帰るのは昼の便からにしようとおもったのだけど。ドミネさんがアルトに追いついてちゃんと話ときなさいって」 「……え?」 「ラックさんがドミネさんに報告してて知ったんだけど、俺、貴女に対して結構きついこと言ったみたい。戦闘の時って気分が昂っちゃうのよね。ごめんなさいね」 「ああ、いや。私、こそ……その……」 ソフィアのように、こんな風に素直に言えればいいのに。 なんで自分は簡単なことができないのだろう。 喉につっかえる言葉に気を取られている間に、ぽつぽつと世間話らしい言葉をいくつか投げかけられるが、アルトはぎこちない返事を返すことしかできなかった。 「――それと、ラックさんが近いうちにまたおいでって。カフェの方に来たらケーキくらいサービスしてくれるそうよ」 「それは、えっと。楽しみだな……」 そんな状態では会話が弾むはずもなく、しばらくすると二人ともすっかり無言になってしまっていた。 余計に言いたいことを言いにくくなってしまい、アルトは自分だけ気まずい沈黙に浸けられている感覚に陥った。 何の拷問だ。と脂汗を流し、膝の上に置いた拳をじっとみる。 耐えられなくなり、アルトは息継ぎをするかのように沈黙を破った。 「な、なあ!」 自分の声に勢いづけられて、ばっと顔を上げる。 「昨日のことだ……が………」 しかしその声はすぐにしりすぼみになっていった。 ソフィアが、いつのまにか眠ってしまっていたからだ。 振り回されっぱなしだ。とアルトはため息を漏らした。 もちろんよく考えなくても、それは今に始まったことじゃない事は分かっている。 出会ってからこの三人には振り回されっぱなしなのだ。 ……まあ、それはもしかしたらお互い様なのかもしれないけれど。 じわりと湧き上がりそうになる感情から逃げるために、慌てて周りを見回すと席に置きっぱなしになっている新聞に気が付いた。 文字を読んだらいくらか落ち着くかもしれない。 その誰かの忘れ物を拝借することにした。 明日はイナエ街は一日晴天らしい。モンゼルクで若い女性が被害者の連続殺人事件がまた起こったらしい。占いによると本日のアルトの運勢は最悪で、パンドラの箱を開けちゃうかも! というものらしい。ラッキーアイテムは噴水らしい。雪国ネロタの野菜はとてもおいしく栄養価も高いらしい。 らしい。らしい。らしい。 アルトには、新聞の記事がすべて、遠い遠い世界のことに思えた。 うまく頭の中に入ってこない。 まるで分厚い氷の向こうの世界で、勝手に騒いでいるようにしか思えなかった。 気分は落ち着いてきたが、その分静かに落ち込んだ。 自分はこんなに弱くて、こんなにネガティブな性格だっただろうか。 その遠い世界の記事を流し読みしていくと、一つの記事を見つけた。 天才発明家の青年になにやら賞が贈られたらしい。 また、”らしい”。 だが、その記事はアルトの関心を大きく寄せた。 映っている白髪の青年を食い入るように見つめる。 新聞が白黒だからではない、本当に彼が白髪なのをアルトは知っていた。 相変わらず細いが、最後に見た時よりは健康的に肉がついているようだ。目の下の隈も薄い。 ほんの少しだけほっとして、懐かしさがこみあげて、そしてすべてを捨てるようにため息を吐いた。 「……元気にやってるのか。そりゃそうだよな。私がいないんだから」 感情のこもらない声で呟き、その記事からさえも逃げるように顔を上げると、スヤスヤと眠るソフィアが目に入った。 肩から落ちた髪の隙間から、ガーゼが見える。 自分の目を覆い、はーっと息を吐く。 肺の中の空気をすべて吐ききったところで、突然がばっと立ち上がった。 突然の動きに周りにいた利用客が驚いたように一瞬彼女を見るが、アルトは気にせずそのまま列車の後方へと向かう。 客車の一番後ろある申し訳程度の展望デッキの扉を開けると、まだ夜を帯びた冷たい風がばたばたと肌を打った。 駅で見送られる人や、景色を見たい人が使うこのスペースだが、有難いことに今は誰もいない。 手すりに寄りかかり、空を見上げる。 風で暴れる髪を無理やり押さえつけた。 日はもう顔をだしているはずだが、西の空はまだ薄暗い。 「悪かった」 ぽろっとこぼしたつぶやきは、誰にも聞かれることなく線路に落っこちた。 「……すまない」 ミィレは自分といなければゴーレムに襲われることにならなかった。 「ごめん」 ジェンは自分が意地にならなければ世話をかけることはなかった。 「ごめんなさい」 ソフィアは自分が声を出さなければ敵に見つかることなかった。 気づけば、アルトは手すりに縋りついていた。 先程喉につっかえていたほんのひとかけらを出しただけだった。 でもそれはすぐに止まらなくなってしまった。 「ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……」 そこにいない相手にひたすら謝り続ける。ソフィアに、ミィレに、ジェンに、カルにそして家族に。 「ごめんなさい……っ」 すべて吐き出せてはいない、しかしそこで一人呟いても無意味なことをわかっている。 ひっく、ひっくと小さい嗚咽を漏らしながら、顔を上げた。 先程より高い位置から差す朝日が、涙にぬれた目に染みる。 起きてすぐ「おはよう」を言う相手のいない朝は久々だった。 少し前、artに出会う以前、一人暮らししていた時は当たり前だったのに。 今朝、なんとなく違和感を感じてしまったことに、アルトは少し驚いた。 きっとそれは、数日も続けば消えてしまうくらい小さい、靴の中に入り込んだ石ころ程度の違和感なのに、 「少しだけ、寂しいとか……思っちまったじゃねーか」 呟いてしまったその言葉に、アルトは自ら冷笑した。 何を、ガラにもないことを。まだ昨日のアルコールが残っているのかもしれない。 だからこんな感傷的な気分なのだ。そうに違いない。 そんな考えを霧散させようと、頭をぶんぶんと振った。 涙を手でぬぐって、最後の仕上げにパァンと両頬を叩く。 「よし」とつぶやいて客車に戻った。 元の席に戻ると、ソフィアは変わらずまだスヤスヤと眠っていた。 視界の端で、窓の外では流れる景色がだんだん減速していって、見覚えのある街並みが近づいてくるのが分かった。 モンスターやトラブルを街に直接運ぶのをふせぐために、駅はたいてい街中ではなく街の外に作られる。 アルト達が乗ったその列車はあっさりと、何事もなくイナエ駅で停止してしまった。 アルトは読みっぱなしだった新聞をたたみ、元の場所へ戻す。 彼はまたこの列車に乗った誰かの暇つぶしになるのだろう。 「……おい、起きろ、着いたぞ。ソフィア。おい、ソフィアって……」 ソフィアに声をかけて揺すってみるが、一瞬顔をしかめただけで、彼女は規則正しい寝息を吐くだけだった。 アルトはため息をついて、彼女をおぶり荷物も持つ。 忘れ物がないか座席を確認し、列車を下りた。 とりあえずホームのベンチにソフィアを座らせる。 ふう、と息をつく。 ホーム内をざあ、と風が駆け抜け、アルトの髪を揺らした。 その風のせいとは言わない。 しかし、その風が吹かなければ気づかなかったのは確かだ。 そう、気づいてしまった。このまま列車乗っていればどこまででも行けることに。 全てを放り出す勇気さえあれば、一人ぼっちの生活を取り戻すことができることに。 もう人の乗り降りはほとんど完了していて、列車は間もなく出発するだろう。 ソフィアだって眠っている。 キセル乗車にはなってしまうが、それはちゃんと謝って、どうにかする手はあるはずだ。 乗るなら今しかない。 しかし、同時にその決断をしない理由だっていくつも思いつく。 冒険者の登録は、art でされているし、クエストは受けっぱなしで、クリアをあきらめるならそれ相応の手続きをしないといけなかったはずだ。 図書館の仕事だってある。 それらをすべて放り出すという事は、彼女の性格では難しい。 読みかけの本に心残りもあって、それに、この街の図書館の利用客には気になるあの人だって―――。 ええい、うじうじうじうじうっとおしい。 アルトはぎゅっと目をつむり、決意する為に自分を説得する。 一人で生きていく決意はどこへ行ったんだ。 トーセを出てくときのあの決意は。グラグラ揺れやがって。 あの三人は充分強くて、少々適当ではあるが、多少のことはどうにかできる実力を持っている。 自分がいなくても困ることはない。実際、出会う前はどうにかなっていた。 なら、このまま自分がどこかへ行ったって何も問題はない。 迷う必要はない。 図書館には申し訳ないがあとで連絡を入れよう。 後のことは私の個人的な執着で、自分以外はなんら影響はない。 「アルト?」 ソフィアが起きた。アルトは軽く振り返り、口を開ける。もう覚悟は決まっていた。 「じゃあな」 つぶやくようなその声が寝起きのソフィアに聞こえたかどうかわからない。 しかし、構わなかった。 もう会うことはないのだから。たった数歩の距離で、ここ数日のことを思い出した。 ゴリリンゴを倒して、パフェ食べて、喧嘩して、おしゃべりして、「ただいま」って言ったら「おかえり」って返ってきて。 大変なことばかりだったと思っていたけど、思い返してみるとそれも楽しかったと思えるから不思議だ。 自分の都合のいいように記憶を書き換えているのかもしれないけれど。 それでも、まあ悪くなかったな。 「……アルト!」 呼び止める声が聞こえる。 しかしその声は遠く、耳鳴りのようだった。 ドクン、ドクンと痛いほど動く心臓の音の方が大きい。 もう手を伸ばせば列車に触れられるというところまで来たその時。 ソフィアがアルトの手を引いた。簡単に拒否ができるほどの弱い力。 「止めないでくれ。お前らの為にも、私は……」 「アルト、俺の荷物知らない?」 「……は?」 予想外の言葉にアルトは間抜けな声を出した。 自分を引き留めてくれている声だと思っていたのが恥ずかしくなる。 完全に雰囲気に酔っていた。 よく考えればあの状態で、アルトがこの街からも逃げようとしているなんてわかるはずがない。 「ねえ、知らない? 列車に乗るときは確かに……」 ため息を一つついて、先ほどまでソフィアの座っていたベンチを指さす。 「落ち着け。お前の荷物ならあそこにちゃんと……」 「違うの、もう一つあったはずよ。足元においてたの。そう、座席の下あたり。紙袋が一つ」 「えっ」 アルトは固まった。確かに、荷物は確認したはずだった。 そのつもりだった。 しかし、足元に目を向けた記憶は?  ない。 ということは。 はっとして振り返った。座席の下。 そういわれればソフィアがそこに荷物を置くのを見た気がする。 だがもう列車は発車の合図のベルを鳴らしていた。

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