第八章 第二話「あ、ああ。私の役割を教えてくれ」

アルトの頭の中に”またやらかした”という文字だけが占拠する。 「そ、んなに大事なものが入ってたのか?」 ソフィアの様子から答えはYESであることはなんとなく予想はついている。 だが、アルトは藁にも縋る想いだった。 せめて、ゴミ入れとかだったなら。褒められた行為ではないが、あまり自分を責めずにいられる。 対して、ソフィアはもう間に合わないと思ったのか、今は冷静に動き出す直前の列車を見送ろうとしている。 「アレにはイェピカの目玉が入ってたの。アルトにもちゃんと言っておくべきだったわ」 ソフィアだけの問題じゃなかった。 「まっ……」 アルトは言葉を発すると同時に地面を蹴る。 「じかよッ」 考えるより早く、アルトは動き出す列車に飛び乗った。 駅員が駆け込み乗車を注意する声が聞こえたが無視する。 壁のように立ちはだかった乗客を、アルトは「すいません、すいません」と繰り返し、かき分けて進む。 そうしてやっとたどり着いた自分たちの座っていた席にはすでに違う人が座っていた。 その気弱そうな青年を「ちょっとすいません」と押しのける。 ガコン、と列車が動き出すが、アルトにとってはそれどころじゃないらしく気づいていない。 座席の下には、確かに紙袋が転がっていて、中を見るとそこには大きな瓶が二つ。 「あった……!」 引っ張り出し、中身を確認する。 瓶にはぎっしりと目玉が入っているのが見えた。 中身を出せば丁度バケツ一杯分くらいだろう。やっぱりこれだ。 安心して顔を上げると、もう窓の外はソフィアの姿がないどころか、駅すらなかった。 「あ」と声を漏らすがもう遅い。 列車は完全にイナエから離れて行っていた。 広い草原が流れ、遠くに森が見え始める。 アルトは脱力して、空いていた席に倒れこむように座り、頭を抱えた。 押しのけられた青年は「ええと……?」と戸惑っているが、そのうち諦めて他の席へと移っていった。 その背中に、アルトは慌てて「すまない」と声をかけるのがやっとだった。 「なにやってんだか……」 自分に苦笑いする。 全てを投げ出して逃げてしまおうという気はもう霧散している。 よくよく考えなくても計画性なんて全くない感情だけのバカげた計画だった。 変える方法を考えないと、と止まってしまった思考を再び動かし始める。 とはいえ、次の駅で降りて、事情を話して昼の便でイナエに戻るしかないか。 と、これからの行動が決まったその時。 ――ニガサナイ。 「え?」 ふっとあたりが明るくなった。 「あら? アルト?」 顔を上げるとそこにはキョトンとしたソフィアの顔があった。 「ソフィア……? え、あれ。私、さっきたしかに列車に……」 周りに目を向けるとそこはイナエ駅だった。 イェピカの目玉はしっかり抱えているところを見ると、白昼夢を見たわけでもなさそうだ。 確かにアルトが乗った列車は発車してしまっていた。降りた記憶は全くない。 なのに自分は何故イナエ駅にいるのだろうか。 それに、"ニガサナイ"という声も、聞き間違いではなかったと思う。 アルトはぞっとした。 「ま、さか。……おばけ……!?」 「え? お化け?」 「い、いいいいいや! なんでもない! んなわけない! きっとあれだ。偶然テレポート魔法でも使えたんだ! そうに違いない!」 アルトはぶんぶんと首を振った。 それこそ有り得ない話で、お化けの方がよっぽど有り得る話なのだが、それを認めることはしたくなかった。 自分が心霊現象に巻き込まれただなんて。 それに、こんな早朝に出るわけないと頭の中で言い訳する。 「と、とりあえずこれ持ってこれたから問題ないだろ!」 やけくそで怒鳴りながら紙袋を突き出した。 「それもそうね?」 ソフィアも訳が分かっていないらしく、ハテナを浮かべながら紙袋を中身の無事を確認する。 そのまま上目遣いでアルトの方に顔を上げた。 「……ええと、それで、アルト。これからのことだけど、昨日言ったこと覚えて……」 ところが、ソフィアはそんな中途半端なところで言葉を切って、上を見上げた。 紙袋を受け取ろうとした手もひっこめる。 何をいつどう察知したのだろうか。 アルトも彼女につられて上を見上げると、そこにはカノンとレイブンが二人を見降ろしていた。 二人はアルトたちに向かって笑顔で手を振り、いつものように立ちふさがるように降りてきた。 「ヤッホー! おかえり」 「もー、逃げ回ってくれちゃって」 駅を見張られていたのだろうか、それとも偶然見つかったのだろうか。それはわからない。 「今日が最終日ね。さしずめ最終決戦って感じ?」 レイブンが笑う。 「でもさ、今日一日追いかけっこなんて、飽きそうじゃない? だからさ、持ってるイェピカの目をこっちに渡してさ。それで終わりにしようよ」 「断るわ」 カノンの提案をソフィアがきっぱりと言った。 レイブンは不機嫌になるどころかニコリと笑顔を見せる。 「そりゃそうだよね」 「ま、断られても無理やり奪うけど。目玉を隠せそうなのはその荷物か、そっちの紙袋かな?」 確かに彼女たちの手持ちはそれだけしかない。 ソフィアの持っていた荷物にも目をつけてくれたのは有難かった。狙いを分散できる。 ソフィアも意識的にか、荷物をかばうように立っている。 「どうする?」 「そうね、ここで変に予定通りにすれば怪しまれるわ。このまま、役割を交換しましょう。それ以外は手はず通りに。」 「……予定? 手はず?」 アルトは露骨に戸惑った。 予定や手はずとは、前もって決めておく手順のこと。 打合せしておかなければ意味がないのに、急に言われても困るしかない。 artには緊急事態の時の決め事や作戦があって、アルトが何も知らない初心者の新人ということを忘れているのだろうか。 さすがに敵前ではっきりと指摘も相談もできず、自分の立ち位置を見失ったアルトがおろおろしていると、何かが横かすめた。 間髪入れずに、今度は足元に矢が飛んできた。 ちょっとでもずれていたら、足が地面にくぎ付けになっていたというくらいきわどい位置。 先ほどかすめたのも同じものなのだろう。 アルトは矢が放たれたであろう方向をギッと睨みつけた。 少し離れた酒場の屋根に、目立つ白い人影をとらえる。 「……ジェン……?」 アルトは思わず声を漏らす。それはジェンに見えた。 そこにいるのが彼女である場合の意味。 考えられるのは……。 「あ、そうそう。君の仲間、寝返ったみたいよー」 「はぁっ……!?」 レイブンからの情報にアルトはあっけにとられる。しかしすぐに気を取り直し、鼻で笑った。 「……は、はんっ。どうせ、私たちを仲間割れさせるための嘘だろ。あんなのお面かぶってれば誰だってジェンに見える!」 「そんじゃ、これはどうかな?」 近くから聞こえてきたのはミィレの声だった。 アルトが首を向けると、そこにはミィレに後ろから喉元に刃が押し当てられたソフィアがいた。 「ミィレ……!?」 「……油断したわね」 首に押し当てられているのは彼女の髪を変化させた刃。 目の前に突き付けられたのは毒々しい色の液体の入った瓶。 「動かないでね」 いつの間に忍び寄ったのかわからなかった。 否、彼女の超人的なスピードで近づいたのだろうという想像はできる。 しかし、あのソフィアが背後に回られて全く反応できないほどなのだろうか。 「お前、なんで……」 「ごっめんねー。わたしもジェンもこっち側なんだ」 ミィレは仕事がしたくないという理由で、アルトの前から逃げ出した。 一度、彼女の子分のらみぃゆという少女を使って連絡をよこしたが、居場所は結局わからずじまいだった。 それが、こんな形で再会することになるなんて。 「めろなはお前の邪魔をすることが目的なんだろ!? お前を雇うはずが……」 「うん、でもカノンとレイブンは雇ってくれたんだー。めろなにはばれなきゃおっけーおっけー!」 おもわずカノンとレイブンを見ると、二人は肩をすくめて笑った。 「まあ、こっちとしても、邪魔ができれば問題ないしね」 アルトは「なんだよそれ」と思わず舌打ちが出る。 次の瞬間、ソフィアが振り向きざまにレイピアを突き出した。 ミィレは彼女を開放してひょいと避ける。 二人の動きは俊敏なものだった。 しかし、アルトからすれば彼女たちの動きは甘く、遅いようにしか感じられない。 特にソフィアが手を抜いていることは、彼女の攻撃を食らったことがあるアルトにはよくわかった。 それだけなら、仲間傷つけたくないのだと言う解釈もできるだろう。 その後の行動を見るまで、アルトは実際そう思った。 カノンとレイブンからは死角になっている位置で、ミィレとソフィアがかすかに頷きあうのが、アルトからはよく見えてしまった。 「アルト、こっち!」 ソフィアにぐいと手を引かれる。 アルトが「えっ」と思ったと同時にミィレは大きく飛びのき、大げさに地面に転がりカノンを巻き込んだ。 ミィレに押し倒された形のカノンが抗議する。 「いったあい! もお、なにすんのよミィレ!」 「だってソフィアが攻撃してくるんだもんー」 遠くから放つジェンの放った矢はアルトの足元に刺さる。 続けていくつか放つが、矢は誰にも当たらない。 威嚇なのか、単に外れただけなのか。 だが、幸いなことにそれはレイブンたちの邪魔をしているようだった。 幸いなことに? 本当に、この連携のとれなさが本当にただのラッキーな偶然なのだろうか。 戦闘狂のソフィアの攻撃がミィレに当たらず、 人間離れしたスピードを出せるミィレがアルトたちに一瞬で追いつくことはなく、 動いている猫のくわえていたバケツだけを撃ちぬけるジェンがすべての矢を外すことが、 全て”偶然のラッキー”? アルトは戸惑いながらも、今は逃げるしかなく、ソフィアに引かれるままに駆けていった。 駅員に押し付けるように切符を渡し、駅を出る。 後ろを振り向いても追いかけてくる影が見えなくなるまではそうかからなかった。 商店街まで来てやっと立ち止まった。 まだ人はまばらだが、見つかるまでに少し時間はかかるだろう。 さすがに息を切らせたソフィアがアルトの手を放す。アルトも限界だった。 「ちょっと休憩しましょう」 人通りの邪魔にならず、かつ上からは見つかり辛いであろうなにかの店の軒下に二人は身を隠した。 まだ朝と言って差し支えない時間帯のイナエは、商人たちが店を開ける準備をする音や声に満ちている。 もうすぐ朝市が始まる。 昼間とは違ったにぎやかさに、朝日や鳥の声が混じっていた。 ドロドロでボロボロなアルトたちには、そんなさわやかな賑わいを楽しむ余裕はない。 あたりを警戒するソフィアを、アルトは息を整えながら睨んでいる。 「な、何考えてるんだ?」 「え?」 不自然な行動を違和感としか思えなかったアルトは、ソフィアを問い詰める。 「お前、ミィレと合図を取り合ってたよな。あいつらは今、敵なのに……」 「いえ、味方よ」 確認の意味を込めて言ったつもりが、ソフィアは即答で否定した。 あまりにもきっぱりとした言葉にアルトは面食らう。 「味方と意思疎通を図ったことの、何が問題なのかしら」 「何が問題って……」 ソフィアがあまりにも毅然として答えるものだから、アルトは言葉に詰まった。 おそらく、ソフィアとミィレは裏でつながっている。 ジェンはわからないが、彼女もそうなのかもしれない。 問題なのは自分だけそれを知らないということだ。 アルトだけが情報を知らず蚊帳の外なのは、何か理由があってのことなのだろうか。 ならばもう少し彼女たちと話を合わせるべきなのかもしれない。 『だからダメなんだ私は。考えが甘すぎるんだよ』 頭の中で自分の声が響き、はっとした。 そうだ。 自分に都合のいいかもしれないという思い付きに飛びつくな。 ジェンとミィレは敵じゃないかもしれないなんて、確証を得るまで思っちゃダメなんだ。 味方と敵がうまく判断できない。 信じていいものと悪いものが分からなくなる。 手放しに人を信じるな。 「も、問題にきまってんだろ!」 馬鹿だと思われてもいい。見当外れでもいい。 とにかく、最悪の事態が現実だと思うべきだ。 「まさか、お前も寝返って……いや、私をハメたいにしても、メリットが……。なにが狙いなんだ!」 そんなアルトの様子を見て、ソフィアがため息をついた。 「アルト、やっぱり昨日話聞いてなかったのね」 アルトは騙されまいと、ソフィアの言葉を注意深く聞き返した。 「昨日の……話?」 「そうよ、昨日だってちゃんと説明したじゃない」 説明。一体何のことだろうか。モンゼルクでのソフィアの言葉を一つ一つ振り返ってみる。 「昨日、ラックさんのお店で。ほら、ネズミが出たでしょ」 ソフィアがヒントを出してくれるので、さらに絞り込んでいく。 「で、俺が捕まえて、奥の部屋に行って、戻ってきて。アルトと少ししゃべって。そのあと」 そのあと。……そのあと?  アルトの思考がエラーを出す。 確かに話をしたことは覚えている。自分の口が滑りかけたことも。 だが、ソフィアが言っているのは記憶にあるそのどれでもない。 かといって、その言い方で、ソフィアがアルトを拒絶したところまで飛ぶのは無理がある。 ということはだ。 自分の昨日の状況を合わせてみるに、アルトは一つのなさけない真実を導き出した。 「……酔っぱらってたから覚えてない」 アルコールによる記憶欠如。 ソフィアは「やっぱり」と言いたげに嘆息した。 さすがのアルトも申し訳なさそうに縮こまる。 「じゃあ、もう一度説明するわ」 ソフィアはそう前置いて、アルトの目を見た。 言外で「今度はしっかり聞いて」と言っている。 「まず、」 「アルトさーん! ソフィアさーん!」 ソフィアが説明しようと人差し指を立てたが、自分達を呼ぶ声ですぐにしぼんでしまった。 アルトが振り返ると、オレンジ色のふわふわ髪の少女が手を振ってこちらへ走ってきていた。 少女はアルトたちの前で立ち止まると、息を切らせながら二人を見上げた。 「よかったあ。見つけられて……」 「お前は……」 「らみぃゆじゃない。どうしたの?」 ソフィアがさらりと彼女の名前を呼んだ。 そう、らみぃゆ。 昨日自分たちの仕事に巻き込んでしまった、ミィレの子分。 アルトは遠い昔のような昨日を思い出して、しみじみと思う。 彼女にも迷惑をかけてしまったなと。 「私、お二人を呼んでくるように頼まれて」 そういうと、ソフィアは一人納得して頷いた。 「なるほど。じゃあ、案内してくれる?」 「はい! こっちです」 らみぃゆの誘導についていこうとするソフィアを、アルトは慌てて引き留めた。 「ちょっと待て、ソフィア。説明が途中だぞ……」 「それもまとめてするわ。とりあえずついていきましょう」 「アルトさん。こちらです」 らみぃゆがアルトの手を引く。 敵意の感じられないその弱い力を振り払うことはできず、アルトは彼女たちと歩き出した。 裏路地というほどではないが、大通りではない道を進む。 イナエにしては、この辺は高い建物が多く、影になっている場所が多い。 「らみぃゆ。どこへ連れてくつもりなんだ?」 「あ、それはですね……」 らみぃゆは軽く振り返り、答えようとしたところを、違う声が引き継いだ。 「わっちのいるところだよ」 「ジェン!?」 いつの間にか隣にはジェンがいた。 アルトとらみぃゆは驚いたが、ソフィアは気配を察知していたらしく「あら、ジェンだったの」とのんきに声をかけている。 「らみぃゆサンキュー。ちょっと見張りしててくれ」 「わかりました」 らみぃゆは少し離れる。 それを見送ってからジェンは、じとりとした視線をアルトに向けた。 「つーかツッコミ。お前何やってんだよ。あれは挙動不審(やり)すぎだ」 「あ……のなあ! 突然味方が裏切りやがったらそりゃ挙動不審にもなるだろ!」 「突然でもねえよ。わっちが話を持ち掛けたのは、お前が巨大イェピカを追って、わっちがレイブンの相手してた時だし」 「……そ、そんなに前から……」 気づかなかった。 誘われたではなく、彼女から持ち掛けたということも、アルトのショックを大きくさせた。 「なんでレイブンがすぐにお前を追いかけてきたと思う? なんであっさりわっちを見逃したと思う?」 ジェンは追い打ちをかけるように問いかける。 そういえば、あの時レイブンは人質に取っていたジェンをずいぶん早く手放して、アルトを追ってきた。 誰が真面目で、良い奴だ、真逆じゃないかと昨日の自分の発言をなじり、ジェンを思いっきり睨みつけた。 「てめえ……」 「ま、作戦だけどな」 ジェンはぱっと手を放すように言った。アルトの勢いはつんのめり、たたらを踏む。 「さ、作戦?」 「潜入の為にあちら側についたふりをしたってこと。それに、助っ人を雇うってのは予想のできたし、敵が増える前に枠埋めを狙ったってのもあるな。いくらこっちの邪魔の為に金に糸目は付けないつっても、限度があるだろ」 「要するに、二重スパイと敵の増員を阻止するためにってことね」 ソフィアがしてくれた要約にジェンもうなずく。 「ま、そういうこった。もちろん、あっちがうまくいったらあっちから報酬をもらう。……あ、言っとくけどその金は山分けしないからな」 しかも仕事がうまくいかなかった場合の保険も兼ねているらしい。 ちゃっかりしたジェンの計画に、アルトはため息をついた。 何故だか素直に感心できない。 状況によっては裏切ることも計画のうちだと言われているからだろうか。 「で、ミィレもその作戦を察して乗っかってきた。ってか、ソフィア、ツッコミに話してなかったのか? ちゃんと連絡行ってるんだよな? わざわざギルド通して連絡してもらったんだぞ」 「それが、ちょっと行き違いがあったというか」 「どーせツッコミが話聞いてなかったんだろ」 「んだと! そんなことは……」 あるため、言い返せない。 決めつけるように言われ、思わず反論しようとしたアルトは、すぐに言葉を切り、罰が悪そうに目をそらした。 酔っぱらって聞いてなかったとは言いたくない。 代わりにジェンに問いかける。 「……信用していいのか?」 聞いてしまってから、しまったと思った。 こんな質問、意味がない。 彼女たちがどちらの味方だったとしても「信じろ」と言うしかないからだ。 「好きにしろ。わっちも好きにするから。その代わり自己責任ってことでいいんじゃね?」 しかしジェンはただ肩をすくめ、飄々とそう言ってのけた。 信じろ、ではなく、好きにしろ。 自分への判断さえ丸投げするとは、どれだけ面倒くさがりなんだろうか。 実際、彼女にとっては説得や弁解が面倒なだけだったのだろう。 信じなかったらどうするつもりなのだろうか。 もし、アルトがジェンを敵と判断したのなら。 アルトは目をパチパチしながら、ジェンをじっと見る。 白いお面はいつも通り。 顔が隠れている癖に表情豊かだ。 悔しいが、今の顔はアルトには彼女が本当に思っていることを言っているようにしか思えなかった。 彼女を信じることで、どういうメリットとデメリットがあるか。 自分以外への影響がどれだけあるかもしれないか。 こういう問題を損得でしか考えられない自分に嫌気が差すが、アルトはもうそういう決め方しかできなくなってしまっていた。 「ち、ちなみにソフィアはどう思ってるんだ……? すんなり信じてるみたいだが、こいつらの方便ってことも……」 「俺はまあ、信じておこうかなって思ったの。裏切られたらその時だし。そしたら、正々堂々戦えるじゃない? どっちだったとしても俺にデメリットはないわ」 「ソフィア最近そればっかりじゃね?」 「ここ最近平和すぎるから、腕がうずいて仕方ないのよ」 ソフィアも普段と変わらない。 なにかを考えているようにも深刻に受け止めた様子もなく、ただ、味方の裏切りを、そういうこともあるよねと言っているかのようだ。 「いや、ねえよ……」 自分の脳内に自分でツッコミを入れるくらい考え込みすぎているアルトに、見かねたジェンは声をかける。 「……ま、難しく考えたって、わっちは気まぐれだからな。現状じゃ正解なんて、そもそもねえよ。要は、お前がどうしたいかって話だ」 「あとは、成り行きよね」 「それそれ。ま、なるようになるさ」 「……私が、どうしたいか……」 そんなの、決まっている。信じてはいけない。……いけない? それじゃあまるで、信じたいけどそうしてはいけないと自分を押さえつけているみたいじゃないか。 否、そんなことはない。だって……。 アルトが悩んでいるのを見て、ソフィアは冷静に提案をする。 「とりあえず、話を進めない? アルトの気持ちの整理待ってられないわ」 「そうだな。今はミィレとみりぃがレイブンとカノンを止めしてくれてるけど。あんまり時間稼げねーぞ。手短に現状報告してくれ」 ジェンが促すと、ソフィアがアルトの持っている荷物を指さした。 「イェピカの目玉はここ。量は充分なはずよ俺の持ってる荷物もダミーに使えそう。戦う準備は万全よ。そっちは?」 「二重スパイ作戦がうまくいってるのは言ったな。ま、あいつらも完全に信じきっちゃないけど、内部操作もできないことはないんじゃね? 猫はツッコミがいなくなってからパッタリ見てない。やっぱり目玉をロックオンしてるみたいだな」 「あ、つーか、結局ツッコミ、作戦のことなんもわかってねえんじゃね?」 「そうだったわね。それも説明しなくっちゃ……アルト、大丈夫?」 ソフィアに問われ、ぽかんとしていたアルトは一瞬瞳をさまよわせた。 考えないことは多い。 「なんで急にそんなちゃんと仕事をしだすんだ。最初からやれよ」とツッコミを入れたいことも多い。 でも、今すぐにでも考えないといけないことはそのどれでもない。 アルトは喉元どころか口の中にまで出てきそうになった言葉をごくりと飲み込み、頷いた。 「あ、ああ。私の役割を教えてくれ」 今やらないといけないのは、自分の失態の巻き返し。 信じる、信じないを決めるためにも、自分の役割と立ち位置は重要なことだ。

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