カオスパーティー 第九章 第一話「なるほど、ミィレらしいわね」

体からはまだほのかにレモンの匂いがする。 昨日から汚れっぱなしだ。 服も肌もまだところどころレモンの果汁でベタベタしていて、ついでに汗まで汗までかいてきた。 水をかぶったくらいでは、まさに焼け石に水。 いい加減ゆっくりお風呂に入りたい。 アルトは空を見上げ、額にうっすら掻いた汗をぬぐった。 もうずいぶん日が高い。 そういえば新聞に今日は快晴だと書いてあった気がする。 今何時くらいなのだろう。と時間を気にしていると、 「しっかり働けよー、ツッコミ」 後ろから飛ばされたヤジに、アルトは顔をひきつらせた。 そののんきな声がアルトの額に血管を浮き上がらせる。 「わたし、りんごジュースたのんでもいーい?」 次いで違う色のヤジがもう一つ飛ばされ、アルトはギッとにらみつけながら振り返った。 「お前らなあ! サボってんじゃねえよ!」 アルトが怒鳴る先では、ミィレとジェンが近くの喫茶店の窓からにまにまとしてこちらを見ていた。 彼女達は掃除を手伝うことはなく、早々に客として店内に入り、テーブルに座ってしまっていた。 「チッ、バレたか」 大して焦る様子もないジェンに、アルトがじとっとした目を向ける。 「逆にバレてないと思ったのか?」 「いや? 全然」 からかうように笑うジェンにアルトは思わず拳を構える仕草をした。 それを見て、ミィレも話に参戦してジェンの援護をする。 「でもほら、わたしたちもう働いたしぃ。そのおかげでアルトも助かったでしょぉ?」 「たしかに、ミィレもここのジューサーのことよく思い出したよな」 「でっしょー! 感謝してよね!」 えっへんと胸を張るミィレ。 「そ、それはそうだが……」 こうしてアルトが道端を掃除しているのは、暴走してしまった自分を助けるために、artの三人がこの店先にレモンの汁をぶちまけたからであった。 助けてもらった手前、アルトは何も言い返せないし、後始末を自分から進んでしないわけにはいかない。 ジェンはアルトがひるんだのを好機と見逃さずに、言い訳の追い打ちをかける。 「それに、わっちらはお前らと一緒にいるところを見られるわけにはいかないから、こうやって隠れてんだ」 確かに、ジェン達が座っているところは外からは死角になりやすい位置だ。 言いわけの筋は通っているかもしれない。 良い反論が浮かばないアルトがうぐぐ、とうなり声をあげていると、バケツに水を汲みに行っていたソフィアが戻ってきた。 「どう、アルト。終わりそう?」 ソフィアに問われ、アルトは視線を下に戻し、晴れにもかかわらずびしょびしょに濡れた地面をつま先でトントンと踏んでみた。 靴底にベタつく感じはしない。 あとは仕上げに、もう一度水で流して終わらせてしまっていいだろう。 「……ああ、もう終わりだ。手伝ってくれてありがとう。こいつらはまじで終始座ってるだけだったけどな!」 負け惜しみで反撃してみるが、ソフィアにも「まあ、今回はしょうがないんじゃないの?」とあっさりとどめを刺された。 同意してもらえると思った者からの反撃に、アルトはバケツを受け取るしかなかった。 最後の仕上としてざぱっと地面を洗い流す。 これで大体きれいになっただろう。 アルトが店から借りていた掃除道具を返しに店内の奥へ入り、戻ってくると、三人はいつの間にかくつろいで飲み物を頼んでいた。ご丁寧にアルトの分まである。 アルトは四つある椅子の空いている椅子に座り、頼んでくれていたジュースを手に取る。 ストローを無視してコップから飲むと、その酸っぱさに一瞬むせかけた。 「んだこれ!? すっぱ!?」 「アルトに特別メニュー! しぼりたてレモンジュースだよ! 砂糖は控えめ!」 「店員さんに頼んで作ってもらったの。イェピカの目玉の汁は洗い流れただろうけど、念のため飲んでおいたほうがいいわ」 そういわれ、アルトはしぶしぶそれを飲み続けることにした。 最初が予想外だったためむせたが、二口目以降は少々酸っぱいくらいで普通においしかった。 モンスターの"レモネード"を使っているのかもしれない。 「んで、アルトに接触してきた禁書は、赤い背表紙だったのよね?」 アルトは急に真面目な話が始まり、先ほどとは違う意味でむせそうになる。 ごくり、とレモンジュースを飲みこんでから、「ああ」とうなずくと、3人は異口同音で「まじかー」と声を漏らした。 「見なかったことにできないじゃあん」 「予想外だったわ」 「悪魔の封印具……最後どうしたっけか。つーか在庫あったっけ」 ジェンの質問にミィレがえーと、と口元に人差し指を添えて視線をさまよわせた。 「たしか……最後はあのごりりんごで図書館ばーんってした時出したっきりだから、まだあると思うよ。あの時も結局使ってないし」 アルトと出会ったときのあの日のことだろう。 たしかに3人はあの日、禁書を捕まえるために図書館を訪れていた。 あの時、禁書が図書館に現れたのも、アルトを狙っていたからなのだろうか。 「ってことは、取りに帰るか、新しく買うか。今のところ取れる行動はそのどっちかかしら」 ソフィアが選択肢を示すと、ジェンはお面の下で顔をしかめた。 「買うのは却下。あれ、一つで一匹しか封印できない消耗品のくせに一つ一つがたけえんだよ。在庫を先に使おうぜ」 「じゃあ取りに行くしかないな」 ミィレが言うとジェンとソフィアは頷いた。 話の腰を折りたくはなかったが、自分にできることを探す前に情報がなければ考えようがない。 おずおずとアルトは小さく手を上げて発言をする。 「……悪魔をどうにかするには、その、封印具? が必要なのか?」 悪魔の封印具は普通に生活していればあまり馴染みのないアイテムだ。 アルトが知らなくても仕方がない。 「悪魔を捕まえるには封印具を使うのが一番安全で手っ取り早ぇんだ」 「戦うだけとか、逃げるなら別にいらないけど、捕まえるなら必要ね」 「戦うは無理でしょ。やったことないけど悪魔の相手はかなーり大変だって聞くよ?」 簡易的な返答に、アルトはさらに突っ込んで聞いてみた。 「でも、そもそも悪魔は禁書に封印されてるんだろ? それをまた封印するのか?」 「禁書の封印が中途半端に解けたから、今悪さしてんだろ」 ジェンは「わっちも詳しく知ってるわけじゃねえけど」と、背もたれにもたれかかった。 「とりあえず、今の封印が解かれた悪魔を再度封じ込めるアイテム、とだけわかれば問題はないわ」 ソフィアが要約をしてくれ、それ以上の説明は打ち切られた。 アルトもそれ以上の深追いはしなかった。 とりあえず今日が無事に終わってから、落ち着いて勉強したほうがいいだろう。 話は戻され、ジェンが確かめるように聞いてきた。 「ちなみに、禁書を”見つけた”、じゃなくて”接触してきた”んだよな? しかもあっちから」 今度はアルトが質問に答える番だ。 「ああ。向こうが私に近づいてきた」 「どういうことだ? いい天気ですねとでも話しかけてきたのか?」 「ああ、もうすぐ夏ですねって和やかに話したさ」 ジェンの冗談に乗ってみたものの、あまり面白くなかったなと、アルトは話を戻した。 「……願いをかなえてやるかわりに協力しろって言われた。うまくやれば次の契約者にしてやる……だってさ」 「それで、なにをお願いしたらウチの子分いじめることになるわけ?」 ミィレが少し怒ったように聞いた。 流石に自分の子分に被害があったのは面白くなかったらしい。 アルトは首を振る。 「それが……なにも。私は願いを言ってないし、頷いてすらいない。だから、なんでああなったのか……」 「わからない?」 言葉を引き継いでくれたのはソフィアだった。 今度は、アルトは肯定を示した。 本当だった。 確かに的確な言葉で誘惑はされた。 それに魅力を感じたのは確かだが、アルトはどちらかというとその的確さに気味悪さを感じるばかりで、何一つ承諾なんてしていない。 なんなら最後は逃げ出してしまった程だ。 「それなのに、イェピカの目玉で闇落ちして暴走したみたいになってたの?」 「でもイェピカの目玉にそんな効果があるなんて聞いたことねえぞ。まあ、そもそもあんな大量に浸かるってところを見たことがないから、例外と言われたら何とも言えねえけど……」 イェピカ自体はどこにでもいるモンスターだが、その目玉をつぶして取れる汁が魔法具等の素材として使われることはあまりない。 魔力付与という特徴は、効果がささやかであり、しかもすぐに薄れてしまう為、コスパが悪いのがその原因の一つだ。 「ってかあの量の液体、アルトどうやって身にまとってたの? 魔法?」 「よく覚えてないんだって。夢を見てたみたいな感覚だよ。思い出せそうで思い出せなくて」 時系列がめちゃくちゃでかなり断片的でなら、なんとなくは覚えているが、記憶と呼べるものではない。 思い出そうとしても、頭に寝すぎた時のような鈍痛が走るだけだ。 「たぶん、魔力で無理やりアルトに目玉の汁を纏わせてたんだと思うわ。何となく、イェピカの目玉の汁を媒介にアルトに干渉してたって感じがしたかも」 実際に戦ったソフィアが、自分の感覚をもとに予想を立てる。 「何かが……干渉?」 「ってことは私、禁書に操られてたってことか!?」 「多分ね」 そういえば。前にイェピカの目玉が謎の爆発をした時も、体が勝手に動く感覚があった。 あの爆発も、おそらく禁書が起こしたことなのだろう。 「……そういえば、ニガサナイって……」 「え?」 「言われたんだ。逃がさないって。二回も」 一度目は電車でイナエを離れかけようとしたとき。 二度目は先ほど禁書から逃げ出してほっとした矢先。 その事を話すと、ミィレはりんごジュースを飲んで笑顔で言った。 「アルト完全に狙われてんじゃんウケる」 「ウケねーよ!?」 ミィレはケラケラと笑うが、アルトにとってはたまったものではない。 「だいったいなんで私が狙われるんだよ!? 意味わかんねえ!」 そんなものに目を付けられる理由は思い至らない。 「てゆーか、猫が契約者ってありえるの?」 ミィレがストローでりんごジュースを吸いながら聞いた。 それに対して、ソフィアが紅茶を一口飲んでから答える。 「事例がないわけじゃなかったはずよ」 「でも少ない。つまり滅多にないことってことだよな。言い換えると例外に近いってこった」 ジェンはそう呟きながら、お面の隙間からストローを差し込み器用にジュースを飲んでからこう言った。 「んじゃあ、念のため疑いを晴らしておくべきかもな」 「疑い?」 アルトが首を傾げ、その向かいでミィレは少しだけ眉をひそめた。 「……もしかして、めろなのこと言ってる?」 ジェンは正解という代わりに彼女を指さした。 「つまり、めろなが禁書の契約者ってこと? でも、この依頼を受け取ったのはわたしが偶然見つけたからだし、それにめろなは本気で嫌がってたよ?」 「ミィレが自分の名前を依頼者に見つけたら面白がって受けるってのも予想できるだろうし、嫌がってたのは演技って可能性がある。ツッコミに近づくついでに、その依頼で猫を操るために必要なイェピカの目玉をゲットが目的だった。つーかわっちらが受ける必要もねーか。別のやつらが受けたってツッコミは狙ったかもしれねえし、もしくは別の候補がいたのかもしれない。」 ジェンの仮説は確かに筋が通っているように聞こえた。 アルトがなるほど、とつぶやくとジェンはお面の下でにやりと笑った。 「適当に言った割にそれっぽいだろ」 「いや、適当かよ!」   そのやりとりを聞いていたミィレとソフィアがうんうん、と頷く。 「やっぱアルトはツッコミよね」 「そうね。しっくりくるわ」 「ツッコミあった方がわっちも楽だしな」 「……お前らさっきもんなこと言ってたよな。なんかそれはなんとなく記憶あるぞ」 アルトがじとっとした視線で睨むと、三人はとぼけるように飲み物に口を付けた。 特にミィレはすかさず話を元に戻す。不利になったらすぐに逃げるが彼女のスタイルだ。 「で、めろなんが実は契約者で、ねこさんは使い魔か何かで、カモフラージュってやつに使ってるってこと?」 「ああ。ツッコミ、猫には甘ぇからな。絆すのにちょうどいいと思ったのかもしれん」 「タイミングが良すぎるから疑わないわけにもいかないわね」 ソフィアは納得したというより、一つの可能性として受け入れたようだ。 ジェンが裏切った説明をした時といい、思考に柔軟性があるというべきかそれともそういう姿勢はこれまでの人生の経験則なのか。 しかしアルトとしてはめろなが契約者なんてちょっとピンと来なかった。 先日までほとんど話したこともなかったが、めろなは禁書なんかに頼るほど弱くも馬鹿でもないと思っている。 それ以上に納得していないのがミィレだった。 彼女はこの中で一番めろなと付き合いが長い。 ノリと勢いが良い彼女には珍しく、少し考えてから軽く手をあげて一つ提案をしてきた。 「それならちょっと聞いてきてあげよっか?」 「え?」 「ま、もともとそのつもりではあったけど。わたしの予想としては関係ないと思うなぁ」 あっけらかんといつもの調子で言う。 アルトはその言葉が咀嚼しきれず、思わず聞き返した。 「……聞く……本人にか?」 「他に誰に聞くの?」 ミィレはきょとんとする。 「……関係ありませんって言われて、それが本当かどうかなんてわかるのかよ?」 「そんなの聞いてみないと分かるわけじゃないじゃん」 直球勝負のようだ。 ジェンは思わず噴き出した。 「なんだそりゃ」 「めろなは貴女のこと敵視してたみたいだけど、結構仲が良いのね。そんだけ手放しで信頼できるなんて」 ソフィアの言葉に、ミィレは口を尖らせる。 「めろなを信じてるっていうのは確かだけど、んー、なんか違うんだよね」 「どう違うんだ?」 言葉を探しているのか、リンゴジュースに目を落としストローで空気を送った。 ぶくぶくとリンゴジュースが揺れる。 ストローを離すと、また口をとがらせて捕まえた言葉で答える。 「めろなを信じていいって言うわたしを信じてる、が正しいかな。なぁんかありきたりな言葉なのが気に入らないけど」 「なるほど、ミィレらしいわね」 ソフィアが感心したようにうなずいた。 信じる自分を信じている。 確かに彼女らしい思想だ。 自分にはそんな信念はなかった。 『それなのに、うっかり人を信じてすべて失敗した』 自分が耳元でささやいた。 最近よく現れる幻聴だ。正体はわかっている。 自分で自分を抑制しようとしている、いわば理性の擬人化みたいなもの。 つまりアルトの心の中の声。 『私はミィレとは違う。信じていいかもわからないし、信じた責任も取れない。だからこいつらの事を信じられない』 「……わかってるって」 アルトは呟くように自分に弁解した。 時効なんて言葉は何の慰めにもならない。 アルトの年齢がまだ二桁になる前。 魔法学校へ入学する少し前に、家族と共に数か月過ごしていたルニックという国で、彼女は大罪を犯していた。

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