第九章 第二話「……と、取引しないか?」

自分の罪は消せない。 後悔はいつも自分の後ろをついて回りやがる。 アルトは今でもその罪悪感と後悔と自責に囚われている。 「でも、そしたらめろなの仕事どうするの?」 ソフィアの言葉でアルトははっと我に返った。 自分の中の闇に引きずり込まれそうだった精神が一気に現実世界に引き戻された。 ジェンが腕組みしながら唸る。 「それだよなあ」 「人手と時間が足りないわね。気合と根性で乗り切る?」 「ミィレちゃんそういう暑苦しいのキラーイ」 ミィレが口を尖らせる。 アルトたちが受けたイェピカの目玉集めのクエストは、今日が期限だ。 だが、目の前に大きな最終目標が迫っている。 どう考えても達成できるわけがない。 少なくとも、アルトはそう考えてほとんど諦めかけていた。 「わっちも反対だな。少しでも楽しようぜ」 「……えっ?」 驚いて思わず声をあげてしまい、アルトは息を詰めた。 彼女たちの会話はまるで、今の状況でどうすればクエストも遂行できるかを考えているようだったからだ。 「や、やるのか? クエスト」 やっと絞り出したアルトの言葉に、ソフィアはキョトンとした顔で首を傾げた。 「当たり前じゃない。今日までなんだし、やらなきゃ」 「どんだけ苦労したと思ってんだよ」 「そーそー」 彼女達はなぜそんなに、当然という顔をして諦めていないと言っているのだろうか。 今さっきまで禁書と戦うための話し合いをしていた。 悪魔と戦うのだ。緊急事態といえる状況下、何故そんなことが言えるのか。 むしろソフィアはアルトを怪訝そうに顔を覗き込んできた。 「もしかしてアルト、まだ本調子じゃないの? 怪我でもした?」 「い、いや……大丈夫だ? ていうか、えーと、……そ、そういえば目玉はどこにあるんだ?」 一人勝手に諦めようとしていたことが恥ずかしくて、話を逸らすように気づいたことを口にしてみた。 いつも通りのぎこちなさではあったが、ソフィアはその言葉にはっとした。 「あら、そういえば……」 「みりぃとらみぃゆに預けたぞ。戦闘中だったら邪魔になるし、そこらへんに置いとくわけにもいかなかったからな」 「ってことは、なおかつあの子たちを探して、レイブンたちをかいくぐり、めろなのいる図書館までもっていかないといけない、ってことかあ」 「並行して禁書の捜索と捕獲も必要ね」 「げえ、ムリゲーじゃね?」 ジェンがあからさまにめんどくさいと言わんばかりの雰囲気を出す。 「せめてどっちかがこっちにいてくれれば連絡取れるんだけどな。地道に探すのは大変じゃね」 表情見えないというのに、なぜこんなにも表情豊かなのだろうか。 彼女とは真反対に、顔が見えていても表情が乏しいソフィアが頬に手を当てる。 「しかも、ミィレとジェンはあんまり目立った行動はとれないわ」 ジェンとミィレが肩をすくめる。実質、クエストに関して動けるのはアルトとソフィアのみ。 「でも、ミィレはめろなと接触するんだろ。らみぃゆ達を探して、目玉を受け取ってからめろなのところへ行けばいいんじゃないのか?」 ミィレの速さをもってすれば、町中をくまなく探し回るのもそう時間が掛らないだろう。 というのがアルトの意見だった。 しかしそれは即座に却下される。 「そんなことしたら私、レイブンたちに敵認定おめでとー! ってされちゃうんだけど」 ミィレの言葉をジェンが補足する。 「わっちらは今グレーゾーンだ。味方とは言い切れないが、味方として扱われている。完全に黒の行動をとると、もう同じ関係にはなれない。そうするとちっと動きが制限されんだよ」 アルトは「そうか」とジュースを飲んだ。 その隣でソフィアがひらめく。 「そうだ、アルト、あのヤギで集合場所を伝えるのはどうかしら」 ソフィアの思いつきに、今度はアルトが首を横に振った。 「……すまん、さっきの暴走で魔力をかなり消耗しているんだ。召喚はできそうにない」 「そう。いい手だと思ったんだけれど、残念ね」 それきり、みりぃとらみぃゆを見つける案が出てくる様子はなかった。 「待ち合わせ場所を決めとくべきだったねぇ」 「いやでもあの状況でそんな頭回んねーって」 「そうね、次は気を付けましょう」 「いや、次より今だろ」 打つ手が見つからない。 イェピカの目玉が集まらなかったときのことを思い出す。 あの時も結局”とにかく頑張る”という子どものような作戦しか建てれなかった。 今回もそんな愚策しか立てられないのだろうか。 しかし、こうしている間にも時間はどんどん減っていっているのだ。 考えるだけではだめだ。動かなければ。 アルトは、行動のきっかけになるようにと話し合いの打ち切りを宣言しようと口を開ける。 「仕方ない、とりあえず――――」 しかしそれを言い終わらないうちにミィレが言った。 「じゃあ、イェピカの目玉は敵から奪う方がよさそうだね」 ミィレの予想もしていなかった言葉にアルトはきょとんとするが、ジェンは悪い顔でうなずく。 「そうだな」 「じゃあ、そっちは二人に任せるわ。一応、最初からそれも込みで裏切ったんでしょう?」 「あんま買いかぶるなよ。成り行きだって。成り行き」 「まあでも、保管場所の目星はついてるけどね!」 「ま、ま、待て。どういうことだ?」 一人置いてけぼりにされそうになったアルトが説明を求める。 「わっちらからちょこちょこ奪った分、捨てたとは思えねえ。ってことは敵が保管してると考えるのが妥当だな」 「それを奪って持っていくの」 確かに、そもそも必要だからクエストを申請したわけで。捨てることはないかもしれないが。 「で、でも。この街にあるのか? めろなたちは”ようせいのまち”に住んでるんだろ? もし持って帰られていたら……」 「レイブンとカノンはほぼほぼめろなの家に居候してんだ。だから目玉を持って帰るってことは、めろなの家に持って帰るって意味になっちゃう。めろなも用心深いし、なんかの拍子にわたしに”ちゃんと受け取ってんじゃん嘘吐き―!”って言われるの回避したいだろうから、それはないよ」 「俺たちの見張りもしてたし、宿屋を借りるならこの街のどっかのはずよね」 「そーゆーこった」 スラスラと答える三人にアルトはぽかんとした。 やがて、恐る恐る聞く。 「……でも、いいのか? それ」 なんとなく反則になるような。 「なに言ってんだよ。もともとわっちらが集めたもんだろ」 「そりゃ、そうだけど……」 「悪魔の封印具は俺とアルトが取りに行くわ。さっきの話だと、アルトは狙われてる可能性が高いから、一人にしない方がいいと思うの」 「そうだな。もしソフィアとはぐれたら、レイブンかカノンに捕まるといいんじゃね? あいつらも一応強いみてぇだし、一人よりましだろ」 「よっしじゃあ、そういう方向で!」 その言葉を合図にミィレは飲み物を持ち上げた。 ジェンとソフィアも上へ掲げる。 乾杯のように見えるが、コップ同士をぶつける様子はない。 まるで、宣誓のように手を上げている。 アルトもそれを見て軽くコップを持ち上げ、そして全員持っているコップの中身を一気にあおった。 □□□□ 店の会計を支払ったのはジェンだった。しかも全員分。 もし彼女を知っている人が、自分の財布を持ちレジに立つ彼女を見かけたなら、まず本当に彼女が彼女であることを確かめたうえで、自分の目を疑うだろう。 「くっそ、なんでわっちが」 実際ジェン本人でさえ、こうなるなんて微塵も思っていなかった。 悔しそうにおつりを受け取るジェンに、各々言いわけする。 「ミィレちゃん今お財布ないもーん」 「俺もアルトも手持ちが少なくて。イナエに帰ってくるのも苦労したのよ?」 「つーかお前らが勝手に頼んで飲んでたんだろ。私のは既に用意してあったし」 ジェンは「ぜってーあとで回収するからな……」と恨めし気に睨みながら財布を仕舞った。 「よっしじゃあ、作戦開始~」 そういってミィレは逃げるように飛び上がり、ジェンは悪態をつきながら自分の仕事をしに行ってしまった。 アルトとソフィアは宿屋を目指し、大通りを走り出した。 レイブンとカノンに見つかるかもしれないことは考えなくてもいい。とにかく最短の進路を取る。 人ごみの中、ソフィアは颯爽と駆けて行く。 対してアルトはたどたどしく人を避けながら走ったり立ち止まったりを繰り返している。 必然的にアルトとソフィアの差は順調に開いていく。 人と人の間に、ちらちらとソフィアの背中が見える。 その度に差がひらいているのがわかった。アルトからすれば、ソフィアは短距離のテレポートを繰り返しているようにしか見えない。 アルトの負けず嫌い心が触発される。 追い付いてやる。 前方に進路を頭で思い描き、爪先に力をいれ、地面を蹴ったその時、アルトの足元を黒い影が横切った。 「うわっと!?」 蹴っ飛ばしそうになった足を無理やり止めたため、たたらを踏んで前を歩いていた人にぶつかる。 「す、すいませ……」 あわてて謝ろうとして途中で顔が引きつった。 即座に踵を返すが、アルトが走りだすより早く、腕をつかまれた。 「どこいくの?」 「……カノン」 アルトがぶつかった相手はカノンだった。 振りほどいて逃げ出すことも可能ではある。 チラリとみると、ソフィアはすでにはるか彼方に行ってしまっていた。 運が悪すぎた。 否、もとより見つかって囮になることが自分の役割だ。 計画通りといえば計画通りか。 ソフィアはちゃんと宿屋まで戻るだろう。 ……迷子にならなければ。 「うわ、なんかベタベタしてるんですケド……あなた一人?」 「だったらなんだよ。私一人で充分だろ」 これも事前に用意していた台詞だ。 若干棒読みになってしまったかもしれない。 そもそも嘘をつくことが上手ではないアルトは、自分の心情が悟られないか緊張する。 「……ふーん、まあいいや。とりあえず一人確保。荷物頂戴」 騙されてくれたのか、それとも分かったうえでの反応なのかわからない。 アルトは自分の背中にダミーの荷物をわざと体の後ろに隠した。 一つ一つのやりとりをできるだけ先伸ばし、とにかく時間を稼がなければいけない。 今はここで自分に注意を惹きつけて、ひとりでも相手を減らすこともアルトの役割のひとつだ。 「簡単に渡すわけないだろ」 「もー、あんまり駄々こねてると氷漬けにするわよ?」 「できるもんなら……」 その時、彼女たちの足元をまた黒い何かがかすめた。 目線で追うと今度はその正体が分かった。猫だ。 向かうは先ほどアルトの足元をかすめたものと同じ方向。 偶然だろうか? 猫が向かった先を見つめて動かないアルトに、カノンが焦れたように手を差し出す。 どうやら彼女は猫に気が付いていないらしい。 「ねえ、ちょっと。頂戴ってば……」 「……と、取引しないか?」 「え?」 「あっちの方に移動したい。ちょっと気になることがあるんだ」 そういって、猫が向かった方向を指さす。 「確認したら荷物を渡してやるし、大人しく捕まる。どうだ?」 もしカノンが乗ってくれれば、猫たちの様子を伺うことができるかもしれないし、カノンへの時間稼ぎもできる。 隙をついて逃げて、わざと追いかけっこを誘発させてもいいかもしれないが、ついさっき禁書に操られかけた後だ。 あまり人から離れないほうがいいかもしれない。 内心冷や汗ダラダラのアルトを、カノンは呆れたような視線をじとりと返した。 「あのねえ、何を企んでるのか知らないけど、そんな手に……」 「頼む」 「えー、めろなに怒られるのアタシなんですけど」 カノンの言うことももっともだ。 しかし、アルトは食い下がった。 「そこをなんとか。お前らも面倒なの嫌だろ?」 「もお、わかったわよ」 突然、あっさりとうなずいた。 アルトが思わず「えっいいのか?」と驚くと、カノンはあっけらかんと理由を述べた。 「だって押し問答飽きちゃったし」 「……お前な……飽きっぽいにもほどがないか?」 呆れたように言うと、カノンはよく言われると返答した。 アルトとしては、願いを聞いてもらえるのだから、あまり文句は言えない。 「ま、変なことしたら、氷漬けにしたらいいもんね」 笑顔でしっかり脅しつつ、アルトの先導で細い道へ入っていった。

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