第九章 第三話「そうだな……あー、開けたくねーなー!」
アルトたちが入った道は何度か曲がり角があったが、最初はほとんど一本道だった。
少し歩いてやっと道が交差し、進む先を迷っていると、黒猫が目の前を横切っていった。
アルトはその猫の向かった方向を、壁が影になるようにそっと覗いてみた。
そこには大量の猫と、それに囲まれた二人の少女がいた。
「もー! なんなんですか……きゃっ……!」
「らみぃゆ! 私から離れちゃだめ!」
抵抗しているが二人は壁際まで追い詰められている。
「あれって……」
「え、ちょっと、みりぃとらみぃゆじゃない!」
後ろからカノンが声を上げたことで二人がアルトたちに気づいた。
「カノンさん! アルトさん!」
「た、助けてください!」
自分たちの存在をアピールするように大きく手を振るらみぃゆ。
その間にも襲い掛かってこようとする猫をみりぃがいなす。
「今助け……」
「待て」
助けを求められすぐさま動こうとするカノンをアルトが制止し、状況を確認した。
みりぃとらみぃゆは猫に囲まれている。
おそらく、目当てはらみぃゆが持っている目玉。
そして、その猫たちの多くが、
「……黒猫が多い……」
「黒猫が何? それより……」
「今、この町にいる黒猫はちょっと厄介かもしれないんだ。うかつに突っ込むと危ない。お前とレイブンだって邪魔されたことあるだろ」
前に一度、猫に襲われたことがあるカノンはすんなり理解する。
なにより、今この光景は異常事態と言うには十分すぎる。
「じゃあ、アタシが上からいけば……キャッ」
鎌を取り出し飛び上がろうとしたカノンに、猫たちが反応し飛び乗ろうとした。
カノンは慌てて浮き上がるのをやめ、鎌を盾にするようにして下がった。
「もー! なんなのよ!」
「そうだ! らみぃゆ! 光で目くらましを……!」
アルトは以前らみぃゆに助けてもらった時のことを思い出し、指示をしてみた。
しかし、らみぃゆは大きく首を横に振る。
「さっきから何度かやってるんですけど、すぐにまた囲まれちゃって……!」
「……とりあえず、一時的で良い! 今は私達がいるから、なんとかする!」
自分たちも近づけない状態では助けることも守ることもできない。
何度も光に驚かされている猫たちには悪いが、今のところそれしか方法はない。
不安そうにみりぃを見るらみぃゆ。
みりぃは力強く頷いた。
それを見てらみぃゆは両手の中に小さな光を生み出す。
「……わかりました! 皆さん、目を閉じてください!」
らみぃゆが光の玉を打ち上げた。
アルトたちはいっせいに目を閉じ、手で覆う。
まぶた越しからでもそのまぶしさが分かった。
目を開けると前とは違い、アルトにも猫たちが混乱する様子を見る事が出来た。
その混乱に乗じて、みりぃとらみぃゆはアルトたちの所へ逃げてくる。
「怖かったです……」
「ありがとうございます」
「そういうのはあとあと! 逃げよう!」
「こっちだ!」
アルトたちも彼女らと合流してから走り始める。
だがすぐに猫たちが追ってくるのが分かった。
どこへ逃げればいいか、アルトが考えていると。
「コッチ!」
決断力のないアルトに、業を煮やしたのだろう。
カノンが突然アルトの腕をつかんだ。
そのまま、カノンが先導する形になる。
後ろからは猫が迫ってきていた。
「このまままっすぐ走って!」
そう言うとカノンはアルトの腕を開放し、一気に加速した。
ミィレほどのスピードではないが細い路地を颯爽と走り抜ける。
「ひきゃっ!」
らみぃゆが転びそうになって上げた悲鳴で、アルトはようやく後ろを走るみりぃとらみぃゆに目を向けた。
なんとか踏ん張って転ぶことは回避したようだが、二人とも体力が限界のようだ。
アルトは二人を両脇に抱え上げた。
とにかく、走る。走る。走る。
後ろからは黒い津波のような猫が追いかけてきている。
数が多いだけではない。
何匹かは不自然なくらい大きい体をしている。
猫たちから前方に視線を戻したその時。
「コッチ!」
突然、前方の左側にカノンが手を上げて出てきた。
壁から出てきたような姿だ。
道があるのか、建物の入り口があるのか。
アルトは最後の力を振り絞って速度を上げた。
猫の鳴き声が迫る。
スピードの勢いを殺せず、二歩行きすぎたが、慣性の法則にあらがってカノンがいる壁の中に入った。
入り口があった。
アルト達が飛び込んだところでカノンが急いで扉を閉める。
外で地鳴りのような声が通り過ぎていくのを聞きながら、四人はそこにへたり込んだ。
「あーもー、なんだったのよう」
「あ、ありが、とう、ございます、アルトさん、カノンさん……」
「もう無理だ。走れん……」
「と、とり、あえず、しばらく隠れていましょう……」
そう言うみりぃに、全員が賛成する。
アルトはそっと扉に耳をつけてみた。
まだ外に猫はいるだろうか。
地鳴りはしていないが、猫の声は聞こえる。
「ここ、他に出口は?」
「あるけど、待って。もうアタシくたくた」
「出方を教えてくれればいい」
「ていうか、せっかく捕まえたのに逃がすと思う? てゆーか約束したよね? 様子を見たら荷物を渡すし捕まってくれるって」
そういえば自分は捕まった身だった。
アルトはがっくりうなだれる。
「そうだった……」
「はい、荷物も頂戴」
口約束ではあるものの、自分から言い出した言葉にアルトは素直に応じた。
ごく最近、口約束に屁理屈をこねたせいで、ひどい目に現在進行形で合っていることが脳裏によぎったのだ。
おとなしく持っていたダミーの荷物を渡す。
カノンは中身を確認する。
「ちぇっ。ハズレかあ。ってことは、あのオッドアイのおチビちゃんが本命なのかな……それとも……んー、考えるの飽きちゃった。とりあえずこっち。ついてきて」
彼女に言われるがまま疲労でがたがたの足を引きずってついていく。
廊下を歩いて、階段を一つ上って、一つの部屋に入った。
「はい、西瓜バーあげる」
カノンがどこからか西瓜バーを持ってきた。
それを見た途端にみりぃの目が輝く。
「西瓜バー!」
「よかったね、みりぃ」
アイスを食べるにしてはまだ少し寒い季節だが、よっぽど好きなのだろう。
西瓜の形をしたアイスの包装をはがすとすぐにかぶりついた。
カノンがアルトにも一本差し出す。
「たべる?」
「いや、私は…………うん? お前どこからそれだした?」
「そこに冷蔵庫あるわよ」
「勝手にとったのか?」
「勝手もなにも、ここ、アタシとレイブンが今借りてる部屋だもの。買っておいたのを出しただけよ」
「え。ってことは、もしかして……」
アルトが思わずあたりを見回すと、あった。
窓も扉もない壁に備え付けられた棚の下の段に、大きな瓶が二つ。
上から布をかけられているが、隙間から見えるのはどう見ても目玉。
ということは、カノンがここにいるのはまずいのではないだろうか。
と、そこまでアルトの考えが及んだその時。
扉が開いた。開けたのはジェンだった。
「あ、やべ」
思わず口から出たのだろう。
そんなことをつぶやき、そっと閉めようとする。
「いや、待て待て待て待て!」
それを見て慌てて閉まったばかりのドアを開け、二人の首根っこをつかむ。
「ぐえ、首締まるって」
「助けろよ! なに見なかった振りしてんだよ!」
抗議の為振り返ったジェンにアルトは勢い込んで聞いた。
「なんで助けねーといけねえんだよ!? わっちは敵だつっただろ!」
そうだった。今彼女は”敵役”だった。
アルトは「あっ」と呟いてジェンから手を放す。
ジェンは襟元を整えながらため息をつく。
「つーかお前捕まるの早くね?」
「い、いや、まあそれは……」
アルトがごにょごにょと言葉を詰まらせる。
その後ろでカノンが首を傾げた。
「ジェン? なんでここに? ってか、教えたっけ。この場所」
「……ああ。レイブンが教えてくれた。ちょっと廊下で話せるか。こいつらに聞かれたらまずい」
「わかったわ」
カノンとジェンが廊下に出る。
扉を閉める直前、ジェンの手がかすかに動いた。
しっしと、まるで虫を追い払うような仕草。
時間を稼ぐから今のうちに逃げろということなのだと解釈したアルトは、そっと窓に寄った。
下を見ると見覚えのある大通りに面していた。
そこからなら宿屋へ帰る道も、図書館へ行く道もわかる。
しかし自分は今一人にならないほうが良い。
なによりここに残ってカノンに言い訳をしたり、足止めをしたりする役が必要だ。
「おい、みりぃ、らみぃゆ……」
自分が囮になって、二人が逃げたほうがいいかもしれない。
問題は2階のこの窓から下へ降りられるかだが、上からサポートすればなんとかなるだろう。
そう思って二人を振り返ったその時。
ゴン、となにかが窓にぶつかる鈍い音が聞こえた。
同時にみりぃとらみぃゆが悲鳴を上げる。
ぶつかる音は一度だけではなく、あまり間を置かず連続して二度、三度。
アルトが異変に気付き窓の方を振り返ると、窓の外は夜になっていた。
そんなわけない。巨大イェピカに遭遇した時のことを思い出す。
一斉に夜は目を開いた。
それは、すべて猫の目だった。
「っ立て!」
一瞬で異常を理解したアルトはみりぃとらみぃゆを立たせた。
その後ろで窓ガラスにひびが入る。
そして、夜がなだれ込んできた。
にゃあにゃあと猫にしてはいびつな声を上げ、アルトたちに迫ってくる。
唯一の出口である扉には鍵がかかっているようだったが、アルトは無理やり開けた。
バキリと音がしたから鍵や金具は破壊してしまっただろう。
そんなことを気にする余裕もなく、みりぃとらみぃゆを押し込んで外へ出した。
しかしそこまでだった。
考えるまでもなく、自分の身まで滑りださせる余裕はない。
素早くドアを閉めると、アルトは夜の波に飲み込まれた。
一方廊下では。
「ちょっとちょっと、出てきちゃダメじゃん」
「いやツッコミ、強行突破過ぎんだろ……もっとうまくやれよ」
突然廊下に出てきたみりぃとらみぃゆにジェンとカノンが驚いていた。
だが、驚いているのはみりぃとらみぃゆも同じだ。
無理やり押し出されたものだから廊下に倒れこんで、どうすればいいのか目を白黒させている。
「鍵かけたんだけど、どうやって開けたの?」
「バキンとか言わなかったか? ……ああ、ほら。金具壊れてるぜ。無理やり開けたな」
「えー! もー、何して……」
と、カノンがドアノブに手を伸ばそうとしたその時。
みりぃがカノンに抱き着くようにしてそれを止めた。
「ッダメです!」
「わっ、もー、何よみりぃ」
「開けちゃダメです!」
「えー。なに企んでるのさ」
ちゃちな妨害にカノンはじゃれあうように笑ったが、ジェンはなにか不穏なものを感じた。
「何があったんだ?」
いまだに床に転がって目玉を抱きしめているらみぃゆにジェンが問うと、らみぃゆははっとしたようにカタカタ震えだした。
「夜に、なって。そしたら、夜が目を開いて……」
「夜? って、まだお昼だよ? ……ちょっと、らみぃゆ、大丈夫?」
らみぃゆの怖がり方に、やっとカノンも今の事態に異常を感じたようだ。
「……もしかして、黒猫?」
カノンが問うと、みりぃが小刻みにうなずきながらたぶんと呟いた。
ジェンは壊れかけの扉に耳を当てた。
「……音はないな。気配も……たぶんない。ツッコミは気配とか消すの下手そうだが、また、さっきみたいに操られてたらわかんねえし……」
「イチカバチカ開けてみる?」
「そうだな……あー、開けたくねーなー!」
ジェンがそう嘆いたその時。
ガコン、と扉が勝手に開いた。いや、正確には倒れた。
金具が壊れていたため、パタンとドミノのように部屋の中に倒れたのだ。
4人は驚いて身構える。
恐る恐る中をのぞくと、そこには猫の足跡だらけの部屋に、誰もいなかった。
「……いねえな、ツッコミ」
ジェンは頭を抱える。
「うわ。奪った目玉もない。これ、めろなに怒られるやつじゃん。ヤバーイ」
言葉のわりには、そのことに関しては深刻そうじゃなくカノンが言った。
ジェンは頭をガリガリ掻いて「めんどくせえなあ……ったく」と独り言ちた。
「……しかたない。みりぃとカノンはミィレにこのことを伝えに行ってくれ。多分図書館にいる。わっちとらみぃゆはソフィアを迎えに行くぞ」
ジェンがてきぱきと次の行動を示す。
戸惑いつつもみりぃはしっかりとうなずき、らみぃゆも小さく返事をしてジェンについていく意思を示した。
しかし、カノンだけはそれにストップをかける。
「え、それはちょっと」
「何か問題か?」
ジェンが聞くと、カノンはうーんと唸った。
「例えば、これが全部演技で、アルトって子がただただ逃げただけだったら……」
「そうじゃないから慌ててんだよこっちは」
ジェンが一蹴するが、カノンがなおも食い下がる。
「それに、バケツを持ってるらみぃゆをスパイのアンタに任せるのはちょっとなあ」
「なんだ知ってたのか」
ジェンは正体がばれていたことに、大して驚きもしなかった。
そもそも完全に信用されているとは思っていなかった為、想定内だ。
アルトが連れ去らわれることもある意味想定内ではあったが、思った以上に展開が早い。
「それに、アタシがミィレに伝える義理もないよね? 今敵だし」
冷静にして気をするカノン。
しかしジェンだけで事態の収拾は難しい。
自分一人で判断はできないし、情報共有は早急に行うべきだ。
ジェンはペロリと唇をなめ、言いくるめに取り掛かった。
「でも、らみぃゆとバケツをめろなの所に持ってったら、それでわっちらのクエストの手伝いをすることになるけど、いいのか?」
ミィレはめろなと一緒にいる。
そこにバケツを持ったらみぃゆを連れて行けば、ミィレはすぐさま、めろなに届けた! と胸を張って言い出すだろう。
そうなればもう、めろなは根負けするしか道はない。
「あ、そっか」
「だろ? ちなみにこいつらをここに置いて行ったり、わっちを連れてってもいいが、それだと連絡が取れなくなる。それなら、みりぃを人質代わりに連れて行くのがお前にとって、一番得策だと思うが」
ジェンのトークにカノンはちょっと考えてうなずいた。
「確かに。わかったわ」
無事言いくるめられた、とジェンはほっとする。
「とりあえずみりぃ、一緒に行きましょう」
「は、はい」
「らみぃゆ。走れるな?」
「が、頑張ります!」
「そんじゃま……とりあえず、この扉は見なかったってことで!」
そういって、彼女たちは扉を元通りに見えるように立てかけ、外へ飛び出した。