第十章 第二話『ドキドキやワクワクなんて、小説の中だけで充分。そうだろ?』
レイブンは小さいのににぎやかなイナエ街を、空から見降ろしていた。
商人が多く集まるこの街は、何もなくても昼頃は小さなお祭りくらいにはにぎやかになる。
その光景が楽しそうで、ついターゲットであるartの四人を探すのを一旦休憩し、仕事が終わってからの予定を立ててみることにした。
あそこのホットドッグは美味しそうだし、あの服屋はカノンが好きそうだし、ああでも、本屋や図書館の近くを通ったらめろながそこから動かなくなってしまいそうだから……。
早く今日が終わらないかな。そしたら遊べるのに。
人々の波の上に落ちている、自分のシルエットはまるで鯉のようだった。
自分のしっぽが尾びれのように見えるのが面白く、わざと右へ左へと安定させずにフラフラと泳いでみたりしてみる。
背中が太陽に当てられ暖かい。
めろなの占いでは今日は一日快晴だと言っていたから、本当に空のお散歩日和のはずだ。
そういえば人を探していたのもあり、昨日から下ばかり見ていた。
たまには青空を見ようと顔を上げる。
すると、青空に浮かぶ真っ黒の塊が目に入った。
丁度図書館の真上に浮かんでいるそれを、レイブンは最初、雨雲だと思った。
「めろなの占いが外れるなんて珍しー」
そうつぶやきながらもすぐに違和感を覚える。
見た目と良い形と良い、なんら不思議はない。
しかし、何かが変。
そう思いながらしばらくぼんやりと眺め、違和感の正体に気づく。
位置だ。
雲にしては低すぎる。
レイブンは好奇心で近づいてみることにした。
近づけば近づくほどそれは雲ではないことがはっきりしていく。
もっと密度の高い、どちらかというと液体に近い物体。
しかも少しずつ大きくなっているようだ。
「触ったら汚れそうだなあ。ベタベタしてるっぽいし」
とりあえず触れないくらいの距離から観察していると、図書館の屋根の上に人影を見つけた。
雲のような何かと同じくらい真っ黒な人影。
目を凝らすとどうやらそれは今探している人物の一人らしいと気づき、レイブンは加速して一気にその人物の目の前まで躍り出た。
「あっれー、アルトじゃん。いつの間にこんなとこまで来たの?」
気軽に話しかけるが、アルトは答えない。
とりあえず、杖以外には何も持っていないようだ。
赤い魔導書のようなものか近くに浮いている。
足元には黒猫もいた。
これで頭に三角帽子でもかぶっていれば、魔女のようないでたちだ。
レイブンは首をかしげる。
「どういう作戦? 囮なら偽物の荷物くらい持っておきなよ」
試しに軽く挑発じみたことを言ってみたが、反応がない。
レイブンはアルトとは最近知りあったばかりだが、その短い間に見た彼女は感情が豊かでミィレのおもちゃになってそうなくらいリアクションが良い。
というか、実際なっているだろう。
そんなアルトが、その虚ろな目にレイブンを映そうともしていない。
真っ黒に染まっているのは、つい昨日イェピカの目玉が爆発してその汁をひっかぶったのがそのままなのだろうか。
否、今朝見たときは洗ったのか少しマシになっていたはずだが。
「おーい? ……ちょっとちょっと、大丈夫? こんなところで気絶? カノンに凍らされてるわけじゃないよね」
と、軽く肩でも叩こうとしたその時、アルトの後ろから大きな手が現れた。
ぎょっとしている間に、大きな黒い手は拳を握る。
まるでアルトの影が意志を持ったように、拳は襲い掛かってきた。
「いっ!?」
向かってくる巨大な拳を、慌てて受け止めようとするが、勢いに押され突き飛ばされてしまった。
イナエの街には高い建物が少ないことが幸いし、何かにぶつかる前に、どうにか空中でブレーキを掛けることができた。
大したダメージも負わなかったが、どういう状況なのか飲み込めず目を白黒させる。
屋根の上のアルトは相変わらず目の焦点が合っておらず、吹っ飛んだレイブンを一瞥すらしない。
「な、なんなのさ……」
もう一度話しかけてもいいのか、それとも放っておいた方がいいのか判断付きかねていると、不意にしたから呼びかける声が聞こえてきた。
「おーい、レイブン! こっちこっちー」
下を見ると、カノンが手を振っていた。
近くにはめろなと、ミィレとみりぃもいる。
レイブンはゆっくりと旋回しながら降りて行った。
「何事なのあれ?」
アルトを指さすと、めろなが頭を抱えながら答えた。
「禁書が絡んでるらしいわ」
レイブンは「アレかぁ」と呟いて、アルトの近くに浮かぶ本を見上げた。
魔導書か何かだとは思っていたが、まさか禁書だったなんて。
下手にかかわった自分がほぼ無傷なのは運がよかったかもしれない。
「もー、ほんと、アルトって面白いことに巻き込まれるよね」
ミィレの発言にレイブンは思わず苦笑いした。
「それは、自分のことを言ってるの?」
「なんのことだかわかんなぁい」
ミィレが本気で言っているのか、わざとなのかわからない。しかし彼女ならばどちらもあり得る。レイブンは苦笑いだけを返して、視線を再びめろなに戻した。
「あの子は契約しちゃったってこと?」
「いえ、契約はまだね。多分――」
「おーい」
丁度その時ソフィアとジェンが図書館にたどり着いたところだった。
レイブンは一瞬「あっ」と漏らした。
昨日から彼女たちをここへこさせないようにと邪魔ばかりしてきた為、咄嗟に「まずい」、と思ってしまったのだ。
しかしめろなもカノンも慌てていないところを見ると、打合せの末の合流だったのだろう。
ソフィアとジェンも、なにも邪魔がなければこんなにもすぐにたどり着けるのかと拍子抜けしながらも、遠くからも見えていた屋根を改めて見上げる。
「あー、ツッコミ、めんどくせえことになってるな」
「ほんと、アルトって巻き込まれ体質よね」
そんな他人事のような、ついさっき聞いたような言葉に、レイブンとカノンと顔を見合わせて噴出した。
■■■■
アルトは真っ暗な空間で鏡に映っているかのように、自分と対峙していた。
「こ、心の中……? この真っ黒な場所が?」
『何カマトトぶってんだ。わかるだろうが』
自分に冷たく一蹴される。
こんな場所にも関わらず不思議と恐怖も混乱もなかった。
むしろ、懐かしいような、安心するような、しかし、長居をしたくないとも思う。
だからだろうか。泣きもわめきもせずに冷静に行動できていたのは。
「じゃあ、……お前は……?」
『だからぶってんじゃねえよ。わかってんだろ』
もう一人の自分は機嫌が悪そうに答える。
『私はお前だ。まさか、なんで出てきたかもわからないとかぬかすんじゃねえんだろうな』
「そういわれても、わからないものはわからない」
いつものように若干開き直ったかのように正直にそう言うと、もう一人のアルトは深く深くため息をついた。
『目をそらすなよ。なんなんだ今の体たらくは』
もう一人の自分が自分を睨みながら言う。
思わずアルトはびくりとした。
『忘れた振りをしてんじゃねえ。私は何のために一人でイナエに来たんだ』
「……別に、忘れてなんかない」
『いや、忘れてる』
もう一人の自分はきっぱりと言い切った。
『そうじゃなきゃ、今私と会ってない。ここにいない。今頃図書館で仕事して、街の方が騒がしいなと思って、事の顛末は明日の新聞で読んで知るんだ。なのに、なんで今お前はこの渦中にいる?』
「……それは、だって……」
先ほどから自分がする返答の歯切れの悪さはわかっている。
こうも痛いところをピンポイントで突いてこれるのは、本当に目の前にいるのが自分だからなのだろうか。
前提から疑おうとしていると、ふいに目の前にいた自分の見た目が変わった。
具体的に言うと、幼くなったのだ。
髪を青いリボンで二つに結っている。
おそらく、髪型からして二桁になるかならないかぐらいの年齢の頃。
アルトが戸惑っていると、幼いもう一人の自分は言った。
『あのね、秘密だよ?』
無邪気に笑う顔は、悪意なんてこれっぽっちもない。
両手を口元に当て、心底嬉しそうに言った。
『私ね、もうすぐ魔法学校に行くんだ! 将来は魔法使いになるの!』
アルトの顔色が変わる。
それは、自分で言ったにもかかわらず、朧気で、それくらいなにも考えていなかった、その言葉。
『魔法? もちろん使えるよ! 本当はお父さんに誰にも言っちゃ駄目って言われたんだけど――』
「やめろッ!」
アルトの怒鳴り声で、幼いアルトは口を閉じ、再び今と同じ姿になった。
『ルニックでの出来事は、知らなかったで済まされる問題じゃない。わかってんだろ』
「ああ、わかってる。わかってるともさ! だから私は償いの為にこの街に来たんだ」
アルトが幼い時。それこそ、年齢が二桁に上がる前の年。
両親が仕事の依頼をされ、ルニックという町に家族ごとしばらく暮らすことになった時があった。
ルニックという町は自由奔放なエレフセリア大陸の中でも異質な、閉鎖的な町だ。
高い塀で囲われ、大昔にレト王が大陸を支配していた時の名残が残っている。
そしてもっとも有名であり、ルニックの異様さが際立つ性質があった。
それは、その街では魔法と黒い生き物を忌み嫌っていること。
本来であれば魔力を持つものはその街に入ることさえ許されない。
しかし当時、その街にあった魔力探知機はお粗末なもので、開花したばかりだったアルトの魔力には反応しなかったのだ。
魔法が暴発するほど力もなかった為、家族が口をつぐんでいれば無事帰れるはずだった。
両親の仕事が終わり、ルニックを去る直前。
活発で友達の多かったアルトは、すぐに現地で友達を何人も作っていた。
アルトはその友達たちに言ってしまった。
秘密だと前置きし、自分は魔法使いになるのだと。
その街の掟を何も知らずに。
幼い故の、無知が故の過ちだった。
アルトが秘密を明かした相手もまた子ども。
どこからともなくアルトの魔力のことは、大人たちに漏れてしまった。
アルトは死刑を宣告されていた。
もちろん幼いアルトは何も知らない。
両親は懇願した。
国は両親の腕を買っており、この町の住民となり働くことを条件に子どもは追放という形で帰れることとなった。
兄とアルトが町を出る日。
両親が泣きそうな顔で言った。
「大丈夫だよ。さあ、先にお兄ちゃんと一緒に帰りなさい」
そう言って、アルトと兄の背中を押した。
兄は決心したようにアルトの手を握った。
お母さんがやさしく微笑み二人のおでこにキスをして抱きしめた。
「二人とも、愛しているわ。妹のことを守ってあげてね」
「全部任せて、ごめんな」
「大丈夫さ。僕、頭いいから。これくらいどってことないよ」
兄も泣きそうな顔をしていた。
幼いながらに、否、幼いからこそ家族の雰囲気に気づいたアルトは意味も分からず泣きそうになってしまう。
「さ、アルト。行こう」
兄が手を引く。幼いアルトは戸惑った。
「え、おかあさんとおとうさんは?」
「お父さんとお母さんはあとで追いかけるから。先に帰っててね」
手を振る両親を背に、アルトたちはルニックの町を出たのだった。
アルトがその真実を知ったのは14歳。
魔法学校の卒業を間近に控えたある日。
兄が倒れたとの報を受け、病院へ行き疲労による入院との説明を受けた。
兄の着替えなどの必要なものを取りに家に帰った時だった。
忘れ物はないか、と兄の部屋に入った時。
見つけてしまったのだ。
ルニックに残ったきり帰ってこなかった両親の手紙を。
そこで真実をすべて知ってしまった。
兄が疲労で倒れたのは自分を学校に通わせ、食べていかせるため。
両親が帰ってこないのは、あの町から出られなくなってしまったからだった。
そして、一番新しい手紙は両親からのものではなく、国からのものだった。
両親からの死亡届。
兄は一体どんな気持ちでこれを読んだのだろうか。
すべてはアルトの言葉から始まった。
自分がすべて間違えたから。
手放しに人を信じたから。
アルトは誓った。
もう誰も信じてはいけない。
誰かを犠牲にするわけにはいかない。
一人で生きていかなければならないと。
実際すぐには実行できず、卒業式の日にアルトは家で同然でイナエまで出てきたのだ。
もう一人のアルトがアルトを睨む。
『全部全部私のせいで、それはどうしたって言い訳できないし、許すことができない』