カオスパーティー 第一話 第四章 「へ、部屋! 戻してくれ!」

一人状況を飲み込み切れずにいるアルト。 他の者の冷静さを見て、もしかして自分は混乱しすぎて幻覚でも見ているのではないのだろうかという不安を覚える。 「一体、何がどうなって……」 「説明しよう」 ジェンが人差し指を突き立てた。 「あのゴリリンゴは多分薬のせいで急成長したんだ」 残念ながら、モンスターは幻なんかではなく、実際にそこにいるようだ。 自分の精神が正常なのを喜ぶべきか、それとも目の前の本物のモンスターに慌てるべきか、アルトは迷って余計に混乱した。 「く、薬? どこにそんな都合のいいもんが……」 「あの子なら持ってるのよ」 そう言ってソフィアは宙を指さした。 その先にいたのはもちろんミィレだ。 こちらに気付いてピースを送ってきた。そのまま近づいてくる。 なにがそんなにうれしいのか満面の笑みだ。 どう考えても笑っていられる状況じゃないというのに。 「なんで成長させる必要があるんだよ」 「そりゃ、ゴリリンゴの実たべたいからじゃね?」 とてもシンプルな理由だった。 リンゴは最終的にゴリリンゴという形態になる。 そのときのリンゴの実は甘く、格別においしい。 だが狩るのが困難になるため、高値で取引されていて、なかなか口にできるものではない。 おそらく、ゴリンゴを見てこのチャンスを逃す手はないと思っての行動なのだろう。 だからって今成長させなくてもいいだろうに。 「なになに、ミィレちゃんかわいいって噂? こまっちゃうなー」 照れている様子もなくそんなことをいってのけるミィレ。 「っつか、禁書は!?」 モンスター以上に危険な存在を思い出し、慌ててあたりをキョロキョロ見回す。 本はたくさんあるけども、宙に浮いたり、攻撃をしてくる赤い本は見当たらなかった。 ソフィアは肩をすくめた。 「さあ、ミィレが一番先頭だったし……」 ミィレに目を向けると、相変わらずの満面の笑みで悪びれもせずに言い放った。 「ゴリンゴと禁書だったら、そりゃゴリンゴに飛びつくよね!」 「禁書だろ! どう考えても!」 渾身のツッコミを入れていると、ゴリリンゴが雄たけびを上げた。 リンゴなら、一般人でも捕まえられるレベルに無害。 ゴリンゴだと、多少腕が立つものでないと、返り討ちに会うだろう。 そして、ゴリリンゴともなると、手練れの冒険者ですら、ただでは済まない。 本当ならすぐにでも回れ右をして逃げるのが正解なのだろうが、このまま放置しておくわけにもいかない。 「と、とりあえずあいつを止めるぞ!」 アルトは先陣を切ると、ゴリリンゴも彼女に気付き薙ぎ払おうと手を出してきた。 それをアルトが受け止め、そのまま離さず、投げ飛ばした。 ゴリリンゴの筋肉は見た目倒しではなく、かなりの怪力を持っている。 しかもなかなかの大きさだ。 普通ならばぺしゃんこになっていてもおかしくないのにもかかわらず、アルトはそれを受け流すでも、避けるでもなく、正面から受け止めた。 それを見て、三人はおーっと歓声を上げる。 「アルトってほんとに司書なのかな?」 「あんなバカ力持ってるやつ、わっちは今まで一人しか見たことねえぞ。親戚か?」 「いいなあ、俺も鍛えればあれくらいできるようになるかしら」 「お前らのんきに話してねえで、手伝え!」 ツッコミを入れると、ゴリリンゴの拳を少し押し返し、さらに渾身の拳を繰り出した。 さすがのゴリリンゴもひるむ。 アルトはその隙に、三人の近くに戻った。 「それにしても歯ごたえのありそうな敵が出てくれたわね」 オッドアイの少女は微笑んだ。 無表情がくずれる。 そのセリフを聞いて、ツインテールと白いマスクは一度顔を見合わせ、声をそろえた。 「リンゴだけに?」 「リンゴだけにか?」 「言ってる場合じゃねえだろ!」 アルトのツッコミが飛ぶ。 すると、ミィレとジェンはそんなアルトのことをじっと凝視した。 アルトが思わずたじろぐ。 「な、なんだよ」 「なんか新鮮だな」 「ツッコミ役なんていなかったからね」 アルトは困惑した。 なぜこんな状況でそんなのんきなことを言っていられるのだろうか。 それだけ場数を踏んできた猛者にしては、年が若すぎる気がする。 どう見てもアルトとそう変わらないはずなのだ。 一体この三人はどんな人生を歩んできたのだろうか。 聞きたい気持ちをこらえ、目の前の問題に気持ちを切り替えた。 「今は……」 投げ飛ばされたゴリリンゴはまた起き上がった。 やはりちょっとやそっとのダメージでは倒せない。 それを見て、ソフィアは嬉しそうに笑った。 「ええ、倒すのが先でしょ」 「ひさびさにゴリリンゴまるかじり!」 「いやいや、売ったほうがいいだろ。高く売れるし」 捕らぬゴリリンゴの頭算用とはこのこと。 ゴリリンゴはその巨大さ故、少し天井が低いらしい。 両手の平を天井に押し付けている。 どうやら天井を吹っ飛ばそうとしているようだ。 「だああああああやめろ壊すな!」 職場を壊されてはたまらないとアルトが悲鳴を上げながらゴリリンゴの足を引っ張った。 バランスをくずしたゴリリンゴが倒れ、床にひびが入る。 起き上がろうとするゴリリンゴ、それをジェンの弓矢が止めた。 細い矢のどこにそんな威力があったのか、ゴリリンゴはふたたび床に伏した。 たまに痙攣しているところを見ると、どうやらしびれているらしい。 矢に毒でも塗ったのだろうか。 だが、完全には動きを封じられたわけではないらしく、ゴリリンゴは上を飛んでいたミィレを捕まえようと手のひらを伸ばす。 ミィレはその手のひらの中に何かを落とした。 手の中にそれが落ちた瞬間。 爆発。 吹っ飛ぶ腕。 アルトが驚いていると、頭が何かで切断された。 切ったのはソフィアだ。 ゴリリンゴの立派な筋肉の体が霧になって消えていく。 頭と切り離すと体が消滅する生き物だ。 おいしい頭の部分だけが収穫できる、文字通り美味しい仕様になっているのだ。 「ゴリリンゴげっと! リンゴ酒にしよ!」 喜ぶミィレ。 「あーあ、剣が果汁まみれ……」 剣を払って鞘に納めるソフィア。 「くそ、頭に傷がついてる。あんまし高く売れねーな」 悪態をつくジェン。 「てゆーかお前ら禁書は良いのかよ……」 「多分逃げたんじゃね。また探すしかねえな」 戦闘中以上にのんきな返事をされ、アルトは「適当な奴らだな……」とつぶやきながらため息をついた。 ジェンはその場に胡坐をかいて座った。 「てかもうなんか追っかけるのも面倒になってよ。飽きた」 「それにもう魔法でテレポートくらいしてそうだしぃ」 何か言い返したいが、禁書についてはただの司書のアルトよりも、冒険者の彼女らの方が詳しい。 アルトとしてはこの場でとっつかまえてもらった方が、後々の仕事を考えると楽なのだが、この油断しきった様子を見ると、少なくとも近くにはいないのだろう。 ミィレが突然パン、と手を打った。 「そーだ! アルトも道連れにしちゃお!」 「嫌だ」 意味は分からなかったが、とりあえず即答した。 嫌な予感しかしなかった。 「それ、いいかも」 ソフィアが追い打ちをかける。 二対一。 不利な状況だが、さっきのやりとりを思い出す限り、ジェンはアルトにあまり印象を抱いていないはずだ。 仲間に入れたいとは思わないだろう。 アルトはジェンに期待のまなざしを向けたが、 「いいんじゃね。人が多かったらわっちも楽できるし」 予想はできていたが、やはり彼女に味方はいなかった。 ソフィアは無表情なのにキラキラとした瞳でアルトを見つめた。 「結構腕は立つし、足手まといにはならないはずよ」 まるで、心配しなくても貴女なら大丈夫と背中を押すかのように、アルトの手を握った。 アルトはそれを振り払う。 「嫌だっつってんだろ! そもそもそんな暇ねえよ!」 「あら、仕事はやめなくても大丈夫だよ。わたしたちも全員冒険者以外の仕事やってるもん。両立できるできる」 「だとしても断る。お前らといるとろくなことがなさそうだ」 「お前のせいでわっちらも損してんだ。ちったぁ手伝えよ」 「私のせいじゃないだろ! だいたいこいつがゴリリンゴになんて……」 「だって食べたかったんだもーん」 「とにかく、私はやらな……」 そういって、背を向けたアルトの動きが止まった。 目の前にあの本がいたのだ。 まだ逃げていなかったらしい。 アルトは反射的に、まるで虫を捕まえるかのように、本を捕まえた。 そして、唖然としている三人に差し出す。 「ほら、これで文句ないだろ!」 捕獲するときのスピードはかなりのモノだった。 まるで耳元を飛んでいた鬱陶しい蚊を叩き潰すかのような俊敏さ。 何が何でも厄介事は避けたいらしい。ある意味火事場の馬鹿力を発揮した。 なんにせよ、これで解放される。 そう思って安堵したが、そのせいで油断してしまった。 血相を変えたソフィアが鋭く叫ぶ。 「だめよ! 離して!」 てっきり捕まえたお礼か、巻き込めなかった不満でも言われると思っていたアルトはぽかんとした。 状況を飲み込めていないのはアルトだけらしく、他の三人は狼狽している。 床が光り始めた。驚いて床を見る。 そこには光り輝く魔法陣が描かれていた。 彼女は魔法を発動しようとしていない。 そもそも見たことのない魔法陣だった。 「その禁書は触った人の魔力を使って魔法を発動させるの!」 ソフィアが叫んだ。 つまり最初の竜巻は、本が彼女の魔力を使って発生させていたのだ。 たしかに魔法陣の光は、野次馬の中から見た、図書館の中で光っていた光に似ているかもしれない。 アルトは硬直してしまって本を離そうとしない。 混乱して頭の中が真っ白になってしまったのだ。 ソフィアとミィレがオロオロしていると、ジェンが苛立たし気に手を伸ばしてきた。 「こっちよこせ!」 だが、ジェンがアルトから本をひったくるその前に、魔法が発動した。 風が起こったのだ。 ただし、竜巻とはほど遠いそよ風が吹き抜けた。 四人の髪が揺れる程度。 真夏に吹き抜けたなら少し物足りないくらいの風だった。 一応竜巻のように回っているらしいそのそよ風の中、アルト以外の三人はぷっと噴出した。 「しょぼっ!」 「なにこれ。ミィレちゃんより魔力弱いんじゃない?」 「ま、まあ不幸中の幸いよね」 爆笑する三人に、アルトは顔を真っ赤にさせた。 彼女は魔力が弱い。 自覚していることだったが、そのことでここまで恥をかいたことはなかった。 「うっせー! いつまで笑ってやがるお前ら!」 怒りに任せて手に持っているものをぶん投げた。 勢いよく飛び、一直線にジェンに飛んで行ったかと思うと、突然急上昇した。 そしてそのまま窓から逃げて行ってしまった。 三人はそれを見て一斉に笑うのをやめた。 飛んで行ったのは、アルトが手に持っていた禁書だった。 本が飛んでいった窓を呆然と見つめる四人。 鳥の声がよく聞こえた。 時が止まってしまったかのように動かず、誰も声を出さない。 やがてアルトが、絞り出すような声で言った。 「……ごめん」 ひきつった笑顔を向けるアルトの方に、ミィレがとてもかわいらしい笑顔で肩に手を置いた。 「手伝ってくれるよね? にこにこ」 ご丁寧に効果音を口で言っている。 アルトはうなずくしかなかった。 そのあとすぐ、ほかの司書たちが図書館内に入ってきた。 司書たちの目に飛び込んできたのは、館内の有様と、そこにたたずむアルト。 三人はいつのまにか共に逃げていた。 ゴリリンゴのことは報告したが、禁書のことは言わなかった。 言ったらまた噂が強くなり、前以上に仕事の邪魔をされるだろうと思ったからだった。 ミィレたちが持ち逃げし損ねたゴリリンゴの頭は、役所に寄付されることになった。 この後どうなるかは、お偉いさんが決めることになるそうだ。 結局アルトは逃げた三人の分も働き、図書館を掃除した。 ひび割れた床と天井を除ききれいにすると、やっと帰路につく。 最悪なことに外は土砂降りだった。 天気予報を思い出す。 傘は使い物にならなくなっていた。 しかたなく、近くで傘を一本買ったが、宿屋の近くまで帰ってきた頃に雨脚は随分と弱くなっていた。 もう少し我慢すれば必要のなかった出費をしてしまった。 思い返せば今日はついていない一日だった。 約束を忘れ、 コップが割れ、 黒猫に逃げられ、 傘は壊れ、 挙句の果てに、しばらく図書館は休館となる。 アルトの楽しみだったあの人を眺めることも、しばらくできなくなってしまう。 あまりにも目まぐるしい一日だった。 事実は小説よりカオスなり。 アルトの大変で、どんな物語よりもカオスな日々は、まだここからだった。 「あら、アルトちゃん、おかえり。ちょうどよかったわ」 宿屋に戻ると、女将さんが箱を一つ運んでいた。 アルトが返事をすると、その箱を渡された。 運ぶのを手伝えということなのだろうか。 戸惑いながらも受け取ると、箱の中身が見えた。 それはまぎれもなく、アルトの私物だった。 「え、あの、これ……」 「それ、最後だから自分で持って行ってね」 意味が分からず、立ちすくむアルト。 「わ、私なにかしましたか、追い出されるようなこと」 声だけの少女の正体が幽霊などではなく、ミィレだとわかった今、この宿屋にとどまるのを渋る理由はない。 そもそも今追い出されても、次の宿を探し出せる自信はない。 今日は不幸なことが起き過ぎた。 そのしめくくりがまさか、宿を失うことだとは思わなかった。 オロオロするアルトを見て、女将さんはカラカラと笑った。 「追い出す? まさか。部屋移動するんでしょ? 話は聞いてるわ」 「い、移動?」 「ほら、迎えが来たわよ」 女将さんが外を指示した。 振り返るとそこには、逃げたはずのミィレ、ジェン、ソフィアがいた。 混乱するアルトだが、はた、と思い出した。 そうだった、ミィレは家賃を払いに来ていた。 つまり、同じ宿屋に住んでいたということ。移動先の部屋の察しが付くと、アルトは顔をひきつらせた。 「ま、まさか、お前らと一緒に住むことになるのか……?」 「もっちろん! 四人で割った方が家賃安いしね!」 「離れて暮らすより便利だし」 「なにより口約束だけだったからな、逃げられないようにしないとな」 女将さんはあらあらと言いながら、帳簿を付け始めた。 さすが、落ち着いている。 だが、今ばかりはちょっとだけ慌てて彼女たちの仲裁に入ってほしかった。 「他の家具は運び込み済みだから安心してね!」 ウインクするミィレに、背中がゾクッとした。 今日一日のことを思い出したのだ。 彼女たちと一緒に生活を共にするということは、つまり、今日一日が毎日続くということだ。 アルトはあわてて、女将さんのところに駆けよる。 「へ、部屋! 戻してくれ!」 「あら、ごめんなさいねえ、もう違う人が入っちゃうの」 アルトはピシリ、と固まった。 救いも逃げ道もなくなった。 一人で生きていくという決心はその日初めて会った他人にあっけなく壊されてしまい、抵抗する気力を失ったアルトは、素直に三人についていく。 持っている箱の一番上には壊れた目覚まし時計が無造作に入れられていた。 もし、今朝これをたたき壊さず、カルとの約束に遅れなかったら、ここまでの事態になっていなかったのだろうか。 一瞬そんな考えが頭をよぎる。 些細な失敗を嘆けども、もう遅かった。 アルトはカオスな日常につかまってしまった。 外の雨は止んでいたが、遠くで雷が鳴る音が聞こえた。

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