カオスパーティー 十一章 第一話「……ちょっと違う。考え直すんだ」
一人で生きていくと決めていた。
誰の力も借りず、自分の力で生きていくと。
二年前、イナエ街に越してきたときからアルトのその決意が揺らいだことはない。
一人で生きなくては。
誰にも迷惑かけずに。
全部ひとりきりで、できるだけ人に迷惑をかけないよう、関わらないように同じ毎日をただひたすら繰り返すことに努めていた。
自分一人で何もかもができると、謙虚を纏った奢りが脳に巣くっていた。
否、しなければならないという、使命感に似た脅迫観念という方が近いかもしれない。
それが、自分の精いっぱいだったのに。
いきなり一緒に暮らしたり行動する人が、ぽんっとできてしまった。
もう一生できないと思っていた存在が。
いじられたり、からかわれたり、一緒にパフェを食べに言ったり、口喧嘩したり、押し付けあったり、騙されたり、挨拶やおしゃべりをしたり。
そんな相手がまたできるなんて、想像していなかった。
本当にめちゃくちゃだった。もう全部が全部パァだ。
彼女たちに行動に、何度頭を抱えた事だろう。
何度一喜一憂しただろう。
それは、まるで物語の登場人物になったのようで――。
『なんなんだよ、さっきの!』
気が付くと、アルトはまた暗闇の中にいた。
目を開けるとほぼ同時に胸倉をつかまれ、怒気に満ちたもうひとりの自分の顔が間近に迫る。
アルトはただもう一人のアルトを見つめ返した。
「何って。お前と意見は一致したろ。あいつらの敵になるって」
『ああ、”台詞”は一緒だったさ。でも、他は全部違うだろ』
「半分は一緒だ。ただ、あいつらが勝ったら……」
『今までの罪を全部なかったことにするってか!?』
アルトはゆるゆると首を振った。
「……ちょっと違う。考え直すんだ」
『何を考え直すっていうんだ!』
「全部だよ。罪滅ぼしの仕方も、兄貴への償い方も、生き方も」
『考えるまでもない! すべて変える必要のない事だ! 今までそうしてきたじゃねえか。これからもそうしていくだけだろ!?』
「本当にそれでいいのか?」
その問いにもう一人のアルトは鼻息を荒くした。
『そうだ! 間違ってない! もう誰に迷惑にならないように一人で生きた。もう誰も気付付けないように距離を置いた。すべてが解決するよう禁書に願った!』
心の中らしいこの黒い世界では、声を出す度、息をするたびに水泡がこぼれ、上へと昇っていく。
そんな特性もあり、まるでもう一人のアルトは溺れているように見えた。
「全てが間違っていたら、どうする。他に方法がったら……」
『じゃあどうしろってんだ!』
アルトの言葉を食うようにもう一人のアルトは叫んだ。
それは本心からの叫びだった。
正解があるのなら、他に道があるのなら教えてほしい。
視野が狭くなってしまった自分にはそれを見つけられなかった。
そんなものが本当にあるのならば。
アルトはそんなもう一人の自分を見て、一呼吸置いた。
そして、ゆっくりとした口調で自分の言葉を紡ぐ。
「あいつらを信じて、あいつらと一緒にいる覚悟をする」
アルトとしてもそれが正解なのかはわからない。
そんなものないのかもしれない。
でも、彼女たちと一緒にいて、たくさんの人と出会えば何かが見つかる気がするのだ。
『……信じる? 信じるだと? 言うに事欠いて信じる?』
もう一人のアルトの顔が険しくなる。
『本気で言ってるのか? 私が何度も警告してきたのに!? 冗談だろ!』
それはこの二年間を全否定することだった。
否、それより多くの自分自身のことを否定している。
もう一人の自分が受け入れられないのも当然だろう。
さっきまでのアルトだったなら言い訳をしていた。
でも、今度は違った。
「本気だ。あいつらが勝ったら、私はあいつらの仲間になる。もう逃げない。最後まで付き合う。……それの、何が悪い?」
いつものアルトのように理不尽に、開き直ったのだ。
あんまりにもはっきり言うものだから、もう一人のアルトは一瞬たじろいだ。
まるでさっきと態度が逆だ。とアルトは思った。
『忘れてないんだろ? あの時。私が手放しで人を信じるような奴だったから、だから……』
「それはそれ、これはこれだ。混合すべきじゃないんだ。あいつらはあいつら何だから」
今の自分の考えが大きくなったから、もう一人の自分の考えは小さくなったのかもしれない。
きっと二人に分裂するぐらい自分の頭の中はぐちゃぐちゃだったのだ。
あいつらのせいで。
そう思って思わずふ、と笑うと、もう一人の自分は手が白くなるほど拳を握り締めた。
爪が食い込んで血が出そうだ。
その手に気を取られていると、もう一人のアルトが小さくつぶやくように言った。
『……許さない』
え、と聞き返すより早く、押し倒される。
アルトは床も底もない空間に組み伏せられた。
『絶対に許さない。たとえ父さんや母さん……兄貴が許したとしても、私が絶対許さない!』
もう一人のアルトが、アルトに馬乗りになり、首に両手を当てた。
『自己責任だつったな!』
指先にこもる力は全力ではない。
しかしそれは首を折らず気管を潰すくらいの力加減だった。
すぐに楽にしてなるものか。そんな意志が指から伝わってくる。
『だったら”私”が責任取ってお前を殺してやるよ!』
興奮しているもう一人のアルトは、顔を真っ赤にしていて冷静さは欠片もなかった。
アルトの首をさらに締め上げられる。
アルトはそんなもう一人の自分を見上げて思った。
――嗚呼。やっぱり。
□□□□
現実のアルトは、禁書との仮契約後、店の前に突っ立っていた。
「で、あんだけ派手に光った割に、動かなくなったし。こいつ電池で動いてたのか?」
「禁書もどこかへ行っちゃったわね。これって待っておくべきなのかしら……」
ソフィアは頬に手を当てながらアルトを見つめる。
今アルトが真ん中で突っ立っている通りは、メインストリート程はひとけがないが全く人が通らないというわけではない。
何事なのかとちらちらと遠巻きに彼女たちを眺めては通り過ぎて行っている。
街エレフセリア大陸では毎日何かしらの奇妙なことが起こっている為、自分の命にかかわらない多少のことは皆、日常と錯覚してしまうのだ。
もしくは厄介ごとに関わりたくないのかもしれない。
首を突っ込むのはよっぽどのもの好きが暇人くらいなものだ。
「……アルト、仮契約しちゃったわね」
「そうだな。っていうか、仮契約でも罪になるんだったか?」
ジェンがふと疑問を口にする。
禁書との契約は重い罪になる。
しかし、仮契約はどうだっただろうか。
「仮、なんだし未遂みたいなもだったけか?」
「いえ、契約は契約だったはずよ」
「ってことはついにツッコミ前科持ちかー」
「ああでも、禁書との契約って別に印が出るわけじゃなくて、契約によって騒ぎを起こしてからの現行犯逮捕しかされてなかったはずよ。噂では契約して生き延びた人がそれなりにいるんだけど、捕まってない人がほとんどなんだとか」
「へー。なんか色々ずさんなんだな」
確かに願い方によるかもしれないし、万が一内々で解決できてしまった場合、そのまま口を閉ざしてなかったことになった事件もあるのかもしれない、とジェンは思った。
そんな会話をしていると上から不満そうな声が聞こえてきた。
上空から禁書を捜索していたミィレが帰ってきたのだ。
「ちょっとー! 禁書発見したんだけど!」
発見したにしては怒ったような声と表情をしている。
「どこにいたと思う!? 図書館の上よ!」
その言葉にジェンも眉を顰める。
「げっ。まーたあそこまで戻らないといけないのか? めんど……」
「ほんとよもぉー! 退屈しないのはいいけど、ちょっと休憩させてよね!」
「でもミィレなら往復だってすぐじゃないの?」
「そうだけどぉ。意味もなく行ったり来たりはしたくないっていうかぁ」
ミィレは両手の拳を上下させた。
たしかに無闇に追いかけてもただの行ったり来たりを繰り返すだけになりそうだ。
すごろくで振出しに戻る、を引いた気分になった三人はうんざりとした様子でため息をついた。
そしてジェンがこういった。
「もういいんじゃね? お互い休憩タイムってことで」
その提案はすんなりと受け入れられ、三人は近くに腰掛けて突っ立てるアルトを眺めることにした。
「あの雲も落っこちても消えてもないし、猫さんたちはどこへ行ったのかな?」
「さあ。どっかで見張ってるんじゃね?」
「そういえばお店の人たちはどうしたの?」
ソフィアが問う。
先ほどここに来たときは普通に開店しており、客もいた。
それなのに今は無人だ。店員すらいない。
「危ないから逃げろ、でごり押した」
「えっそれだけ?」
シンプルな方法にソフィアは目を丸くした。
「割といけたぞ。二人で血相変えて、逃げろ! いいから、とにかくさっさと行け! って」
「ミィレちゃんが通りに一個爆発薬を投げたのも効いたっぽい。いつかのテロと思ってくれたのかも」
そう言ってミィレはその爆発薬が入っている瓶を持ってペロリと舌を出した。
「そういやあのテロリスト共、捕まったらしいな」
「らしいわね」
ソフィアは人ごとのように相槌を打つ。
「でも、そんなにシンプルだったんなら、あんまり効力ないわね」
「あー、確かに。もう少ししたら店員とかが戻ってくる頃じゃね?」
「その前に逃げるつもりだったんだけどねー。まさかアルトが動かないなんて」
「もうこいつ置いてくか?」
「そうね……アルト眺めてても退屈だし……」
ソフィアさえもが頬に手を当てて迷っていると、隣でミィレがなにやらごそごそとしているのに気付いた。
「? なにしてるの? ミィレ」
ソフィアが尋ねると、ミィレは顔をあげた。
手にはどこから取り出したのだろうか、ショッキングなピンク色の液体が入った瓶。
いたずらっ子のように、にやっと笑う。
「これね、前にアルトとわたしがくっついちゃったくっつき薬。これで、今のうちにアルトと地面を……えい!」
ミィレは狙いを定めて、アルトの足元目掛け瓶を投げた。
すると、アルトの背中から黒いこぶしが現れ、瓶を弾いた。
「ありゃ」
瓶はミィレの髪をかすめ、後ろの方でパリンと音が鳴る。
後ろを振り向くと、瓶は割れ店の前にあった樽と地面にねばっとこぼれていた。
これであの樽はしばらく地面から持ち上げることはできなくなっただろう。
ミィレとジェンが樽から視線を戻すと、いつのまにかソフィアがレイピアを抜き放ち、アルトに向かって突っ込んでいっていた。
黒い手は当然彼女を迎え撃つ。
レイピアの突きをパーで防ぎ、そのままソフィアを握りつぶそうと指を曲げる。
ソフィアはその前に後ろに飛んだ。
黒い手は握った拳をそのままに、今度はソフィアをつぶそうとするようにドシンドシンと地面を揺らす。
ソフィアが一定距離まで下がると、黒い手は追ってこなくなった。
「駄目ね。防戦一方で、攻撃してくれない」
黒い手の動きを冷静に分析して、レイピアを鞘に納めた。
「じゃあ挑発でもしてみるか?」
そういって、いくつかアルトが反応しそうな"ボケ"をかましてみたが、彼女はうんともすんとも言わず、小突いたり攻撃してみようとしようものなら、黒い手が盾として働いた。
ミィレは口を尖らせた。
「つぇー。なんにもできなくてつまんなーい! ミィレちゃん帰っていい?」
「しょうがないわ。アルトはひとまず置いておいておきましょう」
「やっぱ先に禁書狙った方がいいのかな?」
「なるほど、ツッコミがこの状態なら、逆に禁書は手薄かもしれないな」
「そうね、それにアルトは今用心棒ですもの。あちらをつっつけば動くかもしれないわね」
なんてミィレと話をするソフィアの様子に、ジェンが首を傾げた。
「それにしても、意外だな、ソフィア」
「え?」
「もう戦っていいって状況だから、もっと狂喜乱舞するかと思ったが」
「あら、狂喜乱舞していいの?」
真顔で言うソフィアは本気にしか見えない。
「まあ、嬉しいのは確かなんだけれど、俺は全力のアルトと戦いたいのよね。今のあの子は迷いがあるから、なんか手加減されてるみたいで嫌なのよ」
だが本人は冗談のつもりだったようだ。
「あ、そ」
ジェンの相槌は実がこもっていない。
理解はできないし、そもそもしたくないようだ。
「あれ?」
突然ミィレが声を上げた。
二人はそれに反応して彼女の視線の先を見ると、ぴょこぴょことモンスターのレモンが飛び跳ねながらやってきているところだった。
「レモン? なんでここに?」
「そういや、あいつらが取り逃したとか言ってたな」
「あいつら?」
「あー、えっと……ほら、この店でパフェ食った時――」
ジェンの説明を聞きながらそのレモンを目で追っていると、レモンは途中樽にぶち当たった。
樽は多少破壊されたがびくともせず、レモンだけが後ろに吹っ飛んだ。
「あらら。倒れて逃げるはずの力のダメージも全部負っちゃったわね」
ぶつかったのはミィレのくっつき薬で地面に固定された樽だった。
ふっとばされたレモンは目がないながらに目を回しその場に倒れる。
ミィレはそれを真面目に見つめて、やがてつぶやいた。
「……ひらめいた」
「え?」
「? なにをだ?」
ハテナを浮かべるソフィアとジェンを放っておいて、ミィレは自分の持ち物を点検し始める。
「うん、うん。全部あるね。ミィレちゃん天才!」
大きめの独り言を言い終わると、すっくと立ちあがった。
「ちょっとめろなの所行ってくる!」
「あ、おいミィレ! ……行っちまった」
ミィレを目で追いきれなくなった時、後ろから声を掛けられた。
「あの……先程のは……」
服装からしてそれはこの店の店員だった。
どうやら様子を見に戻ってきたらしい。
「ミィレ、逃げたな……。もう米粒みてーに小さくなってやがる」
ジェンはそう呻いてどう誤魔化して逃げるかの算段を頭の中で付け始めた。
□□□□
図書館の外でめろなはふう、と息をついた。隣にはレイブンがいる。
「確認するわよ」
「はいはーい」
「魔法陣に問題はなし」
「ないね!」
「聖水に浸したラベンダーは?」
「カノンが凍らせて言われた場所に置いてきてると思う」
めろなはレイブンと話しながら手元のメモにチェックを入れていく。
「ほうき星のかけらは、リカラベの花びらと混ぜて、シャボン玉の水薬に溶いて、私が撒いたからこれはおーけー……。あと今回は蜜柑も必要だったわね」
「蜜柑はさっき買ってきたよ。はい」
「ありがとう。……あとはカノンが返ってくるのを待つだけね。まだ時間があるのなら魔法陣のチェックをもう一度しようかしら。レイブン、あとで私を連れて飛んでもらえる?」
「もー。人使いが荒いなあ」
レイブンが苦笑いし、ひと段落付いためろながぐっと背伸びをした。
屋根の上を見上げる。
相変わらず雲のようなイェピカの液体は屋根の上に浮いていて、黒猫が一匹それを見上げるように座っていた。
まるで置物のように微動だにしていない。
そして、先ほど様子をうかがった時とは違う点が一つあった。
「禁書、またこっちに戻ってきてるわね。まったく、ミィレ達はちゃんと動いているのかしら」
「呼んだ?」
目の前に突然、逆さ向きの顔があらわれた。
「きゃあ!?」
予想外に、めろなは盛大に驚いてしりもちをついた。
「やっほーめろなん」
「み、ミィレ……あんたっていつも好き勝手するわよね! 登場くらい普通にしなさいよ! 驚いたじゃない!」
「あははは! めろなってホント驚かしがいがあるよね!」
ミィレは笑いながら頭を上に戻して降りたった。
「ヤッホーミィレ」
「やっほーレイブン! 二人でおサボり中?」
めろなの顔がうんざりしたものに変わる。
「貴女と一緒にしないでくれる」
めろながじとりとした目で睨んだ。
ミィレはそれに負けずにニコニコ笑っている。
「上から見たよ。なんか変な落書きしてるね」
「落書きじゃなくて魔法陣! ……まったくもう……」
いつも通りミィレのペースに巻き込まれっぱなしである。
ぶつぶつ言いながら、めろなはゴホン、と咳払いをした。
「こっちの準備は万端よ。あとはタイミングを待つだけ。そっちは? あの子はどうにかしたの?」
「おかえりカノン!」
ミィレはめろなの話を無視して、丁度帰ってきたカノンに元気よくあいさつした。
挑発を無視されてしまっためろなは「ちょっとミィレ私の話聞きなさいよ!」と怒り、予想外の人物からお出迎えされたカノンはきょとんとして首をかしげた。
「あれ、ミィレがいる。ただいまぁー」
「まったくもう……カノン、ちゃんと仕事したんでしょうね」
めろなが腰に手を当てながら言うと、カノンはピースをした。
「もちろん、飽きる前に終わったよ!」
「それならいいけれど。……で、結局そっちはどうなの? ミィレ」
めろなが気を取り直してミィレに聞いた。
ミィレはにやりと笑う。
「んーとねぇ」