第二話 第二章 「そ、そうなのか……大変……だったな」

「それより、話し合いはいったん帰ってからにしましょ。これ以上ぐずぐずしている時間はあまりないわ」 突然ソフィアが急かしだした。 なにやら周りをキョロキョロと警戒している。 ミィレとジェンはそんな彼女の態度を見て、役所の中にある時計を覗き込んだ。 するとそれもそうだなと言って、急に真面目な顔つきになる。 一体誰のせいでこんなところでぐずぐずする羽目になっているのだか。 とアルトは思いながら、首を横に振った。 「嫌だ、私はあそこへは戻らない」 昨日、誘拐されるかのようにあれよあれよという間に連れていかれた宿屋を思い出す。 今度そこへ入ってしまったら最後、出てこれないような気さえした。 踵を返すように歩き出すアルトをソフィアは引き留めた。 「でも、アルトの道具は全部宿屋にあるのよ?」 「必要なのはまとめたから、あとは全部くれてやる」 持ち金と、最低限の着替えなどはリュックに詰め込んでいた。 残した家具はもったいないが、背に腹は代えられない。 「マジで!?」 素直に喜ぶジェンにアルトは思わず拳を落とした。 だが、それは空を切る。 ジェンが後ずさりしたのだ。 「なにやってんだよ、いきなり下がったら危ないだろ」 むしろ避けない方が危ないが、自分のことは棚に上げてそう言った。 だが、よく見るとジェンだけではなく、ソフィアとミィレも後ずさりをしていた。 既視感を覚える。 そう、ちょうど昨日。 アルトに向かって戦闘態勢になったかと思った三人。 だが、実際はアルトの頭上の禁書に警戒していただけだった。 そのことを思い出したアルトは、まさかと思い振り返る。 そこには禁書ではなく、少しの産毛のようなものが生えてるだけの寂しい頭があった。 中年の人間の男性だった。 「なんだ、来ていたのか」 分厚いメガネのレンズ越しに見下すように彼女たちに目を向ける。 「クエストを受けたのか?」 「あー、いえ……」 ソフィアが否定するようなそぶりを見せると、そのハゲは眉間にしわを寄せた。 そして心底呆れたかのような、イライラを吐き出すかのように長いため息を吐く。 「受けてないのか。以前から言っているがね、何事も計画を立てて、仕事をしないと身につかないんだ。特にこんな仕事だ。働いてなんぼだろう。私が若い頃はだな……」 突然の説教が始まった。あまりにも突然すぎてアルトは目をパチクリさせる。 それにも気づいていない様子で、そのハゲ散らかした男はネチネチした言葉を連ねて小言を続ける。 その内容は、彼の過去の栄光や、彼女たちの今までの失敗や怠惰な態度の話。 元々の話が薄っぺらいのだが、大げさに表現しているせいでそれはさらに薄っぺらいものに聞こえた。 アルトは思わず眉をひそめたが、他の三人は慣れた様子で話の内容を左の耳から右の耳へ通り抜けさせて適当に相槌を打っている。 時折、顔を近づけて聞いているか確認してくるたびに彼女たちは顔をしかめた。 「じゃあ、早く仕事をしろ」 指示をされ、しぶしぶサクのいる役所の中に戻った。 ドア越しからそれを見ていたらしいサクが苦笑いしながら用意してくれていた紙の束を渡してくれた。 チラリと様子を伺うために振り返ったが、ハゲは扉近くでじっとこちらを睨んでいる。どうやら彼女たちが仕事を受けるまで帰してくれそうにない。 仕方なく紙の束を四人で手分けして見ることになった。 空いている机を借りて、その真ん中に紙の束を置く。 「あーもー、早く帰ればよかった……」 けだるげに突っ伏したのはミィレだけじゃなかった。 アルトも関係ない事態に巻き込まれうんざりした様子で机にうなだれていた。 「なんで私まで……」 「諦めて。アレは人の話なんて聞いてくれないんだから」 ソフィアは相変わらずの無表情で一枚一枚丁寧に目を通していた。 彼のことを"アレ"と表現していることから、あまり良い印象を持っていないことが伺えた。 それは他の二人の表情からも伝わってくる。 「簡単なの受けてさっさと帰ろうぜ……」 ジェンはいくつかの紙を手に取りながら言い、ミィレとアルトもそれにならってしぶしぶ紙を数枚手に取る。 アルトはその紙が一体どういうものかイマイチわかっていなかったが、とりあえず数枚目を通してみた。 依頼内容、報酬、期限など記されていることから、それが俗に言うクエストというものだということは理解できた。 依頼主は企業や国、街、それにアルトはあまり利用したことはないが、民間からの依頼もかなり見受けられる。 「なんだこれ。モンスター討伐とかはわかるが、おつかいに、ペット探しなんていうのまであるじゃねえか。便利屋かよ」 アルトが呆れ気味につぶやいた。ソフィアは肩をすくめながら少しだけ眉を下げた。 「ま、似たようなもんだな。クエストを受けるのは冒険者が多いけど、そうじゃない人も、小金稼ぎとして受けることも多い。人の欲望っていうのは尽きないもんだし、人によってさまざまだから、内容はピンからキリまである」  よどみなく説明してくれていたジェンが唐突に舌打ちをした。 「くそ、報酬がどれもシケてんな」 「報酬より面白そうなのがいいわ!」 ミィレの反論にそういう基準で選んでいいのかよ、とアルトは思わず口元を緩めた。 彼女にとって同年代くらいの女の子とこういったおしゃべりするのは久々のものだった。 少し楽しい、と思ってしまった気持ちを慌てて押し込む。 流されてやっぱり仲間になるなんてチャチなオチは嫌だ。 そんなアルトのわかりやすい表情を見ながらソフィアは口を開いた。 「こういうのは早いもの勝ちなのよ。アルトが気に入ったのをこの二人より早く見つければいいわ」 「だから、私は関係ないんだって……」 ブツブツと言いながら、自分の持つ書類に目を落とす。 だが、その類の書類を見たことないアルトとしては、何をどう基準にすればいいのかわからない。 人並みにモンスターの知識はあるが、それだけだ。 特にきちんと司書という定職に就いたアルトにとってはクエストというアルバイトのようなものは必要ないし、縁のない代物だったのだ。 ついこの前までは。 「それにしても、色とか、星とか……。なにか意味があるのか?」 文字は読めばわかる。 だが、どう考えてもある規則に従っているようにしか見えない紙の色や、並んでいる星マークは訳が分からなかった。 ミィレが何枚か紙を見せながら説明をしてくれた。 「星は難易度ね。モンスターの強さとか、街との距離とか、そういうので役所が割り振ってるの、  星一つが比較的簡単なのでー、いっちばん難しいのが星五つ」 「なるほど、一つの指針ってわけか。そりゃそうだよな。私みたいな初心者からしたら、どのモンスターが強くて、どのモンスターが弱いとかわかんねえもんな」 たしかに、モンスター退治などの依頼には星がいくつか並んでおり、おつかいのようなものには星の数が少ない。 「色は、種類だね。  例えば、この白色はおつかいとかの、戦闘を必要としないクエスト。  青はモンスターを相手にする奴で、  緑は人を相手にする奴。お尋ね者とか、盗賊とかの討伐が多いかなあ」 「この赤いのは? 一枚しかない」 アルトは紙の山にある紙を一枚引っ張り出した。 「あ、いいのめっけ! お願いしまーす!」 突然説明をぶった切ってミィレがサクに一枚の紙を手渡した。 紙の色は青。 どうやらこのクエスト選びはミィレが勝ってしまったらしい。 しかし、今のタイミングはあまりにも唐突で、不自然だった。 都合の悪いことを聞かれたから話をそらしたと思えても仕方がないが、ミィレのことだから 説明に飽きたとか、本当にいいクエストがあったからそっちを優先したのだろう。 その理由の方が彼女らしい。 サクはそれを受け取った。 「これね、えーと、詳細の資料は……はい、これ」 同じ青色のファイルから、なにやら紙を数枚引き抜くと、ミィレに渡した。 ミィレはそれをくるくると丸める。 「よし、お仕事決めたし、早く帰ろ!」 そういうとさっさと役所を出てしまった。 ジェンとソフィアも肩をすくめてそれに続く。 アルトもあわてて追いかけた。 横を通り過ぎるとき、チラリとハゲの男を見たが、目が合ってしまい、思わずすぐにそらした。一瞬だったが、その目にはなにやら哀れみが混じっていた気がする。 しばらく歩いて役所から離れたところで、四人は一斉に息を吐き出す。 文字通り息を詰めていたのだ。 「あー、最悪。やっぱ午後に来た方がよかったんじゃね?」 「ジェンの言う通りかも」 ソフィアの無表情も、ぐったりと疲れ切っているのがありありと現れていた。 だが、ミィレは二人の考えに首を振った。 「午後も出現率はかわらなかったじゃない。残念なことに」 彼女たちも、以前散々試行錯誤をして彼がいない時間帯を探ったのだが、神出鬼没らしく、残念ながらその規則性を探り当てることはできなかった。 最近じゃ、 しこたま警戒してあたりを観察したり、 役所から出てきた他の冒険者に聞いたり、 サクから情報を聞いたりしてできるだけ避けるようにしていた。 今日はあらかじめサクから何時ごろ帰ってくると聞いていたのだが、アルトが予想以上に目覚めなかったうえぐずったため、遭遇してしまったようだ。 運が悪かった。 「ってかなんなんだよあいつ。感じ悪い」 アルトが顔をしかめながら言った。 特に最後の視線はいただけない。 巻き込まれて憐れまれるのはわかるが、そこまで露骨な表情をする必要があるのだろうか。 さすがに不快感を覚えずにはいられない。 ミィレはぐっと背伸びをする。 ついでに自由を確認するかのように羽根をニ、三回羽ばたかせた。 「わたしたち不真面目だから目の敵にされてんのよねー」 「俺たち、副職で食べていけるから、率先的にクエストとかしないの。そのせいかしら」 「しかも、レッドリストに載ってるしな」 理由は多々あるようだが、最後のジェンの発言は聞きなれない言葉だった。 「……レッドリスト?」 アルトはオウム返しにその単語をつぶやく。 赤い名簿。 赤と言えば先ほど説明をしてもらえなかったクエスト用紙の色も赤だった。 「説明はあとでまとめてするからさ、とりあえず帰ろうよ」 「そんなこと言っても、まずは仕事しなくちゃ」 「大丈夫! ちゃーんと期限が長い奴選んだから、明日から本気出しても大丈夫だよ!」 ぐっと親指を立てながら、サクから受け取った資料を見せびらかすようにぴらぴら振った。 一応ちゃんと考えて選んだらしい。 「ってか、どんなのにしたんだ、ミィレ?」 「戦闘はある?」 ソフィアとジェンが依頼書に注目する、その瞬間をアルトは見逃さなかった。 ゆっくり後ろに後退し、さっと路地裏に体を押し込むと、全力でダッシュした。 すぐに彼女たちの声が聞こえなくなったが、油断できる相手ではないため、速度を落とさなかった。 とりあえず人ごみに紛れ込んだ。 昼に近いイナエの商店街は人でごった返している。 その中に入れば、規則性のない上に常に配置を変える本棚から一冊の本を探し出すようなものだ。 そう簡単には捕まらないだろう。 人の流れに逆らわないようにして歩きながら今後のことを考えた。 まさか実家に帰るわけにはいかない。 セレンにカルという友人のあてもあるが、今やっている仕事をやめるつもりはない。 誰かの名前を呼ぶ声、 商人たちの声、 値切る客の声、 赤ん坊の泣く声。 それらが容赦なく耳から頭に入ってきて、思考を邪魔する。 混乱や焦りもあり、余計にいい案が浮かばない。 イナエでちゃんと交友関係を作っておくんだったと、今更ながら悔やむ。 そうすればもうすこし抵抗の手段があっただろうに。 後悔を振り払うように歩いていると、なにやら泣きそうな顔の女の子とすれ違った。 一瞬だったが、誰かを探しているらしいことはわかった。 迷子なのだろうかと思ったその時。 通りの向こうの方で爆音が聞こえた。 驚いているとなにかが降ってきた。 雨ではない。 それは、石や木片。 鈍い音を立てて人にぶつかる無機物はおそらく建物の一部だったのだろう。 「爆破テロだ!」 誰かが叫んだ。 アルトの目の前に人の腕まで降ってきた。 絹を裂くような女性の悲鳴。 泣き出す子ども。 先ほどとは違う騒々しさ。 誰もが押しのけあうように逃げ出し始めた。 アルトがなんとか倒されないように踏ん張っていると、人ごみの隙間から先ほどすれ違った迷子の女の子が見えた。 地面に手をついてしまっている。 いつ踏まれても、瓦礫に押しつぶされてもおかしくない状況。 いつもなら自分のことでいっぱいいっぱいで見逃すか、無視している。 だが先ほど交友関係や人脈の大切さを知ったアルトとしては、見過ごすことができなかった。 流れに逆らって、人に押しつぶされそうになっているその女の子の腕をつかみ、どうにか壁際に引っ張った。 女の子を壁に寄りかからせると、自分は盾になるように壁に手をついた。 これならば道の真ん中にいるよりはマシだ。 「大丈夫か?」 突然現れたアルトに驚いてまん丸の瞳をさらに見開く。だが、その目からはすぐ涙がこぼれ始めた。 「あの、あの、友達とはぐれてしまって、道にも迷っちゃって」 すがりつくようにアルトに事情を説明する。頼る人がいなかったのだろう。加えてこの騒ぎだ。心細くなるのも仕方がない。 その少女が話すのを聞きながら、アルトは気づいてしまった。 真っ赤な首輪。 へそを出す、絶対にアルトにはできないファッション。 そして背中に生えている細い羽根。 確信する。間違いない。彼女はミィレの知り合いだ。 「そ、そうなのか……大変……だったな」 自分から声をかけた手前、冷たくあしらうこともできず、目を泳がせる。 とりあえず、この騒ぎが収まるまで保護するしかないかと思ったその時。 横から拳が飛んできた。 痛いが吹っ飛ばされるほどでもない攻撃に驚いて頬をさすりながら拳の主を見る。 「らみぃゆ、大丈夫!?」 彼女はその泣いている女の子を背にかばうように立って、アルトに拳を構えていた。 呼び捨てで呼んでいるあたり、仲がいいのだろう。 正義感の強そうな瞳は、らみぃゆよりも青みがかった緑色をしている。 そしてやはり、ヘソが出ている露出の多いファッションと、赤い首輪。 羽はないけど、彼女もやはりミィレの知り合いだろう。 でなければ、最近はこういうファッションがはやっているのだろうか。 できれば後者であってほしいが、都合のいいように考えていたら後手に回ってしまうだけだ。

前の話|短編メニュー|次の話