「異世界の酒場での話」

人の声、グラスがぶつかる音、水の音、木のイスがきしむ音、 喧騒のバックにはかすかに陽気なピアノの音が聞こえる。 それらの音を越える注文の声があちこちから上がり、 大きなグラスを片手に五つ、両手で十も抱えた少しふくよかな女将さんがそれに答えた。 騒々しいその建物の中でもよく通る、威勢のいい声だった。   どこにでもあるようなただの酒場。 その独特な熱気や雰囲気は慣れ親しんだ者にとってはとても落ち着く空間だろう。   その世界中のいろんな音を集約したように煩い空間で、一人の女性が飲んでいた。 向かいの席が空いているところを見ると、人を待っているようだ。 様子からしてかなりの時間待たされているらしい。 時折、店の時計と自分の時計を見比べては、時間が間違っていないかを確認している。   テーブルの上にはまだアルコール類は置かれていない。 たまに酔っ払いが絡んでくるのを苦笑いしながら適当に受け流している。 また店の時計を確認してため息をつくと、肩にかかるくらいの栗色の髪を掻き揚げた。 しばらくすると酒場の中にお客が一人増えた。 若い男だった。 その男の足音や声などの、新しい音が加わる。 年は丁度、彼女と同じくらいだろうか。 仕事帰りのようで、いつもはゆるいネクタイをきっちりと結んでいる。   彼は周りを数回見回して、人を待っている彼女に目を留めた。 別にナンパをしようと思ったのではない。 自分の探している人物という確証がもてないようで、戸惑っているのだ。 残念なことに彼の位置からは彼女の顔を確認することはできない。   悩むこと数秒。 彼の迷いはあっけなく解消された。 彼女が振り返ったのだ。 とどめに彼に気付くと手を振った。 そこでやっと彼もぜんまいが巻かれ動き出し、空いていた彼女の向かいの席に座る。 「遅かったな、カル。帰ろうかと思っていたところだ」   呆れ気味にそう言う彼女は、彼――カルの幼馴染だ。 「わりぃな、アルト。仕事がなかなか片付かなくてよ」   片手で彼女を拝みながら、ネクタイを緩ませ、制帽を脱ぐカル。 彼が警察の仕事をしているときだけかぶる帽子だ。 周りからは似合わないと言われるから、少し意地になって使っているところもあるようだ。   とりあえず周りと同じく声を張り上げて注文を店員に伝えた。 ついでにアルトも同じようにビールを注文した。 ひと段落着いたところでカルはアルトをまじまじと眺め、そして勝手に何かを納得した。 「……まあ、そう落ち込むことねえだろ」 ぽつり。そう言うと、アルトは首をかしげた。 「え?」 「お前にしちゃ、長く持ったほうなんじゃねえの。前のは早くボロ出す奴多かったし」 「……カル、何の話してるんだ?」 発言の内容からある程度の察しがついた彼女は、じとりとした視線を送りながら聞いた。 彼はその視線に気付かずこともなく、その勘違いを勘違いと認識しないまま言い放つ。 「また、失恋したんだろ?」 言った瞬間に頭に拳骨を落とされた。 「ってぇ……にすんだよ、アルト!」 「“また”は余計だ馬鹿。しかも失恋してねえし」   拳を構えたまま訂正すると。 カルは一瞬目を丸くした。おもわず「え、そうなの?」という声が漏れる。 それを聞いてまた拳を硬く握り締めたアルトを、両手で制しながら言い訳を言い始める。 「い、いやだって、いきなり呼び出すし、なんか雰囲気違ったし、その……髪とか」 「え? ……ああ」 カルが勘違いした理由が分かり、しぶしぶながらも納得して拳を下ろす。 そして前よりも遥かに短くなった髪をいじった。 カルの知っている彼女の髪の長さは腰に届くほどだったはずだ。 それが少し見ない間に随分と短くなっていたため、失恋した、という結論に至ったらしい。 「これはちょっと仕事でドジってな。だいたい、あの人とは最近会ってねえよ」 「ふうん、それでも一応片想いは続いてるのか。そろそろ諦めろよだめんずうぉーかー」 「何か言ったか?」 「別に? 事実を言っただけだ」   挑発するように笑うカルに、笑顔を引きつらせるアルト。 だがしかし、これ以上の反論はできないようだ。 実際彼女に男を見る目が絶望的になく、 学生時代は失恋してはカルに愚痴をこぼしてばかりいたため、そう思ったのも仕方のないことかもしれない。   ちなみに現在の彼女の恋は過去のものに比べていろいろな意味で絶望的だが一番続いているようだ。 つまりは永遠の平行線上の恋。 昔も今もかわらず届かない恋。 しばらく失恋はないだろう。実ることもないだろうが。 「ほんで? どうして突然俺を呼んだんだよ」 眉をひそめてたずねる。 実は彼女達があったのは約2年ぶりなのだ。 その間はお互いの仕事が大変だったのもあり、一切連絡を取り合っていなかった。 「別に。特に理由はない。友人と酒を飲むのに理由が必要か?」 まだビールが来ていないため、ゴクリと喉をならして麦茶を流し込むアルト。 今まで飲んでいなかったのは、自分がアルコールに弱いと自覚していたため。 酔ったときに止める相手が来るまで我慢していたのだ。 もっとも酔っ払って暴走した彼女を彼が止められるのかどうかは微妙なところだが。   そして、もう一つ理由がある。ちゃんと自分をコントロールできる状態でカルと話したかったのだ。 「ふぅん。……まあいいけどよ」 「なんだ? 友人より舎弟のほうがよかったか?」 「そっちじゃねえよ!? ってか誰が舎弟だ! お前が俺の子分だろ!」 「はあ? なに寝言……」 「おやおや元気だねえ」   どんっと机に小さな地震を起こして勢いよくテーブルにジョッキが置かれた。 勢いがよすぎてビールがしぶきをあげてテーブルにこぼれる。 二人分のジョッキを置いた酒場の女将さんの手にはまだ7つのガラス製のジョッキ。 相当な重量のグラスが器用に握られている。 「ゆっくりしていってね」   タフな笑顔でそういうと次のテーブルへと行ってしまった。 いったいどういう腕力をしているのだろうか。 彼女の登場によりアルトとカルの会話はいつものように喧嘩には発展しなかった。 これでカルがボロ雑巾のようにズタボロにされるということも回避できた。 とりあえずアルコールを体内に取り込むカル。 口の端からこぼれたビールを手でぬぐい、一息ついたところで再度口を開いた。 「……っつかお前、今どこにいんだよ」 「ここにいる。見えないのか?」 「お前、おちょくってやがんのか」   ギロリとアルトを睨むが、迫力が足りず、「おー怖い」とおどけられてしまった。 つり目なのに怖くないのは、彼の性格が出ているからからだろうか。   2年前、丁度彼等が連絡を取り合わなくなった頃、アルトはいきなり姿を消した。 いや、アルトが姿を消したから連絡を取り合えなくなったというのが、正しい。 住んでいたはずの街にはおらず、彼女の仕事場に行っても姿を見ることはなく、 それでもお互い子どもではないため、大騒ぎをするわけにもいかない。 仕事柄、長い間どこかに旅をしていたりしても不思議ではないため、なおさら。   そして二年後。丁度今から三日ほど前。 戸惑うカルの元に届いた一通の手紙は、その消えたアルトからの飲み会のお誘い。   故意的なのかそれともうっかりなのか、その手紙には送り主の住所が記載されていなかった。 そのため、カルはこの旧友同士の飲み会に来ないという選択肢はないに等しい。 今彼女に会わないと、本当に一生あえなくなるような気がしたのだ。 「……じゃなくて、本当にどうしてんだよ? 一方的に手紙だけよこしやがって」 「なんで知りたいんだよ」   話の軌道修正をはかるが、質問を質問で返さてしまった。   ジョッキの中の金色の炭酸水を見ながら、彼は律儀にもその質問に答える。 「……旧友が心配だから。それじゃ、だめか?」 「私は子分じゃなかったのか?」   う、と言葉を詰まらせるカル。 自分の発言なため、取り消しができない。 なんとか言い返す言葉を捜しあわあわしているカルを見て、アルトはふ、と笑いジョッキに口をつけた。 「兄貴の手伝いしてるよ」   それはカルの問いに対しての答えだった。 「じゃあ、実家にいるのか」   灯台下暗しとはこのことだ。 彼が一度でも、彼女の実家を訪れていればここまで心配することもなかっただろう。 「……やってた仕事はどうしたんだよ?」 彼女は昔の癖で、三つの仕事を掛け持ちしていたはずだ。 少なくともそのうちの一つの職場には顔を出していない。 一つの職場は彼もよく知らない。 そして、もう一つの仕事は内容が内容なだけに、今もやっているか確認をとるのは容易ではない。 「司書の仕事はとりあえず長期休業にさせてもらってる。復帰するかはわからないな。  執筆活動は休業中だ。余裕ができたらまたはじめるさ」   しかし、彼女は不自然に一つの仕事について話すことを避けた。 アルトはあまり嘘が上手ではない性分だ。すぐに顔に出るし、話をそらすことすら下手である。   幼馴染であるカルはそれを良く知っていた。 だからこそ、あえてわざとその話題に直に触れてみた。 「……じゃあ、冒険者、は?」   彼の質問を聞いた瞬間アルトはゴッと鈍い音を立ててジョッキを置いた。 木製のテーブルが少しへこんだような気がする。 これだけ騒がしいというのに、その鈍い音はカルの耳まではっきりと響いた。   その音に驚いてカルは思わずアルトを凝視。 しかし前髪が影になっていて彼女の表情が見えない。 「冒険者、ねえ」   やがて顔を上げた彼女の前髪の下に見えたのは、とても悲しそうな彼女の目。 「もう、やめたよ」   カランとジョッキの中の氷が音をたてた。   カルはごくりと液体ではなく空気を飲み込む。 長い付き合いだが彼女のそんな表情を見るのは二回目だから。   一回目は学生時代。 彼女の身の上話を聞いたときだ。つまりは彼女の両親がなくなったときの話を聞いたとき。 二回目は、今。   そして、カルは彼女が何故そんな表情をするのか、そのこともなんとなく察しが着いていた。 「……お前がそんなに人に執着するってのもめずらしいな」 「……そうでもないだろ」   またゆっくりとジョッキを持ち上げ、口につけた。 もう言い逃れる気も、その話題を避けるつもりもないようだ。 もっとも、彼女はもとからその話をするつもりで彼を誘ったのだ。 「いや、恋愛とか絡んでいなくて。もちろん、俺も含めずな」 「なんでお前が入ってんだよ。腐れ縁だろ、私達は」 「いやむしろ呪いだな。祟りだ」 「確かに」   いつもどおりの軽口を叩き少し表情が柔らかくなったアルトにほっとして、酒を軽く煽る。   ジョッキが空になったため、大声で酒の追加を注文する。 今度はすぐに女将さんが届けてくれた。 ただ、夜が更けるに連れてどんどん騒がしくなっていく店内にてんてこまいで、 今度は二人に声をかける余裕もなかったようだが。 「別に執着しているわけじゃない。なんとなく、予想もついていたしな」 頬杖をつきながらぽつりとつぶやくアルト。グラスをつつきながら淡々と話し出す。   その目は確かにグラスに注がれているのに、どこか遠くを見ているかのようだった。 「それなりの付き合いだったからな。そういう奴等だってわかってた。 きっとこうなるって予想だってできていたんだ」   アルトは数年前artというパーティーを組んでいた。 個々の力がそこらへんの軍隊より高いため、大体の依頼ならばそつなくこなしていて仕事もほとんど滞りなく順調だった。 たまに話をこじらせたりして面倒な事態に陥ることもあったりしたが、 それでも彼女にとってはなかなか楽しい時間が過ごせたらしい。   そう思うようになったのも今になってからだ。 当時は忙しい、忙しいとしか思っていなかった。正直面倒だと思うときさえあった。 もう戻ることがないと分かってから、それに気付くというのはなんとも皮肉なものだ。   しかし、そのartも解散した。原因は意見の相違とか仲たがいとか、そういうものではない。 個性が強すぎる彼女達のなかでそんなものはしょっちゅうだったため、それが原因になりうるはずがない。 では、なぜか。答えは簡潔だ。 それぞれの仕事が忙しくなったからだ。   もともと冒険者以外にそれぞれの仕事を抱えていた彼女達は、だんだんとその副職にかかりきりになり、 そして、自然壊滅。 つまりはっきりとした事柄があり解散したのではなく、 徐々に顔をあわせる機会が減って行ってしまっただけなのだ。   彼女達自体さっぱりした性格だったため、 一度離れたらきっと会う確立は少ないだろうとアルトは予想していた。 そして不運にもその予想は的中してしまう。それからアルトは冒険者としての仕事をしていない。 「うじうじして、私らしくないよな」 「まったくだ」   即答する。アルトも苦笑いをした。 ここまで言葉を飾らずにいられる相手がいるのも珍しいものだ。 「……そういえば」 「ん?」 「この前ミィレとジェンに会ったぞ」 「へぇ。ミィレはともかくジェンはめずらしいな。私はこの前ミィレとソフィアに会った」   ミィレ、ジェン、ソフィア。それはかつてアルトと一緒にパーティーを組んでいた者たちの名前だった。 個性的すぎて、トラブルメーカーなパーティー仲間。   パーティーを組み、共に過ごすようになったのは偶然で、成り行きとしか言いようがない。 初めて会ったときは、ここまで存在が大きくなるなんて、誰が思っただろうか。 「ミィレはともかく?」 「あいつも結構まめでさ、手紙くれたりするんだ。行動範囲も広いから結構会うことも多いし」 「ふぅん。じゃ、ソフィアは?」 「あいつはこのまえ飯を食わせてもらったんだ。仕事中に行き倒れそうになって、その時ソフィアが偶然通りかかって。 連絡先も聞いたからいつか遊びに 行こうと思ってる。ジェンはどうだった?」 「どうもこうも全然変わってねえよ。人のこと散々おちょくりやがって。 そういえばあいつはお前と違って髪が伸びたみたいだったぞ」 「へぇ。ジェンが髪を……そういえば、前にミィレがな――」   さっきの冷たい表情とは反対の暖かい笑みを浮かべるアルト。 彼女は思い出話をしながらくるくると表情を変えた。 マシンガンのようにつむがれる物語をカルはひたすらに耳を傾ける。 もともと拳を交わらせるよりも、聴き役に徹するのが彼の得意分野なのだ。 アルトもそれに何度救われたことか。 休憩といわんばかりにビールを口につける。ごくりと喉をならして飲んだ。 「……冒険、さ」 「え?」 「できることならあいつらと行きたいんだよな。 スリルには事欠かないし、たのしいっちゃたのしかったし。大変だったけど。」 「……ま、いつかまた一緒にいけるんじゃねえの」 「……だと、うれしいけどな」   苦笑するアルト。またジョッキを煽る。見事な呑みっぷりだった。 まるで小さくもやのかかってたものを吐き出す代わりに飲んでいるようだ。 ジョッキを一気に空にすると机に突っ伏する。 「ああ、贅沢は言わない。会って話すだけでも……なんて、やっぱ執着してるのかな。我ながら女々しい」 「女々しいなんて、男勝りなお前に一番似合わない言葉だ。 会いたいなら連絡とればいいだろ。俺に手紙寄越したみたいに」   連絡先は分かっているんだから。ともっともなことを言う。 だが、いつもははっきりと自己主張をする彼女が、今日はなんとも歯切れが悪い。 「ま、そうなんだけどさ。迷惑かな、なんて考えてしまうんだよ」 「あのな、そんな考えても仕方がないこと言ってたら先に進まないだろ」 「それは、そうなんだが……。怖いんだ。嫌われるのが」 彼女は本当に素直じゃなく、どちらかというと不器用な性格だ。 そのせいで好かれることより嫌われることが多かったりする。 そんな彼女に、文句を言いながらも一緒にいてくれたartという仲間と離れるのはとても辛かったのではないだろうか。 だから彼女達との思い出のある街をはなれ実家に帰ったのかもしれない。   カルはそう考えた。もう一緒に活動することができないとわかっているから。 そこにいると、また何かを期待してしまい、余計に辛いから。 「……今日は随分と素直だな」 「そうか? 酔いが回ってんじゃねえの。そうだ、カル。まだ言ってなかったが」 「ん?」 「心配かけてすまない」 「は?」   素面の時の彼女ならば絶対に言わない言葉の連発に、カルは目が点になった。 「いきなりいなくなったから心配してくれたんだろ?  お前にはいつも迷惑かけっぱなしだな。本当に、すまな……い」   彼女はいつの間にか寝息を立てていた。 酔いがまわって眠ってしまったらしい。 暴れることも、暴走することもなかったから、今回は“良い酔い方”をしたようだ。 「おいおい、ここで寝るかよ。本当に弱えな」 そういって笑うカルはまだ少し余裕があるようだ。 自分のジョッキにあまり中身が入っていないことに気付いて、また追加で注文する。   幼馴染の見飽きた寝顔を見ながら、頬杖を付いてため息をついた。 とりあえず生存を確認をしてほっとしたのだろう。   先ほども言ったように飾りをまったくつけない本音で話せる相手はなかなかいない。 アルトもそう思っていたはずだ。 だから、彼だからこそ連絡を取って、こうやって愚痴をこぼしたのではないだろうか。   そこまで考えて、カルは少し自惚れすぎかと苦笑いした。 新しく来たビールに口をつけようとして、ふと彼女の先ほどの言葉を思い出した。 ――心配かけて、すまない。 「……今更だっつーの。ばーか」   彼女の飲んでいた空のジョッキに自分のグラスをぶつけ乾杯をした。 友人との再会を祝して。 カツンと軽い音が静かに響いて、喧騒の中に消えた。

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