「悪魔の愚痴」

 夢は見なかった、と思う。定かではない。本当は見ていたとしても、見たかどうかすら覚えていない程度のものだ。きっと深くて質の良い睡眠を取ることができたに違いない。  あなたは手探りしてスマートフォンを掴むと充電器を付けたままの状態で引き寄せた。電源を入れると、眼前の板はぱっと発光する。  まぶしさに少し目を細めながら時間を確認する。見飽きた待ち受け写真の上に浮かんだ数字は、今がまだ早朝ということを教えてくれた。悲しいことに、平日通りの時間に起きてしまったらしい。習慣というのはこうも脳に刷り込まれているものなのかと、恐ろしささえ感じた。  それでも、いつもよりすっきり起きられただけでもかなりの進歩だ。昨夜、寝る前の本もスマートフォンも早々に手放し、いつもより早めに布団に潜り込み、ネットの記事で読んだ快眠のための行動もいくつか試したおかげだろうか。しめしめ、うまいこと睡魔をうまくコントロールできたと、そう思うことにしよう。  このまま起きてしまおうと思った。思いはしたのだ。だがその考えは数秒も留まらず、頭の中を素通りしていく。背中がぶるりと震えた。堪らずスマートフォンを放して手を布団にひっこめ、足を抱えるようにして丸まる。寒い、寒すぎる。寝ている間に、部屋の中はひんやりとした空気で満たされていた。とてもじゃないけど、今すぐ起き上がるなんてできない。そんなことをしたら心臓が止まってしまうに違いない。  カーテンの隙間から見える空はまだ薄暗く、太陽さえまだ起きていない。新聞配達員だろうか、外でバイクのエンジン音が微かに鳴っているのが聞こえる。彼らは何時に寝て何時に起きているのだろうか。想像もできない。エンジン音が遠ざかるのを聞きながら、あなたはしばし考えた。  その末、顔まですっぽりと布団にくるまる。  あとちょっと、ほんの数分だけ温まってから起きよう。どのみち、数十分後にアラームが鳴り始める。それから起きても、朝食をゆっくりとるくらいの時間さえあるのだ。なんなら、そのあと一定時間置きに目覚まし時計とアラームを両方セットしている。そうしたら、うるさくて否が応でも起きてしまうだろう。  決して睡魔に負けたわけではない。寒さが思ったより強敵だったから、戦略的撤退しただけ。体勢を立て直せばきっと大丈夫なはず。  心の中で誰に対してかわからない言い訳を並べたてて丸まるあなたのその姿は、さながら饅頭のようだ。布団の皮の中には、あなたという餡が詰まっている。ぽかぽかとした暖かさに文字通り包まれ、自然と目をつむる。この安心感はまさに悪魔的だ。  ここ最近、急に冬が増して、日に日に寒くなってきている。だからだろうか。起きるのが辛いのは。それとも疲れのせいなのか、はたまた生活習慣が悪いのか、近頃あなたは寝坊することが頻繁になっていた。今のところ、始業時刻に遅れることはなんとか回避している。しかし、休みの日はどうも気を抜いてしまうらしく、友人との約束には遅刻ばかりしていた。  でも、今日は、今日こそはここで二度寝するわけにはいかない。昨日、時間などの確認の為に連絡を取った時、しっかり釘を刺されてしまうくらいには信用は落ちているし、さすがにそろそろ相手に申し訳ない。  気の知れた相手のため、文句を言いながらも許してくれてはいるが、いつまでもそれに甘える訳にはいかない。分かってはいるのだ。しかし、心の中で「えいや!」と掛け声をかけつつも、起き上がる事ができない。  とりあえず、目覚ましより先に起きることができている。現時点では、睡魔相手に一歩リードしていると言っても過言ではないが、ここからの逆転負けは十分、いや、十二分に有り得てしまう。油断してはならないことは重々承知だ。  今この瞬間に、起きることができるならば問題はすべて解決するのだが、残念ながら、あなたにはこの冷たい空間に全身を浸す勇気はまだなかった。暖かい布団の中からでも、いや、暖かい布団の中だからこそ、外の寒さがよくわかる。ちょっと布団から出しただけで、まるで冷たい湖に腕を浸したように、体全体が芯まで凍ってしまうに違いない。それに比べて、自分の体温で程よく温もった布団のなんと心地良いことか。端的に言ってしまえば動きたくない。  すっかり身を委ねてしまいたい、と思う反面、そんなことをしたら堕落の一途をたどってしまう、と冷静な考えが警告音を鳴らす。  いくら目覚ましがあるといっても、最近はそれが鳴ったことすら気づかないことがあるではないか。ここしばらく苦戦を強いられてきた睡魔は、それほどの強敵だったではないか。そう自分を自分で叱咤し、少しでも抵抗するために目を開けた。あくまで目的は起きるために温まることなのだから、目をつむる必要性はない。 「まったく、本当にここは居心地が良すぎますね」  まぶたを上げると、あなたの目の前には悪魔がいた。ぎょっとして、息を呑む。それは紛れもなく悪魔だった。あなたの頭の中の今、浮かんだ、そう、その悪魔。そのイメージがそっくりそのまま目の前にいたのだ。  悪魔は戸惑っているあなたを見て、ニヤリと笑う。 「お前さん、最近起きれないのが悩みのようだな?」  悪魔はあなたの返事も聞かずに、うんうん、と頷いた。 「なるほどなあ、そうだよなあ。寒いもんなあ。寝てたいよなあ。わかるぜ、その気持ち」  不思議と恐怖はなかった。あまりにもありえない光景だというのに、言っている内容が内容だからだろうか。寒いから起きたくないということに共感する悪魔。字面的に見てもやはり怖くない。 「そこで、だ」  突然、悪魔はビシリ、とあなたに指を突き付けた。そのままくるくる回す指の動きをあなたはおもわず目で追ってしまった。もし、自分がトンボだったら首が取れているところだと、あなたは呑気に思う。その思考には、やはり危機感が芽生えている様子はない。 「そんなお前さんに良い話があるんでさぁ」  指さしていた手を、悪魔は揉み手に変え、急に下手に出始めた。媚びるように上目遣いにあなたを見る。 「おいらとちょっと取引をしやせんか?」  「取引?」とあなたはオウム返しに聞き返そうとしたが、かすれて声がうまく出なかった。やけに口が重い。恐怖はないと思ったが、一応この不思議な現象に多少の動揺くらいはしているのだろうか。取引という言葉にやっと警戒心を抱いたのかもしれない。  ”悪魔”と”取引”。その単語二つを掛け合わせて思いつく物語のエンディングは、”崩壊”、”破産”それに”自滅”。そんなところだろうか。いずれにせよ、バッドというべきエンディングにつながるものばかり。軽率に返事をすべきことではないと、本能が言っている。  悪魔は、あなたがあまり乗り気じゃないということに気づいたらしい。子どもに言い聞かせるように、わざったらしくゆっくりとした話し方に切り替えた。 「なぁに。怯えなさんな。簡単な事さ。おいらがちゃーんと起こしてやるから、その代わりに、ちょいと愚痴を聞いてほしい。ただ、それだけでさぁ。悪い話じゃないでしょう?」  ほんの少し拍子抜けしてしまった。あまりにもちょっとしすぎている取引だったからだ。 「え? 取引があまりにも粗末すぎる?」  あなたがまだ何も言っていないのに、悪魔は芝居がかった口調で続ける。深夜にやっているテレビショッピングの司会者のようだ。 「まあ、確かに、悪魔への支払いとしてはあまりにも微々たるものでさぁ。大抵、おいら達悪魔は、契約者の時間だの、金だの、命だのを取るために、それ相応の契約を結ぶように努力しますからね。そうして搾り取るだけ搾り取って、最期は……。ヒヒ、それに比べれば、こんな契約は、そうさねえ、金に換算するなら、今ドキのガキンチョのお小遣いの方が多いくらいですかねえ。でも、あなたの起きたいって願いにはこれくらいの代償しかとれねえんですよ」  ではなんでわざわざそんな契約をしようとするのか。油断はできない。人間の詐欺師だって、小さい承諾から初めて、最終的にとんでもないものを買わされたり取られたりすると、いつかニュースで言っていたではないか。  そんなあなたの心の中を読んだかのように、悪魔は言葉を紡ぐ。 「こんな粗末な契約を結びたいくらい、こっちもまいってるんでさぁ。人間だってあるでしょう? 誰かに吐き出さないとやってらんないこと。だから、この契約は人助け……いや、悪魔助けだと思ってくだせえ」  「ね?」と懇願するように悪魔は指を組む。その祈るような仕草を悪魔がやるのは少し可笑しかった。 「それに機械に起こしてもらうのは、少々リスクがありますぜ」  悪魔は布団の外のスマートフォンを指さす。 「壊れるかもしれない、確実にセットしていないかもしれない。他にも細かく挙げればキリがない。しかしですよ。おいらなら、そんな心配は全くない! 悪魔は契約はきちんと守らないといけないんですから。……あ、どうしてって聞かないでくだせえよ。そういう生き物ってしか言えねえんだから。あんたらが自力で空を飛べないと同じ。海で呼吸ができないと同じ。できないものはできない。契約を違えることは悪魔にはできないんでさあ。悪魔は、悪いやつって思われがちですが、おいらは良い悪魔もいるわけで……」  なおもあなたの気を引こうとセールスアピールは続く。良い悪魔とは何なのだろうか。 「ね、契約してくれませんかい。この通り。もうおいら、悔しくて、歯がゆくて。誰かに聞いてもらわないと爆発しそうなんですよぉ」  誰かに愚痴をこぼしていないとやってられないという気持ちは、あなたにも思い当たることがあるだろう。それに、こうやって話を聞いていたら眠る可能性も低くなるし、なにより寝てしまったとしても、ちゃんと起こしてくれるなら、確かに悪い話ではない。  それならと、あなたは承諾した。口を開くのも億劫だったのに、不思議とその言葉はツルリと滑り落ちた。  返事を聞いた悪魔は、「いいんですかい!? ありがとうごぜえます」と申し訳なさそうに笑った。その笑顔がまた、悪魔らしくなくてあなたは思わずくすりと笑う。 「あ、書類なんてありませんよ。あんな燃やせば燃えて、破れば破れるような脆くて不確かな物使いません。契約はこうするんです」  そういって、悪魔は小指を出してあなたの指にからめた。 「契約は、おいらの愚痴を聞く代わりに、あなたを起こす。……それでいいですね?」  あなたは頷く。 「これで契約成立です。いやいや、冗談じゃなく本当に。証拠も見せられるっちゃ見せられるけど、そこまで気にする契約じゃあないと思いもいますけどね」  契約は愚痴聞きと、指定の時間で起こしてくれること。確かに、そこまで気にする必要もないように思えた。あなたが納得すると悪魔はコホン、と咳ばらいを一つして「では、さっそく……」と唇をなめてしゃべる準備を整えた。 「愚痴というのはですね、こいつのことについてなんでさあ」  そういって悪魔は、あなたたちを包んでいる布団を、トントンと軽く殴った。 「この布団ヤロウ。こいつらのおかげでこっちは商売あがったりなんでさあ」  布団のせいで? とあなたはキョトンとする。 「へえ。こいつら、おいらたちの邪魔ばっかりしやがるんだ。おかげで、日本に配属になってから碌な成果も得られてないんでさぁ。二度寝に、夜更かし、朝寝坊。最近じゃ休みの日は何もせずに布団でずっと寝ているという輩まで居やがる。おいら達悪魔からしたら、営業妨害もいいとこでさぁ」  嘆かわしい、と悪魔は言う。確かに、先ほどあなたも布団の中にいるときの安心感は悪魔的だと思ったばかりだが、それが何故悪魔たちの仕事の邪魔をしていることになるんだろうか。  あなたが不思議そうな顔をしていたからか、タイミングが良かったのか、悪魔はその理由を述べ始める。 「だって、考えてくだせえよ。おいらたちは口八丁手八丁、あの手この手、それこそ魔法も駆使して、やっと契約にこぎつけるんでさぁ。だがどうだ、こいつらは無言で、その場に存在しているだけで、人間たちをつなぎとめる。ずるすぎますぜ!」  同意を求められても困るが、幸い悪魔はあなたが答える前に話を先へ先へ進める。  「きっと、こいつに誘惑され慣れているから、この国の人間は誘惑するのに骨が折れるんでさあ。遊ぼうぜ、って言っても仕事をし、願いをかなえてやるって言っている間に通り過ぎる。勤勉だか謙虚だか知らねえが、この国は本当に仕事しにくい」  やれやれといいたげに、悪魔は肩をすくめた。契約前の言い聞かせるような口調とうって変わって、まくしたてるようなしゃべり口調になりつつある。べらべらとよくそんなに口が回るもんだと感心しながら、あなたはいつかテレビでやっていた落語を思い出した。 「これでも、悪魔は縦社会なもんで、結構大変なんでさあ。天使ならまだしも、布団に邪魔されるだなんて。無機物ですぜ? こんなライバルの出現でおいらたち下っ端は上司に怒られ、新人には馬鹿にされ……」  うっうっ、と涙を拭く仕草をするが、その目には特に濡れている気配はない。  こう聞いていると、いつか聞いた友人の愚痴に内容が似通うところがなくもない。うっかり同情さえしてしまいそうだった。 「一応、ノルマなんてのもあるんです。それを超えないと……おっと、詳細は人間のお前さんには刺激が強すぎますので、控えさせていただきますぜ。まあ、なんだ。つまり、お前さんとのこの小さな契約は、おいらの愚痴の発散と、ノルマ稼ぎの一石二鳥の戦略なんです。頭いいでしょう?」  海外の神話なんかは、割と人間臭い話が多い。ファンタジーの住民のような彼らが、自分たちと同じような悩みなのはそう変なことではないのかもしれない。といってもあなたは悪魔に愚痴を聞かされるのなんて生まれて初めてなわけで、この悪魔の悩みが一般的なのかどうかなんて分かるわけはない。 「しかも、しかもですぜ!」  悪魔は興奮したように両こぶしを振り下ろして、ぼすぼすと布団を叩く。聞いてくれと言外でも叫んでいるが、あなたは充分聞いている。 「今みたいな寒い時期、こいつらはより強力になる上に、こたつっていう新たな敵も増えやがる。こいつがまた手強いんでさぁ。こいつは冬の短い間だけしか現れねえ。だけどもその分強力で、一度捕まえたら逃がさない。それはトイレとか空腹とかの生理現象さえ押さえつけることもあるらしくって。日本人ですらそうなんだ、耐性のない海向こうの連中が捕まったらそりゃあ、一発でコロリよ」  ひぇえ、恐ろしい。と悪魔はあの有名な絵画のように手を頬に当てて、大げさに怖がる表情を見せた。  「冬の布団とこたつ。こいつらは本当に、おいらたち本物の悪魔より人間を堕落させる悪魔でさぁ」  だけど、と思う。その不平不満の原因に布団は関係ないのではないだろうか、と。また、頭の隅で警告音が鳴りだした気がした。  確かに日本人は勤勉で、真面目だと、世界の人々から言われているのを見たり聞いたりしたことがある。だが、それはある種の偏見だろう。真面目だからこそハメを外し過ぎることもあるし、言われるほど誘惑に強いわけではないと思う。そもそもそこまで真面目な人ばかりではないのは日本人であるあなたもよくわかっている。いくら布団に誘惑され慣れているとしても、彼らの景気が芳しくない事と、布団は関係ないんじゃあないのだろうか。  そもそも、いくら朝起きるのが辛いといっても、それは日本人だけではなく、世界共通の問題だろう。買いかぶりすぎなのではないか。また微かな警告音が鳴る頭で、そんなことを考える。  だが、悪魔はあなたにそんなツッコミを入れる隙を作らない。いつ息継ぎをしているのか不思議に思う程、絶え間なく言葉を連ねる。 「じゃあ冬を過ぎれば大丈夫じゃないのかだって? とんでもねえ。確かにこたつは一旦鳴りを潜めやすけど、布団は年中無休なんでさあ。皆、寒いから眠いなんて言うけど、夏だって春だって秋だって、眠い時は眠い。そうでしょう? そういう時に、やれ金をあげようだの、絶世の美男美女を用意しようだのそそのかしても、皆聞いちゃくれない。この前なんて、”なんでも願いをかなえてやるから、おいらと契約しろ”つったらなんて言われたと思います? “頼むから寝かせてくれ”ですよ? いや、それでも契約にはなるんですが、なんか釈然としないんですよね。その時は、ムカついて帰っちまいましたが、後から、寝ているつもりにさせて、その間の時間をもらっちまうっていう事を思いついて、ちょっと惜しいことをしたと後悔しちゃいましたが」  「それ以来、そういう願いに出会わないのがまた惜しい」と、悪魔は嘆く。 「まあ、いいんですけどね。別に。そう簡単に来ないなら、そう誘導すればいい、そのためにおいらにはこのよく動く口がついてるんですから」  おしゃべりだという自覚はあったようだ。 「ともあれ、これでわかるでしょう? おいらたちがいかに布団に翻弄させられているか。……あ、今、苦笑いしやしたね? おいらの被害妄想だと思っているんでしょう?」  正直、そう思っていないこともなかった。悪魔の言っている事は、一見筋が通っているようだが、ただの因縁をつけているだけにも聞こえるのだから。上手くいかないことを周りのせいにしたい気持ちが分からないでもない。だが、先ほどから、あまりその話に同意しすぎてはいけないと、小さくではあるが何回も警告音が鳴っている。  だが悪魔は頑なに、いや、絶対布団のせいだと言い張る。 「布団のある生活を送りたいから、仕事をし過ぎる。仕事をし過ぎるから布団が恋しくなり、結果寝すぎる。この悪循環は布団の作戦なんだと、おいらはそう睨んでいるんだ」  飛躍的で、突飛なのに、確かに、とあなた思わず納得してしまった。なにも布団の為だけに働いたり頑張ったりしているのではない。だが、その一瞬、何故かその意見がとても腑に落ちてしまったのだ。  どんな人だって眠りにつく。満身創痍で疲れたら布団に倒れ、元気を回復し、また疲れるために起き上がる。たくさん疲れたら、布団で寝るのをご褒美にする時だってある。むしろ質の高い睡眠のために頑張ることもある。ある意味の中毒性がある気がしてしまった。  ……否。  また警告音が響く。今度は先ほどまでより大きい。  よくよく考えてみれば睡眠というモノは食事と同じく、生きる為に必要不可欠なものだ。しなければ人間は弱ってしまう。中毒性も何もないのだ。そのことに気づき、はっとして、反論しようとしても、また口が思うように動かず、もごもごとしてしまう。それだけではなく、声さえも上手く発せられず、空気だけが口から出ていく。もちろん、悪魔はあなたの都合なんて知ったこっちゃない。 「だからといって、利用しようとしても、こいつら、一言もしゃべりやしないんだから、お手上げですぜ。――いやいや、わかってるんですよ? しゃべるわけないって。でも、ほら、日本には古いものに命が宿るっていう話もあるじゃねえですか。ワンチャン、そういう方向もありかなって思ったりした時もあったんですよ」  布団に一生懸命話しかける悪魔。ちょっとだけ、その光景を見てみたかった気がした。きっと、今みたいにマシンガントークを繰り広げていたのだろう。それが布団相手と思うと、ちょっと面白い。本人は真面目にやっていたかもしれないと思うと、余計に可笑しかった。 「ま、本当に言葉が分かったら、ヤツの中でこうして悪口吐けないわけですが」  悪魔はニヒルな笑いを浮かべた。 「とはいえ、このままお客が取られるのを指をくわえてみているわけにいかねえ。そこでおいらは考えた。言葉を交わらせず。こいつらを利用する手はないのかと。そりゃあもう三日三晩くらい眠らずにね」  「ここで布団に寝たら、負けな気がしやしてね」なんて悪魔はおどける。悪魔も布団で眠るのだろうか。 「そして思いついた。……そんな天才的でナイスなアイデア、聞きたいですかい?」  もったいぶる悪魔。  芽生えた警戒心は消えていない。でも、あなたは好奇心に押し負け素直に頷いてしまった。やはり警告音は途切れ途切れに鳴っている気がするが、あなたはそれを無視した。  悪魔はニヤリと笑って、手で筒を作り、口に当てる。あなたはそこに耳を寄せた。  だが、あなたのワクワクは裏切られた。 「お前さんはいい人だね。いや、人が良すぎる。それに免じて約束通り起こしてやろう。おいらもすっきりしたし、このアイデアが有用ってわかったからな」  一瞬意味が分からなかった。思考停止をして、次の言葉を待つ。まだもったいぶっていると思ったのだ。だが、悪魔はあなたから離れるとヒッヒッヒと笑った。 「一つ、アドバイスをしやしょう。ちょっとしたサービスってやつでさぁ。次、悪魔と契約するときは、もっと細かく確認した方がいいですぜ。おいらが良い悪魔だったからよかったものの、あんな契約の仕方じゃあ何百年後に起こされても文句は言えねえんですから」 「――え?」  あなたは思わず声を漏らした。さっきまでテープで止められているかのように動かしにくかった口も、のどに張り付いてしまったように出てこなかった声も、嘘のようにするりと、口から零れ落ちた。  気が付くと、悪魔はいなかった。コンマ一秒前まで至近距離にあった顔はなくなり、自分の膝が見える。  状況が呑み込めず、しばらくぼうっとしていると、かすかに遠くから音が聞こえてくるのに気づいた。悪魔と話している間に何度か頭の中で鳴った警告音だ。違う。これは、スマートフォンのアラーム音だ。  はっとして布団から頭を出すと、音は大きくなった。枕元で泣き叫んでいたスマートフォンをタップしてなだめて、スムーズ機能を切る。と、同時に画面に大量のメッセージが飛び出してきた。すべて友人からのものだ。そこでやっと事態を把握する。  ――寝坊した!  布団を蹴ったくって飛び起きた。  なんてことはない。先ほどまでのは夢だったのだ。布団に悩まされる悪魔なんて最初からいなかった。ただ単に二度寝をして夢を見ていただけ。睡魔をコントロールするどころか、夢の中の悪魔にしてやられるなんて。いつから眠ってしまっていたのだろうか。体感的には五分も経っていないというのに。これだからあの時に起きていれば。唇を噛みしめる。どう考えても悪いのは自分以外にいない為、誰に文句を言うこともできない。友人に謝罪の連絡をしながら、バタバタと支度をする。カーテンを乱暴に開けると、太陽の光に目がくらむ。ついさっきまであんな薄暗かったのに、いつの間にこんな明るくなったのだろう。 「ご協力、ありがとうございました。またお願いしやすぜ」  突然、そんな声が聞こえて来て背中がゾワリとする。反射的に振り返ったが、そこにはあなたが抜け出したばかりの布団があるばかり。おそるおそる布団に手をかけ、思い切って、ばさりと布団を剥いだ。  そこには、何もいなかった。あえて言うなら、あなたの寝相と、起きた勢いで皺の寄ったシーツがある。それだけだ。剥いだ布団を裏替えしたりしてみるが、やっぱりそこには何にもいない。寝ぼけていたのだろうか。  その時、ポコン、と軽快な音が鳴った。まだドキドキしていた心臓は、追い打ちをかけられて飛び跳ねる。今度はスマートフォンの音だった。見ると、友人からの新たなメッセージが浮上していた。あなたはそれに急かされて、支度を再開する。  あの悪魔は夢だったのか、現だったのか。朝、寝た気がしなかったり、いつの間にか二度寝をしてしまっていたり、思った通りに起きれないのは一体何のせいなのか。それが分かる日はきっと来ないだろう。

前の話|短編メニュー|次の話