森の前の神社で狐と双子の狼の男の子達がおしゃべりをしていた。
童話の中では悪者の狼とずるがしこい狐というあまり良いイメージを持たれないが、
彼らがそんな悪役に見えないのは人間の少年に耳としっぽが生えているというナリだからだろうか。
「でねでね! 結局ね!」
狼双子の兄の仁が白い耳をぴょこぴょことさせながら語る。
その隣にいる弟の紅もやはり同じように耳をぴょこぴょこさせている。
服の色や毛色がちがわなければ見分けはつかないだろう。
話し方や声でさえ、同じに聞こえる。辛うじて違うのは一人称が「おれ」か「ぼく」かという差くらいだ。
「ぜーんぶダメだって言われたの!」
「らいあんもかとりんもケチだよね!」
「しかもしかも!」
「暇ならりんご採ってきてって言われたんだよ!」
「ぼくたち暇じゃないのに!」
交互に話すのはいつものことで、もはや二人の癖のようなものだ。
いつ話す内容を打合せしているそぶりはないというのに、こんな話し方ができるのは双子ならではなのだろうか。
それとも、彼らが特別なのだろうか。
ぷくーっと頬を膨らませて不満を訴える顔さえもまさに瓜二つ。
どう暇じゃないのかと聞いてもおそらく大好きなイタズラの準備、もしくはその実行で忙しいといった、
ろくな答えが返ってこないだろうという予測が容易に出来て狐の男の子は苦笑いをした。
この二人のいたずら好きは筋金入りだ。
誰に対しても見境なく平等に仕掛けてくるため、被害者は多い。
もちろん狐もその一人に含まれている。
「で、結局おつかいにきたんだ」
「そう!」
「しかたないからね!」
「フーちゃんも来る?」
ここでやっと狐のフーちゃんことフュムに話が振られた。
彼は庭の掃除をしていたときに、突然現れた二人に捕まったのだった。
本日の不満をつらつらと語っていたのだった。
その不満というのも要約すると、
二人が企ていた肝試しや、花火大会、運動会など、三月という時期に合わないイベント事を
飼い主であるライアと、育ての親であるカトリーヌに却下されたからとても悔しいということだった。
おそらく最初は何かしたいという漠然とした思い付きでしかなかったのだが、ダメだといわれると余計にやりたくなるのが子どもだ。
却下されたことにより余計にその気持ちが強くなった。
普段は愚痴などあまり言わない二人が、マシンガンのようにそれを語ったのだからよっぽどのことだろう。
「んー、でも今日は晴れてるうちにお掃除終わらせたいんだあ」
数日掃除をしていなかったせいで、少々荒れてしまった庭を見渡しながら言う。
「そっかあ」
「残念」
仁と紅は口を尖らせながら空を仰ぐ。
確かに今日は朝からお日様が顔を出していてお掃除日和だ。
雲一つない青空、とまではいかなかったが、絵本に出てくるような真っ白でふわふわした雲が2つ3つ浮かんでいるくらいの晴天。
ここ数日間は厚い雲が空を覆っていたので、太陽を見るのも久々だ。
「それよりおつかいなら早く行った方がいいんじゃない?」
「あ! そうだった!」
「はやくしないとらいあん怒られる!」
「かとりんにも!」
「じゃあねフーちゃん!」
「また遊ぼうね!」
二人はフュムに手を振って二人はあわただしく神社の近くにある森に入って行った。
フュムは彼らの背中を見送ると、ほうきを持ち直し、掃除に戻った。
仁と紅が目指すのは森の中でもりんごの木がたくさんある場所。
そこならば無料でたくさんりんごが手に入るのだ。
しばらく歩くと不満もすこしは薄れたらしく、楽しそうに歌いながらずんずん森の中を歩いて行った。
いや、あるいは気を紛らわすために歌っていたのかもしれない。
いずれにせよ、最終的に葉っぱの緑にみずみずしい赤がぽつぽつと見え始めた頃には、もう二人はピクニックに来たような気分になっていた。
「りんご、どのくらいいるかな?」
「とにかくいっぱい採ろう!」
「そうだね、余ったらおやつにすればいいか!」
「うん!」
二人はそれぞれ木に登ってりんごを落とし始めた。
地面にはやわらかい草が生い茂っているため、実に傷がつくことはないだろう。
ポトリ、ポトリと落としていると、紅がなにかを見つけた。
芝生の緑でもなく、りんごの赤でもない。
地面の茶色にすこし汚れてはいるが、兄の仁の毛色と同じ白色だった。
肌の色さえも蒼白なそれは、目を凝らすと確かに人間の形をしているのがわかった。
「仁! ちょっときて!」
誰かが倒れていると気づいた紅は慌てて声を上げた。
「どうしたの?」
隣の木の枝の間から仁が顔をのぞかせる。
「誰かが倒れてるんだ!」
紅は木から飛び降りるとその人影に近づいた。仁も同じように地面に着地して紅に続く。
近づくとその人は少し震えていた。歳は彼らと同じくらい。まだまだ少年というべき年齢だろう。
その頭とお尻には長いうさぎの耳と尻尾が生えていた。
「お前大丈夫か? ねぇったら!」
揺さぶるとうめき声を上げた。
とりあえずちゃんと生きているらしい。
だが、その声があまりにもか細かったため、二人は聞こえず夢中で体をゆすった。
「ねぇ、ねえってば!」
「起きてー! 朝だよー! ぐっもーにん!」
「生きてるー? 死んでるなら返事してー?」
呼びかけに若干遊びが混じり始めたときやっと仁が彼の声に気付いた。
紅を制止し、うさぎの口に耳を近づける。
先ほどの狐のフュムは人間の耳と狐の耳があるが、彼らは狼の耳しかない。
仁の白い耳には最初に発見した時よりもさらに顔を青くしたうさぎは息も絶え絶えにこう言った。
「……お、おなか……すいた……」
二人はそれを聞くやいなや、先ほど落としたりんごをかき集めた。
たちまちりんごの山がうさぎの前に積み上げられる。
「これ、たべれる?」
体力温存のため体が機能を停止して、気絶したのか寝てしまったのかうさぎは動かない。
返事のないのはりんごが食べれないからだと勘違いした二人は、すばやく次の行動に移った。
「ぼく、近くの小川でお魚採ってくる!」
「じゃあおれは火を起こすね! 寒そうだし!」
二人はすぐに取り掛かった。
いついかなる時もイタズラができるようにと、"物が燃える薬"と、ロープを持っていた二人は、
手際よく即席の釣竿とたき火を作り上げた。
やがてうさぎの周りがほのかにあたたかくなり、紅が魚を数匹釣って戻ってきたとき、ようやくうさぎは薄目を開けた。
彼はなんとか上半身を起き上がらせると、まず近くに赤いりんごの山があることに気が付いた。
その中のりんごを一つとってかぶりつく。
喉も乾いていたのだろう、甘いりんごの汁がとてもおいしく感じた。
芯まで食べそうな勢いでりんごをひとつあっという間に平らげてしまった。
「そろそろいいかな?」
「……わっ! これ真っ黒だ!」
近くで人の声がすることに気付いたうさぎは、長い耳をぴんと伸ばした。
パチパチと音を鳴らす火の近くに枝で突き刺した魚が置いてある。
焼き魚にするつもりなのだ。そのたき火の前に仁と紅はうさぎに背を向けるように座っていた。
「あ、でも中は大丈夫そうだよ」
「そうだ、りんごもいれて焼きりんごにしてみようよ」
そういって、くるりとこっちを向いて、やっとうさぎが起きていることに気付いた。
「あ、やっと起きた! おそよー!」
「おさかなあるよ、食べれる?」
にっ、と八重歯を見せながら笑い、仁は焼き魚を差し出した。
火に長くあぶりすぎたのか片面が真っ黒になっている。
炭のようにしか見えないそれに一瞬不安を覚えたが、りんごをまるまるひとつおさめた腹がまだ足りないと音を立てて抗議してきたため、意を決してかぶりついた。
最初はこげの苦みがあったが、中はちょうどよい感じに火が通っておりとてもおいしかった。
りんごと同じように夢中で口に入れ、咀嚼する。
焼きたての熱さに苦戦しながらも、今度は骨まで食べてしまいそうな勢いだ。
その食べっぷりを見た仁と紅も空腹が感染したのか、ぐう、とおなかが鳴った。
二人は顔を見合わせて笑って、焼き魚を一本ずつ平らげる。
結局うさぎはそのあとも、まだ食欲が抑えられずに魚を3匹とりんごを2つ胃におさめてしまった。
そこでやっとおちついたのか、まるで食べている間中息をしていなかったかのように息を吐き出す。
そして慌てて、二人に頭を下げた。
「あのままだと空腹で死んでしまうところだったよ! ありがとう!」
ふたりはデザートにりんごを丸かじりながら笑う。
焼きりんごにすることはやめたらしい。
「どーいたしまして!」
「死んでしまったら情けないよ!」
「お魚もりんごも食べれたしぼくたちも満足!」
「でも、お肉がなかったのは残念かもー」
「仕方ないし、らいあんにお願いしよう!」
「そうしよう!」
そういってきゃっきゃと笑う。
そしてうさぎに質問攻撃を始めた。
彼らの住む"ようせいのまち"では見かけない顔だ。
そもそもうさぎの獣人などはじめて見た。
観光客だったとしてもあんなところで行き倒れているなんて不自然。
一体彼は何者なのだろう。
「名前はなんていうの?」
「僕? ……僕はうさぎでいいよ。名前ないし」
うさぎは肩をすくめて答えた。
「うさぎのうさぎ? へんなのー!」
「じゃあうさぎん! どうしてあんなところに倒れてたの?」
フュムをフーちゃん、ライアをらいあんと呼んだように、二人はたいてい、人のことはあだ名で呼ぶ。
うさぎもさっそくあだ名が進呈された。
「う、うさぎん? ……ええと、探し物してて、それで食べるものなくて……」
うさぎは一瞬その呼び名に戸惑いながらも素直に答えた。
彼にとってあだ名をつけられるのは初めての経験だったのだ。
もちろんそれで呼ばれるのも。
「りんごがこんなにあるのに?」
「僕、木登りができないんだ」
うさぎは恥ずかしそうに耳を垂らし、はにかんだ。
さっきまで青白かった肌は赤く染まっている。
「だから、二人がとおりがかってくれて助かったよ。君たちの名前は?」
うさぎは質問を返した。
二人はそれぞれ元気よく手を挙げて自分の名前を教えた。
うさぎはそれを確認するかのように、小声で復唱する。
「ええと、白くて青いのが仁くんで、黒くて赤いのが紅くんだね?」
やはり初対面では二人を見分けることはできないと悟ったのか、色で覚えることにしたらしい。
二人もそういうのは慣れっこなので特に文句を言うことはなかった。
そもそも、二人が同じ色になったらどちらがどっちか、長年一緒にいたひとですらあてられるか怪しいところだ。
「で、で、うさぎんは何を探してるの?」
身を乗り出すようにして仁が聞く。
「えっとね、杵を探してるんだ」
「杵? 杵ってあの」
「おもちをつくやつだよね?」
「なんでそんなの落としたのさ」
二人は正月に餅つきをしたときのことを思い出す。
あんな重いものをなぜわざわざ森で落としたのだろうかと、同じ方向に首をかしげた。
「うん、僕、実は月から来たんだ、それで落っことしたときにここらへんの上にいてね」
どうやら月からのダイナミック落し物だったらしい。
誰か人の頭上に落ちていないことを願うばかりだ。
「それで、急がないと……」
「月のうさぎさん! そうかだから」
「杵が必要なんだね!」
「じゃあ探さなきゃ!」
仁と紅は勢いよく立ち上がり、うさぎの手を引く。
なぜ月のうさぎがこんなところにいるのか、そもそも本当に月にうさぎが住んでいたのか、
急がないとどうなるのか、ましてや困っているから助けないと、
なんて疑問も考えも二人の頭の中には存在しなかった。
ただ、直感で感じたのは楽しそうということだけ。
ついでにりんごのことも頭から抜け落ちてしまっているようだ。
「どこらへんに落とした?」
「おれたちが来た道にはなかったよねー」
「じゃああっちかな?」
うさぎは両手を引かれながら、うさぎはこっそり目に涙を溜めていた。
月から一人で来て、ずっとずっと一人きりで杵を探していた。
もう見つけられないと思った。
寂しいのは嫌だった。
こんなに手放しで親切にされるのは初めてだ。あだ名で呼ばれるのだって。
そんな思いがぐるぐる胸の中で回る。
そんな言葉も涙もこぼすことはなかった。
ただ隠すように笑い、違う言葉を紡いだ。
「あ、ありがとう……どうやってお礼しよう」
仁と紅は顎に人差し指をあてて考える。
「んー、そうだねえ、お肉食べたいかも」
「いいね。らいあんに頼むつもりだったけどうさぎんに……」
「わかった、じゃああとであの焚火に飛び込むね!」
なんだか重いお返しが返ってきそうだ。
普通ならば顔が引きつるところだが、二人はそれを冗談だと受け取ったのか、笑い始めた。
「えーやだよ」
「たしかにお肉は食べたいけどー」
「ぼくたち友達は食べない主義だもん!」
顔を見合わせて「ねー」と首をかしげる。
「あ、じゃあじゃあ、うさぎんのついたお餅頂戴よ!」
「それいい! お肉もいいけどお餅もね!」
「……そんなんでいいの? ただのおもちだよ?」
「いいよー!」
「たべたーい!」
しばらく三人はきょろきょろしながら歩き回った。
はぐれないようにか、やっぱりピクニック気分なのか、三人仲良く手はつないだまま。
時折歌を歌ってその調子に合わせてぶんぶんと振る。
ずっと一人だったうさぎはそれがたまらなく楽しかった。
「そういえば家に杵あったよね?」
「それあげようか?」
「ううん、自分の杵がいいんだ。あの杵はおじいちゃんからもらったやつでね……」
おしゃべりをしながら歩いていると、うさぎは途中で言葉を切った。
その中の誰よりも大きな耳がある音を感知したのだ。
すばやく二人の頭を押さえつけて自分も身を伏せる。
二人は顔面から地面に殴打した。
赤くなったオデコをさすりながら起き上がろうとする二人を押さえつける。
「うさぎん、なにするのさー」
「痛いじゃん!」
うさぎは人差し指を口に当てて、静かにするようにと二人にジェスチャーで訴える。
周りをキョロキョロと見回し、そのまま匍匐前進で木の陰に身を寄せた。
手招きされるがままに仁と紅もそちらへ移動する。
「どうしたのさ?」
「なにかいるの?」
これはただならぬなにかが起こっているのだと察した二人はひそひそ声でうさぎを問い詰めた。
うさぎは依然口を閉じたままで、そっと森の奥を指さした。
そこにはうさぎとおなじ白がうごめいていた。
ただしそれは人間の形ではなく、歪ででかい兎のきぐるみのようなものだった。
「うわー、なにあれでっかいね」
「ぬいぐるみだったららいあん喜ぶかな?」
「生き物だったらかとりんが喜ぶかも」
「でもなんかかわいくないねー」
「あいつら、僕を探してるんだ」
やっとうさぎが口を開いた。
「僕が作るお餅は、ただのおもちなんだ。でもたまにああいうのが生まれちゃう。まさか、追っかけてくるなんて……」
餅兎達をよく見るとたしかに表面がところどころひび割れている。
顔や体、耳の大きさもそれぞれ違うし、全体的に歪でバランスが悪い。
はっきりいってしまえばかわいくない。
そんな餅兎の大軍を見て二人は、焼いたら風船みたいにふくれるかな、なんてのんきなことを考えていた。
「もし杵を取られたら、もっと仲間を増やしてこのまちを侵略しちゃうかもしれない」
うさぎはまた涙声になった。
もうだめだと、あきらめかけているようにも見える。
そして恩人の住むまちに災厄をもたらしてしまうという申し訳なさに押しつぶされてしまいそうな風にも。
「じゃあ、うさぎんの杵が狙われてるんだ!」
「早く探さないと!」
しかし、二人はそんなことは気にしていなかった。
むしろ目が輝いている。
「でもでも、捕まったらどうなるかわからないよ。二人とも、逃げた方が……」
「何言ってんの。お宝さがし、楽しいじゃん!」
「奪い合いとか上等じゃん!」
「スリリングだって上等!」
「ってことで!」
「いそげー!」
三人は木の陰に身を隠しながら進んだ。
餅兎たちにみつからないようにこそこそと。
「ないねー」
「ないないねー」
「こっちにもないなあー」
うさぎはまさか、もうすでに餅兎たちの手に渡ってしまったのではないか。
そんなネガティブな予想が頭をよぎったが二人が一生懸命手伝ってくれていたし、
たまに見る餅兎たちもまだ探し物をしている様子でうろうろしていたため、きっとそんなことはないと頭を振ってその考えを払拭する。
丁度そのとき、仁が嬉しそうな声を上げた。
「あった! ねぇ、あれじゃない?」
仁が指さす先にはたしかに木でできたハンマーみたいなものが落ちていた。
遠くからでもかなり使い古されたものだとわかる。
「あれ! 僕の杵だ!」
「やっぱり!」
「じゃあ、ぼくたちの勝ちだね!」
そういって、仁と紅は杵の方向へかけていく。
うさぎも後を追おうとしたその時。体が横に飛んだ。
一瞬肺の中の空気が押し出されたうさぎは、地面に倒れこむと激しく咳をした。
その音に気付いた人口は振り返り、そして見てしまう。
大量の白を。
どう見ても友好的には見えない、獰猛な目をしている。
二人は顔を見合わせうなずく。
「ぼくは杵!」
「おれはうさぎん!」
口を開くとほぼ同時に、ふたりはそれぞれの方向へ駆けていった。
杵と紅は杵をつかむと転がるように方向転換した。
彼の周りにはまだ餅兎立ちは追いついていなかったが、仁が向かううさぎのところにはすでに一匹の餅兎がいた。
うさぎを吹っ飛ばした奴だ。
そいつは今まさに太い腕を振り上げているところだった。
それがわかると仁は足を速め、爪でその腕を切り裂いた。
一瞬にして伸びた爪は彼が戦闘態勢にはいった証だった。
「仁!うさぎん! 大丈夫!?」
紅は杵をしっかり持って二人のところに駆け寄ってきた。
紅はほかに餅兎がいないか確認しながら返事をする。
「おれは大丈夫! うさぎん、立てる?」
「だ、だい、じょうぶ」
咳き込みながらうさぎは返事をした。
全然大丈夫じゃないことは明らか。
仁は爪で彼を傷つけないように立ち上がらせた。
数歩歩いただけでふらふらしているとわかったため、二人は腕を方に回して支えた。
「後ろから餅兎が来てる!」
「うさぎん、行くよ!」
ふたりはうさぎを引きずるようにして逃げる。
餅兎たちは動きはのろいが、ゆっくりと歩いて大勢くるという光景はなにかしら恐怖があった。
いつもの二人なら余裕で逃げ切れていた速さだが、今は杵とうさぎを抱えているため、スピードが出ない。
「仁、追いつかれそうだよ」
「紅、おれが時間稼ぎするからその間に……」
「二人とも、何してるの?」
前方にいつのまにかフュムが立っていた。二人はあわてて足にブレーキをかける。
「フーちゃん! いいところに!」
「たすけてほしいの!」
フュムはきょとんとしながら首をかしげる。
「とにかく、うさぎんと杵をお願い!」
「説明は走りながらするから!」
二人の勢いに押され、フュムはうさぎを背負い、杵で固定した。
そして二人に言われるがままに走り出す。
二人はいつもどおり交互に話しながら説明をした。
同時に別々のことを話されるよりもずいぶんとわかりやすかった。
「森が騒がしいと思って来てみれば……そういうこと」
フュムは狐の耳をピコピコさせる。
このようせいのまちでは、いやこの世界ではいろいろなことがよく起こる。
多少のトラブルなら動じない。
「とりあえず僕の神社に行こう。そこで治療して助けを呼べば……二人とも止まって!」
混乱しながらも冷静に話していたフュムが突然大声を出した。
二人はその声に従ったというより、驚いて立ち止まる。
「ど、どうしたの?」
「はやく神社に行こうよ!」
フュムは二人の声が聞こえないかのようにきょろきょろとしている。
二人が急かす声は聞こえていないようだ。
しばらくすると前方に白い影が数匹見えた。
何十という数ではないが、彼らを圧倒するには充分な数だ。
「ど、どうしよう……!」
唯一それを察知していたフュムが顔を引きつらせた。
後退はできない。
仁と紅も、前方からの餅兎を見つけると、アイコンタクトをしてうなずいた。
「おれたちが囮になるよ!」
「フーちゃんは隙を見てうさぎんと神社へ!」
そういって、フュムの返事を聞かずに先陣を切って突っ走る。
まず二匹の頭を切り裂いた。そのまま周りの餅兎を見境なく攻撃していく。
最初は暴れまわる二人が優勢に思われたが、数が圧倒的に多すぎる。
二人はすぐに白に覆われてしまった。
フュムとうさぎの安否すらわからない。
お互い背中を預ける体勢で餅兎たちを睨む。
なんだか増えているような気がするのは追いかけてきていた餅兎が追いついてきたからだろうか。
フュム達は無事だろうか。
そんな心配が頭をよぎる。
「どうする?」
「どうしよう」
「どうにかなるよ!」
「そうだね!」
運まかせの決断にいたったそのとき。餅兎たちがいっせいに襲い掛かってきた。
さすがに顔が引きつる二人。
まさに絶体絶命。
思わず硬く目を瞑った。
近くで思いものが落ちる音に思わずビクリとする。
仁は紅が、紅は仁が吹っ飛ばされたと思ったが、背中には相手の暖かさがある。
不思議に思って目を開けて振り返ると、色違いの自分と同じ顔があった。
無傷だ。
キョトンとしていると、あきれた声が聞こえてきた。
「まったく……どこで寄り道してるかと思ったら……なにしてますの」
「らいあん! 待ってましたぁ!」
二人の前には半分のお面をした黄色とピンクと黄緑のカラフルな色合いの女性が立っていた。
彼女は彼らの飼い主。らいあんことライアだった。
「なんですの、この兎さんたちは」
「へェ……これは、調教しがいがありそうね。なんだか凶暴そうだし」
「かとりん! 遅いよぉ!」
続いて現れたのは赤いバンダナの女性。
彼女は二人を教育したブリーダー、かとりんことカトリーヌだ。
モンスターを手懐けるのがたまらなく楽しいらしい。
目の前の見たことない凶暴そうな餅兎を前ににんまりと口をゆがませる。
「おー、かとりんやる気だー」
「さぁさぁどうする? 兎さんたち」
突然の強者の登場に餅兎たちは一瞬慄いたが、何匹かがまた襲い掛かってきた。
結果は残念ながらライアとカトリーヌによって簡単にのされてしまったが。
「懲りない兎さんたちですこと」
「はいはい、次は誰の番―?」
ステッキとドライバーを構える二人の姿に、今度は完璧に恐怖を抱いた餅兎たちは森の中にちりぢりになって逃げてしまった。
「えー、来ないの? 根性ないなあ」
カトリーヌはつまらなそうに口を尖らせたが、おそらくあきらめていない。
機会があったら捕まえて手なずける気だ。
「まぁ、あとは森に入ってきただれかが片付けてくれるでしょう」
「ありがとーらいあん!」
「ありがとーかとりん!」
二人は先ほどのピンチがまるでなかったかのようににっこり笑った。
「いったいなんだったんですの」
ライアは肩をすくめ、武器として使っていたステッキをくるりと回した。
「実はねー……」
「仁くん、紅くん!」
説明をしようとしたところで背中に軽い衝撃を感じた。
うさぎが抱きついてきたのだ。
振り返ると彼の肩越しにその後ろにはフュムがいるのが見えた。
彼らがライアたちを呼んでくれたらしい。
仁と紅のおかげで無事に逃げることができたのだ。
「ありがとうございました!」
「どーいたしまして!」
「こちらこそありがとう!」
三人はお互いぺこりと頭を下げた。
顔を上げてお互いの顔を見て思わずふきだしてしまった。
緊張が解けたのと、安心したのでしばらく笑いが止まらなかった。
ひとしきり笑った後、うさぎは言った。
「僕、帰らないと」
すこし寂しそうな声だった。
「どうやって」
「帰るの?」
「お月様の光に照らされたら月に帰れるんだ。きっとここにいられるのはあと数分」
今までは雨のおかげで月に帰ろうにも帰れなかったらしい。
「そっかあ」
「またきてくれる?」
「もちろん! またくるよ」
三人は指切りをする代わりに手をつないだ。
「じゃあね!」
「それじゃだめだよ」
うさぎが言うと仁が不満そうに言った。「え?」と、戸惑ううさぎに答えを教える。
「またね、って言わないと」
「そうだよ、また会うんだから」
うさぎはそっかと、なんだかくすぐったそうに笑った。
「……またね!」
「「またね!」」
二人がぎゅっと力を込めると、うさぎはぎゅっと握り返してくれた。
次の瞬間、目の前にはうさぎではなく、森の向こうにでている月が見えた。月に帰ったのだろうか。
「ねぇ、いったいなんだったの?」
「あの子はいったい……?」
事情がわからないライアとカトリーヌは不思議そうな顔をして、背中を向けて月を見上げる二人に質問をなげかける。
突然消えた彼は誰だったのか、あの餅兎たちはなんだったのか彼女たちには見当がつかない。
仁と紅は笑って振り返る。
「うん、説明してあげる」
「さ、おうち帰ろう!」
「りんごは置いてきちゃったから」
「お餅で許してね!」
二人は餅兎の残骸、を拾い集める。
破片になったそれはピクリとも動き出すことはなく、ただのおもちだった。
それを両手いっぱいに拾い集めると三人を引き連れて森を出る。
相変わらず交互に口を開いて新しい友達のことを話した。
「そんなことがあったんですの」
「あたしも一緒に来ればよかったなあ。面白そうだったのに」
「うさぎさん、帰っちゃったね。寂しい?」
フュムが聞くと、二人はぶんぶんと首を振った。
「ううん、全然!」
「またね、っていったもん!」
「また会えるよ!」
「うさぎん嘘つかない!」
今日あったばかりなのに、まるで旧友かのように信じきっている。
そしてその新しい友人に会ったときから考えていたことを提案した。
「そうだ、花火とか肝試しがだめならさ!」
「みんなでお月見はどう?」
どう? と三人の顔を覗き込む。
その顔には憂いなど欠片も見えない。
却下されてもこっそり準備をするつもりなのだろう。
そういう顔だ。
イタズラを考えているときに似ているようにも思える。
「……それも季節外れですけど」
「まぁいいでしょ」
だが、こそこそする必要はなくなった。
やったあと思わず万歳をしかけてお餅を落としそうになる。
そしてまだ半分くらいかけた月を見上げなにを準備するべきか、実に楽しそうに語り合った。
まだ満月までまだまだ時間がある。
その日から二人は指折り数えて満月の日を待つことになる。
それは月に帰ったうさぎも同じだった。
満月の日。彼らは月を見上げ、うさぎは月から見下ろす。
おそらくお互いの姿も声も確認はできないだろう。
それでもいいのだと彼らは言って満面の笑みを浮かべた。
Fin…