この葬式は嘘ばかりだ。
「この度はご愁傷様です」
嘘だ。
「こんなに早く逝っちゃうなんて、寂しくなるわね」
これも嘘。
「きっと、彼女は幸せだっただろうさ。死に顔がこんなにも穏やかなんだから」
全部嘘だ。嘘ばっかり。
誰もそんなこと思ってない癖に。この空気も、神妙な顔も。全部嘘だ。
嘘ばかり吐いて、悲しんだふりして。ここには嘘吐きしかいない。誰も彼も。
でもその中でも、一番の嘘吐きは私だろう。ここにいる資格なんてないのに。平然とここにいる私が一番の嘘吐きだ。
こうも嘘に塗れていると、この死体さえも嘘みたいに思えてくる。
棺桶の中で静かに眠る姑は本当に綺麗だった。昔はモテたんだろうな。とか、昔は美人だったんだろうな。みたいな過去の美ではなく、今も、死んだ今でさえ息を呑んでしまう程の美女。
多少の皺はありながらも、手入れされた肌。長いまつげ。通った鼻筋。真っ白でも真っ黒でもないグレーの髪は、年相応の美しさと上品さを演出している。死に化粧をしてもらって、素敵な服を着せてもらって、花の溢れる棺桶の中にいれてもらって。そうやって美しく装飾されて、横たわっている姿は人形のようだ。白雪姫の死体を持ち帰った王子の気持ちが、わからないでもないなと思った。
でも、残念なことに彼女は、優しく美しい白雪姫ではない。目を覚ましても小人に優しい言葉をかけることも、小鳥にそっと愛情を注ぐ事も、王子様にお礼を言うこともない。ありえない。
その大きい瞳を開けたら、すぐさま赤い口紅を塗られてたその口で私への罵倒し、一人息子へは理不尽な愛を投げつけ、舅には見下した視線を向けるのだろう。
生前と変わらないように。
自分で想像してゾッとした。実は生きていて、眠っているだけだったら。私を断罪する機会を探しているだけだったら。そんな妄想に捕らわれる。
棺桶を移動する時運んでいる人が躓いて、喉に詰まった毒林檎が飛び出して生き返るんじゃないかって、ちょっと不安になった程だ。彼女の死因は、毒林檎なんかじゃない事を私はわかっているというのに。ちゃんと死んでいる事は何度も確認したというのに。
淡々と式は進み、お別れを告げるとやっと、棺桶は完全に閉じられる。蓋が閉められ顔が見えなくなった時、不謹慎ながらも少しホッとしてしまった。
葬儀場から火葬場へ場所を移し、お義母さんは火にかけられた。
施設の担当者の説明ではここから、一、二時間程待つことになるとのことだった。その間は、ロビーや控室を自由に使っていいそうだ。控室にはお茶やお菓子が。ロビーには自動販売機等が置かれている。
大抵は冷房が効いて、椅子もある控室に引っ込んだ。葬式をよくわかっていない子ども達は走り周り、大人達はさっそく談笑を始める。夫の修さんは、この後の段取りについて話を聞きに行っているため、姿は見えない。その隙に、一人のおば様が私に近づいてきた。
「発作で急だったそうね」
親戚だということ以外、関係性のわからないおば様は、お茶を飲みながら無遠慮に聞く。今日似たような質問を何回されたことか。
「ええ……。すぐに薬を飲んでいれば助かったかもしれないんですけれど、パニックになったんでしょうね。そのまま……」
「まあ、そうなの。でも、びっくりしたでしょう? 帰ったら死んでたんだって?」
「……ええ、本当に驚きました」
いつのまにそんな情報を入手してきたのか。この手の噂の広がりの速さは異常だ。
第一発見者は私だった。彼女は玄関からすぐの廊下に倒れていた。救急車に連絡したときには時すでに遅し。息を引き取ってしまっていた。
その経緯を簡単に話すと、おば様は神妙な顔で相槌を打った。そして周りを気にしながら声を潜める。
「でも、あれよね。ある意味バチが当たったのよね」
普通、遺族にこんなことは言わない。
確かに、お義母さんの私への扱いは周知の物だったし、家族だけではなく周りへの態度には、かなりの問題があった。一人息子の修さんさえ彼女のことをとにかく嫌っている程だ。
そんな背景があったとしても、そんなことをわざわざこんなところで言うこの人は、どれだけ無神経で図太いのだろう。いくらお義母さんの自業自得なところがあるとしても、人間的にどうかと思う。
羨望と、服従と、恨み。お義母さんへの視線の種類は大方その三つのどれかで構成されてた。目の前にいるおば様は羨望と恨みの視線を彼女に向けていたのだろう。
不快感を表に出さないよう、私は曖昧に笑う。ぞんざいに扱うわけにはいかない。下手な態度をとってしまったら、今後の軋轢のもとになってしまうから。
「……もっと早く帰っていればとも、思うんですけど」
またそんな心にもないことを言いながら、私は他の話題を探すが、おば様は先回りをするかのように話を続ける。
「あら、そんな自分を責めないで。貴女のせいじゃないわ」
修さんも何度もそう言ってくれた。私のせいじゃない、私が悪いのではないと、慰めてくれるけれど、やはりあれはどう考えても私のせいだ。私がお義母さんを殺したのだ。でも、私も嘘吐きだから。その言葉を否定せず有難く受け取って、平気な顔でここにいる。
「いえ、でも……」
「だから、自分を責める必要はないって。あんまり気負うなよ」
突然話に割って入ってきた声に驚いて振り返ると、いつの間にか修さんが帰ってきていた。
修さんが登場してもなお、おば様は悪びれる様子もなく笑顔を浮かべる。
「あら、修ちゃん」
「直子叔母さん。ご無沙汰してます」
「悪いわね、葬儀に遅れちゃって」
「いえいえ、突然でしたから。九州からわざわざありがとう」
叔母さんと呼んでいるということは、お義父さんかお義母さんの御姉妹なのだろう。この口の悪さはお義母さんの血筋だろうか。でも、この人のよさそうな顔はお義父さんに似ている気もする。
叔母さまと一通り会話を終えると、修さんは私に片手を拝むような仕草をした。
「悪いけど、父さんをみてきてくれないか? 一人にするのはちょっと心配なんだ」
「え、でも……」
「頼むよ。たぶん、外にいると思う」
ひらひらと手を振る修さんは、すぐに親戚の誰かに呼ばれてしまった。
多分、私に気を使ってくれたのだろう。正直言って、確かに少し息苦しさを感じていたため、お言葉に甘えて私はその場を離れることにした。
それに、お義父さんが心配なのは私も同じだった。今、一番辛いのはあの人だろうから。
ロビーまで出てくると、窓の外にお義父さんの姿を見つけた。私は自動販売機でコーヒーを二つ買って外へ向かう。
自動ドアを通り外に出ると、虫や、しけった空気、青空と入道雲が夏を主張してきた。日差しに思わず少し目を細める。
お義父さんはドアからすぐ右手にある日陰のベンチで背中を丸めていらっしゃった。その隣に腰を下ろして、缶コーヒーを差し出す。私に気づいて顔を上げたお義父さんは微笑んで「ありがとう」と受け取ってくれた。
プシュリと音を立てて、缶を開ける。どうやら喉が渇いていたらしく、冷たいコーヒーはとても美味しかった。
そのまま数秒の沈黙。
お義父さんはもともとあまりしゃべらない人だから、一緒に暮らしている間にこうやって無言になることはよくあった。でも、今日はその沈黙が少し重たい。なんて声をかけようかと思案しながら、缶に口をつける。
三口目を飲み込んだところで、お義父さんが口を開いた。
「君には本当に苦労をかけたね」
枕言葉も前置きもなく、お義父さんは言った。予想外ではない言葉。だが、あまりにも唐突に、まっすぐに投げられ、私は少々動揺してしまった。
何とか絞り出した「いえ、そんな事――」という言葉は形だけの否定の言葉は表面を上滑る。本心でないのは誰が聞いても明らかだ。だが、それ以上の言葉が浮かばない。私はこんなにも会話をするのが下手だっただろうか。
焦る私とは対照的に、お義父さんは落ち着いた様子で、そのままポツリポツリと話し始めた。まるで、晴れた日に降るキツネの嫁入りみたいな話し方だった。
「あれは昔から性格のきつい女でね。気に入らない奴は徹底的にひれ伏させる。媚びて近寄る奴は手のひらで転がして遊ぶ。とにかく思い通りにならないことが嫌いなタチでね。あたしなんて、きっと丁度いいおもちゃだっただろうね」
ニコニコと皺を作るお義父さん。四角い眼鏡の奥の瞳はおだやかで、少しばかり寂しそうだ。その視線を私へ向ける。
「ああ、でも、君のことは少し気に入ってたみたいだけどね」
また嘘だ。お義父さんまでも嘘をつくのか。しかもそんな見え透いた嘘を。
苦虫を噛み潰したように顔をしかめそうになるのを堪えて、笑顔を浮かべる。相殺されて、困ったような表情になってしまったが、不自然ではないだろう。
「……そうでしょうか、だったら、嬉しいです」
そして、やはり私も嘘を返した。
嬉しいわけがない。そもそも、私が気に入られてたなんていうのがまずありえないのだ。私は絶対、気に入らないやつに入っていたはずなのだ。気に入っていたというのも、同族にシンパシーを感じた程度だろう。ああでもそれですら、感じていたとしたら、気に入られていた部類なのかもしれない。彼女は人の好き嫌いが激しく、その割合はかなりの偏りがあった。手放しでお気に入りと言えたのは息子の修さんくらいだっただろう。
お義父さんは眉を下げて、私に謝った。
「すまないね。あいつにはあまりいい思い出はないだろうに」
それは本当のことだった。彼女とは最初から最後までいい思い出がない。
最初、挨拶に行ったときはそれはそれは驚いた。初対面の人にここまでの態度がとれるのかと。いくら私の立場が下だとはいえ、そんなことをするなんて。修さんがお義母さんと私を会わせることをかなり渋っていた理由がそこで分かった。人間にはこんな人もいるんだと純粋に驚きが大きかったのを覚えている。
最愛の息子を横取りした邪魔な小娘。それが彼女にとっての私の立ち位置。修さんは実の母である彼女を嫌っていたが、彼女は一応、一人息子に対して愛情というものを持ち合わせていた。それが例え、暖かいものじゃなくても、自分よがりなものでも、彼は彼女に一番愛された人間だった。おそらくお義父さん以上に。
そんな宝物を盗った、泥棒猫というべき小娘に、彼女は容赦がなかった。
結婚してからは朝から晩まで、嫁いびりのオンパレード。嫌悪感を表現することにかけて、彼女はピカイチだった。むしろそのアイデアの多彩さと、ボキャブラリーの豊富さ、周りに隠しもしない度胸に、清々しさどころか、感心さえしてしまうことがあった。
結果、私より先に修さんの方が我慢の限界を迎えて、別居を申し出た。そもそも同居も、修さんは納得していなかったのに、半ば騙されようにいつのまにかそうなっていた。彼女は美しいうえにずる賢かったのだ。
もちろん反対されたけれど、修さんが徹底抗戦。お義母さんは完全に納得していなかったが、無視して二人で家を出る準備をしていた。
彼女が逝ってしまったのはその矢先だった。
買い物から帰って、玄関を開ける。外は炎天下だというのに、家の中はやけに涼しくて。冷えた汗が顎を伝う。蝉の声が、何故か外よりもうるさく感じた。
倒れたお義母さんの髪は乱れ、顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃ。あの棺桶の美しさはなく、どちらかというと悪い魔女のようだった。持っていた買い物袋はやけに重くて、でも何故か冷静に、卵を買い忘れたことを思い出していた。
それが、私とお義母さんの最期の思い出だった。
結局、お義父さん一人残すわけにいかず、別居の話も白紙になってしまったのだが、そもそも、出ていく理由はもういないのだから問題はない。
「あいつを止めることができなかった、同罪のあたしに、思い出話をされたって困るだけだよね。……でも、少しだけ話を聞いてくれないかい? いや、聞いてなくてもいいんだ。あたしの声は虫の鳴き声だと思ってくれていい。ただ、そこに座っていてくれればいい」
アイスコーヒーの温度と外気温の差で生まれた結露が缶を伝い、地面にぽたりと落ちた。足元のコンクリートに小さなシミができる。
「聞かせてください」と答えると、お義父さんは小さくお礼を言った。お礼を言われることではないのに。
確かに、お義父さんは見事に尻に敷かれていた。それはもう本当に見事に。様式美と言っていいほどのかかあ天下。だから、私への扱いを咎めることはしなかった。だけど、後でフォローやお手伝いをしてくれた。そのお礼だ。
お義父さんは仕切りなおすように。ごくりとまた一口喉に流しいれる。
「あいつのどこに魅かれたのか、正直自分にもわからないんだ。さっきもね、ぼんやりとあいつとの思い出を振り返っていたんだけれど、思い出せば思い出すほど悪い女でね。なんで結婚したのか、自分で不思議に思っちゃったよ」
お義父さんはおどけて言うが、私は相槌も打ちにくく、とりあえず「あはは」と、から笑いをした。お義父さんは白髪交じりの頭を掻く。
「本当になんでだろう。本来あたしは忍耐強い方でもないから、見た目が好みだからってだけで、あいつの性格に我慢できるとおもえないし。自分が彼女を変える、なんて大それたことができるとも、これっぽっちも思えないんだけどなあ」
確かに、前にお義父さんから聞かせてもらった、いくつかのエピソードは素敵な恋の思い出とも、暖かい愛の思い出とも言い辛い。でも、それを話すお義父さんの表情は、とても楽しそうだった。その思い出を本当に愛おしく、懐かしく思っているのだろう。
本人は無自覚なのか、「なんでだろうねえ?」と首をひねっている。それは、誰しもが聞きたかったことだろう。
お義父さんはそこでふと上を見上げた。「でもね」と続ける、その表情には変わらず微笑みが浮かんでいる。
「でもね、一緒になったことに不思議と後悔はないんだよねえ。修はあいつのこと嫌ってたみたいだけど、今となってはそれなりに幸せな家庭だったかな、なんて思っちゃうんだよ。感覚麻痺してるんだろうね。あいつと長いこと一緒にいたからさ」
こう言ってはなんだけど、こうしてお義父さん単体で見ると、お義母さんと釣り合っていない。お義父さんを表現するなら、良く言って、優しく穏やかな人。悪く言って、パッとしない人。
端から見たら、お義父さんはお義母さんの見た目が目当てで、お義母さんは遺産目当てでお義父さんと結婚したと思われていただろう。でもそれは間違いだ。
実際のところ、お義父さんは資産家の息子というわけでも、大企業の社長でもない。お義母さんは綺麗だけど、それ以上に棘と毒が多すぎた。いくら見た目が麗しくても、あんな扱いをされたのでは、どんな釈迦も聖人君子も、マゾヒストだって逃げ出してしまう。
「ただ、あれだね。……やっぱり、愛した人が死んでしまうと悲しいものだなあ」
それでも、それでもなお、二人に愛があったというのはわかった。それは驚くべきことに、お義父さんだけではなく、お義母さんもだった。息子ほどの愛はなかったにしても、きつい言葉をかけていても、彼女は彼を愛していた。少なくとも私の目にはそう見えた。
お義母さんならいくら性格が悪くとも、選ぶ相手だけはよりどりみどりだっただろうに。お義父さんだってあの性格ならもっといい人と暖かい家庭を築けただろうに。
それでも彼女は彼を選んだ。そして彼も彼女を選んだ。それは確かなことなのだ。
「ごめんね、面白くもない話を長々と」
一瞬、目の皺の間が光ったように見えた。きっと、今、彼女の死を心から悲しんでいるのは彼だけだ。お義父さんがそっと目じりを拭ったのは、見なかったフリをした。
「さて、暑いし、中に入ろうか。悪いね、つまらない話を長々と」
「いえ……。私はコーヒーを飲んでしまってから行きます」
コーヒーの缶を振ると、ちゃぷちゃぷと底で音が鳴った。あと、一口二口くらいだろう。でも、なんとなく今はお義父さんを一人にしてあげたい。そうした方がいい気がした。
「そうかい。熱中症にならないようにね」
お義父さんは私の思惑にも言動にも特に気を留める様子はなく、そう言うと、中に入って行ってしまった。
腕時計を見る。残り時間はあと三十分程と言ったところだろうか。
しばらく、そのまま空を見上げ、ぼんやりする。今の火葬場には煙突がないんだなあ、とのんきに思った。遠くからは子どもの笑い声が聞こえてくる。通学路が近くにあるのだろう。微かに塩素の匂いがした気がした。プールの授業があったのかな。
そうやって、もうぬるくなった、あとちょっとのコーヒーをチビチビ飲んでいると、修さんが外に出てきた。
「暑くない?」
黒いネクタイを緩めながら聞いてきた。私はそうだね、と答える。
ベンチの隣に備え付けの灰皿が置いてあるのを見つけると、修さんは煙草を一本くわえた。ライターで火をつけ、煙を吐く。
「これでやっと清々したな」
「そんな言い方……」
あまりにもあんまりな言い方に、私は咎めるように言った。だが、彼は気にするそぶりも見せず、無表情で煙を吐き出す。そのまま、煙草を右手に持ったまま、空を見上げる。なにかを考えているようだ。
「その、さ。なんていうか。お前には苦労かけたな」
投げるかどうか迷い、そっと転がしてきた言葉は、 お義父さんに言われたのと同じ言葉だった。だけど、こうも受ける印象が違うのは何故だろうか。
「……俺はさ、昔から母さんが嫌いだったんだ」
その話し方も、お義父さんが狐の嫁入りならば、彼のは柔らかくて控えめな霧雨のようだ。気づかないふりをしてくれてもいい。そんな話し方。
「顔ばかり綺麗なのに、他は全部汚くてさ。皮肉なことにその嫌いな奴に俺は似ちまったワケだが」
自嘲気味に彼は笑った。確かに大きくてきつそうな印象を与える目や、口の悪さ、何でもはっきりと言ってしまう度胸はお義母さんを感じさせる。
でも、彼はお義父さん似だと私は、常々思っていた。ほんとうに思っているのに、私がそう言うと、彼は決まって遠慮がちにお礼を言った。おそらく私が気を使って言っているのだと思っているのだろう。
でも、私は知っていた。彼が、一人で泣いていた事を。喧嘩ばかりしていた母親の亡骸に、謝罪の言葉をつぶやいていた事を。
彼がふーっと吐き出す煙草の細く長い煙は、まるでここにない煙突の代わりに、燃えているお義母さんの煙を吐き出しているようだった。あれは亡くなったお義母さんへの弔いの煙なのだ。
「俺さ、お袋に似て意地が悪いけど、ずっと一緒にいてくれるか?」
じっと私を見つめる。その表情は今までになく緊張していた。告白の時も、プロポーズの時も、こんな表情したことなかったのに。
「今更ね」
不安そうな彼に向かって微笑むと、彼は安堵の表情を浮かべた。私は立ち上がり、彼の顔を覗き込む。
「貴方こそ、こんな私と一緒にいてくれる?」
私が聞き返すと、彼はくしゃりと笑った。
「当たり前だろ」
「ありがとう」
火葬場で、こんな会話は不謹慎以外の何物でもないだろう。でも、私達には今その確認の会話が、ベストタイミングに思えた。結婚式の誓いの言葉よりも、その言葉は重く、誠実なものだった。
彼と話しているとき。その時だけ、私は本当のことを言っていた。お義母さんが死んでから、私は嘘しか吐いていなかった。でも、今の、彼との言葉は全部全部、本当のことだ。
修さんは時間を確認すると、灰皿に煙草を押し付けて火を消した。
「……そろそろ時間だ。中に入ろうぜ」
照れたように向けられた背中に私はポツリと漏らした。
「やっぱり、貴方はお義父さん似よ」
だって、こんなにも平然とした私と、一切の罪悪感を感じていない私と、一緒にいてくれるなんて言ってくれるんだから。
「何か言った?」
「ううん。蝉の声じゃない?」
私はしらばっくれる。彼は特に深く考えず「そっか」と納得して自動ドアをくぐった。 彼に続いて、私も施設内に入る。冷たい空気が私達の体を冷ました。
その感覚が、あの時のことをまた思い出させた。
玄関。倒れたお義母さん。顔面蒼白で、息も苦しそう。
そう、私が帰ってきた時、彼女はまだ生きていてたのだ。
救急車を呼ぶための電話はすぐそばにあって、薬の場所もちゃんとわかっていた。それでも、私は何もしなかった。そのままきびすを返し、買い忘れていた卵を買いに出かけたのだ。
自動ドアが閉まると、もう蝉の声は聞こえなかった。
運がいいことにそんな私を目撃した人はいない。その時は何も考えていなかったが、誰かに見られていたら私は真っ先に疑われ、罪を問われていただろう。
二度目の帰宅で、私はやっと一一九に電話したのだった。そう、お義母さんを殺したのは私。直接手を下したわけではないにしても、言い訳もできない。でも、私はお義母さんを見捨てたことに、なんの罪の意識も後ろめたさも抱いていない。あるとしてもそれは、貴方と、お義父さんへに対しての、ほんの少しの罪悪感。そして、これで平和に暮らせるという幸福感。
前を歩いている彼を見上げる。
貴方は嫌いな母親以上の悪女と結婚したのよ。
骨になったお義母さんは生前の綺麗さを全て焼き尽くされていた。箸で渡して、小さな箱に入れられる。最期のひとかけらを入れ、蓋を閉められる。
安心して、お義母さん。貴女とは全く分かり合わなかったけど、貴女が愛したあの二人はとてもいい人だから、大事にするわ。
私は笑顔をこらえながら小さくなったお義母さんに別れの言葉を告げる。
「さようなら」