カオスパーティー第十章 第四話『「わかりやすく敵になってやる!」』

もう一人のアルトがパチンと指を鳴らすと、視界がまた外の世界に戻った。 そして最初に目にしたのは自分目掛けて飛んできている矢だった。 「でぇええ!?」 間の悪いことに丁度、ジェンが矢を放ったところだったのだ。 先ほどとは違い、体が思うように動かせるが避けきれない。 覚悟をして身をぐっと固くする。 すると、黒い手が動き盾になってくれた。 ジェンの放った矢は黒い手に刺さり、アルトに届くことなく動きを止めた。 黒い手の動かし方を、アルトはよくわかっていない。 偶然動かせたのか、もう一人の自分が動かしてくれたのか。 とにかくジェンの攻撃は当たらなかった。 アルトの心臓はドッドッドと動いている。死んでいない。 「……っぶねえだろジェン! 殺す気か!」 「殺すわけねえだろ! ……ってツッコミ!? もどったのか!?」 「えっ」 「へっ」 上空からミィレの声が、背後からソフィアの声がした。 上からはミィレが薬瓶を丁度落とし、振り返るとソフィアが迫ってきているところだった。 思わず「うそだろ!?」と悲痛な悲鳴を上げたその時。 黒い手がアルトを多い、黒い球体となって包んだ。 ソフィアは黒い球体にぶつかり、ミィレの薬瓶が爆発した後に、黒い球体は溶けて姿を消した。 中から黒いアルトが目を白黒させて現れる。 「一体……」 「ツッコミ! 意識戻ったのか!?」 「ええ!? 戻っちゃったの!?」 「おいソフィア! なんで残念そうなんだよ! ……ったく」 アルトはがっくりうなだれる。それを見てミィレが警戒を解く。 「やっぱり戻ったみたいね! にこにこ! まったく、大変だったんだからね!」 だがしかし、アルトはその言葉にゆっくり視線を落とした。 「……迷惑かけたな」 アルト自身さえもわかっていなかったが、そのとき浮かべていた笑顔は、もう一人の自分と同じく寂しげだった。 三人がその表情に気づくより先にアルトは虚空に向かって呼んだ。 「禁書」 そう大きい声ではなかった。 せいぜい、独り言にしてははっきりとしている、というぐらい。 しかし、禁書は彼女の声にこたえて姿を現した。 アルト以外の三人はかすかに息を呑む。 「覚悟を決めたようですね」 アルトの周りをゆっくりと旋回する。 赤い背表紙。 時折、ページを広げて鳥のようにはばたいている。 ぐるぐる、ぐるぐると回る赤い本をアルトは目で追いながら「……ああ」とうなずいた。 ぽかんとするジェンとミィレをソフィアがつついた。 「あの本、影がないわ」 「ってことはマジの禁書か」 ジェンはランタンを構え、禁書に向かって狙いを定めようと近づこうとしたが、それをソフィアに止められた。 無言で足元を見るソフィアにつられてジェンも下を向くと、アルトを中心にして魔法陣が展開されていた。 「いつのまに……」 さらにソフィアはその魔法陣を超えるようにレイピアを突き出してみた。 バチリ、と音がしてはじかれる。 簡単な結界のようになっているようだ。 ジェンは舌打ちをする。 チャンスはきっとあるはずだと自分に言い聞かせて、しぶしぶランタンをおろした。 その結界があるから安心しているのか、禁書はartの三人に見向きもせずアルトへ語り掛ける。 「私は今契約中の身です。我々禁書は一度に一名としか契約ができません。ですので…………」 「ちょっとちょっと、いきなりなんなの?」 ミィレがいちゃもんをつけるように前へ出てきた。 もちろん、魔法陣は超えないギリギリの位置だ。 アルトからたっぷり5歩以上は離れている。 「アルトったら、まぁだ意地張っちゃってるわけ?」 不自然なくらいにいつも通りのからかうような声でアルトに語り掛ける。 いつもなら挑発のようなこの言葉に過敏すぎるほど反応し乗ってくるはずのアルトは、冷静に否定の言葉を口にした。 「違う。放っておいてくれ」 続いて前へ出たのはソフィアだった。 「放っておけるわけないでしょう。とにかく一旦冷静になりましょう」 「そーそー、お話ししよ? ってか、全部片づけてからにしない?」 手を差し伸べるかのような言葉。 禁書に手を出そうとしている自分のための行動だと見えてうぬぼれてしまいそうになる。 違う。駄目だ。惑わされてはいけない。絆されてはいけない。 「やめてくれ。これは、償いなんだ。頼むから止めないでくれ」 「償いだか何だか知らねえけど、ほんとにそれしかないのかよ」 ジェンが言う。 「ない。もうこれしかない。禁書に頼るしか……」 アルトはこれ以上考えたくないというかのように頭を抱えた。 そんな彼女にartは声をかけ続ける。 「ほんとのほんとに? ちゃんと考えた?」 「アルト。その禁書は敵でこそあれ、仲間じゃないわ」 「ツッコミがボケてんじゃねえって何回言わせる――」 「ッ私は!」 三人の声を横から殴るように遮った。 ぎゅうと、服をつかんだ。 心がふわふわする。 駄目だ。駄目だ。駄目なんだ。 ――こんなに、うれしくなっちゃ、駄目なんだ。 「私は、一人で生きていくって決めてたんだ。誰の力も借りず、自分の力で生きていくと。できるだけ人に迷惑かけないように、関わらないように、同じ毎日をただひたすら繰り返して。たまにあるちょっとしたいいことで幸せを感じるくらいで、ちょうどよかったんだ。ワクワクやドキドキなんて、小説の中だけで十分だったんだよ! なのに!」 水分を伴った声で続ける。 「……楽しいって、思っちまいそうになった」 きっと彼女たちが自分を止めてくれるのは、余計に面倒になるからとか、エゴとか、楽しくなさそうとか、自分たちの都合の部分が大きいのかもしれない。 そうなんだとしても、堕ちるところまで堕ちようとしている自分を見捨てないでくれていることが嬉しかった。 でも、それじゃだめだ。 手伝ってもらって、それで一人前なんて。 支えてもらってやっと合格点だなんて。 そんなの……。 「何がいけないの? それ」 ミィレがきょとんとした。 アルトはその反応に呑まれて、一瞬混乱した。 「何が……って……」 「楽しいもんは楽しいじゃん。感情だもん。感じちゃいけなくない? てか無理じゃない?」 「つーか、ツッコミがつまらん人生を送ったところで誰得なんだよ」 「それは……」 ジェンのツッコミに言葉を詰まらせる。 これは両親や兄、今まで迷惑をかけた人への償いだ。 しかし、その対象となっている人はだれ一人として人の不幸、ましてやアルトの不幸を喜ぶ様子が思い浮かばない。 むしろ自分が笑顔になったら一緒に笑ってくれる人たちばっかりで。 全員優しくて、大好きな人だった。 じゃあ、私の今までの行動は、一体。誰のために? 「ねえ、アルト、何があったのかは知らないけれど、アルトのそれは、本当に償い?」 ソフィアに問われ、アルトは瞳を揺らす。 楽しいって思っていいのか? 友達が、仲間がいて、いや、近くに人がいてうれしいと思ってもいい? ――自分は間違っていたのか? 一瞬そう思ってしまい、アルトはハッとする。 『「うるさいッ!」』 アルトともう一つのあるとの声がピッタリと重なった。 頭ではなく心で思ってしまったそのことを力いっぱい潰すかのような声。 はたから見ると、それは彼女の独り相撲。 一人で癇癪を起してわめいているようにしか見えなかった。 アルトは頭をガリガリとかきむしる。 違う。違う違う違う! 今まで、自分はずっと、償いのために、そして兄を自由にするために生きてきた。 何も知らないくせに、こいつらは何を言っているんだ。 無責任なことばかり。 だって、だって私は……。 「じゃあ、私は、好きにしていいっていうのか! じゃあ、契約をさせてくれよ! それが、私の願いだ!」 アルトの叫びに圧倒されたのだろうか、三人は黙って目を見合わせた。 代表してソフィアが口を開く。 「わかったわ。本当にそれがアルトのしたいことなのね」 あっさりとした返事。 拍子抜けよりも、それにショックを受けたことにアルトはショックを受けた。 これは自分にとって好都合なのに。 なんで、こんなに嫌な気持ちが胸いっぱいに広がるんだろうか。 「なんだよ、散散邪魔したくせに……」 「だって、それがアルトのやりたいことなんでしょ?」 「……ああ、そうだ。そうだとも」 「結局はツッコミがどうしたいかだつったろ? 後は自己責任だって」 確かにジェンは前にもそう言った。 自分がどうしたいか。 このままartとしてこいつらと過ごしたいか、自分に罰しながら罪悪感と共に生きるか。 決められない。 だからこれまでもずっとずっと悩んでいたんだ。もう一人の自分が生まれるほどに。 どちらを選んでも必ずどちらかがひっかかりになる。 後悔が確定している選択肢。 かといってやはりアルトにはそれ以上の方法なんて思い浮かばない。 「……私、は……」 視線が揺れる。 『なんでそんなに意志が弱いんだ。なんで私はそうやってすぐ流されるんだ! なんで……私はそんなに……』 「だって、違う。違うんだ」   償いたいという心も本心なのだ。だからこそ、決められない。 ぐらりとアルトの目の前が揺れた。 頭の中に響くのは自分の声だ。 ふらついたアルトに三人は近づこうとするが、魔法陣が結界のようになっているせいで近づくことができない。 「アルト? 大丈夫?」 「来るな!」 アルトは吠えた。そして、きっと三人を見据える。 自分の声が頭に響いた。 『わかった。もう、私がやるから、代われ』 「うるさい、全部自分でできる……」 『いいから、どけ!』 気が付くと、アルトはまた黒い心の中に入ってしまっていた。 その空間に響くように外の世界の音が聞こえてくる。 『さっきからごちゃごちゃと、うるせえんだよ! おい、禁書!』 もう一人のアルトが、周りを羽ばたいている禁書を見上げる。 禁書に目も鼻もない。 だからどこを向いているかわからないが、声が聞こえていればいいだろうとアルトは続ける。 『さっさと契約させろ!』 「まだ前者の契約が達成されていませんので、仮契約となります」 『それでいい! さっさとしろ! 私を……消してくれ!』 もう一人のアルトが叫んだ。叫んでしまった。 禁書がゆっくりと降りてきた。 そして、ふわりとアルトの目の前で止まる。 開かれたページには、文字はなく魔法陣だけが描かれてあった。 それが契約の為の魔法陣ではないということはなんとなくわかった。 『……なんだこれ』 「これは強化の陣です。仮契約のおまけ、みたいなものでしょうか」 『おまけ……』 「本契約は後程行いますが、これに触れていただければ契約はお約束します。ちゃんと、願いをかなえて差し上げますよ」 禁書は胡散臭い笑みを浮かべたような気がした。 ドクン、とアルトの体の心臓が跳ねた。 その鼓動はもう一人のアルトの物なのか、アルトのものなのか。 否、これは"アルト"の心臓なのだ。 どちらの鼓動でもありどちらの鼓動でもないのだろう。 『ああ……礼を言うよ。これで大手を振って奴らとバイバイできる』 表に出ているもう一人のアルトは押さえることができず、口の端が持ち上がるのを手で隠した。 心の中でアルトはそれを聞きながらぺたりと座り込む。 「そうだな……自己責任だよな」 その呟きは契約への絶望にも、解放からの安堵にも聞こえた。 本当はどうしたかったのだろう。 どうするのが正解で、どうしたらすべて納得できたんだろう。 どうやっても後悔が残る気がした。 この選択でさえ、後ろ髪が引かれている。 でももう、どちらでもよかった。 とりあえずどう転んだって、アルトは一人になれる。 もう一人のアルトがゆっくり強化の陣に手を伸ばす。 そこに、ジェンの能天気な声が挟まった。 「まっ、だからってわっちらが我慢するとは言ってないけどな」 『……は?』 その言葉にピタリ、ともう一人のアルトは動きを止めた。 アルトも心の中で顔を上げる。 ミィレが「なにびっくりしてんの?」ときょとんとした声を出す。 「わたしたちだってわたしたちのしたいようにするに決まってんじゃん。嫌だったら全力で拒否してね。わたしたちが飽きるか、あきらめるまで」 『なんだよ、それ……』 もう一人の自分の声は震えは、どの感情によるものなのだろう。 ミィレから目をそらそうとして、ソフィアと目が合った。 「それでいいんじゃないかしら。とりあえず。俺たちが丸だって言えば丸なのよ、そうでしょう?」 『……そんな、詭弁……。お前らだって私の被害者になるかもしれねえんだぞ!』 「あのな、わっちらがそんなに優しいように見えるか?」 「安心して、自分のやりたいようにやるから。危なくなったら遠慮なく逃げる」 「それに、俺達そんなにヤワじゃないわよ」 「わかった? 覚悟してよね、アルト」 私が好きにするから自分たちも好きにする権利がある? 心の中にいるアルトは思わず噴き出した。 そうだ、彼女たちが自分のために我慢なんてするはずもない。 「お前らなあ、ほんと……適当で勝手だよな……。でも、そうだな」 正解の形なんてないんだ。 「わかった。賭けてやるよ。私が勝つか、お前らが勝つか」 『ふ、ざけ……なんだよ、それ。そうかよ。ほんとお前らって物分かり悪いよな。それなら……』 "アルト"はすっと息を吸った。 『「わかりやすく敵になってやる!」』 そしてもう一人のアルトは禁書に触れた。 魔法陣の光がアルトを包む。 「あとは頼んだぞ」 最後に呟いたその言葉が、誰かに聞こえたのか、そもそも発せられたのかはわからなかった。

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