「女装侍とくノ一」

カラン、と軽い音を立てて、下駄が道の真ん中に転がった。 川に流れる桜の花びらを眺めていたほんの一寸の間にそれは突然現れた。 赤い鼻緒の、おそらく女物の下駄を拾い上げ、周りを見回すが人の気配はない。 どこかの子どもが天気占いをして飛ばしたのだろうか。 我は空を仰いだ。 まだ青い銀杏の葉が風に揺られてさわさわと音を立てる。 今日は春にしては日差しがきついが、木陰にいれば丁度良い陽気だな。 なんて思っていたら額に激痛が走った。 カツン、と当たったなにかと頭蓋骨が小気味良い音を立てた。 思わずうずくまって悶絶する。 骨を伝わって脳が揺れた気さえする。 「oh、スイマセーン。大丈夫デスカー?」 降ってきた声に反応して、まだひりひりする額を押さえながら上を見上げる。 涙で僅かに滲んだ視界に映ったのは、赤い着物を着た女性。 「落としてシマイマシター」 彼女は銀杏の枝に腰掛けてこちらを見下ろしていた。 銀色の髪と、それをまとめている簪の飾りが風に揺れて、太陽の光を反射させきらきらと光っている。 ここらへんでは珍しい褐色の肌だが着物がよく似合っていた。 彼女はにこりと笑うとそこから飛び降りた。 あまりにも躊躇ない動作だったから、体が反応できなかった。 彼女が座っていた枝の高さは目測でも我の身長の二倍は軽く超えているくらい。 下手すれば骨折してもおかしくない高さだ。 受け止めなければ、とやっと体が動いたころには彼女は既に着地したあとだった。 「拾ってくれてアリガトデース」 どうやら怪我もなにもなかったらしい。 にっこりと笑って片手を我に差し出す。 その手とお礼の意味がわからずにきょとんとしていると、彼女は我の手元を指差した。 そこでやっと彼女が裸足だということに気づき、合点がいった。 「そうか、これはそなたのものであったか」 そういって渡すが、我がもっているのは右足の下駄のみ。彼女は片割れを持っている様子はない。 「もう片方はサッキ落としたデスガ、知りませんデスカー?」 「先刻? いや、申し訳ないが我は……」 知らない。 と言おうとしたところではた、と思い出した。 先ほど額に当たったのはもしかして……。 辺りを見回すと、見つけた。 赤い鼻緒の下駄。 桜の花びらと一緒に川でゆったりと下流へと向かっていた。 あわてて川の中に入ってそれをひっつかむために手を伸ばす。 川は浅く流れはそう急でなかったため、そこまでは特に難しいことでなかった。 が、その前にひょいと横取りされてしまい手は空を掻き、そのまま勢いづいて倒れてしまった。 突然のことで思わず水を飲み込んでしまう。 苦しくてもがきながらもあわてて立ち上がり、水を吐き出した。 「大丈夫デスカー?」 振り返ると褐色の女子が着物のすそをひざの辺りまでたくし上げてこちらを見ていた。 ふくらはぎまでは川につかっている。 我は少々無理をして大丈夫だと返事を返す。 ざばざばと音を立てながら岸へ戻った。 着物が肌にはりついて気持ち悪いがそれを言葉にも表情にもだしてはいけない。 弱音は吐かぬ。それが男というものだ。 途中、袖がなんだか暴れていたので、手を突っ込んでみると鮭が一匹入り込んでいた。 上がる前に川に返してやる。 「ビショビショですネー」 「……ああ、まぁ……」 彼女の手元には下駄が二足。 先程横からとったのは彼女だったのか。 からん、と音を立てながらそれを地面に落とすと、足を通した。 水に浮かんでいたほうの下駄には模様のように花びらがくっついていた。 「そのままではカゼひきマスネー。よかったらついてきてくだサーイ」 「いや、我は……」 「旅は道連れ世は鬼だらけデース!」 にっこりと笑って彼女は我の背中を押した。 そのことわざが間違っているとさえ言えないまま、彼女に導かれるままに歩いていく。 だんだんと鮮やかな桃色が目立ち始めた。 「なるほど、川に流れていた花びらはここから来たのか」 そこには先日の雨に負けることのなかった、咲き誇っている満開の桜があった。 花見客も大いににぎわっている。 花が散ってしまう前に近々ジョーカー達でも誘って花見酒に洒落込むのもいいな。 もっとも彼は桜より他の花に見とれそうだが。 花見客はたくさんいた。 家族連れに、子どもばかりの集まりや、逆に老人ばかりもいた。 もちろん、若い者も多く、とにかくいろいろな人の群がそこにあった。 ステファニー殿の話では海賊や盗賊すらもいるらしい。安全面は大丈夫なのだろうか。 「着きましタ! ここデス!」 到着したのは一軒の団子屋だった。 花見客だろう。行列ができている。 彼女について客の合間をぬって店内に入ると、店の女将さんらしき人がこちらに気付いて手を振ってきた。 「ステファニーちゃん、どこいってたの。こっちはてんてこまいよ」 注意されるかもしれないと思ったが、彼女のかけた言葉はそうではなかった。 「すいまセーン。ちょっと休憩してマシター」 彼女も答えるように手を上げる。 会話の内容からして彼女はここで働いているらしい。 「でも、助っ人連れてきたデス!」 「あら、それはありがたいわ! 着替えは奥にあるから連れてってあげて!」 「ハーイ」 ステファニー殿は返事をすると桜綺をつれて団子屋の奥に進んだ。 棚から黄色の着物を取り出すと、我に差し出した。 色や柄からしてもそれは女モノの着物。 きょとんとしているとステファニー殿は笑顔でこう言った。 「きっと似合いマース!」 「似合いたくないわ!」 思わず声を荒げてしまい、自分を落ち着けるためにコホンと咳払いをする。 そこでやっと助っ人というのが自分のことだと気付いた。 別に手伝いたくないわけではない。 先ほど彼女が言っていたとおり旅は道連れ世は情けだ。 着物を借りるお礼はしたいのだが……。 「せめて……男物はないのか?」 「これ着てくだサーイ」 「何故我が女装をしなければならん」 「似合うと思うからデス」 頭を抱えた。 そんな我を見てステファニーはにっこりと笑ってこう言った。 「旅は道連れ世は鬼だらけデース」 その笑顔に我はあきらめて着物を受け取った。 すぐにばれると思っていた女装だが、彼女が気合を入れてこーでぃねーととやらをしてくれたおかげか 客に指摘されることはなかった。 それどころか酔っ払いに絡まれる始末だった。 夕方近くなるとやっと客の足が途絶え始めた。 だがこれは一時的なものでまたすぐに夜桜を楽しみに来た客でいっぱいになるという。 「ありがとうございましたー」 「また来てくだサイネ!」 また一人客を見送ったところで深く息を吐いた。 凝ってきた肩をとんとんと叩く。 「何故我がこんなことを……こんな格好で……」 「ノンノン、それじゃダメですネ! 中身まで女の子になりきらないと!」 ステファニー殿から人差し指を突き刺されて注意された。 今日だけで何度同じような注意を受けたことか……。 「無茶を言うな、我は男だぞ」 「エー、でも知り合いの男の子は完璧な女の子になりマスヨ!」 えへん、と胸を張るステファニー殿。 そんなわけないだろう、と突っ込む気力もなく、先ほど出て行った客の湯飲みを下げ、 厨房に戻るとなにやら煉瓦の塊がもぞもぞ動いて団子を取ろうとしているところに出くわした。 「……ステファニー殿、なにをしておられる」 「ムム! ワタシの隠れ蓑術を見破るとは、流石デスネ!」 「……どこらへんが隠れていたのだ?」 「この布をかぶっていたではありませんカ!」 と、我に差出したのは煉瓦の模様が描かれたただの布。 もしかして、彼女は布をかぶりさえすれば透明人間にでもなれると勘違いしているのではなかろうか……。 誤解をどうやって解こうかと思案してるところに、また客が入ってきた。 我とステファニー殿は厨房から出て、客に声をかける。 「いらっしゃいませ」 「oh! 噂をすればナントヤラ、デスネ! さっきシャノアの噂してたデスよ!」 「ん、ステファニーじゃん。仕事か?」 金髪の青年だった。 ステファニー殿と親し気に話している。 「ハイ! 着物はジャパネーゼっぽくて大好きデース!」 「報酬より仕事着が目当てかよ」 そういえばどこかにジャパネーゼという町だか国だかがあると聞いたことがある。 ホマレと少し似た文化があるらしい。彼女はその国が好きなようだ。 「シャノアは?」 「ああ、俺も仕事でな。ちょっと休憩をしようとここに。あとでもう二人来る」 「分かりまシタ!」 親しげに話す二人。 我は皿洗いでもするとしよう。 「おい、お前」 会話を邪魔しないようにと奥に引っ込もうとしたところ、シャノア殿に声をかけられた。 首をかしげて振り返るとなんだかものすごい形相で我をにらんでおった。 気のせいだろうか少々殺気さえ漂っているように見える。 「な、なんじゃ……?」 「お前、やる気あんのかよ?」 シャノア殿はほんの少しだけ背の高い我をわざわざ見上げるようにして言った。 「……は?」 たしかにやる気に満ち溢れているとは言いがたいが、そこまで手を抜いているつもりもない。 知らぬうちになにかをやらかしたのだろうか。 と自分の行動を振り返っていると、シャノア殿は深いため息をついた。 「化粧はしてない。振る舞いも男っぽい。口調だってそのままだ!」 ぽかんとしていると彼はステファニー殿を引き連れて奥へと引っ込んでしまった。 数分もたたないうちに戻ってきた彼は……。 「いい!? 女装は! 最低限! これくらいはやりなさいよ!」 いや、彼女は随分綺麗な女子になっていた。 ご丁寧に地毛と同じ色の長髪のかつらをかぶっておる。 「シャノアが先ほど話した完璧な女の子になる男の子デース! 綺麗デスよネー」 「今はシャオって呼んで! 女装なめないでよね!?」 「い、いや我はそんな技術もやる気もない……」 「安心して?」 彼女はいくつか道具を取り出すと、完璧ゆえに怖い笑みを浮かべながら我に近寄ってきた。 一歩一歩ゆっくりというのが逆に怖い。 「素材はよさそうだから、見込みあるわ」 「なくていいんだが!?」 「きっとお化粧すればもっと綺麗になるわよ」 「か、勘弁してくれ!」 言い知れぬ恐怖に思わず腰に手を伸ばす。 が、そこには当たり前だがなにもなかった。 愛用の刀は邪魔になるからと着替えた部屋においてきたのだった。 命の危機でもなんでもないはずなのに顔が引きつる。 「私に任せて?」 彼女の力はそう強いものではなかったが、捉えられた我は気迫に押され、 文字通り彼女の魔の手から逃れることができなかった。 恐怖以外の何物でもない時間が終わると我はぐったりした。 ちょっとしたトラウマになりそうだ。 肌に塗りたくられた粉や紅が気持ち悪い。 着物でこすって取ってしまいたいが、その様子をちょっとでも見せるとシャノ ……ではなくシャオ殿が怖いオーラを出して牽制する。 「んじゃ、アルトとジョーカー呼んでくるね」 「そのままで行くんですカ?」 「うん、着物借りる代わりにここの宣伝バッチリしとくからまっかせといてー!」 そういって手をひらひら振ると外に出て行った。 今の隙に化粧を落とそう。 連れとやらを引き連れて戻ってくる前に……。 そこで動きが止まった。 シャオ殿が出て行く前に言っていた連れの名前がようやく脳に届いたのだ。 そしてそれは聞き間違いや、同名の者でないなら、我の知り合いでもあるということに気付いてしまった。 ザァっと血の気が引くのが分かった。 入り口のほうに男の影が見えた。 のれんとすりガラスの引き戸によってそれはまだシルエットしか見えないがその知り合いの背格好に似いる気がする。 目の前がぐるぐると回った。 もし、こんな姿を見られたらしばらくは笑われる。 それだけならまだしも似合うなんていわれようものならしばらくは立ち直れない。 少なくとも前回そういう状況になったときはそうなった。 ガララ、と音を立てて戸がゆっくりと開く。 見られてはいけない。 見られるわけには行かない。 でもどうすればいいのだ。 そんな言葉がぐるぐると高速で頭の中を回る。 十回転したそのとき。 戸は完全に開いて、のれんをのけようとする手が見えた。 そして、我は気付けば、丁度持っていたお盆をその男に投げつけていた。 すこんっと子気味いい音が響いて、盆を額でキャッチした男は後ろに倒れた。 「なにしてるデスカ!?」 「い、いやつい……」 これが頭より先に体が動いてしまったというものなのか、それとも自己防衛という本能なのだろうか。 ステファニー殿はあわてて倒れた客に駆け寄り、助け起こした。 「大丈夫デスカ?」 「ああ……」 と返事する声は聞きなれるものだった。 上半身を起こした男の顔はやはり見たことがない。 つまり、早とちりをしてしまったということだろう。 あわてて腰を折った。 「も、申し訳ない。その……手が滑って……」 「手が滑っただァ?」 立ち上がってぎろりとにらまれ、因縁をつけられた。 いやこれは完全に我が悪いのだから因縁というわけでもないか。 それに手が滑ったというには勢いがつきすぎていた。常套句だが我ながら苦しい言い訳だった。 「大丈夫ですか!? 兄貴!」 子分と思われる男が三人入ってきた。 派手なシャツを着た小さい者と、黒の色眼鏡をかけた背の高い者、そして仏のような頭の太った者。 個性の強い三人だった。我は改めて頭を下げる。 「本当に申し訳ない。お詫びに団子と茶を持ってこよう」 「……いや、それより……」 その男は傍らのステファニー殿を引き寄せた。 「酒持ってきて酌してくれやァ。美人さんが二人もいるんだからよォ」 思わず机でも投げてやろうかと思った。 が、机に手をかけたところでステファニー殿にそれを制された。 「喧嘩ダメデスヨ!」 「だ、だが……」 そんなことを言っている場合ではあるまい。 といおうとした言葉は、ステファニー殿の笑顔で飲み込んだ。 こんな状況でも臆することない堂々とした笑顔に。 見ると、男たちの顔は赤い。 既に少々酔っているようだ。 「お客サマ、お酒はただ今切らしてるデスネ。お茶と団子で我慢してくださいネ」 「ああ? お客様は神様だろうが。神がほしいつってんだ。用意しろや!」 太った男が近くの椅子を蹴り飛ばした。 大きな音が響く。 これでもだめなのか、という視線を送るとステファニー殿はやはり首を振った。 「だがこのままでは……男がすたる、侍たるものこれ以上は……」 「侍だァ? なに言ってんだよ、んなダサいもんもういねえよ」 さすがの我でも額に青筋が浮いた。 この者共には少々説教が必要なようだな。 「貴様等……」 顔を引きつらせながら口を開いたが、その声は悲鳴によって遮られた。 男の悲鳴だった。 発したのは我がお盆を当て、ステファニー殿に腕を回していた男。 ステファニー殿は解放され、男は手と膝を地面についた。 しばらく呻いた末、地面に倒れて動かなくなった。 何が起こったのかわからず唖然としていると、ステファニー殿がこちらに避難してきた。 「喧嘩はキライなので、平和的に解決しまシタ!」 「平和的なのかこれは!?」 彼女の仕業だったらしい。 チンピラの男の影から何かが飛び出してきて彼女の持っている花の形の髪飾りに戻っていった。 彼女は髪飾りを髪に留めなおしながら言う。 「誰も傷ついていまセン、この人も数分経ったら元にもどりマース」 確かにそのとおりだが、その割には随分とダメージを受けていたようだ。 一体何をしたのか、聞かないほうがいい気がする。 「このアマ! 兄貴に何しやがった!」 だが聞いた阿呆がここに一人。 「こっちが下手にでてりゃあ、ッノヤロウ!」 「覚悟しろよ!」 いや、三人いた。 子分のチビと大柄とのっぽだった。 どこら辺が下手に出ていたのか気になるが、きっと意味は知らないで言っているのだろう。 見た目どおり頭の良い連中ではないようだ。 チビの男が腰に刺していた剣を引き抜くと我に切りかかってきた。 狭い店内。 周りには椅子と机が散乱している。 男の動きを避けることは容易だったが、その先で大柄の男が机の上に乗っかって待ち構えていた。 我に向かって倒れてくる。 我はとっさにその男がのかっていた机の下に身を隠した。 一息ついたのもつかの間、テーブルの下にいきなり光が差しこんできた。 机を真っ二つにされていたのだ。 防ぐものも何もない我は反射的に真剣白羽鳥をして難を逃れた。 「ステファニー殿! ここは我に任せて女将と一緒に外へ!」 「エ?」 ふりむいたステファニー殿は緑色の紐をのっぽの男にまきつけていた。 否それは紐ではなく生きている―― 「蛇!?」 「ワァナデス! おりこうさんですヨ!」 そういって、男を締め上げる蛇の頭をなでるステファニー殿。 彼女のペットかなにかなのだろうか。 蛇はほめられてうれしそうに舌を揺らした。 ステファニー殿は頭の髪飾りをはずすと手のひらの上に乗せた。 そして静かにつぶやく。 「FROWeR」 すると花から影のようなものが現れた。 ゆらりとけむりのように揺れたかと思うと蛇で拘束している男の影に飛びこみ、同化した。 途端、男の表情が青ざめる。 恐怖の表情を顔に貼り付け、瞳は助けを求めるかのようにせわしなく動く。 そして先ほどの男のように膝をついて倒れてしまった。 ……なるほど、先程もこうやって窮地を脱したのだな。 「余所見してる暇はねえぜ!」 体重をかけてくるチビの男。 隣では大柄の男がテーブルの残骸を我に向かって振り上げている姿が見えた。 我は小さい男の足を払い、体勢を崩し、そのまま転がるようにそこから脱する。 小さい男は大柄の男にぶつかり、はじかれて床に転がった。 そこに大柄の男が机の残骸を叩きつけた。 これで残るはあと一人。 「観念するデース! このういろーが目に入らぬか!」 「ステファニー殿、それは団子だ」 おそらく先ほど彼女が盗み食いしようとしていたものだ。 目に刺すとさぞ痛いだろう。 ステファニー殿は「アラ」と言ってそのまま手に持った団子を口に入れ、美味しそうに食べ始めた。 自由だな、この人は。 「てめえら、このままで済むと思うなよ?」 最初に倒れた柄の悪い男が立ち上がる。 我とステファニー殿の注意がその男にむいたその瞬間。 ステファニー殿が倒れた。 後ろから殺気を感じ、抜刀で相手をしとめようとしたが、我の腰にはなにも差さっていなかった。 手はただ空を掻き、頭に火花が散った。 「おい、他の金目のもんも持ってずらがろうぜ」 「そうだな」 最後の記憶は体が宙に浮くような感覚に陥ったことだった。 *** 気がつくと体が思うように動けなかった。 「気がつきマシタか?」 「……ステファニー殿か。ここは?」 「分かりまセンネー。でも、そう遠くはなさそうデス」 そういって上を見上げたステファニー殿の鼻にピンク色が落ちてきた。 桜の花びらだ。 我らは桜の木下に寝かされていたようだ。 なるほど、確かにあの団子屋からはあまり離れていないのかもしれない。 少なくともまだあの花見会場の中であるだろう。 腕は後ろに縛られているが足は自由が利く。女では逃げてもたかが知れていると思ったのだろう。 「……結局我は女子と誤解されたままなのか……」 「シャノアのおかげデスね」 「ステファニー殿はこういうときでも明るいんじゃな。なにかここから逃げるいい手でもあるのか?」 力を入れてみるが、腕の縄は千切れそうにない。 手探りで見つけた結び目も堅そうだ。 「ソウデスネー。とりあえず腕のロープは切れマシタけど……」 「え!?」 見るとステファニー殿の両手は自由になっていた。 一体どうやって……。 「ワァナはホントにおりこうサンですネ!」 「そうか、蛇……」 噛み千切ってもらったんだな。 我も同じようにわぁなという蛇に縄を噛み千切ってもらった。 あとは脱出するだけだ。 だが、どの方向へ行けばいいか分からない。 何か目印がないかと辺りを見回していると、ステファニー殿が笑顔で胸を叩いた。 「ワタシにおまかせあれ!」 そういって、辺りを見回して何かを拾い上げた。 小さい石のようななにか。 近づいてなんなのかを見せてもらうと、それはまきびしだった。 「これを少しずつ落としてきまシタ! 辿れば帰れマース!」 「なんだその物騒なヘンゼルは!?」 いや、事実これで問題は解決するわけだが……。 まきびしはそんな道具じゃなかったような……。 とりあえず、ステファニー殿への説明はあきらめて我らは桜の木の影に隠れてまきびしを辿ることにした。 途中までは順調に進むことが出来た。 出会う輩はたいてい単独行動をしている輩で、素手でも気絶させることが可能だった。 随分と柄の悪そうな奴等だった。ただの民間人ではないだろう。おそらく賊の類。 しばらく歩くと、四、五人の集団を見つけた。すばやく身を隠す。 そやつらは世間話をしているのか、一向にそこから立ち去る気配はない。 手には酒をもっているようだ。下手するとそこで小さな宴会を始めそうな勢いだ。 「くっ。今ここを出たら見つかってしまう……。せめて刀があれば……」 集団の一人の持っている刀を見て思わずつぶやく。 すると、ステファニー殿が明るい声を上げた。 もちろん、小声だ。さすがのステファニー殿もそれくらいは心得ているようだ。 「ワタシに任せてクダサーイ! ワタシの“隠れ身の術”があればそれくらいお茶の子サイサイデス!」 「おお、頼もしいな」 ステファニー殿はなにやら布をかぶって進んでいった。 なんと堂々とした歩みか。 肝が据わっているな。 ただ、問題はその布が土の模様でも木の模様でもなく、煉瓦の模様が描かれていたという点だった。 「ちょ!? いかんいかんいかんバレる! もどれえええええええええええええ!」 そうだった! 結局誤解を解いていないんだったああああああああ! 「あん? なんだお前」 案の定簡単に見つかってしまった。 「もー、桜綺が大声だすからデスヨー」 と口を尖らせるステファニー殿。 反論したいことは多々あるが、今はそれどころじゃない。 我は慌てて近くの桜の木から丈夫そうな枝を一本拝借した。 そしてヤツラの頭に一本づつ面を打ち込んでいった。 完全に無我夢中だった。気がついたら息をしていなかった。 一気に空気を吐き出し、吸い込む。 「oh! おみごとデース!」 「おぬしは……本当に……」 肩で息をしながら、倒れた盗賊の持っていた刀を手に取る。 鞘から抜いてみると、それなりに手入れは行き届いていた。 「すまんな。少しの間借りるぞ」 「おい手前ら!」 聞き覚えのある声が響いた。 あれはたしか、我が盆を当て、ステファニー殿が気絶させたあの男。 反射的に抜刀の構えで振り返るとそこにはたしかにあの男がいた。 子分らしき男たちもいる。ただ、何故かそやつらは傷だらけで青あざまでこしらえていた。 「……お主等、なぜぼろぼろなのだ?」 「ちょっとガツンと言てえことがあるんだ」 我の質問を無視し、なにやら鋭い視線を送ってきた。 我は構えを解かず、ステファニー殿をかばう位置に移動し、奴等の言葉を待った。 「……でした」 奴は鋭い視線を地面に向け、ボソリとつぶやいた。 しかし、なんと言ったのか良く聞き取れない。 聞き返すと、顔を上げ、大声を上げた。 「すいませんでしたッ」 ついでに腰を直角に折った。 後ろの子分共もそれに続いて、大声で謝罪し、腰を折った。 「……はぁ?」 「本当にすいませんでした! 俺たち、ちょっと飲みすぎて……!」 唖然としていると、奴等の後ろから人影が現れた。 「ほんとうにすまないねェ。こいつら、うちの若い衆なんだけど、ちょっと飲みすぎてハメはずしちゃったみたいでね」 まあ若い衆つっても比較的だけどさ。 うちはじじいとおっさんが多いからと豪快に笑う、黒髪の女性は彼らよりも若いように見える。 なにやら使い込まれた赤い大きな帽子を外すと、「本当にすまなかった」と、頭を下げた。 「お、お主は……?」 「アタイはこいつらの……保護者ってことになるのかねェ」 「すいません、お頭!」 「謝る相手はアタイじゃねェだろ?」 「は、はい! すいませんでした!」 「まあ、本人たちも反省してるし、ちゃんと説教もしておいた。今回はこれで許しちゃくれないかい?」 苦笑いでその女頭領は言った。 「ま、まあ。我等も無事に帰してもらえるならそれで……」 「話がわかって助かるよ。帰りもこいつらに送らせるからね」 「イエイエ。ワタシたちも、応戦しちゃいましたしネ!」 ステファニー殿は笑顔でそういって、「ソウデス!」と手のひらを打った。 「じゃあウチの店でお買い物してください。サービスしますヨ?」 「いや、ウチが迷惑かけてんだ。買うなら定価で……」 「買ってくれたらお店は儲かり、サービスすればアナタ達は得をする。"Winwin"ってやつですネ!」 断りかける女頭領の声を遮って、ステファニー殿は言った。 とどめに方目をつぶり、なにやら合図を送る。 うぃんうぃんという言葉を言うときにの時に両手の人差し指と中指を曲げていたのは何なんだろうか。 女頭領はニヤリと笑って手を上げた。 そのままお手上げ、参りましたという意味だろう。 「わかったよ。じゃああとでうちの奴等に買いに行かせるからまっててくれるかい?」 「ハイ。お酒もちゃあんと用意しておきますネ!」 そういえば酒は売り切れじゃなかったのか。 と、ステファニー殿に聞くと、嘘もハンペンデースと言われた。 彼女は腹がすいているのだろうか。 そして、結局。我等は無事団子やに帰ることができ、海賊たちが大量の酒と団子を購入していった。 店も大繁盛したようだ。女将も喜んでいた。 この幸いの中、不幸だったのは、我がシャノア殿たちのことを忘れていたことだった。 シャオ殿が連れてきたのはやはり我の知り合いのアルト殿とジョーカーだった。 店に入ってきた瞬間、アルト殿は怖いをして、ジョーカーは噴出した。 「に、似合うよ、桜綺」 「……なんでなんだ……男の癖に何で似合うんだ」 「似合ってると言うな……。ジョーカー、笑わないでくれないか」 「無理。写真とって皆に見せたいくらいだね。きっと百人中九十九人は女性だって言うよ。ちなみに女性だって言わない一人は俺ね」 「百人中九十八人よ。私だって間違えないもの。確かに出来は良いけど、まだまだね」 シャオ殿はこるせっとだの、こすめだの、意味は分からない言葉をつぶやいていた。 意味は分からぬが、背筋がヒヤリとするのはなぜだろうか。 「……もう、これくらいで勘弁してくれ」 我は逃げ遅れ、知り合いに完璧な女装を見られてしまった。 この記憶葬り去ることはできぬのだろうか。 頭を強打すればあるいは……。 我がジョーカーに向かって鞘を振り上げたところでステファニー殿に制止された。 「喧嘩、ダメですヨ!」 満面の笑顔で注意をする。 あまりよしとしたくないことだが、仕方がない。 今回はできるだけ自分の脳から抹殺することで手を打とう……。

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