「スキ」

自分が何を言ったのかを理解した瞬間、アルトは深い後悔に襲われた。 ついさっき、今はまだこんな関係性がもどかしくもあり、心地よいのだと思ったばかりだったのに。眠気がふっとび、顔が一瞬で赤くなる。 彼と顔をあわせたときはいつも赤いのだが、今回はそれとは比にならないほど一気に血が顔に集まった。 耳まで真っ赤。 どうにか弁解をしなければいけないと思うのだが、どうもうまい言い訳が思いつかず、酸素を求める魚のように口をパクパクさせた。 挙句、やっと声に出したのは逃げの言葉。 「……ッ! あ、あの、私! 失礼します!」 最悪なのは、そう言って本当に飛び出してしまったことだった。 つい数時間前のその出来事を思い返すだけで、長い長いため息が出た。 後悔の念に押し潰されそうだ。 いっそのこと、知り合いの教会へ出向いて懺悔をしてこようとさえ思ったが、神様に言ったところでこのことがなかったことになるわけではない。 「おい、アルトってば!」 うなだれながら歩いていると、肩に手を置かれた。力なく顔を上げると、オレンジ色の目が心配そうにアルトの顔を覗き込んだ。 「元気ないな、どうしたんだ?」 「……シャノア……」 オレンジの目の青年の名前をつぶやく。 友人に会ったからだろうか、 一気に潤む瞳。 せりあがってくる嗚咽。 歪んでいく表情。 そんな彼女を見てシャノアはぎょっとした。 彼女がこんな顔をするのを見るのは初めてなのだ。 彼女とはそれほど長い付き合いなわけではないが、すぐにその異常さを察した。 「と、とりあえず。そこのカフェに入ろう。ジョーカーもいるんだぜ」 慌ててとりあえず店に入るように促した。 近くの店のドアを開け、アルトに手招きをする。 そこは、偶然にもアルトの知人が働いているカフェだった。 シャノアに言われるがまま一緒にその店に入り、顔見知りであるマスターにとりあえず会釈をする。 カフェのマスターも彼女の様子を見てほんの一瞬だけ動きを止めたが、アルトに会釈を返すとすぐに仕事へ戻った。 やはり彼女がこんなにも悲しそうにしているのは稀なことなのだ。 シャノアについてくと、窓に面している四人がけのテーブルにいきついた。 そこに座っていたのはみかん色の髪の青年、シャノアの言っていたジョーカーという男だ。 今にも泣きそうアルトを見て、彼も目を見開く。 とりあえず、シャノアが座っていただろう席にアルトを座らせる。 それを見たジョーカーが隣に詰めてくれたため、シャノアはそこに座った。 シャノア、ジョーカー、そしてアルトの三人は同業者にして飲み友達だった。 酒の肴はもっぱらそれぞれの恋の話。 彼らにはそれぞれ想いを寄せている相手がいるのだ。 ジョーカーに関しては、自覚していない節もあるが、無意識のうちに三人で話すことは“彼女”のことを話している。 伝えたいけど伝えられない、伝わらない。それが三人の共通点だ。 だからこそこの三人ならば、他の人に話したら呆れられたり、からかわれたりするような惚気話も思う存分出来るのだ。 「とりあえず、何か飲みますか?」 二人が椅子に腰を下ろすと、マスターが気を利かせて注文を取りに来てくれた。 アルトは少し考えて、答える。 「じゃあリンゴ酒を」 「昼間だぞ馬鹿。こいつにはアップルティーでも出してやってくれ」 シャノアにたしなめられた。 「もう飲んで忘れるしか……」とつぶやくアルトに、シャノアとジョーカーは顔を見合わせて肩をすくめた。 ついでに飲み物のおかわりを注文する。マスターは復唱すると、カウンターの内側へひっこんでいった。 「俺たちもさ、さっき会ったんだ。で、じゃあちょっと話そうかって言ってここに入ったんだ。そしたらアルトまで会うなんて、すごい偶然だよね」 ジョーカーが当たり障りのない話題を振ってみた。 「そうだったのか」 曖昧に笑うアルトは若干鼻が赤くなっている。 それを隠すかのように窓のほうへ目をやった。 表の通りが良く見える席だった。 その窓からアルトを見つけて声をかけにシャノアが出てきたらしい。 アルトは今のタイミングで会ったのがこの二人でよかったと思った。 彼らなら、今の自分の悩みを一番正しい形で理解してくれると思ったからだ。 飲み物だけの注文だったからか、すぐにマスターが戻ってきた。 それぞれのコップをテーブルに置き、空いたコップを回収して去っていく。 好奇心だけで個人のことを下手に詮索をするつもりはないらしい。 マスターとしてはいい心がけだ。 「で、どうしたんだ」 「昼間から飲もうとするなんて、らしくないね。元気がないのも」 飲み物が手元に来たのを合図に二人は切り出した。 アルトは両肘をテーブルに着き、手のひらで顔を覆った。 「サタンさんに、言ってしまったんだ……」 ポツリとつぶやく。その声は沈んでいた。 「……何を?」 おそるおそるといった調子でジョーカーが先を促す。 「好き、だって……」 二人が息を呑むのが分かった。サタンとはアルトの想い人だ。 超のつく鈍感でアルトの分かりやすい態度にも気付いていない。 アルトのことは、職業名で“司書さん”と呼んでいる。 かなりの戦闘好きで、自分と同じく怪力なアルトと、いつか戦ってみたいと言われているらしい。 一応、嫌われてはいないようだが、そういう好意のもたれ方も複雑だ。 「なんでそうなったんだ」 二人に促され、アルトはポツポツと事の顛末を話し出す。 今日の午前中。 予定が空いたアルトはふらりと自分が働いている図書館へと出向いた。 冒険者という仕事の傍ら司書をするだけのことはあって、アルトは本が好きだった。 そのため普段から仕事以外でも図書館を利用することは多い。 それに彼女の好きなサタンは彼女以上の本の虫だ。 本があるところ、図書館や本屋に行けばもしかしたら会えるかもしれないという期待が、心のどこかであったのかもしれない。 結論を言うと、その期待は当たった。 彼は閲覧スペースに座って本を読んでいた。 アルトは自分なりにさりげなく近づいて、彼の向かいの席に座ることができた。 読書に夢中で自分に気付かない彼をたまにチラチラと見ながら読書に勤しんでいるうちに、日ごろの疲れが出てしまったのかいつのまにか眠ってしまっていた。 問題はそこからだった。 アルトが起きたのはその一、二時間後だった。 サタンはまだ本を読み続けていたが、彼女が起きたことに気付くと、声をかけてきた。 寝ている間に、向かいの席にいる事に気付いたらしい。 アルトはぼーっとした頭で挨拶を返しながら、まじまじとサタンをみつめた。 彼は今自分が読んでいる恋愛小説は嫌いなんだろうな、とぼんやり考える。 大好きな本の中の物語でさえ、甘い恋愛小説になると、彼は吐いてしまう。 最後まで読むのはある意味、活字マニアとしての意地があるからだろう。 彼は『恋愛』が嫌いというより、『愛』自体を嫌っているようだ。 どうしてなのか。 原因を知りたくても彼の過去も本名すらもを詳しく知らない彼女は、彼のことは想像することも出来ない。 だからといって、彼の出生から今までの人生について根掘り葉掘り聞くわけにも行かなかった。 聞いてしまったらなにかが崩れてしまう気がする。 それだけは避けたかった。 彼女は彼との今の関係が気に入っている。 図書館の司書とその知り合いの利用者という、あまり深くはないが、お互いの存在は知っているくらいの関係に今はまだ満足していた。 サタンは目の前の彼女がそんなことを考えているとは知らずに、なにやら話しかけている。 「――で、どうしようかなって。取りに行くのも面倒だし、そのまま……」 そんな彼の嫌いな感情を自分は彼に対して持っている。 遠くで見ているだけで良かった。 それだけで私は報われる。 だけどもし、それだけで我慢できなくなってあなたの憎む言葉を伝えたなら、彼はどんな反応を返すのだろう。 「司書さん?」 嫌われてしまうだろうか。 そんなことを考えていると、サタンが怪訝そうな顔を浮かべ、アルトの顔を覗き込んだ。 「聞いてる?」 彼の顔が近くなる。 どうしようもなく好きなんだ、この人の言動で一喜一憂したり、こんなに考え込むのは好きだって証明。 顔に血があつまって心臓がうるさいのは、それが他の人とは違う愛だという証拠。 皆は趣味が悪いと言う。 たしかに彼は良い噂を聞かない。 でも自分はなにがあろうとも、彼のことが、 「――……スキ」 そして、伝えてしまった。 いや、思っていたことが思わず口をついて出てしまった、というのが正しいだろう。 「え?」 サタンは首をかしげた。 アルトははっと我に返り、そして、 「……ッ! あ、あの、私! 失礼します!」 これが事の顛末だった。 すべてを説明し終えると、アルトはアップルティーを口に含んだ。 どうやら喉が渇いていたらしいということに、飲みこんでから気付いた。 話を聞いた二人は、一瞬言葉を詰まらせた。 寝ぼけていたとはいえ、どストレートに想いを告げてしまっている。 これは弁解の仕様がない。 だが、今の彼女にそう言ってしまうのも酷というものだろう。 「まあ、まだ振られたわけじゃねえんだ。ポジティブにいけよ」 「そうそう。振られたら俺とナンパに行こう。素敵な女性に癒してもらうんだ。アルトはイケメンだからね、俺と組めば成功するよ」 慰めてくれる二人にアルトはくすりと笑った。 「私は女だよ」 いつもどおりそうツッコめるくらいの気力は戻ってきた。 溜め込まずに吐き出したのがよかったのか、胸が少し軽くなっていた。 この二人ではなく他の人に話したならば、おそらくやめとけだの諦めろだのと言われるだろう。 それはサタンの鈍感さからそういわれることもあるが、大体は忠告だ。 サタンはよく皮肉った言い方をしたり、人を小馬鹿にしたような態度を取る。 その他諸々の言動のせいで、敵を作りやすい。 幸いというべきか彼らはサタンと接点がほとんどない。 それもあって、こういう比較的暖かい反応を返してくれるのだ。 「もし、嫌われたらどうしよう……」 だが、眼下の問題はまったく解決していない。机に突っ伏した。 「あああ、次からどういう顔して会えばいいんだ……」 アルトが頭を抱えたときだった。カフェのドアが勢いよく開いた。 飛び込んできたのは銀髪で長身の男。 彼がここで働いているアルトの知り合い、ラックだ。 その後ろからプラチナブロンドの髪の軍服の少女も入ってきた。 彼女はアルトの仕事仲間だ。 「サタン……帰ってきた……?」 そして、二人はサタンの友人でもあった。 息も絶え絶えの彼の問いにマスターは首を横に振る。 ラック短くため息をついた。 “サタン”という単語が出たことと、ジョーカーがこっそり思いを寄せているソフィアがきたことで、三人は思わず聞き耳を立てた。 「……ほんと、変なとこ……ずぼら……」 「サタンだし、大丈夫だと思うわ。魔法も使えるんだし」 「……だけど……万が一ってことが……」 なだめようと言ったソフィアの言葉に頭を振った。 「じゃあ助けに行く? 雑魚が相手ならむしろ怒られると思うんだけど」 「そうだよね……」 万策尽きたといった様子でうなだれたとき、二人はやっとアルトの存在に気付いた。 「! ……アルトちゃん!」 「は、はい?」 突然大声で呼ばれたアルトは思わずたじろいだ。 「……サタンが……忘れもの、したんだ。アルトちゃん……お願い……届けてあげて……」 「忘れもの……ですか」 サタンへの届け物。 依頼人はいつも世話になっているラック。 いつもなら二つ返事で引き受けたのだろうが、アルトにとってはさっきの今だ。 「なにもアルトが届けなくてもいいんじゃないか?」 その心を察したシャノアが助け舟を出した。 ところがラックは首を横に振る。 「アルトちゃんじゃなきゃ……ダメ、なの……」 「どういうことですか。……そうだ、サタンさんなら多分図書館に……」 「図書館はさっき行って来たわ。でも、もう仕事に行ったあとだったの」 ソフィアが軽く肩をすくめる。 どうやらサタンもアルトが出て行ったあと、すぐに図書館を出たようだ。 「届けてほしいのはなんだい?」 「……あれ」 ラックが指差す先には壁に立てかけられた剣があった。 金色の、やたら大きな剣。 つばには赤い宝石のようなものが埋め込まれている。アルトにはその剣に見覚えがあった。 「これ、サタンさんの……」 「そう……忘れてった……」 「仕事行くのに武器を忘れるって……」 半ば呆れ気味にジョーカーがツッコむ。 見た目の大きさからもわかるように、この武器はかなりの重さがある。 怪力のサタンだからこそ振り回せる代物だ。 たしかに、これを届けるのは相当の力の持ち主でなければいけないだろう。 それこそ、アルトのように。 「多分、途中で気付いて、取りに戻るのが面倒になったのね。今回の仕事は雑魚のモンスター相手だって口を尖らせていたから、もしかしたらわざとだったりして」 ソフィアが予想を口にした。そしてそれはきっと大きく外れていない。 「……うん、多分俺ならかろうじて持ち上げられると思う」 ジョーカーが言った。彼はパワータイプだ。 愛用のアックスもそれなりの重量があるはず。確かに彼ならば持っていくことも可能だろう。 相当大変ではあるだろうが。 「無理に、とは言わないわ。サタンのことだから、どうにかなると思うし」 「俺が持っていくという手段もあるしね」 「それも必要ないと思うけれど……」 残念ながらアルトを助け、ソフィアの好感度を上げようというジョーカーの作戦は失敗したようだ。 アルトは数秒の葛藤の末、結論を出した。申し訳なさそうに首を横に振る。 「私……やっぱり今はちょっと……。すいません」 「そんな……アルトちゃん」 ラックがもう一度頼もうとすると、マスターが彼の名前を呼んでそれを制した。 なにか反論をしようとしたが、マスターは「サタン君は強いから、大丈夫さ」と言った。 事実、サタンは強い。 それは何回もこの店を壊されかけているマスターは痛感していることだろう。 よく一緒に戦っているラックやソフィアもそれは分かっている。 だから、ラックもそれでなんとか引き下がった。 アルトは感謝を込めて、マスターに軽く頭を下げた。 ラックは厨房に入り、ソフィアはカウンター席に座った。 「あー。私らしくないよな、こんなの」 苛立たしげにアルトはぐしゃりと頭を掻いた。 「そうだな」 あまりにもキッパリと言い切るシャノアにアルトは苦笑した。 「まあ、俺だって同じ状況になったら、そうなっちまうとおもうし……気にすんな」 自分で言って想像してしまったらしい。 シャノア顔を赤くしたかと思ったら一気に青くしてしまった。 勝気で男勝り。 少々暴力的で、理不尽なところもあるが、頼りになる彼女はよく女性にモテる。 何度男に間違われただろうか。 茶髪の長い髪、 丸い黒目、 比較的小さめの身長。 パーツだけを見ればそれほど男に近いわけでもないのだが、全体の雰囲気をあわせて見たとき、どうしてもそこら辺の男よりイケメンに見られてしまう。 そんな彼女がうじうじとしていたり、泣きそうになっているのはやはり、らしくない。 「……やっぱり」 不意に立ち上がったかと思うと、アルトは大剣に近づいた。 その大剣を両手で持ち上げると、いつもサタンがしているようにそれを背中にくくりつける。 怪力の彼女ですらそれは少々重く感じられた。 「行って来る!」 「大丈夫か?」 シャノアが目を丸くして聞いた。 一体どういう心境の変化なのか、と驚いているのだろう。 「戦闘中のどさくさにまぎれて会えば、今日のこと有耶無耶にして話せるかもしれないと思ってな」 「なるほど。有り得るね」 「少なくとも何もしないよりいいだろ」 「ま、そっちのほうがお前らしいしな」 茶化すように笑うシャノアとジョーカーに、アルトは笑顔を返した。 「どこに行けばサタンさんに会える?」 「たしか、タトーズに行く途中の草原にいるはずよ。やっぱり行くのね。気をつけて」 「ああ!」 ソフィアから場所を聞くや否や、アルトはカフェを転がり出て行った。 シャノアとジョーカーは安堵のため息をついてコップに口をつけたところで、アルトがまた戻ってきた。 「金! 払ってなかっ……」 おそらく注文しておいてろくに口をつけていない飲み物代のことだろう。 「いいからさっさと行って来い!」 シャノアがもどかしげに怒鳴った。 今はそんなこと言っている場合じゃないだろうと。 「で、でもだな」 「今度のみに行くときはアルトの奢りだから」 そういってジョーカーがウインクした。 「……わかった! 恩にきる!」 アルトは礼を言ってそのまま走っていった。 やれやれ、とコップの中を飲みほすシャノア。 奥のキッチンにいて何があったのか知らないラックだけが、剣とアルトがいないことに首をかしげていた。 *** いわれた方向へ走っていくと、サタンの居場所はすぐに分かった。 目玉に黒い翼のモンスターが飛び回り、血飛沫が待っている場所が一箇所だけあるのだ。 彼はあの中心にいるのだろう。 「サタンさん!」 叫びながら駆け寄っていく。 背中の大剣が揺れて走るだけでも一苦労だ。 モンスターがキーキーという甲高い叫び声とも鳴き声とも取れぬ声をあげ、ばさばさと翼の音を立てている。 まるで豪雨の中にいるかのようだ。 アルトの声には気付いていないだろう。 サタンがアルトに気付くより先にモンスターが彼女の存在に気付いた。 慌てて自分の杖を構える。 呪文を唱えると、なんとかターゲットのモンスターは倒すことが出来きた。 だが、アルトは魔法使いでありながらあまり魔力がない。 魔法だけでサタンに近づこうとすると、途中で力尽きてしまうだろう。 だが、いつものように杖をハンマーに変えて戦うには、背中の大剣が邪魔をする。 武器を振り回すか、避けるかどちらかに集中しなければすぐに不意を疲れてしまうだろう。 「あれ、司書さん☆ どうしたのこんなところで☆」 炎の魔法でやっとアルトに気付いたサタンがモンスターの群の中から声をかけてきた。 「サタンさん! 剣! 届けに……!」 あと数メートルでサタンに剣を渡せる距離だ。 だが、モンスターのせいでその進み具合は一進一退を繰り返していて、なかなか距離が縮まらない。 「剣? ああ、別によかったのに。わざとだったからさ☆」 どうやらソフィアの予想はやはり当たっていたらしい。 ケロっとした口調で言うサタン。 その間にもモンスターの悲鳴が上がり、血飛沫が舞っているのだが、一体どういう戦い方をしているのだろうか。 「そういうわけには……」 アルトとしては彼にあまり危険な戦い方はしてほしくない。 いつもならこれくらいの雑魚モンスター、群で相手しても瞬殺のはずなのに、なにやらてこずってるようだった。 だが、近づくことはおろか、剣を投げ込んでも、サタンに届くか分からない。 どうしたものか、と思ったそのとき。 サタンが大して焦っている様子もない、声が聞こえてきた。 「あ、武器こわれちゃった☆ まあいいか☆」 なにやら棒切れを放るのが見えた。 ぼきぼきと指を鳴らす音が聞こえる。 どうやら素手で相手するつもりのようだ。 一体今まで何を武器にしていたのだろうか。 「サタンさん、魔法を使ってください!」 「え? やだよ☆ こんな敵相手に、魔力がもったいないでしょ☆」 「それはそうかもしれませんが……」 そこでアルトはピンとひらめいた。 自分の杖をくるりと回し、呪文を唱える。 すると、杖はあっという間にハンマーになった。 樫の木製の杖に比べれば随分と重いが、背中に背負っているサタンの大剣ほどではない。 「サタンさん! これ、使ってください!」 そういうと、ハンマーを大きく弧を描くように投げた。 サタンにハンマーの存在を知らせるためだ。 モンスターが群がり、サタンの姿は見えない。 そんな黒の塊の中にハンマーが吸い込まれた、次の瞬間。 モンスターがあちこちに不自然に吹っ飛ばされ始めた。 アルトも、背負っている剣の柄に手をかける。 「サタンさん! お借りしますよ……!」 そこにいないサタンに断りをいれつつ、少々苦労しながらその剣を抜いた。 そして、腰を落として、せめてと周りにいるモンスターを切りつけ始めた。 慣れない武器だったが、どうにか危なげのない戦闘を行うことが出来た。 砂や雑草を蹴散らしながら戦うこと数十分。 アルトは最後のモンスターの目に切っ先を突き立てた。ぜえはあと息を切らせる。 「お疲れ様」 「お、お疲れ様です」 「いやあ、じゃんけんで負けちゃってさ。こんな面倒なクエスト押し付けられちゃったんだ☆ こんな簡単なクエスト、ラック君やソフィアに手伝いを頼むのも癪だしさ、手伝いに来てくれて助かったよ☆」 魔法を使わないことといい、どうやら変なプライドがあったようだ。 だが、アルトに手伝ってもらったことについては、そう怒ってもいないらしい。 「そうだったんですか……」 二人はお互いの武器を返す。 サタンは背中に大剣を背負い、アルトはハンマーを杖に戻した。 「じゃ、俺は報告に行かないといけないから☆」 「あ、はい。それじゃあ、また」 「うん、またね☆」 タトーズの街がある方向へ向かっていくサタンの黒い背中を見ながら、アルトは安堵のため息を漏らした。 普通に話すことが出来たと。 戦闘中の混乱にまぎれてだが、話すことが出来たのだ。 やはり鈍感な彼は気にしていなかったのだ。と安心した。 ――――ところが。 「そうだ、司書さん」 「はい?」 なにかを思い出したサタンがくるりと向き直った。 「スキ、って言ってくれたじゃん?」 「え!?」 ドキン、と心臓が大きく跳ねた。 まさか、その話題が出るとは思っていなかったのだ。 顔が熱くなる。 鼓動が妙に早く波打つ。 彼のことだからもう忘れてくれていると思っていたし、きっと返事はもらえないだろうと思っていたのだ。 「あれ、ダメだったよ☆」 サタンはいつもの笑顔で言い放った。 「ダ、メ……」 目の前が暗くなるのを感じた。 振られた、という言葉が頭の中を駆け巡る。 だが、すぐにはた、と気になる言葉を見つけた。 「……ダメ、だった?」 何故に過去形なのだろうか。 「うん、なんかね。脆かったんだ。たしかに、残虐性は結構いいけど、効率悪いし、あまりスカっとしないねえ。対象と場合によってはいいかもだけど今回は……」 「あの、何の話ですか?」 怖がりながら 「だから、“スキ”の話だって。ほら、そこに俺が壊したのが転がってるでしょ☆」 ピッと指差すそこには、棒切れと、ひらたい鉄の固まりが落ちていた。 頭の中でその二つを組み立ててみる。 「……鍬(スキ)、ですか……」 土を耕すときに使う、俗にクワと呼ばれるものだ。 誰があの状況での“スキ”を“鍬”と変換するだろうか。彼しかいない。 「そう。ほら、司書さんに図書館で相談したじゃない☆ 武器忘れてきたけど、取りに行くの面倒だから、なんか変わりになるのないかなって。 鍬は確かに他の武器より安くて手に入りやすかったけど、俺はちょっと合わなかったなあ☆」 どうやらボーッとした脳は彼の話を認知していなかったようだ。 完全にサタンのことを考える自分の思考でいっぱいいっぱいだったらしい。 「そ、そうでしたか。す、すいません。あの時は頭が回らなかったもので、よく分からない助言を……」 まさか話を聞いていなかったうえに、告白なんかをしていたことを察されないように、精一杯話を合わせた。 「いいさ☆ でも、司書さんのハンマーは結構良かったなあ。うまく使えるようになれば、剣とは違っておもしろいかも☆」 「は、はあ」 「おっと。話しすぎたね☆ じゃ、またね司書さん」 ひらひらと手を振りながら今度こそ、そのまま振り返ることはなかった。 草原には大量のモンスターの残骸と、ポカンとしているアルトが残された。 *** カランカランと氷の音を鳴らしながら、酒をコップに注いだ。 「まあ、まあ。大丈夫だって。次がんばりなよ、次」 ジョーカーがぽんぽん、と背中を叩きながら慰める。 「そうは言うけどなあ」 若干の涙声で、うなだれながら一気に酒をあおった。 「そうそう、望みがないわけじゃないんだ」 「……自分の問題が片付いたと思ったら、途端にポジティブになりやがって。お前の方は、もう大丈夫なのかよ、アルト」 そういわれてアルトは苦笑いした。 それからサタンとは今までどおり、図書館の司書とその知り合いの利用者というもどかしくも心地良い関係にすっかり戻っていた。 今回はそのときのお礼のための飲み会だったのだが、いつのまにやらシャノアの愚痴を聞く形になっていた。 彼もまた、好きな人の前で少々の失敗をやらかしたらしい。 先日のアルトほどではないが、落ち込んでいる。 「まあ、な。今のところは、だけど」 そういって、ぐっとコップの中のリンゴ酒を煽り、追加の注文を頼んだ。 「で、結局どうなったんだ?」 「なんつーか、むしろ俺が守られたみたいな形になっちまったんだ」 「桃姫、強いんだね」 「ああ! かわいくてかっこよくて可愛くて、やさしくて……」 桃姫、ことシャノアの想い人むぅあのことを語りだすシャノア。 彼女のことを語っているときは、落ち込んでいたときのどよどよとした空気が消え失せる。 それをほほえましくアルトは見ていた。 若干飲みすぎにもみえるため、自分のおかわりの酒が来たついでにお冷を頼んだ。 「ん? 司書さんじゃない☆」 「ふぁい!?」 いきなり話しかけられ、アルトはびくりと肩をおもいっきりはねさせた。 振り返るとそこには、サタンと、ソフィア、そしてラックがいた。 「あら、アルト。奇遇ね」 「よ、よお」 驚きのせいか、突然サタンに会ったせいかドギマギしているアルトは、話しなれているはずのソフィアへの返事にまでどもってしまった。 先ほどきた酒をコップに注ごうとするが、手が震えていて、カチカチ、と音がなってしまい、こぼしそうになった。 「アルトちゃん……この前は、ありがとう……」 「本当にごめんなさいね。ラックさんったら心配性で……」 「本当だよラック君☆」 「……もとはといえば、忘れてった……サタンのせい……」 三人が話しているのを聞きながら、アルトは酒を飲んだ。 緊張しているのか、味が良く分からない。 頭がボーっとしてきたから、もしかしたら酔いが回ってきたのかもしれない。 「ん、司書さん、随分強い酒飲んでるんだね」 「ふぇ?」 ぐらぐらする視界でビンを見ると、それは注文した酒でないことが辛うじて分かった。 どうやら、店員が間違ってしまったらしい。 アルトもサタンの登場でどぎまぎしてしまい、よく確かめもせずに飲んでしまったようだ。 「アルト、そんな強いお酒、大丈夫だっけ?」 ソフィアが心配そうに顔をのぞきこむ。 アルトはあまり酒に強いほうではない。 もちろん大丈夫なわけがなかった。 思考がふわふわして、なんだか眠ってしまいそうだ。 「大丈夫だ」と返事する声は、呂律が回っていない。 ふと、顔を上げると、サタンの赤い目と目が合った。 サタンはいつもの笑顔で、「もらうよ」とアルトが飲んでいたビンを手に取る。 彼はザルで、多少のアルコール濃度にも屈しないのだ。 「サタンさん……しゅき」 一瞬その場の空気が凍った。 そうでないのは、当の本人のアルトと、サタンだけである。 サタンは数秒キョトンとした顔をして、「ああ」というと店の人に頼んで、コップを持ってきてもらいそれに酒を注ぎ始めた。 トクトクと並々に注いだ酒に口をつける。 「意外だね、司書さんはこういうの気にしないと思ったのに」 「……サタン、何言われたか……わかってる……?」 「え? 酒器(しゅき)、つまりコップについでで飲めってことでしょ? 俺がラッパ飲みしようとしたから☆」 「いやその……なんでもないわ」 恋愛面に対しては鈍感の側であるソフィアも、アルトの気持ちを知っているからか、閉口した。 ラックは頭を抱え、シャノアとジョーカーは慌てて話を方向転換させる。 「ひ、引き止めちまって悪いな。その酒こいつじゃ飲めないからもってっていいぜ」 「そう? ありがとう☆」 「じゃ、じゃあ。ソフィア、あっちのテーブルが空いたよ」 「あ、そ、そうね」 「じゃ……お、お邪魔しました……」 当の本人たち以外が気を使い、協力してとりあえずその場は二人を別れさせた。 そそくさと奥のテーブルへ向かう三人を横目に、シャノアはアルトの頭を叩いた。 アルトは何も分かっていない様子で、片肘をテーブルにつく。 目が若干据わっている気がするが、今そんなことを怖がってる場合ではない。 「おっまえなあ……なんでそう同じ過ちを二度繰り返すんだよ! こっちがひやひやしたぜ」 「本当だよ。君らしくもない。そりゃ、問題が解決して気が緩んだかもしれないけどさ……」 ジョーカーがそこまで言ったところで、アルトが何も反応しないことに疑問を持った。 片手で頬を支えている形で、うんともすんとも言わないどころかまったく動かない。 長い茶髪を避けて顔を覗き込むと、目を閉じて寝息を立てているのが分かった。 「……って、こいつ寝てるよ……」 「俺たちの苦労はしらぬままか」 二人はアルトの体勢を突っ伏す形にしてやった。 あのままでは首を痛めてしまうだろう。 「しかたねえ。今日はアルトのおごりって約束なんだ。とことん飲んでやろうぜ」 「乗った。せっかくソフィアと飲めたかもしれないのを棒に振ってあげたんだからね」 「ああ、今回は世話焼きっぱなしだったしな。これくらい安いだろ」 二人はニヤリと笑って、軽くグラスをぶつけ合った。 「後日届く請求書を見た、アルトの反応が楽しみだね」 「そのときは今回のことはきっと忘れているから話してやろう」 近くでそんな企てを話しているのを知る由もなく、アルトは幸せそうに寝息を立てるのだった。 いずれにせよ彼女が彼の憎むべき言葉を、正しい意味で伝えられるのは、もっと遠い未来のことになりそうだ。 Fin…

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