第五話 第三章 「お前の取り分を二割をわっちによこせ」

次の日の朝目を覚ますと、共に昨日宥めた興奮も一緒に起こしたアルトは、森中のモンスターを駆逐するくらいの気持ちで出かけた。 街でわざわざ買ってきた風船に、目のような模様を描いて適当な木に括り付けた。 昨日ジェンと張ったポイントで、鏡のついた鉢巻を結んで気合を入れる。 条件は昨日とほとんど同じだ。 だが、行きはよいよい、帰りはトボトボ。 勇み足はどこへやら、帰宅する足取りは力ないものだった。 アルトの殺気を感じ取ったのか、イェピカ以外のモンスターさえほとんど姿を現れず、収穫はゼロ。 結局一匹もイェピカをとらえることはできなかった。 あれだけ啖呵を切ったのだ。こんな無様な姿を見せたらきっと、ジェンに笑われる。 そう思っていたのだが、手ぶらで帰ってきた彼女に、ジェンはいつも通り「おかえり」と声をかけただけだった。 拍子抜けしてキョトンとするアルト。 ミィレとソフィアが帰ってきてからも、そのことに触れず、何食わぬ顔で夕御飯を食べていたし、話まで合わせる始末。 次の日も、その次の日もアルトは一人で出かけ、成果はなし。 ソフィアとミィレの成果も芳しくなかった。 レイブンとカノンは相変わらず、イナエ街の入り口付近で待ち構えていた。 アルトは、何も収穫がないというのが知られているらしく、完全に素通りであるが、ソフィアとミィレはたまに奪われたり、全部ではないがいくつかダメにしてしまうくらいの邪魔が毎回入っているようだ。 そして5日目。クエストの期限が間近に迫ったその日、最後に起きたのはジェンだった。 四つ並んだ個人部屋の緑の扉を閉めながら、のんびりとあくびを一つ。 まだ眠たそうだ。彼女は朝が弱く、起きてすぐはいつもこんな調子である。 ぼーっとしながら腹を掻き掻き、寝相のせいで少々乱れた甚兵衛を直しながら、もう一つあくびをしながら挨拶をした。 「おふぁよぉおお……」 あくび6割くらいの挨拶だった。 他の三人の返事を聞きながら共有スペースにあるテーブルの自分の定位置に座る。 つい先日まで空席だった場所で朝食をとっているアルトが、不機嫌そうに睨んでいることにはまったく気づいていない。それどころか視界にすら入っていないだろう。 丁度向かいに座っていたソフィアがジェンの湯呑を差し出した。 「ごはんはまだ食べないでしょう?」 慣れた様子で確認すると、ジェンはまだぼんやりとした様子でうなずいた。 ソフィアは台所に朝ごはんを作ってあることを伝えると、ミィレと共に立ち上がった。 「じゃ、俺達は行くわね」 「アルトとジェンも、頑張ってね。アルトは図書館行ってからだっけ?」 施設が破損し、しばらく休みになっていた図書館が数日前から開館を再開した。 必然的に職員であるアルトは、本格的に冒険者との二足の草鞋を履くことになった。 冒険者になったことを報告すると、遅刻や早退も少々の融通が利き、シフトが随分軽くなることが分かった。 ありがたくはあるが、アルトにとっては残念でならない。 どうして、好きな図書館の仕事よりも、嫌々やっている冒険者の仕事を優先させる環境が整うのだろうか。 今日は午前中だけ図書館の仕事をすることになっている。 本当は一日中図書館にいたいところだが、どちらかの仕事に偏るなんて不格好な真似はしたくない。 どちらかというとうまくいっていないのはこちらの仕事なのだから、こちらを少々優先させるのはアルトとしては当然の思考だった。 「……ああ。午後から森に行くよ」 アルトは苦々しく言うと、パンを口に押し込んだ。 二人が出かけてからも、しばらくお茶を飲みながらぼーっとしていたジェンは、やがて立ち上がり、台所から用意されていた朝食を持ってきて、もそもそと箸をつけはじめた。 入れ替わるように食べ終えたアルトの皿にそっとミニトマトを移そうとする。 が、すぐに気付いて止められた。 「勝手に入れようとするな」 舌打ちをすると、ミニトマトを皿に戻した。アルトはまたミニトマトが迫ってくる前に皿を台所の流しに運ぶ。 台所から出てきた瞬間にケチ、と言うジェンをしり目にいそいそと準備を始めた。 その間に食べ終わったジェンはカチャカチャと皿を台所へ運ぶ。 すれ違う時チラリと見たらトマトは皿に乗ったままだった。 結局残すのか、と思いながらすれ違った直後、ジェンが突然声をかけてきた。 「ツッコミ」 「だから、ツッコミって呼ぶな……むぐ!?」 アルトがツッコミながら振り向くとジェンはすかさずその口に何かを押し込んだ。 が、すぐに顔を今までない以上にしかめた。 アルトは思わずそれに歯を立ててしまったのだ。 ブチリ、と厚めの皮が破れると、耐え難い青臭さとどろりとした感触が口に広がる。 噛んでしまった以上吐き出すわけにはいかない。できるだけ噛まないまま飲み込んだ。 「っにするんだよ!」 「トマト。わっち嫌いだから」 どおりで先ほどからアルトに食わせようとするわけだった。 「私も嫌いだよボケ! っあ゛ー最っ悪……。水くれ水」 ジェンが水を渡すとアルトはすぐに飲み干した。 「やっと合った気がトマト嫌いってなんだよ。使えねえなあ」 「知るか!」 怒鳴りつけてから、玄関に腰を下ろして靴を履いていると、その後ろからジェンがあくび交じりに声をかけてきた。 「今日も一人で行くのか?」 初めてジェンが仕事のことを聞いてきた。 アルトは一瞬面くらいながらも、むすっとした調子で答える。 「……まあな」 これがジェンに助けを求めるチャンスだということはわかっていた。 だが、それに飛びつく素直さはないし、うまく引き込む話術もアルトは持っていない。 「……ご苦労なこった」 ジェンはそれ以上のチャンスを与えることはせず、ひらひらと手を振って奥へと引っ込んだ。 アルトは八つ当たり気味にドアを閉めようとして直前で、そんなことをしたらしばらく玄関のドアなしの生活を強いられ、挙句、修理代を払わされるだろうという冷静な判断が頭をよぎり、そっと扉を閉め、図書館へと出かけた。 楽しい時間というのはどうしてこう早く過ぎるのか。 あっというまに図書館の仕事は終わってしまった。 これから楽しくない冒険者の仕事の時間だ。 道具を入れ替えるために一旦宿屋へ帰ると、鍵がかかっていた。 ソフィアにもらったキーホルダーの鈴を鳴らしながら、鍵を開ける。 中にはやはり誰もいなかった。 ソフィアとミィレはまだ帰ってきていないとは予想していたが、ジェンも出掛けたらしい。 どこ行ってんだか、とまた不機嫌になりながら、中央通りまで来たその時、鍵を閉め忘れたことに気付いた。 慌てて戻ると、扉が少し開いていた。 施錠は忘れていたが、扉はきちんと閉めたはずだ。 誰かが帰って来たのか、それとも侵入者がいるのか。 カノンとレイブンが忍び込んだ可能性だってある。 身構えながらそっと扉を開ける。 すると、暗い室内の中で光る眼玉が一斉にアルトの方を振り向いた。 まるで巨大なイェピカが部屋に押し込まれているかのような光景を前に、アルトはおもわず「ひっ」と小さく悲鳴を上げ、しりもちをつく。 そして、アルトが次に何かを考えるより早く、それらが突進してきた。 ガードしようと腕を上げたが、それらはアルトには目もくれず、むしろ避けて外へ飛び出していく。 怒涛のように飛び出してきたのは、猫の大群だった。 にゃあにゃあと声を上げながら雪崩出て来ては逃げていく。 猫達が去った後もアルトは尻もちをついた体勢であっけにとられていた。 そこにジェンが帰ってきた。 「お前、なにやってんだ?」 「ね、猫が……」 「猫?」 「猫が、たくさん家の中にいて、逃げてった……」 「良かったじゃねえか」 「いや、有り得ないほどいて……お前、信じてないな?」 「当たり前だろ。んなことあるわけねえし。馬鹿じゃねえのお前」 ジェンが容赦なく一蹴すると、アルトを放置して家の中に入っていった。 確かに、ちょっと目を離した隙に猫の大群が家の中にいるなんてありえない。 疲れていたのかと頭を掻きながらそのあとに続く。 だが、それはアルトの妄想でも幻覚でも勘違いでもなかった。 部屋が荒らされていたのだ。 あちこち猫の足跡だらけ、傷だらけ、毛だらけだった。 棚という棚は開けられ、椅子やテーブルは横倒しになっていた。 荒らされた室内を見てジェンは呆然と立ち尽くした。 「なんだよこれ……」 「ほ、ほらみろ!」 何故か威張って大声を上げるアルト。 だが、あまり威張っている状況ではない。 そのあと、帰って来たミィレとソフィアも巻き込んで四人で掃除をしながら、なくなっているものはないかを調べた。 危惧していた金品は無事。 個人の部屋に入っていた形跡はなかった。 ただ一つ、隠しておいた目玉だけが全部持っていかれてしまっていた。  「始めるぞ、話し合い!」 アルトが声を張り上げると、椅子に座った。 その日の夜、作戦会議をすることにした。 他の三人は相変わらず乗り気ではなかったが、この状態だ。 アルトはここぞとばかりに強気に出て、三人を会議の場に引きずり出した。 司会は言い出しっぺのアルト。 その役割は当然だと本人も納得していたし、なにより他の誰に任せる気にもなれなかった。 「まず、ミィレ。依頼内容を」 「えー、そんなのもう話したじゃない」 「認識の確認のためだ。ほら」 アルトは顎をしゃくって促す。ミィレはやるきなさそうに記憶を掘り起こした。 「えーっと、めろなの実験のための材料、"イェピカ"ってモンスターの目玉の採取。量はバケツ一杯。最近イェピカの量が減っちゃったから、採取が難しくなって依頼したらしいわ」 依頼をするだけあってイェピカの遭遇率が低く、それでもなんとかギリギリ目標量に達するか否かというところにこのハプニングだ。 「期限は?」 「たしか、依頼受けてから十四日だったよね。つまり、あと三日くらいかなあ。今日を入れないで」 三日。五日かけても集まらなかった以上の量を三日でかき集めなければならない。 正直言って無茶だ。 アルトにはこの依頼を辞退するということは頭にない。 単純にその発想が浮かばないというのもあるが、負けず嫌いな彼女は何故かそれが"負け"になる気がしたのだ。 「次、ジェン。イェピカについての説明を頼む」 敵を知り己を知れば百戦危うからず。まずは敵の情報収集からだ。 「えー、わっち? それも一回話しただろ」 「モンスターについてはお前が一番詳しいんだろ?」 「まあ、この二人よりは……」 「とにかく、知ってることを教えてくれ」 「でも、イェピカの目玉だろ? あれ、あんま高く売れねえんだよなあ。だからあんまり詳しくは……まあいいか」 ジェンは頭を掻いた。 反論することが面倒臭くなったようだ。 えーっと、と腕組みをする。 「イェピカは、イナエの近くに生息する鳥型のモンスターだ。好きなのは光るものと目玉」 例の目玉でできた葡萄にくちばしと羽根が生えたようなモンスターを、頭で思い描く。 一応葡萄型ではなく、鳥型らしい。 「あいつら、生まれた頃にはまったく目玉を持っていないモンスターでな、だからなのかどうかはわからないが、他の生物の目玉を集め、自分の体に取り込むんだ」 イェピカは生まれてしばらくして親から目玉を一つ受け継ぐ。 それまでは無明の中で成長する。 キラキラしたものに惹かれるのもそれが原因なのだという説が、学者の中では主流らしい。 「一度取り込まれた目玉は元が何の動物のものであれ、性質が変異してすべて"イェピカの目"になる。……ああ、そうそう。蛇足なんだが、ちなみにこれ、すりつぶして飲むと」 ジェンがそこで区切る。誰かがゴクリと生唾を飲み込んだ。 「飲むと?」 「全体的に若干色黒になる」 「なんだよそれ!?」 「染料に使われてたりすんだよ」 そう言われて見れば、たまにそうやって黒く染められた服やスカーフなどの装備がどこかの店に並べられているのを見たことが合った気がした。 ジェンが思い出したようにもう一つ付け加えた。 「あ、そういえば魔力が若干強くなるんだっけか」 「それが一番の効果じゃねえの!?」 「でも柑橘類の汁で洗うと色も魔力も全部落ちる」 「しみがついた時の、おばあちゃんの知恵袋かよ!」 「あら、違うわ。しみがついた時は……」 「いやいや、染み抜きの方法は今もとめてねーよ!」 ソフィアの発言にもツッコミを入れるアルトを横目に、ジェンは続ける。 「その目玉は飾りなのか? それとも全部自分の視覚にできるのか?」 アルトが疑問をぶつける。 フェイクなのか、使えるのは数個だけなのか。 それによって対応は違ってくる。 「そうだな……たしか、目玉を取り込んで2、3日は慣れない様子だが、すぐに動かしたり、餌を目で追う傾向があるって聞いたことがあるから、神経がつながるらしい。成長具合を決めるのは、取り込んだ目玉の多さだ」 「弱点は?」 「光だな」 即答された答えにミィレが首を傾げた。 「前も聞いた時思ったんだけど、光るものがすきじゃないの? 弱点が好きって、ドエムさん?」 「ピカピカキラキラしたものが好きで、すさまじい閃光が苦手なんだ。目が増えるにつれて視覚に頼りきりになり、他の器官も衰えるからな。ちなみに目が全くない赤ん坊だったら何もせずともすぐにひねり殺せる」 あまりにもストレートな表現にアルトは苦笑いした。 確かに彼女はモンスター相手に容赦がないらしい。 「生息地は、あの森以外にないのか?」 アルトは壁に飾られていたこのエレフセリア大陸のマップを下ろしてテーブルに広げた。 倒されそうになった湯呑類を全員が持ち上げ、マップが広げられると重し代わりに降ろした。 「どこにでもいるぞこいつら。巣が作りやすい森の中が一番探しやすいんじゃね?」 そう言ってジェンの白くて細い指がイナエの北に位置する森と、南西の森を指さした。 結局先日聞いた通りの情報ばかりだ。アルトはイナエ周辺の森を睨みつける。 これまでどおり二手に分かれてそれぞれの森を張るという現状維持は、どう考えても駄策。 というかそんな選択肢はもはやないも同然、のはずなのだが、困ったことにその駄策よりマシな案はちっとも浮かんでこなかった。 結局駄作を続行することになったのだ。 もしかしたら、あきらめる、という禁じ手を使うことになるかもしれない。 だがそれは究極の最終手段。 それを使う前に、できることはあるはずだった。 そう例えば、アルトが少しのプライドを捨てて借りを作るとか。 次の日、ミィレとソフィアが朝からフィールドへ出かけるのを見送ると、アルトはジェンに恐る恐る声をかけた。 「……なあ、ジェン」 「あ?」 ジェンはソファによりかかって、なにやら金を数えていた。 彼女はたまにそうやって過ごしている。 そういえば前に貯金がどうのと言っていたから何か欲しいものがあるのかもしれない。 「もう何日もお前の教えてくれたところ張ってるんだが目的の奴が来ないんだ」 ジェンはへー、と適当な返事をしながら、慣れた様子で紙幣を一枚一枚数える。 「……私なりに資料を漁って見たんだが。新しい情報は得られなかった」 図書館の仕事の合間にイェピカについての資料をいくつか漁ってはみたが、何一つとして現状を打破する新しい情報は得られなかった。 ふーん、と興味のなさそうにつぶやいたジェンはトントン、と紙幣の山をそろえた。 そして頭だけをアルトに向けて問う。 「で?」 おそらくアルトに言いたいことはとっくにわかっているのだろう。 だが、なにもせずそれを汲んで行動を起こしてくれるほど、彼女は甘くなかった。 自分で突き放した手前、ものすごく頼みにくいものがあったが、背に腹は代えられない。 意地を張っている場合ではないことはさすがのアルトでもわかった。 重い口をゆっくりと動かす。 「……手伝ってくれ」 すぐさまジェンがチョキを出した。 じゃんけんはしていない。 かといってピースなわけでもないだろう。 とりあえずグーでも出そうかと思ったところでジェンは短く言った。 「二割」 「は?」 「お前の取り分を二割をわっちによこせ」 クエストの報酬はパーティー用資金分と、個人にそれぞれ分配されることにしているらしい。 そのアルトの分をよこせと言っているのだ。 この守銭奴が。 という怒鳴り声をどうにかこうにか飲み込む。 そして、先日ジェンに口に入れられたミニトマトを丸のみした時と同じような、違和感と痛みが邪魔をするが、しぶしぶとうなずく事ができた。 「……わかった」 「よし、じゃ行くぞ」 金を手際よく片づけて部屋に隠したジェンは、アルトとシェアハウスを出た。

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