第六章 第二話「いや、むしろいいのかよそれで」

アルトの提案で、彼らは場所を移して近くの喫茶店に入ることにした。 あの、皆でパフェを食べたあの店だ。 「デカゴリリンゴパフェ」はもう販売を終えているようでメニューにはなかった。 それぞれ飲み物を注文し終え、ウエイトレスが引っ込むと、まず桜綺が釘を刺してきた。 「我らは、明日の昼の便の列車で帰るつもりだ。それまでできるだけ寝ておきたい。あまり長くは居れぬぞ」 「きつねも限界っぽいしね」 ジョーカーが苦笑いしながら、隣で舟をこぎそうになっているきつねを見やる。 それに気づいたきつねは傾いていた上半身を少しだけ起こした。 「んん……僕、大丈夫だよ」 そういいながらも、最年少らしい彼は眠そうに目をこすっている。 その仕草が幼い子どもの様で、だからだろうか、周りもなんとなく子ども扱いしてしまっているようだ。 「ああ、わかってるよ」 「わっちとしてはここでずっとサボってたい……冗談だよ。一々睨むなよな、ツッコミ」 仕事の途中である彼女たちも、あまり長居をするつもりはなかった。 「で? 何があったんだ?」 カルが聞く。アルトがそうだな、と少し考えた。 「とりあえず、お前らの話が聞きたい。どんな仕事だったんだ?」 飲み物だけだったからだろうか、注文の品がもう運ばれてきた。 ウエイトレスが各々にカップを配っていく。 ジョーカーは注文した紅茶を受け取りながら、そのウエイトレスの女性に微笑みかけた。 「ありがとう、ごめんね。こんな格好で。君とは万全な状態で出会いたかったよ」 イケメンに部類されるだろう造形の顔のジョーカーに話しかけられたからだろうか。 ウエイトレスは頬を赤く染めながら会釈をし、厨房に引っ込んでいった。 厨房から「きゃあ」という女性特有のはしゃいだ悲鳴が聞こえ、数人の女性スタッフがこちらを覗いてきた。 ジョーカーはそんな彼女たちににこやかな笑みを送ると、また悲鳴があがる。 「ジョーカー。店員まで口説くな。脱線の元だ」 それを桜綺が窘める。 その様子をアルトは冷めた目で見ていた。 ジェンに至ってはまったく興味がないらしく、メロンソーダフロートに夢中になっている。 ウエイトレス達と同じ、生物学上の女性でも反応に差がありすぎる。 「あー、話を戻すぞ」 カルが眠そうな目で、人差し指を立てる。 「仕事の内容だったっけ。そうだな……」 少し頭の中で整理してからカルは話し出す。 「俺達は猫を洗う仕事をしてきたんだ」 「……つまり? 詳しい内容は?」 「そのまま。猫を洗うって内容だ。……ただし、その汚れがちょっと特殊でな」 カルはコーヒーでのどを湿らせた。そのもったいぶった話し方にアルトはイライラする。 「あまり、時間かけらんねえって言ったのは、そっちのはずだが」 「焦んなよ。こちとら眠くて頭働いてねえんだ」 「普段はちゃんと働いてるみたいな言い方するな」 「あ?」 「カル、脱線する」 桜綺が短く止めに入った。 おかげで、もう一度くらい挑発しようとしていたアルトも、その言葉を質問と舌先ですり替えた。 「で、その汚れってのは?」 「……イェピカっていうモンスターがいるんだが」 いきなり目当ての単語が出てきて、アルトは思わず生唾を呑みこむ。 ジェンもフロートをつつく手を止めた。 「そのモンスターの目玉の……あーっと。お前、魔法具の授業は作成じゃなくて、活用を選択してたんだっけ」 魔法学校に在籍していたころの話だ。 アルトはコクリとうなずく。 自分の魔力の低さを鑑みて、それを補うために選択した授業だった。 一応独学で作成の方も勉強はしたが、自分の魔力を込めるという課程があることも多いため、実際に作ったことは今までに片手で数えるだけしかなかった。 「じゃあ一応その説明からしてやる」 そう言ってカルが丁寧にしてくれた説明は、ジェンが言っていたことや、自分なりに調べた情報ばかりだった。 そのことなら知っている、と言いたかったが話の腰を折りたくはなくて、おとなしく相槌を打った。 やはりイェピカについては、今知っている以上のことは、専門の研究者くらいにしかわからないのだろう。 「んで、その目玉を絞ると魔力を微弱に伴った黒い汁が出るんだ。それは魔法具の素材になる。付加される魔力は微弱だし、永続ではないから、あんまり使われねえんだけどな。もちろん魔力は量に比例して付加されるが、それこそかなり大量に浴びるなり、身に着けるなりしないと対して効果はない。そうだな……お前が俺くらいの魔力になるには物理的に無理な量を身に着ける必要があるな」 ニヤッと挑発するカルに、アルトは「んだと」と身を乗り出しかけた。 こういう掛け合いは癖になっていて、眠かろうと何だろうとつい、やってしまうようだ。 今度はジョーカーがまあまあ、と笑顔で二人をなだめる。 それを見ながら、桜綺がポツリとつぶやいた。 「あれじゃな。”焦げ”を癌になるまで食うようなものだな」 その場にいた桜綺以外の全員が一瞬フリーズし、首をかしげる。 おそらく、物理的に無理な量を。の部分を拾って自分なりに解釈したのだろう。 周りの反応が思ったようなものではなかったのだろう、桜綺は不思議そうな顔をあげた。 「ん? 違ったか?」 「……違うこたねえかもしれねえが、ピンとこねえ」 おやじギャグを言った訳でもないのに、少し冷えた空気でクールダウンしたアルトが話を戻す。 「……んで、そのイェピカからとれる素材が何なんだ?」 「ああ、ええと。猫についていた汚れってのがそれだったんだ」 「イェピカの目玉の汁が、猫に?」 「それも大量。あれは汚れたっていうか漬けられてたって行った方がいいかも」 「イェピカの目玉の汁まみれの猫……。どうでもいいが、長いし言いにくいな。”イェピカの目玉の汁まみれの猫”」 「あーっと。たしか素材名は……なんだったかな。とにかく結構マイナーなんだよ」 「要は、真っ黒に染まった猫だろ?」 ジェンの簡単すぎる要約にカルは頷く。 「なぜかその、”真っ黒に染まった猫”が、このイナエ街で多数発見されたんだ。そいつらを洗ってやるってクエストが、今回の仕事だった」 冒険者向けのクエストになるくらいだ。 それが一匹や二匹ではなかったことくらいは想像できていた。 「そういや、商店街で黒猫が多くて縁起が悪いって話してるの聞いたことあるな」 ジェンのポツリとしたつぶやきにアルトは首をかしげる。 「そうだったか……?」 彼女にはこの街の黒猫が多いという記憶も、増えたという記憶もない。 猫を見るとすぐに構いたくなってしまうアルトが気づかないということがあるだろうか。 「そのイェピカノ目玉の汁? のせいで猫もちょっとした魔法になり切らないくらいの力が使えたもんだからさ、一般人だけでは危ないってことで、俺達冒険者が募られてたみたいなんだよね」 「”ちょっとした力”というわりに、苦戦したようだが、なんか邪魔が入ったのか?」 彼らはかなりボロボロだった。 いくら魔力があるとは言え、猫が相手にそんなに手こずるだろうか。 ジョーカーは苦笑しながら軽く両手を広げた。 「これは仕事自体じゃなくて、それに伴うトラブルが原因」 「トラブル?」 そういえば、役所でもそんな事を言っていた。 「……まさかレモン相手にあんなに苦戦するとは思わなくてさ」 「おかげで、集めるのに一晩かかっちまった……」 そういって、カルはテーブルに突っ伏した。 他の三人も大変さを思い出したのか、ぐったりとした雰囲気を醸し出す。 「動物相手だからきつねの修行にも丁度良さそうって思ったのに……」 「まあ、ある意味修行にはなったんじゃない? 相当疲れてるみたいだし」 そう言って、カルは片手で頬杖をついてきつねを見るが、当の本人はオレンジジュースの入ったコップを持ちながらこくりこくりとしていて、こちらの話は全く聞いていないようだ。 絶妙なバランスで倒れることなく舟をこいでいる。 ジョーカーが彼からコップを少し遠ざけた。 「レモンって……果物の、なわけないよな。ってことはモンスターのレモンか?」 カルがうなずく。 「イェピカの汁を洗い流すには、柑橘系の果物の汁が一番いいんだ。それで今回はレモンを使った」 「別に、モンスターじゃなくて果物のレモンで充分だろ? なんでわざわざめんどくさい素材使ったんだよ」 ジェンが言うと、カルが恨めし気に睨みつけてきた。 「果物のレモンのはずだったんだよ」 「レモンは依頼主が用意してくれてたんだ。青果店から普通の果物のレモンを8袋。だけど、仕入れた青果店のミスでモンスターのレモン詰め合わせが一袋混ざってて」 レモンというのは、モンスターの名前だ。 その名の通り、見た目は完全にレモンだが、果実ではなく生物な為、もちろん動く。味も成分もほぼレモンと遜色なく、かなりすっぱいが、食べたからと言って害はない。 むしろ、その酸味を利用して調理する料理人もいるらしいから、その需要に合わせて仕入れたものと取り違えたのだろう。 「ただでさえ猫はレモンの皮が駄目らしくて。皮を丁寧に剥いて、潰して……本当は果汁もあんま良くないらしいから、気を使って洗って、丁寧に流してやって……って神経使う仕事だったのに……それにくわえて、逃がしたモンスターのレモンを探して追いかけて、潰して……」 「そりゃ、ご苦労さん」 あまりにもぐったりしている彼らにアルトは苦笑いして、ねぎらいの言葉をかけてやる。 ジョーカーがヘラリと笑みを浮かべた。 「苦労も苦労。大変だったのに、多分全部は集められなかったんだよね」 「なんだよ、逃がしたのか?」 「たぶんね。正確な数はわからないけど、多分全部じゃない」 「まあ、見落としても一匹二匹。レモンくらいなら一般人でも捕まえられるレベルだし。問題はなかろう」 「そうだな。レモネード、ましてやレモンパルスだったら、少々話は違っただろうが……レモンの状態ならあんまり危ないモンスターでもないし……。お前らも、見かけたら適当に処理してくれ」 「わかった」 「俺たちの中にはモンスターを勝手に進化させるような奴もいなかったのが幸いだったよな」 カルの皮肉に、アルトは思わず笑ってしまった。 先日、ミィレがゴリンゴをゴリリンゴに進化させたときのことを言っているのだ。 「なんだそれ、自慢かよ」 「自慢にもならねーよ」 カルも少し笑って、ずっとコーヒーを飲み干す。 「猫がそうなってしまった、原因は?」 ジェンの問いに、カルは肩をすくめた。 「知らん。でも、人為的なものを感じた」 「事故ではなく、誰かがわざとやったってこと、か」 素直に考えるなら、悪意のあるイタズラに思うのが妥当。しかし。 「でも、それだったらわっちらへの妨害は何だったんだ?」 「それは……」 アルト達が知る限り、猫は自分たちで目玉を奪っていた。 artは集めたイェピカの目玉を、猫自身に横取りされている。 偶然ではない証拠に、そういうことが何度もあったのだ。 猫が自らそのイェピカの目玉を集めているということは、猫が力を欲しているのだろうか。 いや、猫が目玉をつぶしてそれに自分たちから浸かりに行くとは思えない。 そもそも目玉にそんな効果があることすら知らないだろう。 「ただ単にイェピカの目玉が欲しかっただけ。とか」 「それは何故だ?」 「……食べるため……。あ、いや、こういうのはどうだ? 何者かが猫を真っ黒に染めるいたずらをする。それを猫たちは自分たちで止めようとしてイェピカの目玉を持った人を襲う……とか」 「ただの猫がか?」 「……だよなあ。しかも統率が取れていたように見えたし……。でも、私達の件とカル達の件が別問題ってのも、偶然が過ぎる気が……」 「そこは同感。イェピカ自体、そんな話題に上がるようなモンスターじゃねえしな」 ぶつぶつ考え事を垂れ流すアルトに、カルがチョップをかました。 「いってえな! なにすんだ!」 不機嫌な声で忠告される。 かなり遠慮なしだった攻撃は、星が飛ぶほどではなかったが、結構痛かった。 「こっちにも説明しろ。そっちばっかで話してんじゃねーよ」 「もう少し普通に言えよ!」 身を乗り出すと、今度は指が迎え撃ってきた。頬に突き刺さる。 「そ・う・い・う・こ・と・を! お前に言われたかねえんだよ! 口より先に拳が出るやつによ!」 そしてその指でそのまま頬をぐりぐりと頬にめり込ませられる。 その言い方にムカついて、アルトはそのままその指に噛みついた。 「いって!?」 指をかじられたカルは慌てて指を引っ込める。 指が離れた隙を逃さず、アルトは怒鳴るように訂正をした。 「んなことしねーよ! 口と拳は同時に出す!」 「いや、先に口を出せよ!?」 「だから今噛みついただろ!」 「いやそうじゃ……つーか! だから、自分たちばっか話してねえで、こっちにも教えろつってんだ!」 そういって、椅子に座りなおす。ジョーカーと桜綺も、まっすぐにこちらに目を向けてきていた。 「……そうだな。お前らにも意見聞いてみるか……」 大抵のあらましを話し終えるころには、きつね以外の全員が真剣な顔で考え込んでいた。 そういえば、きつねは反応が少ない。 「……猫が自ら集めていた……?」 「一体何故……」 「つーか、依頼人と敵対ってどうしたらそうなんだよ……」 「それはこっちが聞きてえわ」 小説の中でも依頼人と冒険者が敵対する話なんて読んだことない。 事実は小説より奇なり、なんて言葉が合うような事態に自分の人生で陥るとは、アルトも思っていなかった。 「でもそれなら、その、依頼主が怪しいのではないか?」 「え?」 桜綺の言葉に全員がぽかんとした。 一番に理解をして「なるほど」というジェンの相槌に、今度は全員が彼女注目した。 説明を求める視線を受け、ジェンはめんどくさそうに口を動かす。 「だって考えてみろよ。めろなはイェピカの目玉を欲している。猫はイェピカの目玉を狙う。めろなはわっちらを邪魔したい。猫はわっちらを邪魔する。一本の線で描けないこともなくね?」 確かに、話がつながっていると言われれば、そうかもしれない。 少なくとも、可能性の視野に入れられる。 「それに、めろなが目玉を集めて何に使うとは言っていない。もしかしたらもともとこういう用途で使おうと思ってクエストを申請したってこともありえなくはないかもしれない」 「……カノンとレイブンは? 知らなかったようだが」 「それもしらばっくれていたか、知らされていなかったか。いくらでも説明はできる」 「ふむ」と深刻そうな顔をする。 だとしたら、自分たち何に注意してどう動くのが良いのだろうか。 ジェンはそれを見ながら、フロートをすすった。 ストローを口に入れるの為に開けたお面の隙間から口の端がにっと上がるのが、アルトから見えた。 「ま、結構こじつけっぽいとこもあるし、わっちらは名探偵じゃねえんだ。とりあえず、頭の中に入れとくくらいでいんじゃね?」 すぐに口元はお面で隠れてしまったが、それでもジェンの楽観的な笑みが透けて見えるようだった。 思わずアルトもつられて表情を緩める。 「お前らなあ。ほんと、適当だよな」 彼女のその顔を意外に思ったのはカルだった。 少し驚いたように凝視する。 だが、当の本人は今目の前のトラブルしか見えておらず、その視線に気づく様子はなかった。 「でも、なにもしないってのも問題だろ。探りぐらい入れたいところだが……」 「せめてもう一人……ソフィアかミィレがいてくれたら、偵察に言ってもらえるんだが……」 さすがにカノンやレイブン、そして猫たちから一人で目玉を守るのは、アルトどころかジェンも自信はない。 「どっちもどこにいるかわからない以上、連絡の取りようがないよな……」 アルトがため息をつくと、カルがん?と首を傾げた。 今度は彼女の表情ではなく、発言に引っかかったようで、怪訝そうに意見を述べる。 「……魔法使えばいいだろ?」 「魔法って……。私テレパス系の魔法なんて……」 と、否定しかけて、はた。 と、アルトはとある方法を思い出した。 それと同時に、カルがアルトが思いついた方法と同じことを言う。 「ヤギ使えばいいじゃねーか」 「そうか、その手があったか」 学生時代は得意としていた数少ない魔法の一つだが、イナエに越してきてからはほぼ不必要だった為、失念していた。 「ヤギ?」と首をかしげる他の面々を無視して、アルトは杖を出した。 記憶の中から呪文を引っ張り出し、できるだけはっきりと発音しながら唱える。 呪文に呼応して、魔法陣が展開されていく。 ぽう、と輝きが一段と大きくなると、一匹の小さいヤギが飛び出した。 「メェ!」 角もなく、真っ白な毛がフワフワの子ヤギは、可愛らしく鳴いた。 すり寄ってくる子ヤギをアルトが撫でる。 「久しぶりだったから自信なかったが、どうにか成功したみたいだな」 とりあえず、問題なく魔法が使えたことに安堵する。 存在を忘れていた割には、案外覚えているものだ。 アルトはヤギを抱きかかえ、視線を合わせると、ぼそぼそと話しかけはじめた。 言葉は光に変換され、アルトとヤギの間に渦巻き始める。 やがてそれは球体を形成し、話し終えたと同時にぱっとはじけた。 中から生まれたのは一通の手紙。ヤギはそれをパクリとくわえた。 「頼んだぞ」 「メェェ」 アルトが床に降ろすと、ヤギは一声鳴いて元気に走りだした。 ヤギは客やウエイトレスの足の間を器用に避け、最終的に店の扉をすり抜けて行ってしまった。 それを見送ると、アルトはやっと説明を始めた。 「あれは遠くにいる奴に伝言を伝える魔法でな。召喚したあのヤギが私の伝言を伝えに行ってくれるんだ。とりあえず、これでソフィアと連絡を取って……」 「ミィレは?」 「……私の魔力じゃ、一回に一人分送るので精いっぱいなんだよ」 「しかも、返事が戻ってくるまで結構時間のロスがあるしな」 カルがからかうように補足する。 「うるせえ……って、なんだよジェン」 ジェンがじろじろとこちらを見ていることに気が付いた。 「いや、お前、魔法使えるんだなって……」 「こんな魔法が使えるなんて、見直しただろ」 アルトは得意げに胸を張ったが、ジェンは首を振った。 「じゃなくて、純粋に、魔法自体使えたんだなと」 がくりとアルトは肩を落とす。 「使えるわ! 私は魔法使いだって何回言わせるんだ!」 そこにカルが追い打ちのように指摘をしてきた。 「いや、お前その様子じゃろくに魔法使ってねえだろ。ただでさえセンスも魔力もねえのに、そんなんじゃ余計……」 「うっせえばーか! ちょっと忘れてただけだろ!」 確かに、司書という職業では魔法を使う機会なんてなかったとはいえ、さすがにまずいかもしれない。 一度手持ちの魔法書を読み返してみるべきかもしれないとアルトは思った。 これでは、格闘家だの魔法使いっぽくないだの言われても文句が言い辛い。 もっとも、言い辛いだけで、結局アルトは文句を言うのだろうが。 そこにゴン、という痛い音がした。 きつねがついにテーブルに頭をぶつけたのだ。 痛みが伝わってきそうな音に、一同はびくりとして彼を見る。 「痛い……」 まだなお眠そうで、涙目になるきつね。 睡魔に弱いのだろう。打ったところを擦る手の動きも、ゆるゆると鈍い。 そんな彼を見て、カルが言った。 「……タイムリミットだな」 「ああ、すまない。時間取ってくれてありがとな。それじゃあ……」 帰ろうとアルトが伸ばした手の先にあった伝票が、さっとかっさらわれた。 「じゃ、会計してくるね」 そういってウインクするのはジョーカーだ。 彼の手にある伝票を奪おうとアルトが手を伸ばすが、それさえもひょいと避けられる。 「……私が誘ったんだ。私が払う」 アルトに睨まれ、ジョーカーは笑顔をひきつらせた。 「そんな睨まないでよ。俺、女の子の上目遣いで怖いって思ったの初めてなんだけど。普通かわいいもんじゃないの」 「別の意味でドキッとするだろ」 よくその視線を向けられるらしいカルが面白がって言う。 アルトはそれを無視してジョーカーに手を差し出した。 「いいから、伝票よこせ」 「一応、女性の君に驕らせるのは俺のポリシーに反するな」 ジョーカーは人差し指を立てて、軽く左右に振った。 キザったらしいその仕草にアルトはイラっとする。 「”一応、女性”だからな」 カルがプッと笑う。 アルトは黙ってカルを一睨みして、すぐジョーカーに視線を戻す。 ジェンは肩をすくめた。 「奢ってくれるって言ってんだ。そうしてもらおうぜ。ただ飯ただ飯」 「嫌だ。こういう形の女扱いはむかつくんだよ」 譲らないアルトはサイフを出した。 ちらりと中身を見て、紙幣を乱暴に引っ張り出すと、それをジョーカーに押し付けた。 アルトがぱっと手を離したものだからジョーカーはそれを慌ててキャッチする。 「自分達の分は自分で払う。ありがとな」 そう言って、アルトは一足先に店外に向かう。 後ろでジョーカーが肩をすくめた。 アルトはそれを無視して、カラカランとドアベルを鳴らしながら外に出た。 ぐっと両腕を上に伸ばす。 いい天気だ。後を追うようにジェンも出てきた。 「わっちは払わねえぞ。ただならただがいい」 「お前……なんでそんなに金にがめついんだ?」 「人聞きが悪いな。守銭奴と言え」 「いや、むしろいいのかよそれで」 アルトが呆れて笑っていると、会計を終えたジョーカー達も店から出てきた。 「きつね。無理しなくていいんだぞ?」 そういいながら出てきた桜綺の後ろで、きつねが首を振る。 「んん、大丈夫。歩いて帰れる……」 そういいながらもまたうつらうつらしている。カル達は苦笑した。 「んじゃ、私達も行くぞ」 「ゴチになったな」 アルトとジェンが声をかけると、カルが「待て」とストップをかけた。 そして、ジョーカーの方を指指す。 「……それ、こいつらにやってもいいか?」 「え? これ?」 正確にはカルが指さしたのは、ジョーカーの持っている紙袋だった。 「誰か食うか?」 カルは桜綺ときつねにもアイコンタクトで確認した。 きつねは分かっているか怪しいが、とりあえず二人とも首を横に振った。 最後にジョーカーの方を見る。 「いや、別に……大丈夫だけど、重いよ? 俺が運ぼうか?」 「お前が持てるならこいつも持てる」 カルに断言され、ジョーカーは迷いながらも、自分の持っている紙袋をそっとアルトに渡した。 確かにずっしりとした重みがあるが、アルトは全く問題なく持つことができた。 ジェンが横からその中身を覗き見る。 「……レモン?」 「今日のあまり。おまけでもらったんだ。やる。ちゃんと果物のレモンだから安心しろ」 「まじか。もらえるもんはもらっとくわ。サンキュー」 「いいのか? 悪いな」 「あ、ちゃんと支えないと底が破れるから、抱えた方がいいよ」 ジョーカーのアドバイス通り紙袋の底に手を添えなおすアルト肩を、カルがぽんぽんと叩いてつぶやいた。 「……アルト、加害妄想も大概にして、素直に生きろよ」 「え?」 最後におやすみ、と朝に似つかわしくない挨拶を残して、彼等は自分達の宿屋へと帰っていった。 「加害妄想って、なんのことだ?」 「……さあな。何かを大げさに言ってるだけだろ。そ、それよりさっさといこうぜ」 アルトの返答にジェンは深く深くため息をついた。 「お前ってほんと、ごまかすのへただよな。ま、聞かねえけど」 「……そりゃどうも」 「んで、どうする?」 「進むに決まってんだろ。さっさと仕事を終わらせよう」 そういって進むアルトにジェンは渋々ながらついていった。 途中で細い路地に入る。人通りの少ない道は危険だが、あの大通りからでは、目的地に行き着かない。 警戒しながら二人は図書館を目指した。

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