第六章 第四話「……なにやってんだ。私」

アルトは杖を持ち直した。 「お前ら、いつのまに……!」 毎回毎回、神出鬼没に登場する彼女たちは、一体いつどうやって近づいているのだろう。 あんなに派手な見た目と色だというのに、いつも気づかない。 敵であるにもかかわらず、殺気もなく、むしろ友人のように接してくるため、ただでさえ気配を感じ取るのが苦手なアルトには余計に察知できないでいた。 持っていた兎型通信機に向かって、「またあとで連絡する」と早口で伝え、『え、ちょ』とミィレの言葉の途中でもお構いなしに通信を切った。 無言になった通信機を背後に逃げてきたらみぃゆに返す。 「もー、さっきはよくもやってくれたね。ここまでくるのたいへんだったんだからぁ」 カノンが口をとがらせて抗議する。 「そういや、なにがあったんだ? 途中から突然追ってこなくなったよな」 敵が至近距離にいるにも関わらず、ジェンは世間話のように質問を投げかけた。 緊張感なんてものは皆無だ。 ジェンの役回り的に警戒したら不自然になってしまうからかもしれないが、それにしたってゆるすぎる。 一見して彼女たちが敵同士だと気づく人はどのくらいいるのだろうか。 「えー、あれあんたたちの仕業じゃなかったの?」 「それがさあ、きいてよー。上から突然猫が降ってきてさあ、邪魔されたんだ」 「……猫?」 また”猫”。 「そう。……あれ、でもそっか。あんた達も猫に邪魔されてたよね……」 「その猫の中に、黒猫はいたか?」 アルトが問うと、レイブンは首を傾げた。 「黒猫?」 「いたいたいた! いたよ!」 カノンがベンチの向こうから身を乗り出す。 「3匹はいたわ! なんか濡れてたみたいなんだけど、火の玉投げられたんだよ! びっくりしたあ。なんなの? あの猫――」 そこまで聞けば充分だった。 ふいをつくようにアルトは行動に移す。 持っていたバケツをらみぃゆに押し付け抱き上げた。 らみぃゆは悲鳴を上げる。 「きゃっ!?」 「バケツ、落とすなよ! いいな!」 雑な忠告をすると共に走り出した。 本当はもっと質問したかったが、それはクエストが終わった後でもできる。 今は逃げるコマンドを連打しなければ。 しかし、走り出すその足を、カノンが冷静に凍らせた。 突然足が動かなくなる。アルトは勢いを殺せず前のめりに倒れそうになるのを、必死に耐えた。 なんとか顔面から転ぶことは回避できたが、急に変に力を入れたからあとでどこかしらが筋肉痛になる気がする。 「逃げないでよー。もう鬼ごっこにも飽きてきてるんだからさ」 「つーかツッコミ、今わっちを見捨てたな?」 ジェンがジトリとした視線を送られ、アルトは開き直る。 「囮がいないとすぐ追いつかれると思ったんだ! 仕方ないだろ!」 「きみも大変だね」 レイブンが苦笑いしていうと、ジェンはここぞとばかりに「だろお?」と同意を求めた。 敵に対してのその態度がまたアルトを怒らせる。 「ジェン、お前なあ!」 こぶしを握り締めるが、ジェンにはどう考えても届かない。 代わりに足元の氷に振り下ろした。 「……ッ硬い……!?」 アルトは驚きの表情を浮かべた。 いつものように砕いて壊すつもりだったのだ。 ところが、氷は鈍い音こそ立てたが、すこし欠けただけで割れなかった。 何度か殴ってみたが、表面が少々削れるだけヒビすら入らなかった。 拳が赤くなる。 カノンはにやっと笑ってピースをした。 「ま、いつもどおり行くわけないよね」 「くっそ……!」 正直壊せないことはない。 しかし、これ以上力を入れると、氷だけではなく自分の足にもダメージを負わせてしまうだろう。 足を負傷したら氷から抜け出せても逃げられなくなる。 では、どうするか。どういう手なら使えるか。 「ッジェン!」 「ちっと難易度高ぇな。援護ならするから脱出は頑張れ」 やる気なさげにこちらを見ている仲間に舌打ちをする。 視線を落とし、腕に抱えている小さな少女を見た。 彼女の背中には、緑色の細長い羽のようなものが生えている。 もしかしたら。 「お前、飛べないのか?」 こっそりと聞いてみる。もう泣きそうならみぃゆは大きくかぶりを振った。 「む、無理ですぅ……この羽は細すぎてとてもじゃないけど飛べません……」 「……だめか」 どのみち飛べたところでレイブンとカノンが追いかけて捕まえるだろう。 じりじりと距離を詰めてくるレイブン達から目を離さずに、もう一つ聞いてみる。 「じゃあ、戦えたりは……?」 「そういうのは苦手で……。すいません」 「……だよな」 万事休すという言葉が頭に点滅し始める。 どうにかできないだろうか。どうにか。視線をさまよわせる。 だが、いい案は浮かばない。 舌打ちをして、抱きかかえていたらみぃゆを下ろす。 らみぃゆはキョトンとしてアルトを見上た。 「……とりあえず、お前ひとりで逃げてくれ。私とジェンでなんとか足止めするから、ミィレにそれを届けてくれ」 ミィレが素直に受け取り、仕事を引き継いでくれるかは怪しいが、他にどうしようもなかった。 らみぃゆは戸惑い行動に移せない。 「でも、でも、私……」 「すまない、他に思いつかないんだ」 それでも躊躇するらみぃゆにアルトは背中を押して怒鳴る。 「逃げろ!」 「は、はい……!」 その声の大きさに驚いたのか、アルトの顔が怖かったのか、涙目になりながららみぃゆは走り出した。 カノンは上から追い越して、あっさりその行く手を阻む。 「おっとっとー。逃がさないよ」 「はぅ……」 らみぃゆはとにかく渡さないということを考えてくれているのか、バケツを隠すように体をそらした。 アルトはジェンに視線を送る。 『どうにか援護してらみぃゆを逃がす』 今度は考えのすれ違いも起こらず伝わっている。 二人はそのチャンスを探すために様子を伺う。 下手な動きをすれば、らみぃゆは混乱し、レイブンやカノンの警戒を強めるだけになってしまう。 怯えた様子を見せるらみぃゆ彼女の様子を見て、カノンは頬に指を当て、んー、と軽く口を尖らせた。 そして安心させるかのようにニコっと笑い、とある提案をする。 「ねね、らみぃゆ、見逃してあげようか」 「えっ?」 「"よんようせい"のよしみだし」 「ほ、本当ですか?」 らみぃゆは緑色の目を揺らした。 藁にもすがる思いなのだろう。ほんのちょっと表情を緩ませている。 その反応を見てすかさずカノンは条件を提示した。 「うん、その代わり……この前の話の続きをしない?」 すらりとした白い右手をらみぃゆに向かって差し出した。 「アタシたちの仲間になってよ」 らみぃゆはぎゅっとバケツを抱きしめた。 カノンは笑顔を絶やさず、ゆっくり首を傾げる。 まるで、警戒しなくても大丈夫だよ、というかのように。 もし、これでらみぃゆがうなずいてしまったら。 アルトの血の気がすっと引いた。 ――秘密だよ? でもね、お友達だから教えてあげる。私…… 幼いころの自分の声が聞こえた。 心臓がドクドクと鳴る。 『裏切られた? 笑わせんな』 脳内に再生された自分の声が成長し、自分に話しかけてきた。 もちろん聞こえているのはアルトのみだ。 手足の先がしびれる。 『違うだろ。裏切ったのは、私だろ』 「そしたら怖いことも痛いこともしないよ?」 今、舞台の主役はカノンとらみぃゆだ。 端で背景よろしく突っ立っているアルトの様子には誰も気づかない。 「で、でも……私……」 「らみぃゆ、喧嘩は嫌いでしょ? だから」 「やめてくれ!」  アルトはたまらず叫んだ。 悲鳴のようなその声にらみぃゆもカノンも驚いたように振り返った。 アルトは大きく息を吐いて、吸った。 そして、また軽く吐き、落ち着いて一語ずつ声に出す。 「頼むから、それを、渡さないでくれ。ミィレのものでも、あるんだ」 それは懇願だった。 どうか、どうか。と心の中で呪文のように繰り返しながららみぃゆを見つめる。 どうか。裏切らないでやってくれ。 自分じゃなくても、そういうのはもう見たくないんだ。 「外野は静かにー!」 カノンは悪気のない笑顔でらみぃゆに向き直る。 「ね、どう? それこっちに渡してくれるだけでいいんだけど。アタシもそろそろこの仕事終わらせたいんだよねー。そのバケツくれれば全部丸く収まるんだけどな」 らみぃゆはほんの数秒だけ間をおいてぺこりと頭を下げた。 「……すいません、やっぱり、ミィレさんを裏切るなんて私にはできません」 もしも、この信頼をミィレが、もしくは彼女の方が裏切ってしまったらどうなるのだろうか。 かつて、自分がそうされたように。 それをしてしまった自分のように。 断られたカノンはその言葉に怒ることも不機嫌になることもなく、むしろ、やっぱりねと言いたげにふふっと笑った。 「ま、もうちょっと考えてみてよ」 アルトは詰めていた息を吐きだした。 裏切らないでいてくれた。 とりあえず”今”は。 胸をなでおろしている間に、カノンの笑みはちょっといたずらっぽいものに変化した。 口の端が怪しく上がる。 「もっとも、ここでアタシたちがそれを奪えれば、その必要はなくなるんだけど」 「あぅ……そうなりますよね」 「当たり前じゃない。さあさ、それをこっちに頂戴!」 カノンがらみぃゆとの間合いを詰めようとする。 「い、嫌です!」 当然、らみぃゆはその分だけ下がった。 レイブンも続いて、ゆっくりと近づいてくる。 じりじりと一進一退が続き、ついにアルトにぶつかった。 とりあえず、アルトは自分の後ろにらみぃゆを隠れさせる。 「ジェン!」 カノンとレイブンの後ろで棒立ちになっているジェンに助けを求めた。 ジェンはポリポリと頬を掻いた。 「……あー、わりぃがツッコミ、実はわっちこいつらの……うわっと!?」 ジェンが驚いた声を上げるのが聞こえ、アルトは思わず顔を上げた。 レイブンとカノンがたたらを踏んでいるのが見えた。 何かが彼女たちの足元をすり抜けていったのだ。 「な、なに? 猫?」 「じゃない、や、ヤギ?」 彼女たちの視線を追うと、白くて小さなふわふわの子ヤギがこちらに向かってきていた。 そう、アルトが召喚してソフィアへ送ったあのヤギが帰って来たのだ。 「ったく、なんてタイミングだよ。……おい、こっちだ!」 アルトに向かって、ヤギは全速力で一直線に向かっていく。 どう見ても止まれるスピードではない。 いくら子ヤギと言えど、10キロ程の体重があるだろう。 その質量の物が、あのスピードのままで突っ込んで行ったら。 しかもアルトは今カノンの氷のせいでよけることはできない。 「ツッコミ!」 あまりの全力のタックルに、全員が一瞬目をそらす。 しかし、視線を戻すとヤギはアルトの体を通り抜ていた。 背中から抜け出たヤギは、役目を終えたとばかりに光となってはじけて消えた。 「い、一体……。おい、ツッコミ」 ジェンが呼びかけるが、アルトはそのまま動かない。 カノンとレイブンは顔を見わせ、ジェンは首をかしげる。 怪我も血もなく、ダメージを負った形跡はない。 一番近い場所にいる、らみぃゆが代表しておそるおそる声をかけた。 「あ、アルトさん……?」 しかし、反応はない。目の前で手のひらを振ってみる。 「あの、あ、アルトさん。大丈夫ですか……?」 それでも反応がなく、らみぃゆは涙目でカノンたちに助けを求める。 ジェンやカノンたちもそっと近づこうとした。 「……はぁあ?」 だがその前にアルトが突然呆れたような声を出した。 「い、生きてたか」 ほっとしたのを隠すかのように、ジェンが冗談めかして言う。 その場の雰囲気が少し和らぐが、アルトが怒りに満ちた声がそれを一瞬にして打ち砕いた。 「いや、何通り過ぎてんだよ!?」 らみぃゆが「ぴぇっ」と短い悲鳴を上げる。 「や、ヤギさん通り過ぎちゃ駄目だったんですか?」 それでも、会話を試みようとした。 が、アルトは怒りで興奮しているらしく、そのままのテンションで返答する。 「ヤギはいいんだよ! 問題はソフィアだよ畜生!」 「ぴぇ!? ご、ごめんなさいいぃ!」 可哀想なことにらみぃゆは、意味もなく怒られて涙目になっておろおろしている。 端から見ればアルトは、ヤギから体当たりされて突然意味不明なことを叫んだようにしか見えない。 「ツッコミ、頭大丈夫か?」 「大丈夫に決まってんだろ馬鹿野郎が!」 アルトの奇行に、ジェンがさすがに引き気味に言うと、ヤケクソ気味に返答された。 「えーと、続きしていい?」 レイブンが苦笑いしながら律儀に聞いてきた。 アルトは今にも火でも吐きそうな勢いで怒鳴る。 「良いわけないだろ阿呆! だあああああ! なんっでこう、ことっごとく上手くいかないんだ!」 『ねえ、らみぃゆ、大丈夫?』 ここにはいない女の子の声が響いた。 それは、らみぃゆが腰につけている通信機から聞こえてきていた。 ミィレに連絡を取る際に使ったものだが、響いたのはミィレの声ではない。 『あんまり帰りが遅いからミィレさんも心配してるよ。何かあった?』 「え、えっと。あの……」 らみぃゆはどうこたえていいかわからず、涙声を詰まらせた。 すると、通信機から小さく「みりぃ、代わって」と聞こえ、今度こそミィレの声が聞こえてきた。 『どうかした?』 その声を聴いた途端。 らみぃゆは、ぽろぽろと涙を流し始めた。 彼女の声を聴いて一気に安心したのだろう。 しっかりと握った通信機に向かって、らみぃゆは小さく口を動かした。 「……て、くださ……」 『え?』 「助けてくださいミィレさん!」 叫ぶように、助けを求める。 怖かったのを我慢していたのが、ミィレの声を聴いて、決壊したのだろう。 「ちょっとちょっと。うちの子分いじめたの誰?」 次に聞こえてきたミィレの声に、全員が顔を上げた。 聞こえてきたのは通信機からではなく、明らかに真上からだったからだ。 見上げると、そこには両手を腰に当てたミィレが、夕日をバックに空から降りてきていた。 ミィレが地面に足をつけると同時に、らみぃゆはミィレに抱き着いた。 「ミィレさあん!」 ミィレは彼女を受け止めると、カノンとレイブン、ついでにアルトを見ながら口をとがらせる。 「この子たちいじめていいのは、わたしの特権なんだけど」 「いじめたつもりはないんだけどなあ」 レイブンとカノンが苦笑いして顔を見合わせる。 ほんの数秒だった。らみぃゆが助けを求めてからほんの数秒で彼女は駆けつけてきた。 近くにいたのだろうか。 否、彼女が本気になればどこにいたって瞬く間にその場に降りたつことができるだろう。 今のように。 「で、どういう状況なの? らみぃゆ巻き込んじゃって」 「あ、あのな。そもそもお前が逃げたりするからこうなったんだぞ」 「えー、だって面倒くさかったんだもーん」 「だもーんじゃねえ!」 「ふぇええミィレさあん!」 「あーはいはい。アルト怖かったねえ」 「なんで私なんだよ!」 「怖かったですぅ!」 「怖かったのかよ!」 「とりあえず、逃げるよー!」 そういって、ミィレはらみぃゆだけを抱えて飛び上がった。 らみぃゆは思わずバケツを落とす。 それをアルトがなんとかキャッチした。 「じゃ、あとよろしくねアルト!」 「……また逃げやがった!? おいこらミィレ!? くっそ……!」 どんどんと小さくなるミィレに、アルトはデジャヴを感じた。 カノンとレイブンは、彼女が逃げないか注意はしているが、律儀に待ってくれている。 大事なバケツは今アルトが持っている。 ジェンは後方にいるが、ミィレとらみぃゆは逃げて、ソフィアは……。 思わず頭痛を感じて、頭を押さえた。 今後取るべき行動について、頭を回転させようとして、やめる。 「……なにやってんだ。私」 力を入れた拳さえほどいて、アルトが脱力したその時。 爆破音と共に、アルトの目の前が真っ黒に染まった。

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