第七章 第四話「このままじゃすぐに囲まれるわね」

水を飲み終え、また酒に口を付けたところで、ソフィアが戻ってきた。 駆除したのかと聞くと、逃がしてきたとのこと。 「アルト、顔赤いわ。大丈夫?」 「大丈夫に決まってんらろ」 そう言うが、呂律が若干回ってないし、目はトロンとしていて赤い。 ソフィアは「本当に大丈夫?」と念押しをしたが、アルトはかたくなに大丈夫だと言い張った。 それを信じて、ソフィアは小声で耳打ちする。 「イェピカの目玉、どうにかなりそうよ」 「……本当か?」 「ええ。そっちは俺に任せて。それで、さっきの――ずみは――ェンの上司から、俺の――を――で、ジェ――ィレ――」   ソフィアが説明をするが、その声は反響しているように聞こえ、かと思えば耳がふさがれてたようにこもり、ぐわんぐわんとしてよく聞き取れない。 かなり集中しないと単語さえも意味が分からない。酔いが確実に回っている。 それを証拠にアルトはその現象を異常だとは思っていない。 「……ってことらしいわ。だから……」 どうやらジェンとミィレと連絡がどうにかとれたらしいことだけがわかった。 一体いつ、どうやって。という疑問が湧くのが自然だろう。 しかし、アルコールにより正常に機能していない思考回路は、アルトに違う疑問を提起した。 「……お前らは一体なんなんだ?」 アルトが突然口をはさんだ。目が座っている。 ソフィアは質問の意味が分からず首をかしげた。 「どういうこと?」 「近くて、遠くて。仲間、なのか? でも、なんか違う気もする。どういう関係なんだよ、お前ら三人」 「それは、ええと。artのこと?」 どうにか会話を成立させようとソフィアが尋ねると、アルトはうなずいた。 「……ああ」 正直な疑問だった。 彼女たちとは数日、一緒に行動してみたりしたが、どうも仲間、という言葉は彼女たちの距離には当てはまらない。 友達、というのもなんだか違う気がする。 途中で会話を遮られたにもかかわらず、ソフィアは不機嫌になることなく、アルトの質問に答えようと、真剣に考えた。 「……それは……難しいわね。俺、そういうのちょっとみんなとずれてるらしいから、俺が答えていいのかも微妙だし……」 「ずれてる?」 「うーん、たとえば。家族って、どこからなのかしら」 「……血のつながり、とか、人生で一緒にいる時間の長さとか……」 「血がつながってなくて、生まれた時から一緒ってわけでもない。それに今俺はイナエでの宿屋に住んでるから、今は離れ離れ。でも、家族と呼べる、そう思ってる人はいるの。それは、おかしいのかしら」 「おかしく……ない……と思う」 「ありがとう」ソフィアは少し嬉しそうにグラスに口を付けた。「でもね」 「そんなのは家族なんかじゃないって言う人もいる」 グラスの表面についた水滴に指を滑らせる。 「結局は本人たちの尺度なのよね。本人たちがお互いをどう思っているか。例え、周りがそれはおかしいって言っても関係ないと、俺は思うの。そうなると、家族か友達か仲間かなんて、その人たちにしか、もっといえばその人にしかわからない。……近くて、遠くて。確かにそうかもね。俺達は端から見ると変に見えるかもしれない」 グラスの縁をくるくるとなぞる。 「artは、そうね、俺にとっては遊び仲間、ていう言葉が近いのかしら」 「遊び仲間、ねえ……」 「そう。ラックさんやサタンとも遊び仲間だけど、ちょっと違って……なんていうか……うーん、やっぱり人に何かを説明するのは難しいわね」 伝わっていないような気がするが、言葉を重ねるとさらに遠ざかるような気がして、ソフィアは眉を下げた。 珍しく表情を動かしながら彼女が悩んでいる隣で、アルトはグラスを傾けた。 「なるほど。つまりは本人達が自分たちは三角といえば三角で、周りにそれは角がないから三角じゃなくて丸だと言われても、本人たちが三角だと思っているならばそれは関係ないと」 「……そういうことかしら?」 当たらずも遠からずといった様子で、ソフィアはうなずいた。 細かい泡が底から静かに上ってはじけるグラスに、アルトの顔が反射している。 アルトはまたそこに昔の自分を見た。責めるような自分から目をそらす。 「……っ。で、でも」 まるで見張られているかのようで、思わずグラスを覆うように持ちなおした。 「でもお互いの認識が間違っていたら? すれ違っていたら? どうしても同じ認識慣れなかったら? 例えば、友達と思っていたやつが裏切ったら。そうじゃなくても、自分が手放しで信じていた相手が本当は信じてはいけなかったら、そんなのは本人たちだってわからないことかもしれない」 話は微妙につながっておらず支離滅裂になり始めているが、彼女の中ではひとつながりのことだ。 アルコールが彼女を饒舌にしていて、ついでに呂律も更に回らなくなってきている。 「隣に座っているつもりが、支えてもらっていて、相手が土台みたいになってしまって。そこに私があぐらをかいて乗ってたせいで、……あー、私何言ってんだ? 悪い、酔っぱらってるみたいだ。忘れてくれ」 自分の心の底の底をさらけ出す前にアルトは口をつぐんだ。 まだそのくらいの冷静さは持っていたようだ。 「よくわからないけど、案外、自分も支えてる側だったりするものよ。多分ね」 「いや、すまない、忘れてくれ。なんでもないんだ。酔っぱらいの戯言、だから」 「そう。……それじゃあ、まあ、とりあえずこの話はいったん置いておいて――――」 気を利かせたソフィアが話を変えてくれた。それはアルトと違ってスマートで自然なものだった。 「それで、ええと。この後のことなんだけど……どこまで話したかしら」 アルトは昔の自分を飲み込むように、残った酒をのどに流し込んだ。 「ああ、そうそう。思い出したわ。それでね。アルトには――おとり――なって――」 そこから曖昧だ。それまでの話は何とか理解していたのだが、その後何を話してなんと返したのか記憶にない。 いつの間にか、カウンターに突っ伏して眠ってしまっていた。 次にアルトが目を覚ました時、店内にはソフィアもラックもいなかった。 肩に掛けられてたブランケットに一瞬気を取られる。 アルトが起きたことに気づいて、ドミネが声をかけてくれた。 「おや、起きたかい? 体調はどう?」 「……あ、えと。大丈夫です……」 どのくらい寝ていたのかとか、ソフィアがどこにいるのかとかを考える前にドミネが何かを差し出してきた。 「これ、ソフィアちゃんからの預かりもの」 「……ソフィアから……?」 受け取ったのは、切符とメモ用紙。アルトはお礼を言いながら、メモを開いた。 『先に帰ってて。俺は後で追いかけるから。あとはよろしく』 よろしく? よろしくってなんなんだ。 何かを頼まれていただろうかと考えるが、全く思い出せない。というより、まだ頭がぼやぼやしていてうまく回らない。 「もう少し寝ててもいいよ」 まだ夢と現の境目を行ったり来たりしているらしいアルトに、ドミネは水を一杯くれた。 冷たい水が口の中を幾分か洗い流してくれたが、すぐに酒の甘味が湧いて出てくる。 アルトは酒を飲むことは嫌いではないが、そのあとに来るこの感覚が苦手だった。 「なんなら、奥の部屋で横になるかい? ブランケットは持って行っていいよ」 ドミネが優しく声をかける。 「……あ……はい。そうします……」 アルトは水を飲み干すと立ち上がり、奥の部屋へと入っていった。 一番に目に入ったのは、自分の上着だった。危うく忘れるところだった。 触ってみると渇いていたのでハンガーから取る。 そのままそれを毛布代わりに体にかけて、備え付けてあった長椅子に横になった。 ブランケットはたたんで枕代わりにさせてもらう。 かちりかちりと鳴る壁掛け時計によると、まだ始発にはずいぶん時間がある。ありすぎる。 もうひと眠りくらいできそうだ。 どろどろの頭でソフィアとの会話を思い出そうとするが、どうも曖昧で頼りない。 ソフィアからのメモを広げてみた。ぼんやりとした視界で読み返してみる。 「……後から……追いかけ……」 寝言のような声で呟く。 瞼が重い。薄暗い照明さえも目に痛くて、アルトは自然と静かに目をつむった。 まどろみの世界から、声が聞こえる。 ――大丈夫だよ。 ――――さあ、先にお兄ちゃんと一緒に帰りなさい。 懐かしい声。安心する二人の声。 声の主の一人がアルトの頭をなでた。 顔を上げると、声の主達は微笑んだ。 ――――――お父さんとお母さんは……あとで追いかけるから……。 ガバリと飛び起きた。 心臓が馬鹿みたいに暴れている。ドキドキどころかドンドンと内側から胸を叩かれているようだ。 息を荒くしながら辺りを見回す。 5分もたっていなかった。じっとりとした嫌な汗をかいている。 「どうしたの?」 丁度様子を見に来たらしいドミネが、アルトを見て声をかけてきた。 アルトは何も答えず、答えきれず、ただただドミネを見上げる。 その青い顔を見たドミネは、慌てずにそばに腰を下ろしてゆっくりと彼女の背中を優しくさすった。 「息はできてる? じゃあ深呼吸してみよう。まず、吐いて。そう、吸って。ゆっくりね」 ドミネの指示に素直に従うと、次第に落ち着きを取り戻した。 「大丈夫かい?」 「……はい、すいません」 「怖い夢でも見た?」 そう言いながら、ドミネはポケットから飴を取り出して、差し出してくれた。 「……ええ……ちょっと、昔の夢を……」 アルトはそれを受け取ると、包装紙をいじったりして手で弄んだ。 かさかさと音を鳴らすだけで、中の飴玉を取り出す様子はない。 やがて、それをポケットに仕舞い、立ち上がった。 「アルトちゃん?」 「すいません……風にあたりながら帰ります。……あ、お代……」 「それは気にしなくて大丈夫だよ。それより、まだ……」 ドミネは引き留めようとしたが、表情で彼女の感情を察し、結局言葉を仕舞った。 代わりに微笑みながら立ち上がる。 「……店の鍵、持ってないよね。上まで送るよ」 ドミネの先導で、上のカフェへと戻る。 店内には月明かりが差し込んでいた。 暗い階段も薄暗いバーにいたからか、入って来た時より明るい気がした。 夜明けはもう少し先のようだ。駅へ向かうには時間が早すぎる。 「すいません、ありがとうございました」 店先でアルトが頭を下げると、ドミネはゆっくりとうなずいて、優しく声をかける。 「気を付けてね。戻ってきてもいいから」 アルトは会釈をして外へ出た。 そのまま少し迷いながらも歩を進める。 偶然だとは思う。 あの文面が偶然重なって、思い出しただけだと思う。 でも、あのまま寝ていることなんてできなかった。 おそらくソフィアはあのバーにあったクエストを受けに行ったに違いない。 依頼書は簡単に目を通している。夜風にあたりながらアルトは記憶を呼び起こし、記載してあった場所へと進路を取った。 西は店より住宅が密集しているらしい。 進むにつれて、人の気配がなくなっていく。 この時間に人がいるのは、飲み屋や娯楽施設のある東の方だろう。 そんな中、一つの建物を見つけた。解体途中の学校のような場所だ。 どういう理由かはわからないが、計画が中止されそのまま完全に壊されることのないまま放置されているらしい。 なるほど、テロリストのたまり場にはもってこいの場所だ。 簡易的に設置されているフェンス越しに中を伺い、そっと侵入する。 そこから、ソフィアとラックを見つけるのはそう時間はかからなかった。 暗闇に隠れていた彼らもアルトに気が付く。 「……アルト? 何してるの」 「何って、お前こそ」 「先に帰っててって、ドミネさんに伝言したんだけれど……メモ、見てないの?」 ソフィアはいつも通りポーカーフェイスで何を考えているかわからない。 いつも通りといえば、いつも通りの様子だ。 「読んだ。切符ももらったよ」 「じゃあ、そういうことよ」 いつも通りだからこそだろうか、なんだかアルトを遠ざけようとしているように思えた。 「でも……」 このまま帰ってもいいのか? また置き去りにしていいのか? アルトの頭の中でそんなハテナがぐるぐると回る。 少し様子がおかしいアルトの手をソフィアが握った。 彼女がいつも身に着けている革の手袋越しに、かすかに体温が伝わる。 「ちゃんと追いかけるから。ラックさんもいるから、道も迷わないわ」 「でも……!」 『駄目だ。置いていったらまた、帰ってこれなくなるかもしれないのに。わかってるだろ?』 心の中で自分が言う。 分かっている。あの頃は素直に信じたけれど、今は違う。 アルトはできるだけ平静を装って提案をしてみた。  「……なあ、私も手伝おうか? 早く終われば二人でイナエに帰れるぞ」 「必要ないわ」 即答。しかしアルトはひるまず食い下がった。 「頼む」 「頼むって……困るわ。早く帰って」 しかし、ソフィアは無表情に無情な言葉を放った。 あまりにも突き放すような言い方に、アルトはカッとなった。 しかし、それは怒りではなく、どちらかというともっと暗く青い色の感情。 「でも、でも、そういってお前、帰ってこれなくなったらどうするんだ。そんなの、責任取れない……」 「責任って……何言ってるの? とにかく、来てほしくないからついてこないで」 「……ソフィアちゃん……言い方……」 ラックが表情を変えず、窘めるように言う。 しかしソフィアはそれに耳を貸さず、言葉を重ねた。 「アルト、様子がおかしいわよ。一体どうしたの?」 しかしその冷静で的確な言葉はアルトを煽る言葉にしかならなかった。 「私は、ただ……!」 「誰だ!」 それは、遠くから聞こえた。 思わず声が大きくなってしまい、テロリストの一人に気づかれたようだ。 「っしまった……!」 「このままじゃすぐに囲まれるわね」 冷静に状況を判断し、これからを予測したソフィアが静かに剣を抜く。 「アルト、今ならまだ逃げられるわ。早く行って」 「んなことできるわけないだろ! 私も……!」 ソフィアのレイピアがアルトの喉元にあてがわれていた。 オッドアイの瞳がアルトを真直ぐ射抜く。 「……言う事を聞いて頂戴。確かに俺は貴女と戦いたいけど、それは今じゃないの」 アルトはその声に息さえも許されない気がして、動けなくなった。 やがてラックがため息をついて、ソフィアのレイピアを下ろさせる。 「……だから……やりすぎだって……」 やっとアルトは息ができた。 肺に酸素を送っている間にも、彼女たちを探す声は増えている。 ソフィアの興味が移り、顔をそちらに向けた。 「じゃあ、また明日会いましょう」 そういって、あっという間に闇夜に紛れてしまった。 すぐにあちこちから悲鳴が聞こえてくる。 呆然としているアルトの手を、ラックが引いて誘導する。 ある地点のフェンスの前までくると、ラックは手を話し、フェンスを軽く押した。 「フェンスの……ここ。穴空いてるから……はやく……」 人が一人這い出ることができる穴。 逃げろということなのだろうというのは、理解するまでもない。 アルトはふるふると首を振る。 「でも、見つかったのは私のせいで……!」 「それは、あんまり……問題ない……」 静かでボソボソとした声。 しかし、どうしてだか声を遮ることはできなかった。 「でも」と、まだ渋るアルトの声の方がよっぽど弱々しかった。 ラックは彼にしては少し強い口調ではっきりととどめの一言を放つ。 「……アルトちゃんがここにいることの方が……問題ある……」 アルトはびくりとした。 ラックはすぐに元の優しい口調に戻ると、アルトの背中をそっと押した。 「ソフィアちゃんは……大丈夫だから……。……さあ……」 さすがのアルトももう、駄々をこねることはできなかった。 「……すいません」 ぺこりと頭を下げると、おとなしくフェンスをくぐり、外へ出て走り出した。 『また逃げてるんだな、私は。……やっぱり』 走りながら後悔するアルトを、頭の中の自分が責める。 ラックを振り払うことなんて簡単にできた。 その後捕まる可能性があったとしても、抵抗して、ソフィアを手助けしようとするのが本当だろう。 でもしなかった。 足手まといになったら彼女達を余計に酷い目に合わせてしまうかもしれない。 でも自分がいればどうにかできるかもしれないという可能性もあって、もうどれが正解かわからなかった。 だから逃げたのだ。 駅についたところで溝に向かってしゃがむ。 吐いた。吐いて、吐いて、吐いた。 酒と胃液が混ざって苦くてすっぱくて甘い。 「なんだよ……畜生……私、なに、やって……。やっぱり、いないほうが……いいじゃないか……私が……余計なこと……」 ボロボロと落ちた涙の塩味までも混ざって、口の中は最悪だ。 「……私なんか消えてしまえばいいのに……」 アルトの言葉は嘔吐物と共に溝に落っこちて誰にも聞こえなかった。 ひとしきり自己嫌悪に陥った後、叱られるのを覚悟で件のアジトに戻ってはみたものの、既に決着はついているらしく廃校舎は静かになっていた。 暗くてよくは見えなかったが、おそらくところどころ濡れていたように見えたのは血だっただろう。 問題は、そこにソフィア達の姿がなかったということだ。 無事なのだろうか。 捕まって、別の場所に連れていかれていたら。良くない想像ばかりが浮かぶ。 せめて安否を確認しようと、アルトは唯一使えるテレパス魔法の為ヤギを召喚しようとしたが、慣れない程大量に使った魔力がまだ戻ってきていない。 精一杯現在の自分の状況や状態を考えて、体力と魔力回復のために駅の待合室で少し眠ることにした。 結局、自分は何がしたかったのか、わからない。 そこでまた自己嫌悪に襲われるが、もう涙を出す体力もなく、眠りについた。

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