第十章 第二話『ドキドキやワクワクなんて、小説の中だけで充分。そうだろ?』

もう一人の自分がゆっくりと近づいて、胸に人差し指を突き付けた。 『私も何度も忠告したよな? それを無視したのは誰だ』 「無視なんて……だって、あいつらが」 ぼそぼそと言い訳をするアルトだが、その言葉には勢いがない。 言いながら、自分で言い訳を恥じているようだ。 『あの時、電車に乗らなかったのだって』 だってあれはソフィアが呼び止めたから。 『クエストを真面目にやってたのも』 だって誰も真面目にやらないから。 『役所にartとして登録したのも』 だって、あいつらが追いかけてくるから。 いつものへりくつまがいの言い訳も、そうじゃない言い訳もすべて口にするのが怖かった。 だってだって、とまるで子どもの駄々のような言い訳を飲み込む。 何故ならその言い訳に対しての反論は一言で済むと自分でわかっているからだ。 そして、もう一人のアルトはこともなげにその一言を言い放った。 『無視すればよかっただろ。そんなの全部』 はっきりという自分にアルトは何も反論できない。  『あの時、電車に乗ってれば逃げられた。クエストに参加しなければあいつらも私が能無しだって、お荷物だって、疫病神だってわかって追い出したかもしれない。抵抗して意地でも役所で登録しなければもっと身軽に逃げ出せたはずだ。まだやれることがあったのに、しなかったのは誰だよ!』 感情的になったもう一人のアルトがついに、アルトを突き飛ばした。 無抵抗のアルトは、押された分だけ後ろへ下がり、もう一人の自分と距離ができる。 アルトはうつむ気ながら小さな反論をする。 「……そんなの、あと出しじゃんけんと同じだ。なんとだって……」 『もう許されてもいいよなって思ったんだろ』 アルトは思わず息を呑んだ。 そして血相を変えて叫ぶ。 「違う! そんなわけない!」 悲鳴のような否定をするが、もう一人のアルトはやめてくれない。 『本当はおともだちがほしかったんだろ。一人で頑張ったよな、もういいよな、許されたよなって、慰めてくれるおともだちがよぉ!』 正論だ。正論でしかない。 人に言われたのなら、喧嘩にでもなるだろう。 でもこれは自分の言葉だ。 文句の言いようがない。 自分でわかってることを自分に刺しているだけなんだ。 『もう時効だって? 大丈夫だって? 甘ぇよな考えが! もう一人で充分苦しんだ? ふざけんじゃねえよ。そんなんじゃ全然足りねぇ。到底償えるもんじゃねえ! それを勝手に被害者ぶって……』 「わかってる! わかってるから、やめてくれ!」 たまらず耳をふさいだ。 しばらくの沈黙が流れる。 もう一人のアルトは今度はうってかわって優しく諭すように言い始める。 その声は手なんかでは防げない。  『私は加害者だろ。妄想でもなんでもなく、私はただの加害者』 「わかってるつってんだろ!」 悲鳴より悲痛にアルトは叫んだ。 ぽたりと涙が顎を伝い、落ちて行った。 落ちた涙はこの空間と同化し、消える。 いつから泣いていたのだろうか。 自分でもわからない。ただ、心臓が痛い。 「ッじゃあ!」 心臓につっかえていたものを出すように、声を出す。 するとまるで蓋が取れたように、今までくすぶっていた想いが我先にと、喉を通り、口から飛び出してきた。 「じゃあどうすればいいんだよ! 死ぬことも考えたさ! でもそれはただの逃げにしか思えなくて、」 今朝も似たようなことがあった。 ポツリとこぼしたつぶやきで、今まで仕舞っていたものをすべてひっくり返してしまう感覚。 その場には誰もいないのに謝り続けたあの時と違うのは、感情だけなのだろうか。 否、何も変わらないのかもしれない。 「それに、死んだらその死体の処理や手続きは誰がする? 誰かにトラウマを植え付けるかもしれねえ。兄貴に知られたら、それこそあの兄貴ですら自分を責めるかもしれねえ。結局死んでも迷惑をかける肉塊になるだけじゃねえか! 一人で最低限生きて。それで、他に何をすればいいってんだ……!」 『そんなの、良い手があるじゃねえか』 もう一人のアルトは自分を覗き込んだ。 母親譲りの黒い目に自分泣きそうな顔が映った。 『禁書にお願いするんだ』 とんでもない発言にアルトは思わず身を引いた。 「……は!?」 自分はそれを逃がすまいと距離を詰めてきた。 満面の笑みで眼だけがかっぴらいている。 今までしたことのない、見たことない自分の表情に恐怖しか抱かない。 『自分をなかったことにするんだよ! そもそも生まれなかったことにしてもらうんだ。そしたらきっと父さんと母さんと兄貴は今でも幸せに暮らしてるはずだ。そうだろ?』 「そんな……契約は、重罪だぞ。禁書に協力するどころか、所持しただけでも……」 エレフセリア大陸全土で囁かれるそんな噂は、伝説やおとぎ話でも、酔っぱらいのほら話でも、夢物語でもない。 禁書と呼ばれる類のものは確かに存在し、噂と違わず、願いを叶えてくれる力を持っている。 見つけることができれば、巨万の富を手に入れることも、愛する人を生き返らせることも、永遠の命を手に入れることだって可能だ。 ただ、あまり知られていないのは、願いを叶えるには多大な見返りが必要だということ。 そしてその通りに願いが叶うとは限らないという事。 金、名誉、名前、命、愛、体、魔力。 形のある物からない物まで、様々なものが要求される。 それを知らなかったしても、契約したが最後、地獄の果てまで追いかけられ、必ず奪われるだろう。 当然だ。 願いをかなえてくれるのは、可愛らしい妖精や、ひょうきんな魔人ではなく、悪魔なのだから。 夢物語は夢物語でも、始まるのは悪夢の物語の序章。 運良く命を取られなかったとしても、禁書の力はあまりにも危険な為、契約した者はもちろん、場合によっては所持しただけで、罪に問われることもある。 『法律なんて関係ねえだろ。私が消えれば、そんなの。それに、失敗して捕まったら、それこそ償うことのできるいい機会じゃねえか』 それはとても甘い誘いに思えた。 『自分で罰することができねえんだ。もう、他人に罰してもらうしかねえだろ』 どうしたいのか、ではなく、どうしなければならないのか。 そんなのはわかっている。 しかし、これはどう考えても間違った正解だ。 しかし自分は手招きをする。 『なあ、ためらうことなんてどこにあるんだ。間違っていても、正解は正解だろ』 自分の頭の中を読まれている? いや。そもそも自分なのだから考えていることが分かって当然なのだろうか。 でも、今は別個体として存在している。 しかしここは心の中で、ということはこれは脳内会議みたいなものをしている状態なのかもしれない。 そんなことをぐるぐる考えてしまい、アルトは頭を抱えた。 いったい自分は何を言われ、どういう状況で、どう判断すべきなのか全くわからない。 今日の出来事は完全に脳のキャパシティーをオーバーしているとしか思えない。 『やっぱり許されたいのか? 本当に自分勝手だよな私は』 違う。そうじゃないんだ。違うんだ。頭の中でグルグルする。 『そんなわけないよな? そうだろ? だったら、』 自分が自分の両肩に手を置いた。 『禁書と契約するしかない』 まだ迷っている目で自分を見上げた。 すると自分はフッと笑った。その笑い顔はとても泣きそうだった。 それも自分じゃ見たことのない表情だった。 その顔につられたのか泣きそうになる。 鼻が痛い。 目が熱くなって溶けそうだ。 心臓が肺と一緒にぎゅうと握りつぶされる。 『ドキドキやワクワクなんて、小説の中だけで充分。そうだろ?』 □□□□ 図書館の敷地内の広場にあるテーブルの一つに、 ミィレ、ジェン、ソフィア、みりぃ、めろな、カノン、レイブンの七人の少女が集まっていた。 もともと邪魔しあっていたが、現在は両者の合意のもと停戦中だ。 「そういえばらみぃゆは?」 ジェンとソフィアと一緒にいると聞いていた自分の子分がいないことに気づいたミィレが聞いた。 ソフィアがその質問に答える。 「あの子たち非戦闘員なんでしょ。置いてきたわ。それに、目玉は今は遠くに置いておいた方がいいと思って。お互いのためにもね」 そういっててソフィアはめろな達を一瞥した。 めろなは不敵に笑って肩をすくめる。 そんな場合じゃないことはわかっているが、どちらかが隙をついて自分の目的を遂行しようとするかもしれない。それを排除しフェアな状態にしたのだ。 「で、これからどうするかなんだが、」 ジェンがそう切り出すと、ソフィアが元気よく指先までそろった素晴らしい挙手をし、いつになくイキイキした声で言った。 「アルトと戦いたいわ!」 「またそれか」 「言うと思った」 ジェンとミィレはやれやれと肩をすくめる。 実をいうと、ソフィアはアルトの状況を聞き、図書館にジェンと向かっている途中からずっとこの調子なのだ。 らみぃゆを置いてきたのも、なけなしの理性で巻き込む可能性を考慮したのか、それとも少しでも邪魔しそうな人を遠ざけたかったのかもしれない。 「アルトも問題だけど、それより問題はあの猫じゃないの?」 めろなが屋根の上を指さした。 確かにアルトの足元に黒猫がいる。 「契約者はあの猫なんでしょ?」 「え?」 「そうなの?」 めろなの言葉に思わずカノンとレイブンが上を見上げる。 あれが契約者? とカノンが目で訴えると、めろなは頷いた。 「魔力の流れ的にたぶんそうよ」 魔力が強く知識のあるめろなだから、わかったことだった。 「猫でも契約できるもん?」 「できるわよ。対価さえあれば。事例としては人間のほうが多いけど、極まれに、動物やモンスターと契約したとしか思えない悪魔の騒動をいくつか文献で見たことあるわ。いずれも、関係があったとされる悪魔はかなり低級、もしくは弱っていたらしいから、悪魔的に人間よりリターンは少ないけど、その分コストが少ないんじゃないかって言われてたわね。それなのに契約したってことは、あの悪魔、結構切羽詰まってるか封印から解かれたばかりかもしれないわね」 レイブンの疑問一つに、めろなはスラスラと答えていく。 それを聞いて、ジェンがぼそりとつぶやいた。 「ツッコミが言ってたこと本当だったんだな」 「ジェン達は知ってたの?」 「ああ。実は今朝、ツッコミがあれらと接触してな。その時にそう言われたらしい。まあ、敵の言うことをああそうなんだ、くらいで、素直に信じちゃいなかったが……」 「しかもしかも、なんかアルト、なんか勧誘されたらしいよ。今回協力してくれたら次の契約者にして願い事をかなえてやるって」 「じゃあ、あれはそれにYESって答えちゃった状態?」 「いえ、アルトは承諾してないって言ってたわ。嘘ついたようには見えなかったけど……」  「ま、だまくらかして契約させたりするのは禁書共はよくやるらしいし、今絶賛騙し中なんじゃねえの。か、操っといて、もう後戻りできねえぞって脅すつもりとか」 「アルトったら騙しやすくてチョロいしねえ。そこが面白いんだけど」 「それな」 ミィレの意見に同意しつつ、ジェンが禁書に目を見やる。 「そもそも、あれ、わっちらが探してるやつなんだよな?」 職業柄、接触する可能性の高い冒険者は、発見したら必ず、然るべき機関に引き渡す事が義務付けられている。 もしも取り逃がした場合、レッドリストに名前が乗り、期間内に封印を強制受注させられる。 封印できなかった場合、冒険者という肩書は剥奪され、最悪罪人として扱われるのだ。 レッドリストにしっかり名を連ねているartはその最悪の事態を回避するために、昔逃がしてしまった赤い背表紙の禁書を探していた。 「色は赤いし、そうなんじゃない? たぶん」 「色だけでの区別じゃ本当はだめらしいが……まあ、捕まえてみればわかる、か?」 目を凝らして他の特徴を探そうとするジェンの隣で、ソフィアが冷静に発言をする。 「とりあえず戦いましょう」 言っている内容は冷静じゃないようだが。 「あのねえ、ソフィア……」 ただそのコマンドしか知らないかのように、「戦う」「戦う」と繰り返すソフィアに、さすがのミィレも呆れる。 「でも、だって他に何することもできないじゃない」 ソフィアのその目はずっとアルトに向いている。 「そりゃそうだけど」 「でも、戦うったって、ツッコミ倒しても意味ねえぞ」 あの状態でまともな話ができるとは思えないため、彼女を正気に戻すため戦うことにはなるかもしれない。 しかし、そのほかにもやることはたくさんある。 アルトと戦うのはその過程で必要なことであり、メインの目標に据える事ではないのだ。 契約者が彼女ではないのならなおさら。 「だいたいあの雨雲は何?」 レイブンが気になっていたことを聞いた。 「あれが雲に見えるなんて目が悪いわね。多分イェピカの汁の集まりよ。朝、今日は快晴だって言ったじゃない。私の占いが外れるわけじゃないでしょ」 「だよね」 とレイブンは苦笑いする。 便宜上雨雲といっただけで、そう思ってはいなかった。 レイブンはここにいる誰よりも近づいて見に行っているのだ。 それにいままでにめろなの占いが外れたところをあまり見たことがない。 「でも何のために、あんなところに集めてんだ?」 ジェンが首をかしげる。めろなはそうね、と続ける。 「イェピカの目玉で強力的じゃない猫も操ってるって言ってたわよね。それにアルトも」 「ああ」 「じゃああのイェピカの汁の塊を街に落として、同じことをしようとしてるんでしょう。あの禁書にどのくらいの力があるかはわからないけれど、町中の人間がアルトのように操れるのか、動物のみ操るだけなのか、その数が少なかったとしても、厄介なのは事実よ」 「なるほどぉ、めろなあったまいー!」 「当然」 ミィレにパチパチと拍手され、めろなも得意げに胸を張った。 「それが分かったとことで、どうするの? 早くしないと流石に警察もこっち来るわよ。あのままじゃあの子、逮捕されちゃうけどいいのかしら?」 まだ騒ぎにはなっていないが、あのままだと通報されるのも時間の問題だろう。 アルトは契約者ではないが、関与はしている。 多少の刑罰は受けるだろう。 「めんどくせえなもう……」 ジェンが頭を抱える。 「とりあえずさっきと同じ作戦で行く?」 ついさっきアルトをカフェへ誘導したときのことを思い出しながらミィレは言った。 その言葉にソフィアがチャンスとばかりに瞳を輝かせ、渋っているジェンに詰め寄る。 「それがいいわ!」 それなら誘導を兼ねてソフィアがアルト相手をすることになる。 ソフィアはジェンに向かって拝むように手を合わせた。 「お願いジェン。殺さないから!」 「当たり前だろ! ったく……」 「あれ? でも、最終目標は禁書の封印だよね。禁書を封印したらアルトの洗脳も解けるんじゃないの?」 ミィレが言うと、ジェンが持っていたランプを掲げながら言った。 「確かにそうだな。封印具もここにあるし、なにも、ツッコミを倒す必要ねえか」 「ええ! そんな……」 「いや、何落ち込んでんだお前……」 しょんぼりと肩を落とすソフィアにジェンが引き気味にツッコミを入れる。 そこにレイブンがひょい、と会話に入ってきた。 「でも、あたしが近づいてちょっとしゃべっただけで攻撃されたよ? あからさまに妨害しようとしたら、それこそ黙ってみてないんじゃないの?」 ソフィアは落とした肩を上げ、輝いた瞳で「そうよね、用心棒なんだから。やっぱり先に倒さないと大変よ」と訴える。 ジェンは再び頭を抱えた。 「……くっそ余計なことを……」 「んじゃあ先にアルトを無力化。それから封印ってこと? あの黒いのどうする?」 ミィレが空に浮かぶイェピカの汁を指さす。 「あー、……黒い塊は……落ちる前に片付けばいいんじゃね?」 タイムリミットが分からんのが難点だがな。 というジェンに、ミィレがでもさ。と反論する。 「禁書ってか猫さん? どっちがあれをしてるのかわからないけど。不利になったらソッコー落とすってことも考えられるんじゃない?」 確かにあり得る話だ。 その話題になるのを待ってましたとばかりに、めろなが挙手をした。 「ねえ、そのことなんだけど」 全員がめろなに目を向ける。 「あの黒い塊……私がどうにかしてあげてもいいわよ」 その申し出にミィレが目を丸くした。 「めろな、手伝ってくれるの?」 「そう言ってるわ」 「ふーん。……んで?」 「え?」 「その代わり、って続くんでしょ。どうせ。さ、その代わり、わたし達はどうすればいいの?」 ミィレが言うと、めろなは一瞬だけぽかんとした。 彼女としては、そんなこと考えてもいなかったのだ。 一体自分を何だと思っているのだ、と問い詰めようと思ったが、その前に一つひらめいた。 にやりと笑って話を合わせる。 「……わかってるじゃない。条件があるわ。みりぃをらみぃゆと一緒の場所に逃がすの」 「私、ですか?」 「そう、いくら目玉を遠ざけたからって、持ってるらみぃゆと連絡が取れる貴女がいるとちょっと都合悪いのよ」 確かに、みりぃとらみぃゆはお互いに連絡が取り合える。 それをされるとめろなとしてはすこし厄介だ。 もう時間的に自分たちの勝ちは見えているが、予防線を張っておくに越したことはない。 「それだけ?」 ミィレがそう言うものだから、一瞬、他にも言う事はないかと一瞬考えたが、特にいい案は思いつかなかった。 「強気ね。貴女達にとって時間は結構貴重だと思うのだけれど。それだけよ。……あの司書さんにはお世話になってたし、乗り掛かった舟だし、それに……ちょっと私にとって都合がいいのよ、条件的に」 「え、なになに。急なデレ期……」 「だから! 今回に限り、それだけで手伝ってあげるわ!」 からかわれる前にその声を遮り、ふん、とそっぽを向いた。 そんなミィレはにやにやしながら、みりぃの肩に手を置いて、そっと耳打ちした。みりぃはうなずく。 「わかりました。私、らみぃゆと安全な場所にいますね!」 そういってみりぃは離脱した。

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