カオスパーティー第十一章 第二話「だから、私には丁度良いだろ?」
アルトともう一人のアルトは精神世界で転げまわって取っ組み合いをしていた。
「ッ……! っの、く……そが、どけ!」
アルトは脇腹を何度か殴ったり体を揺すってなんとか、もう一人のアルトを体の上から倒すことに成功した。
よろけたもう一人の自分に蹴りを入れ体が離れた隙に、そのまま転がって攻撃範囲外までさらに距離を取る。
そうしてやっと喉が痛くなるような咳を何回もしながら、よろよろと立ち上がった。
「ゲホ! ……お前だって嫌いじゃないだろ! あいつらのこと」
『は、はぁ!?』
もう一人のアルトは目に見えて動揺する。ついさっき悪魔に契約しようとアルトに持ち掛けたときは、まるで相手が自分じゃないように思えた。
しかし、こういう反応や表情をすると目の前にいるのは、やはり自分なんだなとアルトは思った。
「ま、好きでもないだろうが。……でも、嫌いにはなれない。私と同じく、嫌ってもらうことでしか距離は置けないと思っている」
もう一人のアルトは先ほどとは違う意味で顔を赤くした。
『な、なんでそう思うんだよ。気持ち悪い。本当におめでたい頭してるよな私は』
「……じゃあなんでソフィアをあのまま置いていくなって言ったんだ?」
『はァ? 何のこと……』
馬鹿にしたように笑うもう一人の自分の声を遮りアルトは補足する。
「あの時だ。モンゼルクで。ソフィアが先に帰れって譲らなかったあの時。今のお前なら置いて帰れ、さっさと離れろと言うだろ。でも、あの時お前は『また、帰れなくなったらどうするんだ』と言った。たぶん、お前は、いや、"私"は、やっぱり繰り返したくなかっただけなんだよ」
もう一人のアルトはぐっと押し黙った。
反論が無い。アルトはさらに言葉を続ける。
「壊したくないからって持たないのも一つの手だ。でも、私は今までいくつ壊してきた? この怪力が扱えなくて、皿も、棚も、壁も! お気に入りのコップも!」
『そんなの数えきれないくらい壊したさ!』
「きっとそれと同じなんだよ。たくさん壊したおかげで、失敗したおかげで力加減は随分わかるようになってきた」
普通の人ならばそんな不器用なことはしないだろう。
でも、自分はできないからそんなやり方で少しずつでも感覚をつかむしかないのだ。
「そういうもんなんだよ、きっと」
『……じゃあ、自分の力加減のために周りの奴らを壊すってのか』
「そうは言ってない」
『そう言ってるだろ!』
「ッじゃあ言ってやるよ! あいつらといて楽しかったんだよ! 悪いか! それが悪いことなのか! 距離を置くんじゃない、力加減を探ろうとするのは駄目なのかよ!」
気づくとアルトは目に涙をためていた。
こんなにも本音を認めてしまったのはいつぶりだろう。
ポロリと思わずこぼれた一粒を、顎に伝わせる。
「自己責任だからって、それを理由に逃げてたらなにも変わらない。きっと今までも償う事なんて全然できてなかったんだ!」
『そんなことない!』
しかしもう一人の自分はまだそれを認めたくないらしい。
両手で頭を抱えてそのまま膝をつき丸まるように頭も伏せた。
でもアルトは諦めない。
どんなに耳をふさいでも自分の言葉は聞こえてしまう。
つまり、先程の自分がどうあがいてももう一人の自分の声から逃れられなかったように、もう一人の自分もアルトの声を遮断することはできない。
追及の手を緩めず、さらに自分を追い込んでいく。
「さっき自分がなんて言ったか覚えてるか?」
『……は?』
「たとえ他が許しても"私"が許さない。じゃあ、これは何のための償いだ? 償いは本来相手に対して行うべきだ。でも、これはもう自分依存になっている。自己満足でしかない」
『屁理屈……』
「私は罰せられるべき。償うべき。その考えは私も同じだ。でも、このやり方は間違っている。正解はなくとも間違いはわかる」
『母さんと父さんはもう帰ってこない。だからせめて、兄貴にこれ以上無理をしてほしくなかった。自由になってほしくてこの街に来た。それさえも間違ってったっていうのか!?』
「……それは、わからない。だから、聞いてみようと思う」
『誰にだよ』
「兄貴」
もう一人の自分が息を呑むのが分かった。
『は、馬鹿じゃねえの…………んなの、聞いたって……』
声を震わせるもう一人の自分とは対照的に、アルトはニッと笑った。
目はまだ潤んで赤くなってはいるが、もうこぼれてはいない。
「そんなの聞いてみないとわからない、だろ?」
アルトはまっすぐともう一人のアルトを見た。
もう一人のアルトはその視線から逃げるようにうつむく。
「だから、あいつらとちゃんと向き合って、償いについては今後、方法を探す。前にカルに鋼鉄製のコップを買えって言われたよな。強いものなら大丈夫だと。あいつらは多分丈夫な方だ。だから練習させてもらおうぜ」
『だから、そんな綺麗事……!』
「もう私はあの頃の弱かった私じゃない。守られるだけの私じゃない! あいつらにいつか頼られるように、私ももっと強くなりたいんだ!」
アルトはそう言いたかった。言い聞かせたかった。
目の前にいる自分に。そして自分自身にも。
『あいつらは私がいなくたって問題ない!』
「わかってる! でもそれはどこにいても一緒だろ! 自分がそこに居ようとしなければ、私の代わりなんていくらでもいるんだから! だから強くなるんだ」
『で、でも、もしあいつらが思ったより丈夫じゃなかったらどうするんだよ。また、壊してしまったら……!』
「あの猫のコップを、買って飾るのではなく、愛用していたのはなんでだよ! 使いたかったからだろ! それと同じだ。私はあいつらのところにいたいからいる」
アルトは「だから」と続ける。
「賭けをしよう。お前は私の代わりに全力で戦ってくれ。それであいつらが私を倒したら、私の勝ち。私が勝ったらお前の勝ちだ。もうなにも言わない」
『……全力でやっていいんだな?』
「ああ、むしろそうしてくれなくちゃ困る。邪魔は絶対しない。私が何か邪魔をしたならお前の勝ちで良いよ」
アルトは目をつむり、一呼吸置くと柔らかい表情で目を開いた。
「その時は、禁書に頼んで一緒に消えよう」
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ソフィアとジェンは、レイブンとカノンに連れられて再び図書館の屋根に上っていた。
「ありがとうカノン」
「いえいえー。んじゃ、がんばってねー」
「レイブンもサンキュ」
「あたしは仕事で慣れてるからね! またいつでもどーぞ! 次からは有料だけど」
そういってレイブンとカノンは地上へと降りて行った。
屋根の上には黒猫と禁書がいる。彼女たちがこの至近距離まで来ているにもかかわらず、振り返りもしない。
ソフィアが警戒している間にジェンは下を見た。
レイブンとカノンはミィレが立っている位置まで降りたところだった。
それからあまり間を置かずミィレが片手を上げ、ジェンに合図を送った。
彼女たちの準備はいいようだ。
ジェンはミィレの立てた作戦に必要な位置と、ソフィアが剣に手をかけたのを確認し、ランタンの明かりをつけた。
すぐさま禁書に狙いを定める。
必要以上の音のない行動。
これで封印することができれば一番楽なのだが、それならばレッドリストというものは存在しないだろうし、自分たちの名前がそこに連なることもなかった。
当然のように禁書はひらりとランタンの光から逃れた。
ジェンが慌てずその動きを追おうとしたその時、その間を遮るようにアルトがあらわれた。
相変わらず真っ黒な姿、先ほど通りに立っていたままの体勢。
テレポートの魔法を使ったのだろうか。
それとも禁書に召喚されたのだろうか。
「思ったより早かったな」
ジェンはそう言ってランタンを仕舞った。
代わりにソフィアが前に出る。
ここまでは予定通り。
禁書を狙えば用心棒のアルトが動く。もし動かなければ禁書を先に対処するだけの話だった。
そして、アルトが現れた為、彼女たちのターゲットは定まった。
「アルト」
ソフィアは「また戦えるのね」という言葉を飲み込んだが、その飲み込んだ言葉が伝わったのか、アルトは不敵に笑った。
『お前は私と戦いたがってたもんな』
アルトが武器とイェピカの目玉でできた黒い拳を構える。
それを見たソフィアは一瞬ポカンとし、やがてパァっと花が咲くように表情を変えた。
上気して赤くなった頬。
輝く瞳。
もしも日常でこんな笑顔を向けられたなら、誰だってドキッとしてしまうだろう。
「嗚呼、嗚呼。アルト。戦ってくれるのね、本気で……!」
後ろに大輪の花が咲き乱れ、興奮で弾むのを抑えようとして、声が少し震えている。
先に仕掛けたのはアルトだった。
続けざまに黒い拳をソフィアにたたきつける。
ソフィアはそれを右へ左へ逃れると、一気にアルトと距離を詰めた。
そのまま体当たりをしてアルトと共に下に落ちる。
ジェンが下を覗くと、すでにソフィアとアルトは着地していた。
動きからして二人とも無傷らしいことを確認すると、ジェンは「つくづく人間じゃねえな」と独り言ちながら一旦ランタンを腰にぶら下げ、代わりに弓と矢を取った。
ソフィアの援護に備える。
とはいえ、彼女に援護は必要ないだろうとジェンは踏んでいた。
どちらかというと、暴走してしまったソフィアがアルトにとどめを刺さないようにすることと、禁書の動きを見張ることが自分の役割だ。
とりあえずソフィアに関しては向かっている方向からして完全に我を失ってはいないようだが、勢い余って何をしでかすかわかったものではない。
禁書に関してはジェン達に目もくれていない。
禁書や猫が自分を直接狙わないとは限らない為、油断はできない状況だが今のところはそちらに目を向けなくてもいいだろう。
本当ならミィレと一緒に地上で待ちたかったが、この昼間にランタンの光は遠くまで届かないため、どうしてもここに上ることは必要だった。
アルトを無効化できたらすぐさま禁書にランタンを向ける。
その先のことは相手の出方次第になる。
ソフィアは渾身の回し蹴りを放った。
アルトの頭を狙ったそれは、当然のように黒い手に阻まれ、そしてそのまま足をつかまれ、上へ持ち上げられる。
アルトは黒い手を大きく振りかぶった。
『これで一人……!』
アルトがそのままソフィアを地面にたたきつけようとした。
その気をそらせて動きを止めたのはミィレの声だった。
「はいはーい、アルト! ちゅうもーく!」
アルトはおもわず視線だけをそちらへ向ける。
ミィレはそれを待ってましたとばかりにレイブンに声をかけた。
「スタンバイオッケー! レイブン、やっちゃって!」
「りょーかい!」
レイブンは持っていたものをぶん投げ、素直なことにアルトはそれを目で追った。
自分を狙ったにしては高く投げすぎている。
太陽の光に反射し、よく見えない。
透明な石のようなものに何か入っているようだ。
アルトは目を細める。
レイブンは思いっきり息を吸うと、それに向かって火を吐き、空中で解凍した。
透明な石は炎に溶け、中身が視認できた。
『……レモン?』
アルトがつぶやいていると、いつの間にかその打ち上げられたレモンまで飛び上がっていたミィレも視界に入ってきた。
「これを、どーん!」
そういって、ミィレは瓶を一つレモンに向かって投げた。
すると、レモンは少し大きくなり、ぎょろりと大きな一つ目を開けた。
レモンがレモネードに進化したのだ。
その一瞬後、別の場所からギィイインというモーター音のようなものが一瞬響いた。
あっけに取られてそれを眺めていたアルトは、そしてはっとした。
いつのまにかソフィアを捕まえていた黒い腕が断ち切られてしまっていたのだ。
完全に切られてしまうまで気づかなかったのは、痛覚のない文字通り付け焼刃な手の盲点である。
自由になったソフィアが半回転して着地と同時にまた距離を詰めてきた。
アルトは慌ててもう片方の黒い手を繰り出すが、それもすぐに短くなった。
まるで血のように黒い腕は切断面を少々飛び散らせた。
切断された黒い手の隙間から、ソフィアの手にある武器が目に入る。
彼女が振り回しているのは、いつもの白銀のレイピアではなく、
『……チェンソー!? こいつ、こんなのも持ってるのかよ!?』
装飾にはめ込まれた赤い石が怪しく光る黒いチェーンソー。
その歯は恐ろしいくらい高速で回転している。
音は控えめだが、その攻撃力はどう考えても控えめではないだろう。
先程のモーター音はこれを起動させるための音だったのかもしれない。
アルトは舌打ちをして「それなら……!」と黒い手を増やした。
それをすべてソフィアへ向ける。
しかし、ソフィアはそれを避けずにすべてをチェーンソーで切り一直線に向かってきた。
その間にも上空ではミィレは行動を続ける。
「さらにさらに! どどーん!」
ミィレは楽し気にもう一つ同じ液体の入った瓶をレモネードに投げた。
すると今度はレモネードは木になり、レモンパルスに進化した。
これがこのモンスターの最終進化系だ。
自由になり、さらに無理やり進化させられたレモンパルスは慌てて逃げようとした。
それを阻止したのは一本の矢だった。
レモンパルスは悲鳴を上げて、動きを止めた。
放ったのはジェンだ。
矢にはしびれの効果が付加されていたようだ。
レモンパルスは痙攣し、自由が失われる。
アルトは残った四本の手を防御に当てようと自分の側に引き戻した。
しかしそれさえもすぐに失うことになる。
ソフィアがリボルバーで撃ちぬいたのだ。
走りながらではあるが、大きな的を外すことはなく、アルトに残ったのは自分自身の手のみになった。
切られた黒い手を自分に戻すのにも時間がかかる。
アルトは仕方なくこぶしを握った。
流石に素手でチェーンソーを止められるわけはない。
分かっていながらもアルトは攻撃の準備をした。
しかしソフィアはアルトを追い抜いた。
アルトが拍子抜けしていると、ソフィアは落ちてきていたレモンパルスをチェーンソーで薙ぎ払った。
レモンパルスは真っ二つになって宙を舞う。
そこへミィレが薬を投げて、爆発させた。
爆散したレモンパルの木に成っていたレモンの雨が降り注ぎ、アルトの黒色はどんどん落ちて行った。
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アルトの心の中にやわらかい光が入ってきた。
それはやさしい黄金色。
いつのまにか、自分の手がグラスを覆うように持っていたことに気づいた。
手の中を開けると、そこには飲み物のレモネードソーダが、いや、あの時、ドミネのバーで飲んだサウザンショットガンで満たされていた。
そこには小さくなったもう一人の自分が沈んでいた。
もう一人の自分が目を開ける。
『……私の負け、か』
「みたいだな。ま、どっちも私だからなんかややこしいが」
アルトはグラスを目の高さまで持ち上げ、もう一人の自分と視線を合わせた。
『でも全力だった。確かにあいつら強いよな……一人も倒せなかった』
「そうだな」
『もう逃げないんだな?』
「ああ」
『……それでいいのかよ。納得してるのかよ』
「悪いな。お前もわかってるだろ」
『疲れただけじゃねえか。ほんと、かっこ悪い』
「……そうかもな」
アルトは視線を落とす。
『こいつらが信用できるって証拠はどこにもないんだぞ』
もう一人のアルトが言った。
それは口調は強くともなじるようなものではなく、確認するようなものだった。
アルトは苦笑いしながらうなずく。
「ああ。こいつらは信用できない」
とてもじゃないけど手放しで信用なんてできない連中だ。
「だから、私には丁度良いだろ?」
信用できないからこそ、ちょうどいい距離になるのではないだろうか。
「ちょっとづつ、自分の人との距離を探していこうと思う。父さんや母さん……それに兄貴に償う方法も。私の独りよがりじゃない方法を」
さわさわきらきらとした細かい泡がもう一人のアルトを包んでいく。
ああ、目の前の自分はきっとこのまま自分の心の中に溶けて、また一人になるのだろう。
「ありがとう」
ぽろっと自分の口から出た言葉に、もう一人の自分は不思議そうな顔をした。
『なんだよ、気持ち悪い』
「償いたいっていうのも本当だった。だから、もしここで全力であいつらにぶつからなかったから、妥協だったんじゃないかって思っちまう。悔いが残ると思ったんだ。きっと私がここまで考えを変える勇気が生まれたのも、お前がいたからかなと思えてな。多分私が一人のままだったらずっと足踏みしてうじうじしてただけだった」
素直にそう言うともう人の自分は鼻で笑った。
『ほんと、私ってかっこわるいな』
「ああ、ごめんな」
アルトは苦笑いする。
「それでも一緒に生きよう」
『ああ』
もう一人のアルトは目を閉じ、そして泡の中に消えていった。
アルトはそれをしばしみつめ、やがてそのグラスの中身をすべて飲み干した。
ゆっくりと瞬きをすると、目の前には心の中ではなく、現実が広がっていた。
アルトはたった一人に戻っている。
ガヤガヤとした人の声。
見慣れた図書館の外装。
べたべたの自分の体はレモンの香りが漂っていて、足元の芝生には黒い絵具を溶いたような水溜りができていた。
遠巻きにこちらを見る人だかりがあるが、それも少し興味を示し大抵はすぐに通り過ぎて行ってしまう。
「おかえり、アルト」
一番近くにいたソフィアが手を差し出してきた。
手に持っていたチェーンソーはいつの間にかいつも通りのレイピアに戻っている。
黒い手袋がはめられた手とソフィアを二、三度繰り返し見ているうちにミィレも寄ってきた。
ジェンも屋根の上から一部始終をを見届け、安堵のため息を吐いていた。
直後ジェンは慌てて下に合図を送った。
それに運良く気付いたカノンとレイブンが、慌てて動き出した。
アルトがもったいぶってやっと口を開こうとしたその時。
レイブンが先に声を上げた。
「ねえちょっと落ちてきちゃうよ!」
それに反応して全員がレイブンに視線を集めたと同時にすべてが真っ黒に塗りつぶされた。