第二話 第三章「大丈夫か? とりあえず手当を……」

名前を呼ばれたらみぃゆは、驚いたようにその女の子の背中を見つめていた。 「え、あ、大丈夫……だけど……」 「はい、通信機。落ちてたよ」 アルトから目を離さないようにして、なにやら黒いうさぎ型の何かを手渡した。 らみぃゆはなみだ目のままオロオロしながらそれを受け取る。 「あ、ありがとう。でも、あの、みりぃ……」 とりあえずお礼を言い、誤解を解くために口を開くらみぃゆ。 だが、それより早くみりぃが動いた。 薄紫色のショートボブの髪をさらりとなびかせながら、アルトに拳を突き出す。 2発目の動きは容易に予想ができたため、アルトはその拳を手のひらで受け止める。 女の子のパンチを受けることなんて、アルトからしたら何でもないことだ。 攻撃を封じられ、女の子は悔しそうに唇をかんだ。 「わ、悪い人には負けませんよ!」 「誰が悪い人だ!」 話がこじれるといけないからと、口を挟まなかったアルトが思わず声を荒げた。 「貴女です!らみぃゆを誘拐しようとしてたでしょう!」 「してねえよ!」 とんだ言いがかりだった。 確かに泣いている彼女を見たら、アルトが泣かせたように見えたかもしれない。 だが、それだけでいきなり拳を飛ばすのはいかがなものか。 「あ、あの、みりぃ、私いじめられてないよ……?」 らみぃゆはアルトをフォローしてくれた。 みりぃと呼ばれた少女は目を丸くしてらみぃゆを見る。 「え、ほんと?」 「うん」 「そっか、よかったあ………」 その言葉で、みりぃの力が抜けたため、アルトも捕まえていた彼女の手を放した。 らみぃゆの言葉をすんなり信じたみりぃは、ほっと胸をなでおろしたようだった。 そしてすぐ、自分の行動を冷静に思い出したのだろう。 慌ててアルトに向き直って頭を下げた。 「あ、ご、ごめんなさい!私、てっきり……」 友人を思っての行動。 確かに早とちりだったが、根が悪い子というわけではないというのはアルトにもわかった。 だが、突然いわれのない暴力を受けたアルトは一言言わないと気が済まない。 普段は彼女が理不尽な暴力を振るう上に、みりぃのように素直に謝らないが、自分のことは棚に上げた。 「たく、気を付け……」 アルトは文句を言いかけた口を閉じることも忘れ固まってしまった。 見てしまったのだ。 金髪の少女を一瞬だけ。 その金髪はモノクロのリボンで二つに結われていた。 固まったアルトを不審に思ったのだろう。 みりぃとらみぃゆは彼女の視線をたどった。 その視線の先を見つけると、ぱっと顔を明るくさせて、大きく手を振った。 「あ、ミィレさん!」 その言葉だけで十分だった。 彼女たちのファッションははやりなんかではなかったようだ。 ミィレがこちらに顔を向ける前にアルトはすばやく身をかがめて、早口で言う。 「誤解が解けたならいい。それじゃあ」 そう言って、再び人ごみに紛れた。 女の子二人からも見えないところまで来たら、やっと姿勢を元に戻した。 無理な体勢になっていたからか、腰がボキリと鳴る。 いつのまにか周りの混乱は落ち着き始めていた。 どうやらとっさに向かった方向は、爆破テロのあった方角と真逆だったらしい。 だが、幸運ではない。それは、人だかりが薄くなることを表していた。 テロのあった場所の近くは野次馬や、ボランティア、被害者の身内など、人が集まりやすい。 不謹慎だが、彼女にとってはそちらの方角の方が身を隠しやすく、都合がいいのだ。 ずっとそこにいるわけにはいかないが、今後のことを考えなければならない彼女としては少しでも時間を稼ぐ必要がある。 方向転換をしようとして、思わず立ち止まってしまった。 露店商人が壁に飾っていたお面に身をこわばらせたのだ。 ジェンのものにそっくりだったからだろう。 それがただのお面だと気づくと、胸をなでおろし、再び歩き出そうとしたその時。 ソフィアがかなり近くにいた。 とっさにその露店からお面を取り、顔につける。 「あら、ジェン。どうしたの」 その動きで彼女の存在に気付いたらしいソフィアが話しかけてきた。 どうやらお面をつけたアルトをジェンだと思ってくれているらしい。 仲間と、会って一日そこらの人間を間違えるかと呆れながら、アルトはくぐもった声を出そうとして、やめた。 さすがに声まではごまかせない。 「アルトは見つかった?」 ソフィアの問いに無言で首を横に振る。 「じゃあ、例の奴らは?」 例の奴ら?と聞き返したかったが、声を出すわけにはいかない。 とりあえずもう一度首を横に振った。 「あら、そうなの。じゃ、俺あっちに行ってみるわね」 そう言ってソフィアはその場を離れた。 ほーっと息を吐く。 考えれば、お面なんて特殊装備をしているのはジェンくらいなものだ。 間違えても仕方ない。と、無理やり納得する。 すると、とんとん、と肩をたたかれた。 振り返ると、そこには青いバンダナをした青年が立っている。 頬をポリポリ掻き、しかたないなあという表情をしている。 「お客さん、それ、売りもんなんだが」 どうやらその商品を取り扱っている商人だったらしい。 右目についた大きな傷跡で、若いのにそうとうな経験をしてきていることがうかがえた。 大きなリュックの中に商品を入れている途中だったようだ。 店じまいをしている途中か、それとも、場所を移そうとしているのか。それはわからなかった。 「あ、す、すいません!」 外してみると確かにジェンのお面に似たお面は、泥で汚れてしまっていた。 だが、買い取るなんて無駄遣いはしたくない。 特にこんな何に使えばいいかわからないものを。 とりあえず服の汚れていない部分で拭きとって、そっと元の位置に戻した。 上着にフードがついていたことを思い出し、それをかぶってしばらく歩いていると、肩をたたかれた。 ソフィアがもどってきたかと、アルトは思った。 やはり欺くには無理があったか。 観念して拳を握りしめる。 振り向きざまに、その拳を肩をつかんでいる相手にぶつけた。 その相手は、その衝撃で後ろの人にぶつかりながら尻もちをついた。 すぐに逃げようと体が動く、だが、その動きは相手が予想外の者だったため、逃げるのをやめてしまった。 藍色の短い髪。 十字のピアス。 髪と同じ色の目がアルトをにらみつけた。 「なんなんだよ!」 ソフィアだと思った相手は、アルトの幼馴染のカルだった。 「びっくりさせんじゃねーよ!」 アルトが怒鳴ったのはほとんど逆切れだ。 早とちりと勘違いで攻撃を仕掛けてしまったという、 先ほどのみりぃと同じほとんど状況だというのに、やはりアルトは素直に謝るなんてことしなかった。 「びっくりはこっちだ!つか……話が違うじゃねーか!」 怒鳴り返されてポカンとするアルト、昨日はいろいろなことがありすぎてどのことを指しているのかわからなかったのだ。 だが、すぐに質問の意図が分かった。 図書館には何もないと言ったのにもかかわらず、そこから悪魔が発見されたのだ。 しかも、目撃者はアルトということも、ちょっと図書館関係者に聞けばわかることだ。 言い逃れはできない。 「宿屋に行ったら、部屋には違うやつがいるしよ」 あたりまえだ。 アルトは拉致されるかのように、それまで住んでいた部屋から無理やりミィレ達の住んでいるところに移されたのだから。 騒動が起こった直後に消えた友人。 それがカルには逃げ出したのだと思えたのだろう。 「い、いや、ちがうんだその……」 アルトが説明しようとしたその時。 ジェンが通りかかった。 反射的にカルを盾にするように隠れる。 カルは怪訝な顔で背中越しにアルトを見た。 「おい、なんなんだよ」 「すまんが、今は私を逃がしてくれ。説明はあとでするから」 アルトの真剣さが伝わったのだろう。 カルはため息を一つつくと、事情が分からないながらに、彼女を隠すように路地裏に移動してくれた。 「……俺は仲間と一緒に三日後にセレンに帰る。それまでに連絡よこせ。わかったな?」 「わかった」 アルトは礼を言って、その陰に紛れながら走り、目に入った喫茶店に滑り込むように入った。 適当にアップルティーを注文し、できるだけ入口からは見えない席に座る。 ここでやっと、朝食すら食べていなかったことを思い出す。 やっと一息つけたところで、先ほど中断してしまった今後のことについて考えていると、どこからか破裂音が聞こえてきた。 銃声ではない。 そんな小さなものではない。 まるで、外で花火が上がっているのような音。 爆破テロだ。 どうやら場所を転々としながらその行為を繰り返しているらしい。 喫茶店の店員までもが怪訝そうに窓から外を見ようとしていると、二回目、三回目の爆発が起きた。 しかも回数を重ねるごとに確実にそれは近くなってきている。 音だけではなく、揺れる店内がそれを証明していた。 騒然とする客たち。 この喫茶店は先ほどの爆発から遠い場所だったため、安全だと高をくくっていたのだろう。 アルト以外の客は慌てて金を払って外に逃げ出した。 店員も逃げ出した後は、そんな律儀な客もいなくなったが。 アルトもすぐに避難しようと立ち上がり、扉を開けたその時。 運悪く、ミィレが入ってきた。 「アルト……!」 舌打ちをするが、諦めない。彼女一人なら、時間さえ稼げばどうにか逃げ出せるかもしれないと、拳を構えた。 だが、彼女は息を切らせるばかりで、動く様子はなかった。 ついさっきまでの余裕そうな笑みもない。 よく見ると傷だらけだ。 異変に気が付いて声をかけようとすると、ミィレは倒れるようにもたれかかってきた。 「お、おい!?」 反射的に受け止める。 彼女の体はやっぱり細くて、とても戦えるようには思えなかった。 よく冒険者なんて仕事を、副職といえどやっていけたものだ。 運が良かったのか、自分たちの適性に合った仕事を選んできたのだろう。 「おい……」 「お願い助けて。数が多すぎるの……」 苦しそうに呻きながら、とぎれとぎれにアルトに訴えた。 様子からして何者かと戦っていることは確かだ。 だが何故こんな街中でわざわざテロ騒動があっている中、戦う必要があるのか。 ミィレの膝がガクンと落ち、体重がアルトにかかる。 思った以上に軽かった。 とくに怪力の持ち主のアルトにとっては、紙のように軽かっただろう。 支えながらゆっくりとミィレを座らせた。 この傷では立っているのだってやっとのはずだ。 「大丈夫か? とりあえず手当を……」 店員はすでに逃げてしまっている。 それでも店内のどこかには救急箱くらいあるだろうと店内に目を向けた。 こういう時、回復魔法でも使えればこんな手間はいらないのに、と内心舌打ちをする。 救急箱を探しに行こうとするアルトを、ミィレは袖を引いて止めた。 「待って、わたし、だいじょぶだから。こっち、こっちに来て」 「でも」 戸惑いながらも弱弱しい力に引かれるままに外に出る。 店の外に出ると、近くの建物がいくつか、瓦礫と化していた。 さきほどの爆音の成果だろう。 近くに見慣れた背中が二つあった。 ジェンとソフィアだ。 二人ともそれぞれの武器で威嚇しているようだが、ミィレ同様のボロボロなナリのせいで、どうしてもそれは弱弱しくしか見えない。 二人が対峙しているのは、何人もの人間だった。 そこらへんを歩いていても違和感のない十数名の人間。 だがその戦いの動きひとつをとっても、彼らがただの民間人じゃないことはわかった。 その上に武器を持って、彼女たちを追い詰めている。 彼女たちが何かやらかしてしまったとしてもそこまでやる必要はないだろう。 しかもテロの起きている真っ最中に。 ソフィアは近くで起きた爆風に巻き込まれ、倒れた。 アルトとミィレが慌てて駆け寄る。 ソフィアを襲ってくる男が倒れた。 ジェンが放った矢に当たったのだ。 ジェンはソフィアを援護しながらこちらに近づいてきた。 ゆらりと立ち上がるソフィアを、ミィレが支えた。 「ソフィア、大丈夫!?」 ソフィアが身を起こし、ミィレの方を見た。 必然的に一緒に駆けよってくるアルトも目に入るわけで。 その瞬間にソフィアはいつもの無表情で力強く言った。 「ダメよ、ミィレ」 アルトの動きが止まる。 それはミィレに言った言葉だったが、自分のことを指しているのだと気づいたからだ。 ソフィアは危なっかしいながらも立ち上がり、ジェンの隣に立った。 負傷しているにもかかわらず彼女たちを追撃しようとする敵に剣を向ける。 だがその剣先は明らかに震えていた。 ジェンの矢は、底を尽きかけている。 矢を持つ方の手に小刀を持っているのは、接近戦に備えてと、あと数分で来るであろうもしもの時のためなのだろう。 「そうだ、そいつは仲間じゃないんだ」 相変わらずのお面をしているジェンは、表情が見えない。 だが一瞬ちらりとアルトを見た気がした。 冷たい視線だった気がする。 「さっきだって黙って逃げやがったんだから」 ただの事実だった。 ついさっきのアルトの行動を、ただ述べただけだった。 そのただの発言は、 アルトに呼吸を数秒忘れさせ、 鼓動を速めるには充分だった。 往生際の悪いアルトも今だけは、言い訳も、悪あがきも、しなかった。 できなかった。 できるはずがなかったのだ。 だってそれは事実だったから。 ソフィアが構えを変えた。 威嚇から、防御か攻撃の構えに。 「ミィレ、来るわ。構えて」 ミィレは一瞬アルトの顔をじっと見たかと思うと、二人の間に立ってアルトに背を向けた。 ジェンは矢を構えながらアルトに言った。 「さっさと逃げろよ」 今度はアルトを見てはいなかった。 「ジェンの言う通りよ。俺たちが囮になるから、早く」 そういうと、三人はその男たちに向かっていった。 アルトはしばらくどうするべきか迷っていたが、彼女たちの行動を無駄にするわけにはいかない。 それにここから立ち去ることはアルトの願いでもあったはずだ。 彼女たちから逃げたかったのだから。 彼女たちの言葉に従いゆっくりとその場から離れた。 後ろで爆音が聞こえる。 前には青空があった。 いつの間に雲が散ったのかと、思わず空を仰ぐと、 彼女はいつのまにか、晴れと曇りの間にいた。 進めば晴天。 戻れば曇天。 これからの運命を暗示しているかのようだ。

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