第三話 第一章 「脱ぐの? いいよ」

うるんだ緑色の瞳で、上目遣いにアルトを無言でじーっと見つめるミィレ。 彼女が持っているのは大好物のリンゴ。 よく熟れていることがわかる濃赤色をしている。 その丸い実に歯を立てれば蜜のような甘さと程よい酸味が果汁としてあふれ出すだろう。 今すぐにでも食べてしまいたいのだが、それは木に生っていたのではなく お店に陳列してあったもので、勝手に食べるわけにはいかない。 商品なのだからきちんと購入して自分の物にすれば問題はないが、残念なことにミィレは今お金を持ち合わせていない。 だからアルトにこうしておねだり作戦を敢行中なのだ。 最初は目をそらしたり、買わないからな、と言って抵抗していたアルトだったが、陥落までさほど時間はかからなかった。 見つめ始めて30秒。 ため息をつくと同時に財布を取り出した。 「……わかったよ」 完全なる根負け。 日が落ちて早く店を閉めたい店員ににらまれたことも一要因だった。 「やったー!」 ミィレはその場でピョンピョン飛び跳ねる。 アルトは金を払うと、これ以上ねだられたらたまらないとでも言うように、足早に宿屋の方へ向かった。 ミィレもリンゴを嬉しそうに見つめながらおとなしくついていく。 「ったく、なんで私が……」 「ジェンとソフィアは先に帰っちゃったから、アルトからたかるしかないじゃん?」 あちこちで起きていた爆破テロリストたちの大半は捕縛され、騒動は無事終息。 その捕縛したテロリストを受け渡す立ち合いと、警察の事情聴取を受けていたため、彼女たちはこの時間まで立ち往生させられたのだった。 しかもその帰り道、ミィレにリンゴをおごらされるという羽目になったアルトはぶつぶつと文句をつぶやいた。 本来なら、その立ち往生の被害は彼女たちだけではなく、同じパーティーのメンバーのジェンとソフィアも平等に被るはずだった。 だが、ジェンが突如として体調を崩したたため離脱。 ソフィアもそれに付き添って宿屋に帰ってしまったため、アルトとミィレだけが何時間も警察とお話しさせられる事になったのだった。 「自分の金で買えって言ってるんだよ」 「だって、アルト捕まえるのにこんなに時間かかるって思わなかったんだもん!」 往生際悪く逃げ出したアルトを追いかけるために慌てて外に出たから、財布なんて持つ時間はなかったのだ。 というかそこまで頭が回らなかったというべきか。 「逃げ切るつもりだったからな。っていうかここまで遅くなったのは私のせいじゃないだろ。文句はあのテロリスト共に言え」 「テロリストさんは薬の実験台になってくれたから、もうどうでもいいかなぁ」 「ああ、あのとりもち、取るの大変そうだったな」 アルトはミィレの薬のせいで道路と抱き合うハメになったテロリストを思い出しながら言った。 成人男性数名がおおきなかぶよろしく引っ張っても、怪力のアルトが引っ張っても、 男が悲鳴を上げるだけで、テロリストが地面からはがれる気配はなかった。 隣を歩いているミィレは細い指を顎に当てながら答える。 「んー、そうだね、いちおー前に試した時には二日経たないくらいで外れたけど」 ということはあのテロリストは少なくとも明後日の昼までは地面にへばりついていなければならないのか。 アルトはテロリストを憐れんで心の中で合掌した。 真冬や真夏じゃなかっただけいくらかマシだろう。 幸い一度傾きかけた天気も随分と好転したため、雨が降ることもないはずだ。 アルトは腕を頭の後ろで組んで上を見上げた。 夕日は完全に沈んでしまっていた。 捕まった時にはまだ日も傾いていなかったのに。 暗くなった商店街はまだ少し人が行き来していた。 建物はところどころ壊れたままになっており、朝のテロによる爪痕が生々しく残っている。 「あれ? 今何か動かなかった?」 ミィレが突然そんなことを言い出して、アルトは思わず「えっ」と声を上げた。 「お、脅かそうと思っても無駄だからな」 震える声でそんなことをと言いつつ、アルトは目を凝らした。 すると確かに瓦礫の影の一つがゆっくり動いた。 思わず固まったアルトだったが、すぐにその正体に気が付いて力を緩める。 「……ああ、なんだゴーレムか」 「ゴーレム? って魔法で動くおっきな土人形でしょ? なんでこんなところにいるの?」 「たぶん瓦礫の撤去だの、人命救助のためだな。ほら、あそこに人がいる」 「あ、ほんとだ。警察もいるね」 確かに何人かそれらしき服装の人物が見えた。 その中の一人がアルト達に手を振ったように見えた。 不思議に思いながら、その人物を凝視していると、こちらに走ってきた。 だんだんとその人物の顔が見えてくる。 ブロンドの髪の下の青い目が判別できてアルトはやっとそれが知り合いだと気づき慌てて頭を下げる。 「あ、お久しぶりです」 中年の警官はニッと笑った。 「やっぱりアルトちゃんか。久しぶり。隣はお友達かな?」 「友達というかなんというか……同じパーティーに所属しているというか……」 疫病神とか、トラブルメーカーという言葉は何とか飲み込んだ。 その話をしているとまた長くなるうえに逃げ出したくなる。 「へぇ、アルトちゃんも冒険者になったわけか」 「ダニーさんはなぜイナエに? セレン勤務でしたよね?」 「うん、被害が思いのほか甚大で結構駆り出されてるんだ。役所も図書館もなくなって、結構大変だねこの町」 図書館に関してはテロリストのせいではないのだが、説明するのも面倒なため、アルトはぎこちなく少しだけ話題をそらした。 「あ、そ、そういえば役所はあの状態で機能するんですか? クエストとか仕事とかありますし……」 冒険者は役所でクエストを探し、受理し、遂行してやっと報酬をもらえる。 それが主な収入源になる。 役所がなくなったということは稼ぎ口がなくなるということだ。 同時に民間人も依頼を出す場所がなくなり、困る人が続出することになる。 アルトが所属することになってしまったパーティーは全員冒険者以外の仕事を掛け持ちしていると言っていたため、 くいっぱぐれることも、路頭に迷う心配もないだろうが、その他にも役所はいろいろな手続きや申請、管理を行っているため、 それなりに重要な機関なのだ。 完全に凍結するのはさすがに支障が出る。 「まあ、役所は休業するわけにいかない施設だし、建物は適当に借りてどうにかするだろうね。  役所の人はしばらくは燃えちゃった書類のチェックとかに追われるだろうけど」 「なるほど」 「えー、じゃあテロリスト捕まえた報酬はお預け―?」 ミィレが頬を膨らませた。 「ん? 君たちも貢献してくれたのか。それなら……ちょっと待ってね」 中年警官はその場を少し離れて本当にすぐ戻ってきた。 布袋をアルトの手に握らせる。 「はい、報酬」 硬貨のチャリンという音が中から聞こえた。 「えっ。いいんですか?」 「大丈夫大丈夫。どうせ払うものだしこっちで適当に処理しとくから」 あっはっはと軽く笑う。 その警官の背後に赤い髪の中年警官があらわれた。ものすごい形相だ。 「その処理をするのは俺じゃないだろうな?」 その声にギクッとしながらも笑顔を崩すことなく金髪の中年警官は振り返る。 「えー、いいじゃん。ほんの書類何枚か……」 「んなもんてめーでやれ! ったく、忙しいのに油売りやがって! ほら、仕事するぞ仕事!」 そして耳を引っ張られ行ってしまった。 アルトの手元には報酬の金の入った袋が残ったままだ。 「……いいのかこれ?」 「いいんじゃない?」 ミィレが根拠もなく返事をしてひょいと袋を持ち上げる。 その重さにすこしだけ表情が曇った。 「つぇー、思ったより少ないなあ……まあ、もらえるだけいいけどぉ」 ちゃりちゃりと意味もなく袋を軽く振りながら、宿屋に向かって歩き出した。 食べかけだったリンゴをしゃくしゃくと咀嚼する。 おいしそうな音。 アルトはごくりと喉を鳴らす。 自分で買ったモノなのだ、一口くらいもらってもいいはず。 「なあ、一口……あ?」 そう申し出ようとして、ミィレの方に首をひねると、ミィレはツインテールでリンゴを切って食べていた。 まるで刃のように変化させたツインテールの毛先で、器用にリンゴを切っていたのだ。 アルトは目をぱちくりさせたのち、思わずその刃になっている髪を捕まえた。 つかんだその髪の先に刃はついていなかった。 見れば見るほど普通の髪。 毛先までサラサラでツヤツヤの、手入れの行き届いた金髪だった。 無理に引っ張りはしなかったため、ミィレもされるがままになっている。 目の錯覚だったのかと思った瞬間、その髪の先から金髪と同じ色の刃が出てきた。 するりとアルトの手から逃れ、再びリンゴを切る。 「どうなってんだそれ!?」 「ん? ただのリンゴさん専用の刃だけど」 そう言って、リンゴをまた切って見せた。 切り口はなめらか。切れ味は相当良いらしい。 「いやいやいや、どういう構造してるんだ!?」 「さあ?」 首をかしげるミィレにアルトはがくりと肩を落とした。 彼女にとっては手足を動かすのと同じくらい当たり前のことなのだろうか。 最後のひとかけらをおいしそうに食べる彼女の姿は、あどけない普通の女の子だった。 華奢で、肌の色が白くて、背中に羽が生えている。 意味不明で危険な薬を複数所有していて、髪でリンゴが切れ、その動きはつむじ風のように俊敏で予測がつかない。 よく考えるとさほど普通ではないようだ。 もしかして彼女は人間じゃないのだろうか、という推測が思い浮かんだ。 だとしたら一体何の種族なのか。 隣を歩いているミィレを観察する。エルフのように耳はとがっていないし、半獣のような特徴もなく、角も生えていない。 羽が生えているということは"ようせい"だったりするのだろうかと考えを巡らせる。 背中についた宝石のような羽はどう見ても自然や動物的なものではない。 装備かなにかという可能性はあるが、背中を見る限りではそこから生えているようにしか見えない。 そこまで推測をしてからアルトは慌てて思考を停止させた。 彼女は下世話な好奇心と、純粋に相手を理解したいという気持ちの違いを自分で区別できないでいた。 余計な詮索や自己満足的な同情、人の傷をむやみやたらと抉り出すことをアルトはあまり良しとしていない。 それ故、結果的に人を避けてしまうことになるのだが、その回避行動により区別の方法も身につかないという悪循環にはまだ気づいていない。 よく考えれば、しばらく付き合うことになりそうな彼女たちは、 顔をすべて覆ったジェンといい、 不思議な羽の生えているミィレといい、 基本無表情で何を考えているかわからないソフィアといい、 謎が多いらしい。 前途多難である。 久しぶり過ぎる他人との、特に同年代との付き合い方に頭を抱えていると、隣から小さな悲鳴が聞こえた。 「痛っ!?」 足を踏まれでもしたのだろうかと、首だけ横を向くと、ミィレがこちらの方に倒れてきていた。 慌てて受け止める。ミィレの後ろを茶髪の男が走り去っていった。彼に押しのけられて倒れたらしい。 「おっと、大丈……」 声をかけるより早くミィレが動く。 すぐに体制を立て直したかと思えば、軽く地面を蹴ってあっという間に男に近づいた。 「ちょっとあんた……」 文句を言いながらその男の肩に手を伸ばしたその時。 赤いレインコートの人物が二人の間に割って入った。 そしてその人物がミィレの方を向いて、傘を開いた瞬間。 「きゃっ!?」 ミィレがアルトに向かって吹っ飛んできた。 「なっ!?」 アルトは身構える余裕もなく一緒に地面に倒れこむ。 なにやらカシャン、と小さくガラスか何かが割れたような音がした。 「な、なんなんだ一体!?」 何が起こったのかわからないままとりあえず頭だけ起こして見ると、茶髪の男も赤いレインコートの人物の背中も既に随分と小さくなっていた。  とりあえず、頭部がクリーンヒットした鼻をさすりながら隣に倒れているミィレに声をかける。 「おい、ミィレ……」 「いったーい! だいじょうぶ!? ミィレちゃんの腕折れてない!?」 元気に文句を言ったのを見て、とりあえずほっとした。 大怪我はしていないようだ。せいぜいかすり傷程度だろう。 アルトは気を取り直して、彼女の発言に対してツッコミを入れる。 「折れてるわけないだろ! つか、むしろぶつかられた私が言っていい……セリフ……」 ツッコミは尻すぼみになった。 頭をはたこうとしているのに腕が動かないのだ。 驚いて自分の左腕を見るとミィレの右腕がくっついていた。 腕どころじゃない。 お互いの胴体と腕に、ショッキングなピンク色の物体が絡みついていた。 べっとりとした感触をしている。 二人ともその目がチカチカするような色には覚えがあった。 ちょうどテロリストと道路の間に挟まっていた色と全く同じだ。 ミィレも自分たちがくっついてしまっていることに気付くと、すばやく地面に目を這わせた。 割れたガラスの小瓶はすぐに見つかり、さすがのミィレも苦笑いをする。 「あっちゃー……」 「……ミィレ。まさか、これ……」 青くなったアルトの顔には嘘であってくれと書いてある。 「ぶつかったときに薬が割れちゃったみたいだね! わたしったらドジっ娘! てへ!」 ミィレはペロリと舌を出して、自分の頭にコツンとグーを当てた。 もちろんくっついていない自分の左腕でだ。 だが事態はシャレになっていない。 「いやそれじゃすまないだろ!? これ……!」 アルトは自由の利くもう片方の腕でどうにか引き剥がそうと試みるが、これっぽっちも離れる様子はない。 意地になっていると、ついにミィレが悲鳴を上げた。 「いたいいたいいたい! ちょっとアルト! 本当に折れちゃうじゃない! いくらなんでも腕取れたらたいへんなんだからね!」 「これも充分大変な事態だ!」 アルトは慌ててどうなっているかを観察した。 二人はちょうど気を付けの姿勢で肩を並べた状態でくっついていた。 しかも、運の悪いことに 「……皮膚からくっついてるな」 がっくりとうなだれる。 「くそ、服を脱ぐことすらできねえのかよ」 服だけがくっついているのなら、脱げば離れられたというのに。 こんな肩から手のひらまでベッタリとくっついていては着脱自体がそもそも無理な話である。 「脱ぐの? いいよ」 そう言って、何故か全く関係ないズボンのベルトに手をかけるミィレ。 アルトは慌ててそれを止めた。 「待て待て待て! そこ関係ないだろ!」 「え?」 「ダメなの? って顔すんな! 露出狂かお前は!」 「そうだけど?」 「肯定すんのかよ!」 知りたくなかった素顔が一つ解明された。やはり彼女たちの正体を探るのが怖くなった。 「もー! アルトなんでそんな格好してるのよー!」 「お前に言われたかねえよ!」 とりあえず宿屋に帰ることにしたが、立ち上がること自体がまず困難。 せーのなんて息を合わせることは早々に諦めて、最後はアルトの力技で、ミィレを抱きあげるようにして起き上がった。 唯一の救いは二人の身長がさほど変わらなかったことだろうか。 あまりにも身長差がありすぎると、歩くのすら大変になってしまう。 「……これ解毒剤みたいなのは……」 「ないね」 「即答かよ……。作ることも不可能なのか?」 「んー、材料有ればどうにかなると思うけど……確か今"エイレインの毒"切らしてたんだよなあ……」 「材料が足りないのか……」 がっくりと肩を落とすアルト。 それとは反対に、ミィレがにやぁと笑った。 付き合いは浅いがそれが何かを企んでいる顔だと言うのは何となくわかった。 「あ、でも……丁度いいや。ね、アルト、図書館って本当なら何時まで開いてるの?」 彼女の質問には脈絡がないとアルトは思った。 唐突な質問に加え、その意図が全く掴めない。 「あ? だいたい7時で閉館だけど……それがどうした」 今は8時を過ぎていることを近くにあった時計台で確認すると、ミィレはだめかぁ、と口を尖らせた。 「図書館と何の関係があるんだよ」 「それが、間接的な材料の調達と仕事を進められる一石二鳥なプランに関係があるんだなコレが」 「本当か?」 いぶかしげな視線を投げかける。 この世の中、美味い話は疑ってかからないといけない。 ことさら、彼女のプランというのなら彼女は徳だったりするかもしれないが、アルトもそうなのかどうかはあまり保証できない。 「うん、だけどもう遅いね。明日の朝まで待たないとね」 「じゃあ、とりあえず帰るか」 「おっけー!」 「それにしてもなんでお前こっちに吹っ飛んできたんだ?」 「わっかんない。傘が開いた瞬間アルトにぶつかってた」 「衝撃波でも当てられたのか……?」 二人はよろよろしながら、宿屋へ歩き始めた。 帰るまでの間に五回は地面に転がった。 たった数十メートルの距離が果てしなく長く、危険な道に思えた

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